002.オール・ユー・ニード・イズ...
俺は言葉を失い、息を呑んでいた。
やはりここは俺の知っている世界ではないのだ。
当初はタイム・スリップの線も考えていたが、シーナが言っていた鏡歴二十三世紀という言葉を信じるなら、異世界と考えたほうが自然かもしれない。
(異世界転生、いや転移か……?)
洗練されたテクノロジーと猥雑な欲望が綯交ぜにされたような目の前の街並みは、古典的なSF小説の描写にそっくりだった。
あまりにそのまますぎて、作り物ではないかと疑ってしまうほどに。
「大丈夫、ハルト?」
俺と横並びに崖っぷちに立ちながらも、シーナは気持ちよさそうに胸をそらして、全身で風を浴びている。
それこそいつ風にさらわれてもおかしくないような小ぶりな体で、見てるだけでも危なっかしくてかなわない。
「頼むから気をつけてくれよ。落ちたら洒落にならないぞ」
「うん、大丈夫。こう見えてもわたし、バランス感覚はいいから」
シーナはおどけておっとっと、と体を前後に揺らしてみせたが、それは運動神経に優れているというより、自分の生に無頓着なだけのようにも見えた。
「おい、やめてくれって。ここでお前に死なれたら、間違いなく俺は路頭に迷うことになる」
「ふふっ。必要としてくれるのは嬉しいけど、わたしはゴミ漁りして生計を立ててるような人間だから、どのみち路頭に迷うことになるかもしれないよ?」
「ゴミ漁りだろうが、仕事は仕事だろ。俺なんか無職だからな。まごうことなき社会のゴミだ」
「無職のアンドロイドなんてこの世にいたんだね」
俺はアンドロイドでもこの世の存在でもないのだが、それを説明するにはまだ早いようなので、しかたなく話を合わせることにする。
「まぁ、みんなちがってみんないいってやつだよ。ほら、こんなヒョロガリで何の役にも立たなそうなアンドロイドがいるんだから……って、目が見えないんだったな。すまん、そういうつもりじゃ」
「光が見えにくいだけで、シルエットくらいならわかるから、そんなに気にしなくていいよ。いまはガリガリでノッポな、ハルトの影がなんとなく見えてる」
「そうか、そりゃあよかった。俺のブサイクな面を見たらあやうく視力がゼロになるところだったぞ」
俺の自虐ネタが少しはツボに入ったようで、シーナはけたけたと笑ってくれる。
「わたしのなかでハルトは絶世のイケメンってことにしとくから。……そういえば、結局聞き忘れちゃってたけど、ハルトって年はいくつなの? もしかして、お子さんがいたりして?」
「俺が苦手なものがこの世で二つあるとしたら、一が女で二が子どもだ。三、四がなくて五がババア」
「ふぅん? そうなんだ……じゃあ、わたしがその苦手を克服させてあげよっか」
そう言うと、シーナは俺の腰に手をまわしてきた。
たじたじになった俺は、恥じらいを誤魔化すために同じ質問を問い返す。
「そういうシーナは何歳なんだよ?」
するとシーナは、口を尖らせてぷいっと顔をそむけた。
「もう。初対面の女の子に年齢を聞いちゃダメだよ? そういうのはもう少し仲良くなってからね」
それもそうだなと思い反省したあと、俺は向こうの夜景と背後のゴミ山を見比べて言う。
「しかし、ずいぶん対照的だな。なんでこんな肥溜めみたいな場所と、あんな綺麗な都市が繋がってるんだ?」
「あの街はたしかに綺麗だけど、上に天井が見えるでしょ? あれは地下都市なの。このゴミ捨て場の穴が掘られたとき、たまたまあの街と繋がっちゃったみたい。いまではあの街に出入りする人はいないから、あんまり知られてないみたいなんだけど、わたしはここでゴミ漁りしてるときたまたま見つけちゃって……」
いくつもの高層ビルが建っているのでまさかと思ったが、シーナの言う通り、都市の空に星はなく、かわりに錆びたパイプ管が血管のようにそこら中をつたっている、どこまでも仄暗い天蓋があるだけだった。
(なるほど。道理であんなにネオン・ライトを光らせてるわけだ。陽の光が届かない歓楽街には、ああでもしないと虫も寄ってこないってわけか)
とたんにいくつも立っているビルがハリボテのように感じられ、俺は夜景に興味を失った。
シーナはあいかわらず涼しげな顔で、欠けた瞳を夜の街のほうに向けていたが、その耳もとでは銀色のイヤリングが揺れている。
「……あのね、わたしハルトに言わなきゃいけないことがあるの」
「ん? どうした、急にあらたまって」
「さっきは嬉しくてつい、一緒に来る? なんて言っちゃったけど……。やっぱりハルトは、わたしについてくるより、他の誰かと一緒に暮らしたほうが幸せになれると思う。わたしはあの街に行けないけど、ハルトがあの街に行けば、きっと裕福な人と出会えるはずだから」
シーナは微笑んで言った。
それはすべてを受け入れているような笑顔であり、すべてを諦めているような笑顔でもあった。
