第52話 中学生編その3(最終回) 雪と風の中の告白

 迫られる決断のとき。

 福岡に来て2日目なのに、状況はもうクライマックスそのものである。


 こんなときだが、俺は思い出してしまった。

 中3の1月終わり、ある日曜日。寒くてたまらなかった、あの日のことを。――人生でもっとも濃かった、あの1日を。




「やった、やった! A判定だ!!」


「やったね〜、たかくん!」


 ある日曜日の午前だ。

 俺は自分の部屋で、志望高校の過去問を栞とふたりでやっていた。


 そして終わったあと、自己採点をしてみたら、見事A判定。

 合格ラインだったのだ。


「すごいね〜、たかくん。あの偏差値から一気にここまできちゃうなんて。お母さん、やればできると信じていましたよ〜」


「みんなのおかげさ」


 俺は本気でそう思った。

 頭が悪かった俺が、ここまで来られたのは織芽や栞……。

 そう、いつもの4人が俺と勉強してくれたからだ。


「特に栞。差し入れ、いつもありがとな」


 部屋の隅にあるお皿に目をやる。

 1時間前まで、その皿の上には栞お手製のBLTサンドイッチが載っていたのだ。


「栞が助けてくれたから、俺はここまで来られたんだ」


「たかくん。……本気で、本気でそう思ってる?」


「もちろん」


「……嬉しい! えへへ、嬉しい、嬉しい嬉しい嬉しいっ! えへへへへ〜」


「わ、どうした、……おい、くっつくなよ!」


 栞が、ぎゅーぎゅーしてきた。

 う、うう、これはまあいつものことだけれど、最近の栞はいっそう可愛いので、抱かれていると頭がポーッとしてしまう……。


「だって最近、たかくんはおりちゃんの話ばかりするから。わたし、なんだか寂しくて〜」


「いや、それは、まあ……」


 うまく言葉にできない。


「いいんだよ〜。たかくんの気持ち、分かったから。うんうん、お姉さんは嬉しいよ。たかくん、たかくん――」


 そのとき、家の外でひゅうっと風が吹いた。

 ガタガタ、と窓ガラスが鳴る。


「……」


 栞が、ふいに黙った。

 なにかを決したような眼差しで、俺のテストの結果を見ながら、


「……たかくん。……勉強の邪魔になるかもと思って、これまで言わなかったけれど。……いまじゃなきゃ、言えそうにないから、言うね」


「ん? ど、どうした」


「好きだよ。わたしと付き合って」




「はあ……」


 栞に告白された。

 あれからすぐに、うちの母親が昼飯ということで部屋に来たので、なんとなく解散してしまったが(母親は栞も昼飯に呼びたがっていたけど)、


「あれはガチの告白だよなあ」


 栞がまさか、そんな風に俺を見てくれていたなんて。

 いや、まあ……心のどこかで、気づいてはいたんだけどさ。

 幼馴染とはいえ、あそこまで親切に、あそこまでべたついてくるんだからさ。……そうなるよな。


 ところでいま、俺の現在地は、図書館の入口前である。

 栞が(窓から)帰宅したとはいえ、なんだか部屋で勉強をする空気でなくなったので、カバンを持って図書館に来たのだが、そのときである。


「孝巳くん」


「あ、瑠々子」


 偶然にも、俺は瑠々子とばったり出会った。


「こんなところで会ったね。瑠々子も勉強?」


「……そう。……ひとり? 栞さんも織芽さんもいないの。……珍しい」


「そんなに珍しいかな?」


「私の見ているところ、孝巳くんは90パーセントの確率でどちらかの女性と共にいる。残りの10パーセントは、歌音さん」


「俺がいつも女の子といるみたいじゃないか」


「そう」


 う。

 そうはっきりと言われると、否定はできないんだけど。


「でもまあ、今日は本当にひとりだよ。どうだい、瑠々子もひとりなら、これから俺と勉強しないか?」


 すると瑠々子は目を見開いて、


「本当に。……私でいいの」


「もちろん。友達だろ?」


 俺がそう言うと、瑠々子は何故だか、ちょっとがっかりしたような表情を見せたが、小さくうなずいた。


 1時間が経った。

 図書館の自習室で、俺は社会の勉強をしていたんだが、そのときだ。


 隣の席に座っていた瑠々子が、なぜだか、ルーズリーフの切れ端で作った小さな手紙を俺に送ってきた。


 なんだ?

