転生紀行2242
中本めぐみ
エンド・ロール
xyz.命売ります
平凡な人生のことを、敷かれたレールの上を歩かされるようだと云う。
だがそれでいうなら俺の一生は、ガターの中に転がりこんだボウリング・ボールのようなものだった。
生まれたときからお先は真っ暗で、あとは誰に期待されることもなく、死という穴めがけて落ちていくだけ。
そんな風に人生を転落してきた俺にとっては、自分がこの世から消えていなくなる瞬間を想像することが、唯一の生きがいだった。
そんな妄想をくりかえしているうちに、やがてその誘惑に耐えられなくなり、俺はついに飛び降りを決行することにした。
ところが本当に最後の最後で、思いもよらない落とし穴に、俺は足元をすくわれたんだ。
この際だからお前には、安っぽい同情なんかせず、どうか俺の阿呆さ加減を笑ってもらいたい。
なにせ俺は足を滑らし、マンホールに転がり落ちてそのままガツンと逝っちまったんだからさ。
$ $ $
(急がば回れ)
光の届かないマンホールのどん底で、俺の脳内のスポットライトを浴びているのは、じつに月並みな言葉だった。
仮に自宅近くの道が工事中で、そこにたまたま工事現場の誘導員がいなくたって、横着してフェンスを横切るような、浅はかな真似をするべからず。
さもないと俺のように、世にも間抜けな死に様を世間様に晒すことになるから。
(――続いてのニュースです。今朝未明、千葉県長生郡××町にて独身男性のものとみられる遺体がマンホールの底から引き上げられました。現在身元の確認が進められている最中ではありますが、その悲壮な死に顔から察するに、彼が無惨な人生を歩んできたことはほぼ間違いないとみられています。県警は近隣住民に対し積極的な情報提供を呼びかけていますが、未だ反応はないようです。工事現場の関係者によりますと、昨晩は一時的に――)
きっと明日のモーニングショーでは、異国の戦争やタレントの不倫に紛れてこんなニュースが流れるのだろう。
(これぞまさに、穴があったら入りたいってやつだ……)
などと、くだらない冗談で笑ってしまうくらいには弱りきっていた。
落下の際に頭部を強く打ちつけたらしく、血がとめどなく流れている。
まるでタップ・シューズを履いたスーツ姿の小人が、俺の頭蓋を踏み鳴らしているかのような鋭い痛み。
(思っていた形とは違うとはいえ、俺がこうなることは目に見えてたんだ。いまさら後悔することもないよな……)
自嘲気味に笑い、瞼を閉じた。
「だけどもし、本当の意味で生まれ変われる機会があったら?」
そのとき誰かの声が聞こえた。
ふと頭上を見ると、ぽっかり空いたマンホールの隙間から、まるでスポットライトのように丸い光がさしこんでいる。
月の光にしては明るすぎる気がするが、俺の目が霞んでいるせいかもしれない。
(はっ、生まれ変わりの機会だって? そんなもの――)
俺は天に唾を吐きかけたが、もう意地を張る必要はないのだと思い直した。
そして望遠鏡をのぞきこむ子どものように、目を細めてマンホールから射しこむ光を見つめながら言う。
「――そんなものが本当にあるなら、悪魔にだって魂を売るよ」
$ $ $
カッ、カッ、カッ。
という音がして、頭上のライトがつぎつぎと点灯していく。
それはスクリーンが暗くなったあとの映画館のようだったが、俺が座らされているのは拘束具付きの椅子だった。
手足どころか、まばたきさえもできないように開瞼器で目を固定されているため、立ち去ることはできそうにない。
(ここはどこだ? マンホールに落ちて気を失っていたのかもしれないが……病院に運びこまれたわけじゃないよな)
困惑していると、隣の席の誰かが立ちあがる音がした。
「お目覚めになったようですね。ご気分はいかがですか?」
冷ややかな感じの声で話しかけながら、隣の女は懐から取りだした目薬を俺の目にさした。
瞼を固定されている俺に対する配慮なのだろうが、それならばこの拘束具を外してほしいところだ。
「ようやく平穏な眠りにつけると思ったのに、叩き起こされて最悪の気分だ」
