Season1 春の雪
001.ホール・イン・ワン
「目的地周辺です」
カーナビのような機械音声で目が覚めた。
視界が揺れるせいで吐き気がするし、周囲は見渡す限りの暗闇で、ここがどこかの見当もつかない。
手探りで周囲を探ってみると、カサカサとゴミ袋が擦れるような音がする。
(チクショウ。さっきのアレは夢か何かか? ここはまだあのマンホールの底なのか?)
今度はエンジンが止まる音がして、視界の揺れがおさまった。
どうやら俺はトラックの荷台か何かに乗せられていたらしい。
(いや、これはトラックというより……)
ピー、ピー、ピー。
という音に合わせて車体が傾きはじめ、俺の疑念が確信に変わる。
(ゴミ収集車か? マズい、このままだと……!)
俺はゴミ袋をかきわけて外へ出ようとしたが、時すでに遅しだった。
パカッと後ろの扉が開いて、俺はいくつものゴミ袋と一緒に、大きな穴に向かって放りだされた。
幸いにも、下には大量のゴミ袋があったため、落下の衝撃はいくらか吸収されたが、あとから落ちてきたゴミ袋がつぎつぎと頭に当たり、窒息しそうになる。
(下水の次はゴミ溜めときたか。つくづく汚物扱いだな)
悪態をついて、ゴミの山から顔をだす。
腐りかけの生ごみから粗大ゴミまで、ここにはありとあらゆる廃棄品が捨てられているようだった。
本来なら周囲を観察したいところだが、いまの俺にはこの臭気から逃れることしか頭にない。
「助けてくれー、なかに人がいる!」
さっきのドライバーが気づいてくれるように声を張り上げたが、俺の声はむなしく反響するだけだった。
俺はこの穴のなかで、たった一人きりなのかと思ったそのとき……。
カサッ、カサカサッ。と、微かな音がした。
俺の聴力はいたって並だが、引きこもりというのはえてして感覚に過敏なものである。
俺は息を押し殺し、音のする方向を探った。だが向こうもその気配を察知したのか一向に音を立てようとしない。
(気のせいか? いや……はっきりとは言えないが、俺はこの気配に覚えがある。これは正月に親戚が家に集まっているとき、息を押し殺して自分の部屋に隠れている俺のオーラによく似ている。おそらく相手は、頼むから早く行ってくれと思いながらじっと息を潜めているんじゃないか?)
何の根拠もない憶測に過ぎなかったが、俺は自分の直感を信じることにした。
「おーい、でてこーい」
そして俺はその見知らぬ誰かに声をかけた。
自分から他人に声をかけるなど平時ではありえない行動だったが、これを逃したら次はないかもしれないという焦りが原動力になっていた。
そもそも、俺は死んでいるのだ。死人が生者を恐れる必要はないだろう。
「おーい、でてこーい」
俺は再び声をはりあげる。
今度は引きこもりの俺にしては上出来なくらいの大声だったので、やまびこのように、でてこーい。でてこーい……と何度か声が響きわたったが、それでも何の反応もかえってこなかった。
(シカトされたか。しかたない)
無視されるのに慣れているとはいえ、意気込んだだけに少しむなしい。
ついにこの世の誰からも見放されたのかと、不貞腐れて天を仰いだ。
すると俺の目と鼻の先で、ニコリと微笑む少女がいた。
「……」
驚きのあまり、瞼をぱちぱちさせる。
「……」
もう一度。
「……」
少女は俺の背後に横たわっていたクローゼットの上に乗り、まるでお辞儀するような恰好で、俺をのぞきこんでいた。
「あ、あっ、どうも。こんばんは……?」
互いの息が交じりあうような距離で会話をするのには耐えきれず、俺は膝を曲げ、中腰の姿勢になる。
すると彼女は、まるで雛に餌を与える親鳥のように、離れた距離の分だけずいっと顔を近づけてきた。
これ以上は引くに引けず、とうとう地面にぺたんと膝をつき、まぬけなあひる座りの体勢をとった俺に、少女はくんくん鼻を鳴らして一言こう告げた。
「変な匂い」
…………変な匂い?