 いくら自習室が私語禁止とはいえ、用事があるなら小声くらいかけてもいいのに。そう思いながら、手紙に目を落とすと、


『孝巳くんへ。……ふたりきりになる機会がめったにないので、ここで思いきって伝えます。好きです。真剣に努力を重ね、私に優しくしてくれるあなたが、本当に好きです。私と付き合ってください』




「はあ、はあ、はあ……」


 呼吸が荒い。

 告白された。

 瑠々子にまで。


 なんて日だ。

 なんて1日だ。

 立て続けに、2回も告白を受けた。


 ……嬉しい。

 いや本当に嬉しい。

 栞や瑠々子みたいな可愛い子から告白されるなんて、こんなに幸せなことはない。マジでそう思う。


 とはいえ、戸惑いもある。

 それに俺は、……織芽のことが……。


「あ、いた!」


 声をかけられた。

 現在地は、図書館の外にある自販機コーナーの前である。


 なぜ俺は、こんなところにいるのか。

 それは瑠々子から手紙で告白をされた直後に、歌音からラインが入ったからだ。


『いま、どこ? 親の危篤でもない限り即返信』


『ばあちゃんのハトコのイトコが死にそうだ』


『余裕あるじゃん』


 数秒、経って、


『いますぐ会いたい。会わないと許さない。いまどこ? どこ?』


『図書館。勉強してる』


 瑠々子の名前は、なぜだか出せなかった。


『いますぐいく。図書館前の自販機のところに集合ね』


『今日は寒いぞ。さっきから、雪も降ってるみたいだ』


『いいから集合』


 強引な。

 しかし断りきれず俺は、隣の瑠々子に、


「手紙ありがとう。嬉しかった。……本当に嬉しかった。……ごめん、ちょっとだけ手洗いに」


 とだけ、小声で伝えて部屋を出た。

 瑠々子はいつものクールフェイス。

 だが、顔は少し赤かった。


 ――そんなわけで、自販機前にいるのだが、ピュウピュウ風が吹き、粉雪が舞い散る中、歌音は現れた。


「なんだよ、こんな天気のときに!」


「あんた、栞に告白されたって本当!? ……栞から聞いたわよ!」


 あいつ!

 俺はその言葉を聞いて、小さくため息をついた。

 まったく、おしゃべりだな、栞は! 歌音にもう報告したのか。


「……本当だよ! まだ返事はしてないけれどな。だけど、それがどうした!」


「どうした、じゃない。……どうした、なんて、あたし」


 歌音は顔を真っ赤にしながら、戸惑ったように何度も目をキョロキョロさせながら、――やがて、なにかを決意したような表情で、


「……孝巳。あたしね。最初はあんたのこと、なんとも思ってなかった」


「お。……おお」


「だけど、あんたが織芽といっしょに、体育祭とか生徒会とかいっしょにやって、勉強だって頑張っているのを見て、……あたし、どんどん、孝巳のこと、すごいなって思うようになって。……それに、あんたとあたし、すごく、……気が合うし」


「……そうだね」


「だから。だからあたし。……あたしも言うね。栞が言ったなら、それに栞とまだ答えを出していないなら、あたしも言うね」


 歌音は、まっすぐに俺を見据えて、言った。


「孝巳のことが好きなの。好きで好きでどうしようもないの。毎日、あんたのこと考えちゃうの。孝巳と話がしたい。孝巳と手を繋ぎたい。孝巳にギュッてしてほしい。孝巳と、孝巳と……。……大好き。夜も眠れないくらい。好きすぎるの。孝巳がこの世にいなかったら、あたし、きっと死んじゃう。孝巳とそばにいてくれなかったら、あたし、生きていけない。ね。お願い。あたしと、付き合って――」