「それでも俺はシーナと居たいよ」
俺が何のためらいもなく言うと、シーナは驚いたように目を丸くした。
「なんでそんなに確信を持って言えるの? ハルトはまだ、この時代のこと知らないからそう言えるんじゃない? 一度わたしについてきたら、たぶんもう引き返せないよ」
「俺にはいまの世界のことはわからない。でも、ハッキリしてることが二つある」
俺は二本指を突き立て、ピース・サインを浮かべた。
「ハッキリしてる、二つのことって?」
シーナはきょとんとした顔で俺を見る。
「一つ。向こう側にはシーナがいない」
俺は自分の中指を折り曲げる。
「二つ。引きこもりに必要なのは、たった一台のPCだけなんだ」
$ $ $
結局、俺はあの地下都市に出向くことなく、シーナについていく決断をした。
ゴミ捨て場として使われていた穴から這いでるために、壁面にとりつけられているタラップを一段一段のぼり、ようやく頂上に近づいたころには、長年の自堕落な生活で衰退しきった筋肉が悲鳴をあげていた。
「ハルトったら、生まれたての仔鹿みたいに震えて」
疲れていたのか、さっきまで一言もしゃべらなかったシーナも少し機嫌をもどしたようで、俺の情けないザマを見てくすくすと笑っていた。
「ようやくてっぺんまで来たが、天井があって先に進めないぞ? 頼むからいまさら引きかえすなんて言わないでくれよ。もう手を離しちまいそうだ」
「心配しないで。ここはわたしにおまかせあれ」
シーナがふわりと手をふりかざすと、巨大な穴にふたをしていた天蓋が口を開き、冷たい夜風がさしこんできた。
「まるで魔法の杖を持ってるみたいだな。いったいどういう仕組みなんだ?」
「細かいことは家についてから説明するね」
感心しながら頭上を見ると、空に煌々と輝く無数の星々がハッキリと見える。
間違いなくそこは地上だった。
俺は最後の一段に手をかけ、ひと踏ん張りして地上へ這いあがり、呆然とする。
(……は?)
ヒュオオオオ……と風が不気味に鳴り響く中、俺の目に映ったのは荒涼とした砂漠だった。
見渡す限り、あたり一面が砂で覆われている。
「やっぱりびっくりした? わたしについてこなければよかったって思ったりして」
シーナは悪戯っぽく言っていたが、あながち違うとも言い切れず、お茶を濁すしかない。
(何もないところに住んでるとは言ってたが……まさかここまでとは)
俺はタラップから這いあがろうとしているシーナに手を貸して、ため息をついた。
「ここからだと、だいたい家まで四十分くらいかな。今日は風が強いから、もう少しかかるかもだけど」
「やれやれ……。途中で倒れても置いていかないでくれよな。引きこもりにはハードすぎるぜ」
「そのときはわたしがおんぶして連れてくよ。っていっても、ハルトくらい背が高いと引きずっていくことになるかもだけど」
とにもかくにも、一刻も早くシーナの家にたどりつくしかあるまい。
愚痴を吐こうにも、砂が口にはいってしょうがないので、俺とシーナはザクザクと足音をたてながら、かわり映えしない砂漠地帯を歩いていく。
日が射していないのもあり、気温は凍てつくような寒さにもかかわらず、汗ばかりは滝のように流れ、ただでなくても失調気味な自律神経が完全にイカれてしまいそうだった。
「……あとどれくらいかかる?」
「すぐすぐ。もうすぐ」
「さっきも同じこと言ってなかったか?」
そんなやり取りをしながら砂漠を練り歩いているうちに、やがて大きな砂丘の裏側にさしかかった。
シーナはそこで不意に足を止めると、向きを変えてぐるりと横から砂丘の反対側にまわろうとする。
「おいおい、寄り道してる暇はないぜ。このままだと俺の足がどうなっても知らんぞ」
「お疲れ様。いちばん右奥にあるのがわたしの部屋だから」
そう言ってシーナが指さしたのは、砂丘の正面にぼこぼこと穿たれている無数の穴だった。
遠くから見ると虫食い穴のようにも見えるが、それぞれの穴は規則正しく、縦横に等間隔で並んでいる。
「……まさかあれ全部に人が住んでるのか?」
「全部かはわからないけど、だいたいそうだね。ここは蟻塚っていう集合住宅なの。立地は悪いけど賃料が安いから、わたしみたいのにはちょうどいいんだ」
俺は呆然として空を仰ぐ。
いろいろツッコミたいことはあったが、いまは何よりも休息が欲しかった。
泥れんがでできた外階段をのぼり、いちばん奥の穴の部屋にたどりつく。
「それじゃ、すぐお茶淹れるね」
立てつけの悪い木製の扉を軋ませながら開けると、シーナはそのまま廊下を渡って奥のほうへ消えた。
俺は額から滴る汗をぬぐいながら思う。
(やれやれ……たった一台のPCさえあればいいと言ったが、ネット回線が繋がるかを確認しておくべきだったな)
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