「ですが、貴方は死ぬ間際に言ったはずでしょう? 生まれ変われるなら、魂だって売ってやると」
なるほど。あれはやはり俺の聞き間違いではなかったらしい。
だが、うまい話には往々にして裏があるものだ。それが悪魔との取引ならなおさらに。
「つまり、お前が俺を買ってくれるというわけか。しかし、自分で言うのもなんだが俺は極度の不良債権だぞ。取引するならもっといい魂がいくらでもあるんじゃないか?」
「いい魂にはそれなりの値段がするものですよ。クズ同然の魂を買い叩き、タダ働きさせたほうが効率がいいでしょう?」
「……なかなかいい性格をしているな」
「貴方ほどではありませんよ」
俺は押し黙って考えるフリをした。
最初から答えは決まっているのだが、躊躇する素振りをすることで、何らかの譲歩が引き出せるのではと考えた。
「まさか、この期に及んで気が変わったとでも?」
「いや、そういうわけじゃない……お前がそこまでして俺を生まれ変わらせたい理由が知りたくてな」
「自惚れもほどほどにしてください。先程も言ったとおり、貴方は数ある内のひとつにすぎません。いわばピンボールのようなものです。運よく当たりの穴に入れば上々、ダメなら次の球を弾くまで」
「さながらお前は死者の魂を弄ぶパチンカスってところか。……しかしそのわりにはこんな安物の魂にずいぶん時間を割いてくれるじゃないか。事情は知らんが、お前もピンチなんじゃないか? それこそもう、頼みの金が底をつきかけているとか?」
図星だったのか、返事はない。
女は俺の耳もとに唇を近づけ、囁くように言う。
「わかりました、単刀直入に言いましょう。これから貴方が生まれ変わる世界では、ある理由から男性が生殖能力を失っています。つまり、あらゆる女性が貴方を求めるというわけです」
まるでエロ漫画みたいな設定だったが、女の言葉をそのまま鵜呑みにするなと俺の本能が告げていた。
うまい話には、裏があるものだ。嘘ではなくとも、意図的な脚色や省略をしているかもしれない。
「それにくわえて、もし私と契約していただいたら、サービスとしてエージェントを貴方に同行させましょう。彼女は貴方が道を踏み外して、無様な死に方をしないように――もう一度マンホールに落ちることのないように――導いてくれるはずです」
「……魅力的な提案だが、契約というからには代償があるんだろう?」
「貴方にはその世界で、かんたんな仕事を頼みたいのです。やろうと思えばだれでもできる仕事です」
「一応言っておくが、俺は無職なんだぞ? やろうと思えばできることを、やろうとしなかった人間なんだ。だいたい、そんな簡単な仕事ならお前がやればいいじゃないか」
「それができたらそうしています。できないからこうして頼んでいるのです」
女は俺の正面に立ったが、騎士の兜のようなもので顔を覆っているせいで、表情はわからなかった。
堂々巡りになりそうなので、俺は話をひとつ前に戻す。
「さっき俺にナビゲーターを同行させると言ってたが、要は俺に監視をつけるということか?」
「”慈愛の眼差しと警戒の視線は、同じ瞳に宿る”という言葉もあります。そろそろ、答えを聞かせていただけますか? 私にも仕事がありますので」
俺が情報を引き出そうとしているのがバレたのか、仮面の女は急にそっけない態度をとりはじめた。
この辺りが限界かもしれない。生まれ変りの機会をみすみす逃すわけにはいかないのだ。
「では、取引成立ということでよろしいですね」
「あぁ、よろしく頼む」
するとその言葉を待っていたかのように、俺の座席がもう一段階、ガクッと後ろに倒れて手術台のように変形した。
その拍子に女が持っていた点眼薬が目に刺さり、俺はあやうくみっともない悲鳴をあげそうになる。
「ご心配なく。いまの点眼薬には麻酔の成分を混ぜてあります。次に目を覚ますころには、私との会話を忘れているでしょう。しかし、必要になれば思い出すはずです。それでは、よい夢を……」
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