004.ミッドナイト・アクシデント
「……寒いか?」
返事はないが、俺の前の女は二の腕をさすりながら肩を縮こめて歩いていたので、コートを無理やり羽織らせた。
じっさい、夜の砂漠は凍てつくような寒さである。
「なあ。事情は知らんが、お前にも言い分はあるんだろう。とりあえず家に帰って、シーナに弁解したらどうだ?」
「……」
よほど先ほどの屈辱を根に持っているのか、イオンは俺の提案には答えずザクザクと砂を踏みしめて進んでいる。
目的地があるならいいのだが、そうでないならこの広大な砂漠の中で二人とも迷子になりかねない。
「なあ。このままだと俺もお前も、ミイラになって野垂れ死にだぞ。シーナを一人にさせていいのかよ?」
「ワタシはもうあの娘に合わせる顔がないの。アナタがあの娘のためにいてあげて。ワタシはこのまま誰に看取られることもなく、砂に埋もれて死んでいくから」
「なんだ、やっぱりふつうに喋れるんだな。さっきまでは仰々しくカシコマリマシタなんて言ってたくせに」
「そのことにはもう触れないでちょうだい」
と言って、恥ずかしげに目を伏せた。
少なくても会話の通じる相手ではあるらしい。
俺は少しだけ声のトーンを柔らかくして尋ねる。
「なぜ一か月もシーナの家で、下等なロボット――正確にはBOTって言うんだっけ――のフリをしつづけていたんだ? 人間ではなさそうだし、ひょっとしてお前こそアンドロイドなんじゃないか?」
少し考えるような時間があってから、イオンはおもむろに口を開いた。
「えぇ、そうよ。そしてこの時代でアンドロイドは、存在するだけで公的機関に通報されるような存在なのよ。この辺りには警察がいないからいいけど、賞金首なんかに見つかったらタダじゃすまないわ」
つまりは、アンドロイド狩りが行われているわけだ。
俺は納得するとともに、気になったことを尋ねてみる。
「シーナはゴミ捨て場でお前を拾ったと言ってたな。なぜあそこに倒れてたんだ?」
「それはちょっと……」
イオンはお茶を濁すように返事をした。
ひょっとしてあの仮面の女と何か関係があるのではと思ったのだが、もしそうならあえてはぐらかす意味もないし、この様子だと無関係らしい。
「そういえば……いま思いだしたけど、あの子はワタシ”も”ゴミ捨て場で拾ったって言ってたわよね。アナタもあの場所でシーナに拾われたの?」
「あぁ、じつを言うとそうなんだ」
「ということは、アナタもアンドロイドなのかしら?」
「いや、違う。俺は人間だ」
「でも、おかしいじゃない。人間がゴミ捨て場に捨てられているなんて」
イオンは怪訝なものを見るような視線を向けた。
それについてはまったくもってその通りで、ぐうの音も出ない。
いままでは俺がイオンの正体を明かすつもりだったのに、いつのまにか立場が逆転した。
「それについてはその、ここに来るまでに色々あってな。人生山あり谷ありって言うだろ? もっとも、俺の人生の場合は谷々谷々って感じだが……最後にどんでん返しがあったというか……」
とたんに歯切れが悪くなった俺を見て、イオンは興味をそそられたようだった。
「その話、詳しく聞かせてくれるかしら?」
$ $ $
「で、よりにもよってなんでこんなところに?」
俺はグラスを傾けながら、バーの店内を見渡した。
先客は誰一人としておらず、貸し切りの状態だったので、俺とイオンは他人の目を気にせず、ボックス席のソファでくつろいでいた。
目の前にいるイオンはすでにできあがっている様子で、にへらにへらと笑いながらカウンターに頬杖をついている。
「いいじゃない。一度こういうところに来てみたかったのよ。まさか相手が行きずりの男性になるなんて思いもしなかったけど」
あれから砂漠をさまようこと十数分。俺たちがたどりついたのは、西部劇の舞台になりそうな寂れたゴースト・タウンだった。
住民の影はほとんど見えなかったが、無数の掘立て小屋が立ち並んでいるあたり、昔はそれなりに栄えていたのかもしれない。
「俺は遊びに来たわけじゃないんだけどな。あんまり遅くなると、シーナだって心配するぞ」
「大丈夫よ。二人で夜を明かそうってわけじゃないんだから。あ、もちろんやましい意味で言ったんじゃないわよ? 念のために言っておくけど」
イオンは酒が入っているからか、あるいは話し相手に飢えていたのか、さっきまでとはうってかわって饒舌になっている。
