003.イオンさんは無感情
蟻塚という砂の家は、外観こそ奇天烈なものの、入ってみれば拍子抜けしてしまうくらい何の変哲もない集合住宅の間取りをしていた。
短い廊下を渡った先にはダイニングがあり、その奥にはカウンターを隔てて小さなキッチンがある。
さすがにバルコニーで一休みとまではないようだったが、隣にあるシーナの寝室にはホテルに置かれていてもおかしくないような、バカでかいサイズのベッドがひとつ置かれていた。
「家具はほとんどゴミ捨て場から運んできたものだけど、どれもきちんと使えるから安心して。お風呂は廊下の途中ね。もうお湯沸かしちゃう?」
「あぁ、いや……さっぱりして一休みしたいところだが、体がダルくてしょうがないから、悪いけど先に寝させてくれ。そこのソファを使わせてもらってもいいか?」
「うん。自分の家だと思ってくつろいでいいからね。わたしはそのあいだ、ご飯用意しておくから」
本当ならばこの世界の情報について、シーナからあれこれ聞きだしたいところだがその気力も残っていない。
あのゴミ捨て場からこの家までの道のりは、引きこもりの俺にはシルク・ロードを横断するも同然の苛酷さだった。
俺はソファに倒れこんでから、今日の出来事を回想する。
マンホール、ゴミ捨て場、そして二十三世紀の新世界。
まるで夢みたいな状況だが、これだけ体の節々から痛みを感じるということは現実で間違いないのだろう。
今度こそ人生をやり直せるように、そしてまたマンホールの底に落ちることがないようにと祈りながら、俺は深い眠りの世界に落ちていった。
$ $ $
「おはよー、ハルト。あんまりよく寝てるから、死んじゃったんじゃないかと思って心配したよ?」
俺は寝ぼけ眼をこすりながら、ウーンと伸びをして起きた。
筋肉痛の絶頂期ということもあり、手足は棒のようになっている。
「あぁ……おはよう、シーナ」
「って言っても、もう夕方なんだけどね。そろそろお腹も空いてきたんじゃない? ごはん用意しておく?」
「あぁ……頼む」
ついでに替えの体も用意してくれと言いたいところだったが、居候たるもの身の程は弁るべきだ。
足を引きずるようにして食卓へ向かうと、シーナがオーブンから熱々のアップル・パイを取りだしているのが見えた。
いつもは小食気味の俺も、その香ばしいかおりに食欲を刺激される。
「旨そうだな。こんな何もない砂漠のどまんなかで、どうやって食料の調達を?」
「食料とか日用品は、少し離れたところにあるショッピング・モールで調達するの。最近になって運営会社が変わったみたいで、色んなものが高騰してるから贅沢なものは買えないんだけど……」
砂漠のショッピング・モール。
いささか不自然な組み合わせのように聞こえるが、こんなところに住んでいる人間がいる以上、一定の需要はあるのだろう。
俺はハフハフとパイをほおばり、タンブラーに入っていたお茶を喉に流しこむ。
「うぅん、美味い。ひと様の手料理を食べるなんて何年ぶりだろう……。俺ばっかり食べてるけど、シーナはちゃんと食べたんだよな?」
「わたしはいいの。インスタントの味に慣れちゃったから……。こういうときにでも使わないと、食材が腐っちゃうだけだしね。それにいまは腕のいい料理人さんもいることだし」
「……料理人だって?」
てっきりシーナが一人暮らしをしているものとばかり思っていた俺は、自分の耳を疑った。
しかし冷静になってみれば、こんな熾烈な環境でか弱い少女が一人で暮らしているほうがおかしいのだ。
(とはいえ、いきなり顔合わせとなると少し気まずいな……。邪魔にならないうちに退散するか? 友だちの友だち的なポジションの奴とうまくやれる気がしないしな)
と様々な可能性を考えながら部屋をきょろきょろ見渡していると、シーナの寝室で視線がとまった。
それまで影が薄いせいで気がつかなかったが、シーナのベッドのすぐ傍で物静かに正座している女がいたのだ。
女は昔の主婦のように割烹着を身に纏っていた。そしてそのうなじから伸びているコードは枕もとのコンセントに繋がっている。
