鈴木栞

「……分かった。答えを出す」


 俺は、みんなの前で告げた。


「……栞だ」


「……!」


「織芽、ごめん。俺はこれから、栞と一緒にいたい」


「たかくん!」


 その一言のあと、栞は両手のひらを顔の前で合わせると、涙を流し始めた。


 俺なりの答えだった。――子供の頃からずっと一緒にいた幼馴染。どんなときでも優しく、暖かく、俺に幸せを与えてくれる栞。


 失恋したあとでさえ、俺を慕ってくれる栞のことが、俺は好きになっていた。


 もちろん、織芽のことも。

 歌音や瑠々子のことも大切だ。

 だけれど俺は、誰よりも、栞のことが――


「……おさまるべきところにおさまった、って感じかしら?」


 歌音は、少し震える声で、そう言うと、


「正直、栞なら納得だわ。ずっと一緒だもんね、アンタたち。……悔しいけれどね」


「……そう。……栞さん、おめでとう。……」


 瑠々子は、俺から目をそらしながら、栞のほうだけを見つめて、祝福の言葉を述べる。俺はなにか言おうとして、けれど優しい言葉など、なにを言っても嘘になると思い、黙っていた。


 いや。

 俺が見るべき相手は。


「……織芽」


 織芽は、俺のほうを、たまらなく、本当に悲しそうに眉根を寄せながら見つめながら、


「……栞、おめでとう。ずっと孝巳の隣にいた甲斐があったね」


「おりちゃん。……ごめん」


「謝ることはないよ。……こうなるのは仕方がない。遠距離になった上に、ろくに連絡もとれなかったんだから。別れることになったとしても、仕方ない――」


 そこで織芽は、ぽろり、と。

 大粒の涙をこぼした。……織芽。


「いま、初めてお父さんを恨んだ。……こんな終わり方になるなんて、織芽は……。……孝巳も……孝巳もさ……わざわざ福岡まで来て、こんなことになるくらいなら……」


「……ごめん」


 本当に。

 せめて今日くらいは昔の、友達5人組のままでいるべきだったかもしれない。


 織芽から見れば、何か月かぶりに彼氏と再会できたと思ったら、振られたわけだ。どれほど傷ついたか。……俺は、残酷なことをした……。


「……織芽さん。……私たちは」


 瑠々子がなにかを言おうとした。

 しかし織芽は激しくかぶりを振って、


「……いいんだ。……本当に、仕方のないことだよ。こんなことになるのは。でも、いまは、……なにも聞きたくない。なにも……」


「織芽……」


 俺はなにかを言おうとしたが、もう、どんな声も彼女にとっては、辛いだけだと思い、言葉を紡がなかった。


 何分、経っただろう。

 やがて織芽は、涙をぬぐい、


「……孝巳」


「お、おう」


「……福岡まで来てくれてありがとう。織芽を追いかけてくれて、ありがとう。……栞と、幸せになってくれ」


「おりちゃん。……ごめんね、本当にごめんね」


「いいんだ。……決着がついて、良かったんだ。そう思うように、する。……みんな、会えて、……嬉しかった。……。……それじゃ」


「織芽」


「さよなら」


 それだけ言うと、織芽はロードバイクにまたがって、俺たちに背中を見せながら、すごい早さで去っていった。


「おりちゃん。……ごめん……」


 栞はその後ろ姿に、また謝って。

 そして俺は、ただ呆然と、織芽の――


 そう、初恋の相手にして、元カノになった女の子が、走り去っていく姿を、ただ呆然と見送っていた。




 月日が流れた。

 福岡に旅したあの日から、すでに3年が経ち、俺は。――俺と栞は。




「た〜か〜くんっ!」


「うおっ、ほ!」


 布団を剥がされた、俺。

 自室である。時計を見ると朝の7時。

 こんな時間から、栞はまた、いつものように俺の部屋に入ってきて、起こしに来たのだ!