 雪と風が吹き抜ける中。

 不思議と、寒さはまったく感じない。

 そんな世界の中で、俺は――




『やあ』


 電話に出た瞬間に、織芽の穏やかな声が聞こえる。

 なんだか、ほっとする。栞以上に、彼女の声を聞くと心が落ち着く。


「どうしたんだよ、こんな時間に」


 その日の夜10時である。

 ひとり、部屋のベッドで寝転んでいると、織芽から電話がかかってきたのだ。


『別に。なにをしているかな、って。……用事がなかったら、かけちゃいけないかい?』


「いや、そんなことはないよ」


『さすが相棒。はっはっは。……雪がすごいからさ、なんだか織芽、ウキウキしちゃったわけさ』


 雪が降ったからウキウキ。

 小学生みたいな言葉に、俺はちょっと笑って、織芽らしいと思った。

 やがて織芽は、小さな声で、


『なにしているかなと思ったのは本当だけど。……孝巳。……その声の調子からすると、今日、なにかあったね?』


「う。……なんで分かる?」


『なんとなく、さ。……織芽は君の相棒だ。君になにかあったら、すぐに分かる』


 ドキリとした。

 そして、たまらなく嬉しい言葉だった。

 あの織芽が、俺のことをすぐに分かる、だなんて。


『なにがあったんだい?』


「…………」


 俺は迷ったが、……彼女に伝えることにした。

 織芽なら、俺の話をちゃんと受け止めてくれる。そんな気がしたんだ。


「栞と歌音と瑠々子に告白された。今日1日で」


『なんとぉ!?』


「うお、声デカい声デカい!!」


 ちっとも受け止めていない声だった。

 明らかに狼狽している。あの織芽が!

 なんとぉ、って……。


『い、いや、だって、驚くよ。ぶったまげるよ! 織芽だってビックリするさっ! え、告白? 3人が? 今日だけで? 栞はともかく、瑠々子に、歌音まで? 本当に!?』


「嘘をついてどうするんだよ。……俺だって驚いているんだ。まさか、1日でみんなから……」


『……モテ、てるね……。……ええ……? ……それで孝巳、返事は?』


「保留にしている。ちょっと待ってくれ、と」


『残酷なことをする。断るなら、さっさと断った方が相手のためだと思うよ』


「そうかな。俺、別に栞たちが嫌いなわけじゃないし。ちょっと考えて、……断るなら断るで、相手が傷つかないようにしないと……」


『断った時点でとっくに傷つきまくりだよ。乙女心、傷つきまくりんぐだよ、孝巳。……ああ、でも、……歌音と瑠々子まで……。……そうかぁ……』


 織芽の声がどんどん小さくなっていく。

 こんなに弱気な声をした織芽は、初めてだ。

 どんなときでも明るくて勝ち気なのが、織芽なのに。


「…………」


『…………』


 俺たちは、揃って黙り込む。


『……孝巳。……保留した理由は、どうしてだい?』


「どうして、って」


 どくん、と心臓が高鳴る。

 そんなもの、決まっているじゃないか。


 栞も歌音も瑠々子も、みんな可愛いし、魅力的だ。

 俺にはもったいないくらい、いい女の子たちだ。

 もしも、……もしも俺の前に。


 もしも俺の前に織芽がいなかったら、絶対に誰かと付き合っていたと思う。

 それくらいには――

 俺は――


「好きな子がいるからだよ」


『…………。それは、誰?』


「…………」


『教えてくれよ。織芽に』


「…………」


『孝巳……』


「…………」


 俺は、長い沈黙の末に、答えた。

 むしろ、告白した。


『織芽だよ。……織芽のことが、好きなんだ』




 ――ありがとう。織芽も、孝巳のことが好きだよ。




 ……俺の意識は、いまに。

 福岡の大濠公園に戻ってきた。


 たった数ヶ月前の出来事。

 それなのに、もう何年も昔の話のように感じる。

 俺から織芽に告白し、栞と歌音と瑠々子をフッた、あの冬の時代。


 そして、いま。

 俺の前に、改めて、織芽が。

 栞が、歌音が、瑠々子がいる。


 過去から現在まで、俺に対して必死に好意を伝えてくれた彼女たち。

 俺を日々癒してくれた可愛い幼馴染に、心さえ通じ合う最高の同級生、どんなときでも助けてくれた綺麗な少女、そして、遠く離れてもなお、俺のことを好きで居続けてくれた相棒であり、彼女。


 俺は答えを出さなければならない。

 みんなとこれからも仲良く、なんて。

 きっと、それはできない。


 ――断るなら断るで、相手が傷つかないようにしないと。


 ――断った時点でとっくに傷つきまくりだよ。乙女心、傷つきまくりんぐだよ、孝巳。


 そうだ。

 俺の答えが、最後のときだ。

 この5人で集まることは、恐らくもう、できなくなる。

 それでも俺は、言葉を紡がなければいけない。




 俺は。

 脇谷孝巳は、口を開いた。


 俺が、これから一緒にいたいと思う彼女の名前を。




 そのひとの名前は――




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る