「……なんだ、人間じゃないのか。ビックリした」
「あれはイオンちゃんって言って、あらゆる家事をこなしてくれる万能お手伝いさんなの。ほら、イオンちゃん。ハルトにお茶のおかわりを汲んでもらえる?」
「カシコマリマシタ」
すくっと立ちあがると、イオンはそのままウィーン、ガシン、ウィーン、ガシンといいながら近づいてきて、機械的な所作で俺の茶碗におかわりをついだ。
「ね、すごいでしょ? イオンちゃんみたいに高性能なBOTはこのご時世なかなかお目にかかれないよ」
「ビー・オー・ティー? BOTってのはアンドロイドとはちがうのか?」
「うん。ハルトみたいな旧世代につくられたアンドロイドとは違って、いまの機械は自我を持たないよう念入りに調整されてるの。高性能な汎用知能は禁止されてるからその代替としてつくられたのがBOT。Being・Of・ Technology」
「要するに、ちょっと残念なイカニモなロボットってことか」
ジョロジョロと湯呑みにお茶をついでいたイオンが、そのとき上目遣いでジロッと俺をにらんだような気がした。
だが、シーナの話を信じるならイオンに自我はないはずなので、俺の過剰反応かもしれない。
「アイツはどっかで買ってきたのか? いくらちょっと残念だからって言ったって、それなりに値段は張るんじゃないか」
「イオンちゃんはハルトと同じように、あのゴミ捨て場で拾ったの。一か月くらい前かな? すごい偶然だよね」
「へぇ……。しかし、中身はポンコツでも外見は人間そのままじゃないか。肌の質感とか、フィギュア職人が見たら感涙しそうなキメ細やかさだ」
「でしょ? わたしもビックリしたの、ここまで人間に似てるBOTは初めてだったから。もしよければ記念に触ってみてもいいよ、おっぱいとか」
俺は口にふくんでいたお茶を噴きかけた。
「おっおっ……お前、それはいくらなんでもアレじゃないか? 色々と問題になるんじゃないか?」
「だって、イオンちゃんはお人形さんみたいなものだよ? BOTは無感情だから、触られてもなんとも思わないの。まぁ、ハルトが嫌ならいいんだけどね」
「い、いや……嫌じゃないが。まあ一応、記念に触っておくか? こんな機会二度とないだろうし」
俺はさもどうでもいいことのようにやれやれと肩をすくめながら、高鳴る胸の鼓動を抑えて、イオンの目の前に立った。
さすがにいきなり揉みしだくはみっともないと思ったので、ふんふん。なるほど。こういう感じねと言いながら、胸のあたりを指で突いてみた。
むにゅっと指が柔らかに跳ねかえされる感触があったので、俺はそれだけで天にも昇る心地だったが、今度は大胆に鷲掴みにするつもりで、開いた掌を近づけてみる。
「――ゥゥ」
そのとき、俺は前かがみになってイオンの胸に顔を近づけていたのだが、風が唸るような音が聞こえたので、ふと顔をあげた。
するとそこには、憤りで顔を真っ赤にして、鼻息を荒くしながら俺をにらみつけるイオンの顔があった。
俺は腰を抜かしながら、あわてて後ずさる。
「い、いまイオンが……!」
「どうしたの、ハルト? おっぱいを揉んで悲鳴を上げる人なんて初めて見たよ」
「違うんだ。俺が手を近づけたら、イオンが般若のような形相になって……」
「もう、ハルトったらわたしをからかって。だから何度も言ってるでしょ? イオンちゃんはBOTで、BOTは感情を持たないんだってば」
「いやしかし、たしかに……」
そのころにはもう、イオンはさっと表情を変えて、平然とした様子にもどっていたものの、まだ耳たぶや頬の赤みは残っていた。
これを見ればわかるだろうという言葉が喉元まで出かかったところで、俺はシーナの視力が欠損していることを思いだした。
おそらくシーナの目は、完全に視力を失っているわけではないにしろ、ぼんやりとした物体の位置ぐらいしか把握できないのだ。
「さてはお前、それをわかって……」
イオンはバレてしまってはしかたないとばかりに、ニヤッと不敵な笑みを浮かべて俺を見つめてきた。
(コイツはシーナの弱みにつけこんでいるのだし、少しくらいお灸を据えてやらないとな)