初対面の相手のハートをがっちり鷲掴みにする、いい言葉だ。「こんにちは、いいお天気ですね」と挨拶をされたところで二秒後には相手のことを忘れているだろうが「こんにちは、ところであなた変な匂いしますね」と通りすがりに声をかけられたらショックで当分は外にでられなくなる。
(俺の体臭はゴミより酷いのか? こんなことなら死ぬ前に風呂に入っておけばよかった)
できることならその変な匂いとやらがしなくなるまで、全身の穴という穴に蓋をしてしまいところだったが、途中で彼女が妙なことを言い始めたので、俺は馬鹿みたいに口を開けていることしかできなくなる。
「さっきの衝撃で目覚めちゃったのかな。バッテリーは大丈夫? メモリが破損してなければ、製造月日を教えて欲しいな」
彼女は指で俺のくちびるをなぞると、それから鼻の下のくぼみを、ぷにっと指の腹で押してきた。
まるで俺の顔に本当に鼻がついているのかと、逐一確認しているみたいな手つきだった。
「……お前、もしかしてめくらなのか?」
俺は少女の、欠けた月のような瞳を見ながら言った。
少女はびっくりしたように手を止めると、俺の鼻をむぎゅっとつまんできた。
「めくらだなんて、いまどきそんな言葉を使っちゃダメだよ? わたしは気にしないけど、いまの社会はそういうのに厳しいんだから。街でそんなこと口にしたら罰金刑になっちゃうよ」
「お前の気に障ったんだったら、謝るよ。けど、社会? そんなものはどうなろうが知ったことじゃない。犬にでも食わせとけよ」
俺は吐き捨てるように言ってから、しまったと思い顔をあげた。
つい匿名掲示板に書き込むようなノリで喋ってしまったが、初対面の少女には乱暴すぎる言葉遣いだ。
ところがそのルサンチマン的過激さは少女のお気に召したようで、
「……真面目な顔で面白いことを言うんだね、君」
少女は手を口でおさえて、くすくすと笑っていた。
「でも、順序はちゃんと守らなきゃ。質問したのはわたしが先で、君が後でしょ? 君が答えたら、わたしも答えるから」
「……わかったよ。そっちの質問は何だったっけ? えぇと、俺の生年月日か。それなら、二〇〇一年――」
そこまで言いかけたところで、少女が人差し指で俺の口にふたをする。
「もう、真面目に答えてったら。さっきから冗談しか言ってないし、もしかして君はジョークに特化したアンドロイドのコメディアンさんなのかな? 試しに何か面白いこと言ってみてよ」
「俺はアンドロイドじゃない。人間だ」
「あはは。真顔で言うと面白い」
少女は俺のくちびるから指を離すと、クリスマスのプレゼントに歓喜する子どものように、ぱちぱちと手を叩いた。
(俺にとっては冗談でもなんでもないんだが、喜んでいるならよしとすべきか?)
