008.ハッキングから今晩のおかずまで…<昼>
「ねぇ、アナタ。どうかしら?」
イオンがスカートの裾をつまみながら、くるりと一回転してみせた。
いままでエプロン姿の印象しかないイオンも、今日ばかりはめかしこんでいるようだ。
「わぁ。イオンちゃんったら別人みたい! 大人の女性のコーデって感じだね」
そういうシーナはウールのベレー帽とクリーム色のブラウスを着て、芸術家っぽい雰囲気を醸しだしている。
「シーナったら、いささか可愛すぎるんじゃないかしら? まるで歩く芸術品ね! 額縁に収めて部屋の中に飾っておきたいくらいだわ」
シーナとイオンは互いを褒めあって、キャッキャとはしゃでいる。
「楽しそうで何よりだが、もう一時間は経ったぞ。服なんて着れさえすりゃあ何でもいいだろ。早く行こうぜ」
ぶっきらぼうにそう言うと、イオンは見るからにショックを受けたようだった。
まるで負傷兵のように倒れかかるイオンを、シーナが支えて受けとめる。
「ハルトったら。イオンちゃんが小一時間もかけて必死にコーデを考えたのは、誰のためだと思ってるの!」
「そりゃご苦労様なこった。悪いとは思うが、俺はこの世界に来てから一度も着替えすらしてないような人間なんだぜ。そんな人間にファッションの感想をたずねるのはイヌのお巡りさんに道を訊くようなもんだ」
あっけからんと答えると、シーナはダメだこりゃと肩を落とした。
自分に非があるのは重々承知していたが、長年の引きこもり生活で身についた感覚はそう易々と消えるものではないのだ。
シーナは勇気づけるようにイオンの背中をさすったあとで、ふと思いついたように顔をあげた。
「そうだ! 今日はせっかくだから、乙女心がわからないダメンズ代表のハルトを、イケイケのモテモテに大改造しちゃおっか」
「はぁ?」
俺は突拍子もないシーナの思いつきに首をかしげる。
「俺を大改造? なんだ、整形でもしろってのか。ついでに脳みそに電極でも刺して人格も変えてもらうか?」
「ちがうってば。ハルトは自分では気づいてないかもしれないけど、磨けば光る宝石の原石なんだよ? わたしはあのゴミ捨て場で毎日お宝探ししてたから、その辺りの審美眼には自信があるの」
シーナは目を輝かせていたが、俺はいまいち乗り気にはなれなかった。
「シーナはもとの世界の俺を知らないからそんなことが言えるんだろうが、俺の前世は便器にこびりついたクソ以下の人生だったんだぞ。そんな人間がちょっとやそっとで別人になれるかよ」
「たしかにわたしはハルトがどんな人生をおくってきたのか知らないけど、そんなの関係ないよ、大事なのはいまなんだから。仮に昔のハルトを知る人がお前じゃ無理だって言ったとしても、わたしがそれを否定してみせるから。ね? 一度だけわたしを信じてついてきて」
「はぁ……」
俺は尻をボリボリかきながら返事した。
俺だってこれまでの人生のなかで、変わろうとした時期がなかったわけじゃない。
しかしそのどれもがことごとく失敗して、その挙句にいまがあるのだ。
馬鹿は死んでも治らないというように、生粋の性質がそう簡単に変わるはずがないだろう。
「シーナは俺を買いかぶりすぎだな。俺は宝石の原石どころか、幼稚園児がとちゅうで飽きて放り投げた、出来損ないの砂団子みたいなもんだぜ」
俺はイジけたように立ちあがると、あくびをして外にでた。
外は相変わらず砂嵐が吹き荒れていて、とても人が住める環境とは思えない。
「もう、素直じゃないんだから。ほら行こう。イオンちゃん」
シーナはイオンを外に連れだし、玄関の扉に鍵をかけた。
イオンはアパートの手すりに頬杖をつき、遠くを見つめて目を細める。
「たしかにさっき言ってたとおり、ワタシはアナタの前世については何一つ知らないけど――」
イオンは俺を見たあとに、何気ない口調で言う。
「――砂団子って、時間をかけて丁寧に磨くと思いのほか綺麗になるものよ?」
イオンはそれだけ言うと、俺が返事をするのを待たずにさっと階段のほうへ歩いていった。
後ろでそれを聞いていたシーナが、ふっと笑みをこぼしている。
俺はなんだかくすぐったい気持ちになり、アパートの手すりに頬杖をつき、遠くで舞った砂ぼこりを眺めた。
◇ ◇ ◇
「ここが噂のショッピング・モールか」
俺たちは天竺を目指す三蔵法師一行よろしく、砂漠を数十分かけて歩きつづけて、ようやく例のショッピング・モールにたどりついた。
さすがこのあたりで唯一の商業施設だけあって、その規模はさながら城のようで、生活必需品から娯楽用のグッズまであらゆる品揃えがあるらしい。
「ふぅ。疲れたね。とりあえず一休みしよっか」
俺たちは一階の噴水前にあるベンチで腰を下ろし、かわりばんこで持ってきた水筒を口にする。
引きこもりには過酷すぎる道のりだったが、俺は途中からランナーズ・ハイのような状態になっていて、不思議と疲れは感じなかった。
きっと明日にはこのツケが来て、筋肉痛で動けなくなるのだろう。
「で、何をするのかは決まってるのか?」
「うん。まずはハルトのお洋服を買わなきゃ。砂漠だからわかりにくいかもだけど、いまは冬だからね。厚手のジャケットとか欲しいでしょ?」