そこで俺は、不思議そうな顔をしているシーナに提案をもちかける。
「なぁシーナ。悪いんだが、ちょっとばかしイオンのやつをくすぐってみてくれないか」
ちらりと横目でイオンを見ると、強がって笑っているものの、目尻のあたりが痙攣しているのがわかった。
「え……いいけど、なぜに?」
「まあ形だけだと思ってさ。一生のお願いだ」
「そんなことで一生を棒にふっちゃダメだよ?」
シーナは俺の熱意に困惑している様子だったが、いやとは言わず頼みを引き受けてくれるらしい。
「それじゃ、イオンちゃん。バンザイしてくれる? いまから変態アンドロイドさんのご所望でくすぐらせてもらうけど、いつもどおり無反応でいてくれればいいからね」
「……カシコマリマシタ」
イオンは不器用に唾を飲みこみ、観念したように両手を挙げる。
俺はシーナの手を取って、イオンの脇の下にはさんでやる。
するとシーナは、まるでハープでも奏でるような繊細な手つきでイオンの脇の下をくすぐりはじめた。
「……」
しばし家の中が静まりかえったが、その効果はてきめんだった。
イオンは唇をすぼめて(音がしないように)息を吸ったり吐いたりしてごまかそうとしていたが、声をあげないようにするのに必死になっていて、さっきまでの澄ました顔が台無しになっている。
素直に罪を認めれば許してやるつもりだったのだが、まだシーナにはバレていないと信じて機械のフリをしつづけることを選んだようだったので、俺はアップルパイを片手にイオンの胸を揉んだ。
「ふむふむ。作り物にしてはよくできてるな。シリコンみたいないかにもな手ざわりじゃなく、柔らかくて弾力がある」
「ほんとだよね。わたしにも少しわけてもらいたいくらい」
シーナはそう言いながら、イオンの左の胸をむぎゅっと鷲掴みにした。
イオンは耳を澄まさなければわからないほどの音量で「んぅっ」と声を発したが、シーナはそんなことはお構いなしに、イオンの胸をこねくりまわす。
「まったく、お手伝いさんがこんなおっぱいしてたら気になって家事がはかどらないよ」
「モウシワケッ……ぁッ、アリマセンデシタ!」
シーナはイオンを人形だと思っている分容赦がなく、バチンバチンとビンタして、イオンの釣鐘型の乳を揺らしていた。
日頃からよほど巨乳への恨みを溜めこんでいたのかもしれない。
「なるほどな。ありがとう、シーナ。それじゃあそろそろ……」
罰としては十分だろうと思ったところで、シーナが手を止めてこちらを見た。
「服の上からだけでいいの? どうせだったら生おっぱいも揉んでいけばいいのに」
シーナは悪だくみをするような笑みを浮かべると、イオンのエプロンをたくしあげブラウスのボタンに手をかけた。
その瞬間、顔を真っ赤にしたイオンはシーナの手をふりはらい、ごめんなさい! とだけ言い残して外へ飛び出していった。
「えっ? イ、イオンちゃん!?」
あとに残されたシーナは、あまりのショックでどうしたらいいかわからない様子できょろきょろと首を動かしている。
「やれやれ……。放っておくか迷うところだが、外は砂漠だしな。しかたない、俺が追っかけてみるよ」
こちとら筋肉痛だってのに、とぶつくさ言いながら外へ出ようとすると、シーナが急いで部屋のなかを走り回って、物資を手渡してきた。
「わたしが行くと足手まといになっちゃうから家で待ってたほうがいいのかな……。でも、あんな反応するなんて思わなくて……。わたし、イオンちゃんに謝らなきゃ」
「謝る必要なんてないと思うけどな、騙してたのはあっち側なんだし。まぁ、伝言があるなら俺が伝えてくるけど」
するとシーナは少し考えてから口を開いた。
「どんな事情があるのか知らないけど、わたしはまたイオンちゃんの料理が食べたいから、家に帰ってきてって伝えて」
俺はうなずいて、コートを羽織りながら玄関の戸を開けた。
荒涼とした夜の砂漠には、青白い月が輝いている。
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