人間でなくとも、高度な知性を持つアンドロイドが無感情な機械のフリをするのは苦痛だったのだろう。
「俺も念のために言っておきたいんだが、あいにくいま無一文でな。支払いは任せていいんだよな?」
「ワタシから誘ったんだから、もちろんよ」
「金は持ってるのか?」
「大丈夫よ、ときどきあの娘が――シーナがワタシにお小遣いをくれてたから。ね、可愛いと思わない? シーナったら、ワタシに何か仕事をお願いするごとに、お給料としてポッケに小銭を入れてくれてたの。きっと、貯金箱にお金を入れるような感覚だったんでしょうけど……嬉しかったわ。人間として扱われてるみたいで」
シーナについて語るイオンは、まるで我が子を誇りに思う親のように目をきらきらと輝かせていた。
「そこまでシーナのことが好きなら、すなおに自分がアンドロイドだと伝えればいいじゃないか。お前が何者だろうが、きちんと説明すれば、シーナは受け入れてくれるだろう」
「もちろんワタシだって、できることならそうしたいわ……。でも、好きだからこそ離れるべきだと思ったのよ。さっきも話したとおり、アンドロイドと暮らすのは危険が伴うから……」
そこへバーテンがやってきて、俺たちのテーブルの横を通りすぎた。
イオンはその音にビクッと驚いてから、再び俺のほうに向きなおった。
「とにかく、ワタシのことはいいのよ。それよりアナタの話を聞かせてちょうだい。アナタはなぜあのゴミ捨て場に倒れていたの?」
俺はグラスの氷をからからと鳴らしながら、自問自答する。
(ここは素直に話すべきだろうか? 俺が異世界から転移してきたこと、仮面の女と契約を結んだこと……。シーナならともかく、コイツに頭のおかしな奴と思われても痛くもかゆくもないし)
「わかった、正直に説明するよ。ただし途中で茶化したり、ドン引きするのはナシにしてくれるか?」
「もちろん。約束するわ」
「俺はこの世界の住人じゃない。異世界からやってきた人間なんだ」
イオンは目をぱちぱちさせて、俺を見ている。
「えっ? それってつまり……なろう小説でいうところの異世界転生みたいなことが現実に起きたってこと?」
正解を告げるようにリリンと鈴が鳴り、バーに新たな客が入ってきた。
二人とも小中学生くらいの背丈で、一人はゴスロリ服を着た白髪のツインテール、もう一人はハンチング帽子を目深にかぶった少女だった。
「ん……? いまなろう小説って言ったのか。この世界にもなろうはあるのか?」
俺は聞き間違えかと思い、イオンに問い返した。
「『芸術家になろう』でしょう? 有名よ。ワタシもお人形のフリをしてるあいだは暇だったから、よく読んでたわ。悪役令嬢モノが好きで」
「なら話が早いな。まあ、要するにそういうことだ。別の何かに生まれ変わったわけじゃないから、厳密に言えば転生ではなく転移なのかもしれないが」
なろうが異世界にまで進出しているとは思わなかったが、おかげでスムーズに話を進めることができそうだ。
「え~っ!」
イオンは一拍置いて驚きが来たようで、マヌケな声を張りあげている。
その声に反応して、向かいの二人組が怪訝な顔をしてこちらを見たので、イオンに声量を抑えるよう伝えた。
「ゴメンなさい。つい気が動転して……でも、もしその話が本当だとするなら、この物語の主人公はアナタで、ワタシがヒロインってことになるわよね。ひょっとして、さっき胸を揉まれたのはまだ序の口で、そのうちもっとアハンウフンな関係になるのかしら!?」
「お前の脳内はお花畑みたいだな。というか、声がデカいって」
俺は気恥ずかしくなり、酔ってもないのに顔を赤らめた。
どこか世間知らずな一面はあるが、少なくともイオンは悪い奴ではないらしい。
「とにもかくにも、俺の話はもういいだろ? 早く家に帰ろう。シーナがいまごろ、血眼になって俺たちを探してるかもしれん」
イオンはまだ話し足りないようだったが、俺が席を立とうとしたので、店主に指でチェックの合図をした。
「ごちそうさま」
イオンが会計を済ませて歩きはじめると、向かいのボックス席に座っていた二人組の少女が、イオンの進行方向にすっと足を伸ばした。
それまで軽やかな足取りだったイオンは、キャッと子犬が尾を踏まれたときのような声をあげ、床に転んで手をついた。
「おっと、悪いな。うっかり足をぶつけちまった」