「服ねぇ……。買ってくれるのはありがたいんだが、そんな大層なものはいらんぞ。無地で目立たないものなら何でもいい」
「アナタったら、またそんな風に言って。ワタシとシーナでコーデを考えてあるからそれをそのまま買えばいいわ。ワタシたちはワタシたちで自分の服を買っておくから用が済んだらここで落ち合いましょう」
というわけで、俺は三階のメンズ・ブティック、シーナらは二階の下着や化粧品がある店にわかれて、それぞれ買い物をすませた。
どうやらイオンたちは俺の服のサイズまで調べていてくれたらしく、俺はおつかいに来た子どものようにメモを見ながら服を購入するだけだったので、ものの十数分で事足りてしまった。
(さて、あいつらはどれくらいかかるかな)
ある程度は覚悟していたものの、やはりイオンたちはとっかえひっかえしながら、ああでもないこうでもないと服を選んでいるらしく、待てど暮らせど帰ってこない。
女の買い物に付きあわされて待ちくたびれる男という図式は、どこの世界でも不変なんだなと呆れているうちに、ようやく買い物袋を下げた二人の姿が見えた。
「ごめんごめん、待った?」
「首が長くなるほど待ちくたびれたよ……って、お前らそんなに買いこんだのかよ。帰りのことも考えろよ? 徒歩で帰るんだからな」
「大丈夫だよ。イオンちゃんがいれば百人力だから」
イオンはまるで土嚢を運ぶように、肩に買い物袋を重ねて向こうから歩いてくる。
「なるほど。ああ見えてもアイツ、中身は機械だもんな」
「心はかよわい乙女だけど、筋力はゴリラ並みでよかったわ」
「お洋服が揃ったら、次は散髪ね」
「散髪? 髪なんて適当に自分で切りゃいいだろ。そんな金があるなら、俺にPCを買ってくれ欲しいんだが。VRのネトゲをやってみたくてしかたないんだ」
シーナとイオンはこれだから男はと顔を見合わせると、有無を言わさぬ様子で四階の美容院へ向かいはじめた。
俺は俺でやれやれと肩をすくめて、二人のあとについていく。
◇ ◇ ◇
「千円カットと違ってやけに時間がかかったな……。で、髪を切り終えたわけだが、この後は?」
散髪を終えた俺は、待合の椅子に座って談笑しているシーナとイオンを無視して、店の外にでた。
「あれ、ハルト。ちょっと待ってよ」
「アナタ、そんなに急いでどこ行くの?」
二人はあわてて会計をすませて、俺のあとについてくる。
べつだん目的地があるわけではないのだが、子どものころから髪を切ったところを見られるのが恥ずかしくて嫌だったのだ。
「だいぶサッパリしてそうだけど……こっちを向いて前髪を見せてくれないと何とも言えないわ」
「何も言わなくていいぞ」
「どうして?」
「髪を切ったあとに、あーだのこーだの言われるのが嫌いなんだよ……恥ずかしい」
「ハルトったら、また乙女みたいなこと言って。お金をだしたのはわたしなんだからわたしには見せてもらいます」
シーナにそう言われてはぐうの音もでないので、俺はしかたなく二人のほうを見た。
「あんまりギャーギャー騒がないでくれよ。俺だって似合わないと思ってるんだからな」
二人は俺を真正面から見ると、案の定、キャーキャーと騒ぎはじめる。
「やっぱり眉毛を整えるとだいぶ印象が変わるわね! 前は落ち武者みたいな雰囲気だったけど、いまは仕事のできる男って感じだわ」
「いいじゃん、ハルト。眼つきも相まって、インテリのヤクザみたいだね」
「……褒め言葉なのか、それ?」
二人のコメントはよくわからなかったが、とにかくむず痒い気持ちになったので、俺は早く次の話題にいってほしかった。
「まあ、おかげさまで真人間に少しだけ近づいた気がするよ。洋服も買って、散髪もしたし、社会復帰一日目の引きこもりにしては上出来じゃないか? そろそろ蟻塚に帰るってのはどうだ」
「もう、まだお昼だよ? お腹もすいてきたし、一階のフードコートに入ってご飯を食べよう」
「いいわね。ワタシあそこのラーメン食べてみたかったの」
「ていうかお前、今更ながら飯食べれるんだな。体は機械なんじゃないのか?」
「エネルギー補給にはならないけど、食事はできるわ。味覚がないと、料理するときに困るでしょう」
「そういうもんか。じゃあ、俺もラーメンにしようかな。……午後はどうする?」
「久しぶりに映画館で映画観たいなーって思ってたんだよね」
「映画? そういえば五階にシネマが併設されてたわね。ちょうどいいのがやってるといいんだけど」
「このご時世、VRとかARで観れないのかよ?」
「そういうのは全部旧世代で禁止になっちゃったからね。一部の闇市だと裏ビデオが高値で取引されてるみたいだけど」
「ふぅん……まぁいいや。できれば頭を空っぽにして観れるやつがいいな。とにかく飯を食いながら考えようぜ」
俺たちは一階のフードコートに入り、ラーメンとたこ焼きをつつきながら何の映画を観るかについて話しあった。
ここは二十三世紀の新世界で、俺たちは会ったばかりだというのに、まるでずっと前から家族として暮らしていたみたいだった。
そのとき俺はふと、仮にもう一度チャンスがもらえるとしても、もう生まれ変わる必要はないのかもしれないと思った。
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