複雑な心境でいると、少女はクローゼットからおりて俺の前に立った。
「実を言うとね、今日は朝起きたときから、なんだかいいことがありそうな気がしてたんだ」
「そうか、そりゃあよかったな。あいにく俺にとって今日は人生最悪の日だ」
「それってもしかして、わたしと出会ったせい?」
「そうじゃない。ここに来るまでいろいろあったんだ」
「色々ってたとえば?」
「……マンホールに落ちたりとか」
「ふつうに生きててマンホールに落ちることなんてある?」
「スマホをいじりながら歩いてたんだ」
「なるほどね……。君、名前はあるの?」
「ハルトだ。ハルに生まれた人だからハルト。馬鹿みたいな名前だろ」
「ハルト、か。……いい名前だね」
少女は合言葉を唱えるみたいに、ハルト。と何度か口ずさみ、その名前が持つ独特の語感を噛みしめているみたいだった。
俺は少しばかりこそばゆい気持ちになってきて、恥ずかしさを誤魔化そうと、同じ質問を問い返す。
「そういうお前はなんていうんだ?」
「わたしには、名前がないの」
「は? 名前がない……? そんな馬鹿な。ネット掲示板の住人じゃあるまいし」
俺は深く考えずにそう言ったのだが、そのあとにできることなら過去に立ち帰り、馬鹿なことを言う前に舌を噛みちぎってしまいたいという、強い衝動に駆られた。
いままでずっと朗らかな微笑みを浮かべていた少女が、あわてて取り繕うような、ぎこちない笑みをうかべたからだ。
俺は慌てふためいて、どうにかフォローしようとする。
「ないならないで、自分で考えればいいんじゃないか? ほら、最近はそういうのも自由にしようって風潮だし、好きに決めればいいだろ」
「でも、名前って自分で考えるものじゃなく、誰かに祈りをこめて贈ってもらうものじゃない?」
彼女の笑顔は魅力的だったが、そのつくり笑いは痛々しいことこのうえなく、とうてい目に入れられるような代物じゃなかった。
「……なら、リンゴはどうだ」
まるで独り言のようにぽつりと漏れた俺の言葉に、名無しの少女は耳を疑うような顔をした。
突然すぎて何のことだかわからなかったのだろうが、俺だって自分が何を口走ったのかよくわからなかった。
ただ、たとえ冗談と思われてもいいから、みにくい作り笑いをやめてほしいという一心で。
「いや、何ぼ何でもリンゴはないな。祈りの欠片もこもってない。シイナ、シーナはどうだ? 俺の好きな歌手の名前なんだが、よくよく見ればどことなく、シーナって感じもするし……」
俺はしどろもどろになりながら答えた。
盲目の少女は返す言葉も失い、魂が抜けてしまったかのように口をぽっかり開けて立ちすくんでいる。
(そりゃそうだ。どこの馬の骨ともわからんやつにいきなり名前を押しつけられてもな……)
これがノベルゲーなら前のデータからやり直せるのにと後悔しているうちに、少女は小さなくちびるを動かして、シーナ。とつぶやいていた。
「その名前、わたしにくれるってこと?」
「あぁ、いや……もちろん、お前が気に入らなかったら変えていいんだぞ。やっぱりこういうのはもっと慎重に考えたほうがいい気もするし……」
「お前じゃなくて、シーナって呼んでみて」
「……シーナ?」
名前と視力を持たなかった少女――シーナは少し恥ずかしそうにはにかんでから、小さな両手をめいっぱいひろげ、俺の胸に飛びこんできた。
異性に免疫のない俺は錆びたロボットのようにフリーズしてしまったが、シーナはお構いなしの様子でぎゅっと体を密着させてくる。
「もう、じれったいんだから」
俺も一応の礼儀としてシーナの背中に手をまわしてみたものの、不浄なものが触れてはいけないと思い、その手はシーナの肌から数ミリ離れたところにある空気を掴んでいた。
俺は苦しいわけでもないのに顔を真っ赤にしながら、流れに身を任せた。
「あ、ゴメンね、嬉しくて思いきり抱きついちゃった。誰かに相手にしてもらえるのが久しぶりだから、つい……」
ハグといえば抱き枕しか経験のない俺にとっては、一生ものの思い出だったが、何でもないことのように平静を取り繕って言う。
「そ、そうか。俺は無職だから時間だけならあるし、必要だったらいつでも相手してやるぞ」