「栞、頼むから。もっと優しく起こしてくれ。眠いし驚くし……たまらんぜ、ふわぁ……」


「だってたかくん、これくらいしないと起きないから〜。大学生になってますます、朝が弱くなってるし〜」


「バイトが忙しいんだよ。ったく」


「大学生の本分は勉強です。アルバイトばかりしてはいけませんよ〜」


 相変わらずの母親じみた説教である。


「さ、行く準備、行く準備。そうだ、お弁当、もちろん今日も作ってきたからね〜」


「おう、サンキュー……」


 彼女の手作り弁当を大学にまで持っていく、俺。

 また友達に冷やかされるかな。いや、もうみんな、慣れてきたか。

 光京大学一番の有名バカップル、みたいに噂されてるらしいし。

 少し恥ずかしいけれど、まあいいか。バカップルなのは本当だからな。




 あれから俺と栞は、付き合いはじめた。

 といっても、やることはそれまでの幼馴染な関係とあまり変わらなかったが。


 朝から晩まで、いっしょ、いっしょ。

 家でもいっしょ。学校でもいっしょ。進路もいっしょ。いっしょいっしょ。


 妹からは――中3になってようやく、エセギャルキャラは黒歴史になると気付き、キャラを卒業したかえでからは、


「栞ちゃんと、もう結婚したら? 学生でもいいでしょ、ふたりなら」


 なんて言われたほどだ。

 さすがに学生で結婚はしないが、……最終的にはそうなるのかな、なんて思ったりもする。


 栞と結婚。

 それは正直、俺も、望むところだったりする。

 だって栞は、可愛くて、優しいから……。




「ねえ、たかくん。帰りに駅ビルの本屋に寄っていかない?」


「お、いいな。俺も買いたい本があったんだ」


「じゃ、決まり〜。……るるちゃん、いるかな〜」


 瑠々子は大学生をやりながら、駅ビルの本屋でアルバイトをしているのだ。


 ふだんは、地元の向陽大学文学部にいる瑠々子。将来は雑誌編集など、文章に関する仕事に就きたいらしい。


 しかし、できれば作家になりたいとも言っていた。そこで新人賞に応募したところ、一次選考を突破したとのこと。素晴らしい。瑠々子には是非、夢を叶えてほしいもんだ。


 ところが本屋に着くと、瑠々子はいなかった。

 店員さんに、友達なんですが扇原さんいませんかと尋ねると、今日はシフトではないらしい。残念だ。


「るるちゃんに会いたかったな〜」


「そんなに会いたければ、ラインすればいいだろ」


「いや、そこまでするほどじゃ〜あはは〜」


 栞は困ったように笑った。




 あの福岡での旅行のあと。

 歌音とは、疎遠になった。

 会えばあいさつくらいはするが、前ほどは関わらなくなった。


 歌音のことだ。栞に遠慮しているんだろう。それに、二度も失恋した相手とその彼女だなんて、フラれた後も仲良くしようなんて、あまり思わない。


 ――少し寂しくもあるわ。でも、それがお互いのためでしょ?