少女は少しも悪びれていない顔で、帽子を取って会釈した。
そしてまたその帽子を被ると、膝をついているイオンに手を差しのべた。
「す、すみません」
イオンが困惑した様子で手を伸ばすと、その少女はポケットからすばやくナイフを取りだして、イオンの掌を切り裂いた。
「えっ……?」
イオンは呆然としたあと、わっと大粒の涙を流しはじめた。
帽子の少女はイオンの掌から流れるどす黒い液体をまじまじと観察し、驚きの声をあげた。
「……マジかよ」
「おいおい、姉貴! こんな偶然あるのかよ?」
ツインテールの女は興奮した様子で酒をあおりながら、ソファに膝を立てて座る。
どうやら帽子の少女が姉で、気性の荒いほうが妹らしい。
「……異世界がどうとか話しはじめたときはイカれてるんじゃないかと心配したが、アンドロイドなのはマジなんだな! 神様だか仏様だか知らねぇけど、いまならケツの穴を舐めてやりたい気分だぜ」
姉妹はずっと俺たちの会話を盗み聞きしていたのだ。
(アンドロイドがそこまで重要な存在なら、うかつに人前で話題にするべきじゃないなんて、ちょっと考えればわかるはずだ。俺もこの世界に来たばかりで、気が緩んでいたな)
ツインテールの女は、ぷはぁと酒のボトルを直飲みしたあと、上機嫌に俺の肩を叩いて、ぐいっと酒のボトルを押しつけてくる。
「兄ちゃんはあたしらの救世主だぜ! この運命的な出会いに乾杯だ、ほら飲めって!」
俺が丁重に断ると、ツインテールの少女はイオンの頭上でボトルを逆さにした。
イオンはびしょぬれになり、目を伏せたままガクガクと体を震わせている。
「オイオイ。二人とも壊れた機械みたいにフリーズしちまったぜ。ひょっとしてそこの兄ちゃんもアンドロイドだったりしねぇかな?」
「それはないな。オレの情報が正しければ、アンドロイドってのはだいたい美男美女だ。あえてブサイクな顔を作ろうとする奴はいないだろ?」
「そう言われりゃ、一目瞭然だな」
姉妹はくっくっと喉を鳴らして笑っている。
俺はどうしていいかわからずに、威嚇することしかできなかった。
「い、いい加減にしろ……警察を呼ぶぞ」
「だははは、こりゃ傑作だ! 兄ちゃんは顔に似合わず冗談が得意らしいな。こんなところに警察が来るわけねぇだろ。どうせならテメェのママもここに呼ぶか?」
「この人たちの狙いはワタシよ、アナタは逃げて!」
戦うか逃げるか、選択のときだった。
頭ではイオンを見捨てられないと考えていたが、俺の足は勝手に店の出口のほうに向かっていた。
思えば逃げつづけてきた人生で、人を殴ったことなど一度もないのだ。
「アッハッハッ。女を見捨ててとんずらこいてやんの」
俺は足がもつれそうになりながらも、なんとか出口にたどり着き、重い扉を押して外に出ようとする。
しかし、扉は押しても引いてもビクともしない。
(扉の外側からかんぬきをかけられているのか? そういえば、店主の姿が見えないが……初めから、奴らはグルだったのか)
ジジジジジ、という音が背後からして首元に激痛が走った。
黒髪の女が、俺にスタンガンを押しあてたようだった。
「みすみす獲物を逃すほどオレらはバカじゃねぇよ」
俺はまな板の鯉のように床をのたうち回り、ぜえぜえと息を吐いた。
「お前らの目的は何だ、金か?」
「そりゃあ兄ちゃんがたんまり金を持ってるなら話はべつだが、見たところ億万長者って感じでもないしな」
「せいぜい童貞の引きこもりってところだろ」
白髪の女は笑いながら、後ろのソファにふんぞりかえって俺をながめている。
イオンは床にうずくまったまま、髪から水滴を滴らせていた。
「良いニュースと悪いニュースがある。どっちから聞きたい?」
黒髪の少女はカウンターのスツールに腰かけながら質問を投げかけた。
カクテル・グラスをからからと揺らし、仕事は終わったとばかりにリラックスしている。
「なら、悪いニュースから教えてくれ」
「三十分後、オレらの借金の取り立て屋が来る。そのときが来たら、アンドロイドの姉ちゃんとはお別れだ」
「……良いニュースってのは?」
「生かしておく意味もねぇし、兄ちゃんにはいますぐ死んでもらう。喜べよ、苦しむ時間は少なければ少ないほどいいだろう?」
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