心なしか声が上ずってしまったが、シーナが笑ってくれたのでよしとしよう。
シーナはサンタクロースみたいに手近に集めていたゴミ袋を背中に背負うと、裸足でゴミ袋を踏んづけながら、暗闇のなかを進みはじめた。
「それじゃあ、はじめましての挨拶もすんだことだし……とりあえずわたしの家まで来る?」
「俺としてはありがたいが、いいのかよ? もちっと俺を警戒するべきじゃないか、何せ初対面の男だぜ」
「それを言ったらハルトこそ。旧世代のアンドロイドなんて、賞金稼ぎの恰好の的になっちゃうんだから。わたし以外の知らない人には、ホイホイついてかないって約束してね」
俺はもうシーナの保護者のような気分でいたのだが、シーナにとってそういう認識はないどころか、むしろ逆らしい。
男としてまるで歯牙にもかけられていないという事実に、嬉しいやら悲しいやら、複雑な心境のまま俺はシーナについていく。
「しかし、家まで行くったってここからどうやっていくんだ? というか、そもそもここはどこなんだ。いかんせん、灯りがないと何も見えん……」
俺が足元のゴミ袋の上で足を滑らしているうちに、シーナはひょいひょいと飛び石を渡るように、小気味よく奥に進んでいる。
ハナから視力を当てにしていない分、暗闇に臆することなく進めるのか、それとも何か別の能力があるのか。
「おーい、ちょっと待ってくれ。一体どうやって……」
俺がシーナに声をかけた、ちょうどそのとき。
地響きのような振動が起こり、そこら中に積み重なっていたゴミの山が崩れ、俺の頭にゴミ袋がぼすぼすと落ちてきた。
そのままゴミの中に埋もれないよう、懸命に手をのばして這いあがろうとしているうちに、あたり一面がまばゆい光に包まれていた。
(これは、まさか……)
シーナが巨大な壁の前に立ち、まるで指揮者のように手をふると、その動きに合わせるように壁がスライドしていたのだ。
シーナは指をスワイプして壁を格納してしまうと、光に包まれながらふりかえった。
「ハルト、こっちこっち!」
開けた展望からさしこむネオンの光を背後に、シーナは両手を口に添えて、思いきり叫んでいる。
その光景を目にした瞬間、俺の瞳の奥にずいぶん前に消えて久しかった色が灯ったような気がした。
(この時代がどうとか、この世界がどうとか、そんなことは俺に取っちゃ二の次だ。だけどシーナと一緒に居れば、もしかしたら、俺は――)
「――本当に、生まれ変われるかもしれない」
俺は小さな声でつぶやいた。
シーナはそんな俺を見守るように、にこやかに微笑みながら光のほうへ手招きしている。
「早くしないと、閉まっちゃうよー!」
「……あぁ、待ってくれ。その前にひとつだけ、シーナに言っておかなきゃならないことがある」
「え、なんて? 大きな声じゃないと聞こえないよー!」
「俺はアンドロイドじゃなく、正真正銘の人間なんだ!」
俺は声を張りあげて言った。
それを聞いたシーナは、神妙な顔をしたあと、こらえきれなくなったようにぷっと吹きだした。
「はいはい。わたしはハルトが宇宙人でも、未来人でも、ぜんぜん気にしないから! ほら、早く行こう」
(やれやれ……。この誤解を解くには時間がかかりそうだな)
俺は不器用に微笑んでから、小走りでシーナのもとに駆け寄った。
シーナは俺の手をつかむと、ぎゅっと握りしめて俺を見上げた。
俺は一呼吸置いてかた、しておかなければならない最後の確認を済ませようと思った。
「妙な質問だと思うかもしれないが、訊いておかなきゃいけないことがある。これは大事なことだから、おふざけなしで教えてほしい」
「なに、急に改まっちゃって? いいよ、何でも教えてあげる」
俺は前方を見据え、深く息を吸いこんでから尋ねる。
「いまは一体……何世紀なんだ?」
轟音を立てて開いた巨大な扉、その先に広がる超高層ビルの谷間から、幾筋もの光が空に向かって伸びている。壁面から突きでた蠱惑的なネオンサインが極彩色に街を彩り、それらの間を縫うように車が宙を飛びかっている。
「いまは鏡歴二二四〇年だよ。二十三世紀へようこそ、アンドロイドのお兄さん!」
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