 歌音はきっと、そう思っているのだ。

 俺には分かるのだ。……歌音の心を、読める俺だからな。


 そして高校を卒業したあと、歌音はアメリカに留学した。ラインのアカウントも気づけば消えていた。


 こうして俺たちと歌音は、離れた。

 本当に寂しいけれど、……そういうものなんだ。




 織芽とも、二度と会うことはなかった。

 電話も郵便も交わしていない。本当に彼女は、俺にとって、あの時代だけの存在となった。


 ときどき思う。

 なにをしているんだろうな、織芽は。

 新しい彼氏とか、できているんだろうか。


 卒業したらまた関東に戻るって言っていたけれど、……たぶん来ないだろうな。特に俺たちの前には、ずっと。


 人間はこうして、別々の道を歩んでいくんだと思う。

 織芽。……どこかにいる、俺の元カノ。

 もう、俺がつべこべ言うべきことじゃないが、……元気でいてほしい。




 あのときのメンバーでいえば、瑠々子だけはあまり変わらずに俺たちと友達であり続けた。


 例え恋愛関係でなくとも、友達でいたいと願うのが瑠々子だった。


 だから俺たち3人は、いまでもときどき会って、そう駅ビルのファミレスでいっしょにご飯を食べたりもする。


「新人賞に送るミステリーの新作を考えついた。グアムの歴史をテーマにする」


 そんなことを言ったりもしていた。


「グアムの歴史がミステリーになるのか? なんか難しそうだな」


「でもグアムの歴史ってなんだか楽しそう。るるちゃん、頑張ってね〜」


 栞がそう言うと、瑠々子はこくこくうなずいていた。




 大学1年生の夏が、終わろうとしている。

 俺は自分の部屋でパソコンを前にしながら、栞のほうを振り向いて、


「なあ」


「ん〜? なあに〜?」


「俺、夏の間はバイトでけっこう稼いだんだけどさ」


「うん、知ってる〜」


「どうだ。この金で、海外旅行に行かないか? ふたりで!」


「え」


 栞はびっくりした顔で、持っていたポテトチップスをぽろりと落とした。


「な、なんで急に〜?」


「いや、なんでって……いつも栞の世話になってるからさ。たまにはいいところに連れていきたいなって」


「だからって海外なんて。初めてだよ〜! 奮発しすぎじゃない? いつも二人の旅行は鎌倉とか箱根とか、近場が多いのに〜」


「だからだよ。といっても俺の稼ぎでいける海外なんて、近場しかないけどな」


 パソコンに、目をやる。

 旅情報のブログが画面に映っていた。

 日本からいける安くて楽しい海外は、グアムか台湾がおすすめ、なんて書いてある。


「いま調べたけれど、グアムなんかどうかな? 瑠々子を思い出すけれど」


「小説を書くって言ってたもんね〜。……でも、うん、いいと思う。行きたい、グアム!」


「決まりだ!」


 こうして俺たちは、初海外。

 初グアムに行くことになった!




「やってきたぜ、グアム!」


「ひゃっほ〜!!」


 俺と栞は、エメラルドの海を見ながらふたりで万歳した。


 現在地は、恋人岬という。

 グアムのビーチを一望できる絶景で、見渡す限り、南国の海と空。吹き抜ける風は、熱いのに爽快。俺と栞はふたりで、ただ地球が創り出した自然の中に心を委ねた。


 不思議な気持ちだ。

 俺たちのまわりには、何組ものカップルや家族連れがいる。

 それなのに俺たちは、世界に自分たちしかいないような錯覚を覚えてしまう。


「こんなところに来られるなんて、夢みたい。……たかくん、ありがとう〜」


「どういたしまして」


「ここに、あと何時間いられるの?」


「2時間だ。2時間後には、ホテルからお迎えのバスが来てくれる」


「そこまで手配してくれるなんて。たかくんも立派になったな〜。お姉さん、嬉しいよ〜」


 栞はニコニコ笑った。

 すべてブログの情報を参考にしたんだが、なんだかそうとは言えない雰囲気。


 あとでブログには情報使いましたありがとうございます、とコメントしておこう。


「たかくん」


「ん……?」


「いまわたし、すごく幸せ」


 そう言って、グアムの海を背景にして微笑んだ栞は、とても美しかった。


 いつだったか。……そう、高校生のとき、いっしょに映画館に行って、そのときに感じた可憐さ、愛らしさ。


 そのときから比べると、髪を少しだけ伸ばして、風になびかせて、ゆったりと笑っているその姿。人前でなかったら、きっと抱きしめていたと思う。


「子供のころからずっと好きで、大好きで、……いろいろあったけれど、こうして一緒に、最高の景色をたかくんと眺めることができて」


「俺も同じ気持ちだよ」


「たかくん」


 栞は、俺の手をそっと握って、そしてまた、にっこりと微笑んだ。


「大好き。……ずっと、ずっと一緒だよ!」




『負けヒロインたちが俺に失恋したあとも、あきらめきれずに溺愛し続けてくるんだが?』 完








次回、天照台歌音。


これより15分後に投稿します。


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