第51話 主人公、決断のとき

「孝巳。……栞、歌音、瑠々子。……久しぶり……」


 肩を弾ませて、織芽。

 俺たち4人視線を交わし合い、数秒。……沈黙。

 わずかに目が潤んでいた。俺も、目元が熱くなっていた。栞たちもきっと同じ気持ちだと思う。


 5人が勢揃いするのは中学の卒業式以来だ。

 あれからたった4ヶ月半。それだけの時間なのに、もう何年も離れていた気がする。


「おりちゃん。おりちゃんだ。……おりちゃんが来てくれた!」


「ちょっと、髪伸ばしてるじゃない。なのになによ、そのごついロードバイク。あは、そこは織芽って気がするわ」


「…………再会できて、……嬉しい」


 栞たちが、ぐるりと織芽を取り囲み、思い思いのコメントを寄せる。

 やがて俺も、そっと織芽に近付いて、


「……来たよ」


「……うん」


 お互いに、笑みを交わした。

 誤解はもう解けていた。織芽が俺に連絡をくれなかったのは、厳しいお父さんが原因。それが分かれば、もう怖いものはない。


「福岡まで、来ちゃったぜ」


「すごいよね。さすが織芽の相棒だよ。ここまで行動力のあるひとだとは思わなかった」


 織芽は目を細めて、少しだけ頬も紅潮している。

 ロードバイクに乗ってきたからかな。……それとも――


「ね、ねえ。立ち話もなんだから、カフェで飲み物でも買って、ベンチに座ってお話しない?」


 栞が健全な提案をしてくる。


「そうだな。織芽も自転車に乗ってきてノドが渇いただろうし」


「うんうん。じゃあ、わたしが買ってくるね~。たかくんとかのちゃんはエプシだよね。るるちゃんとおりちゃんは? ……じゃ、わたしにお任せあれ~!」


「待ちなさいよ。ひとりじゃ飲み物、5人分持てないでしょ。あたしも行くわ」


「そう。そうだった。……私も行く。ごめんなさい、気が利かなくて」


「待てよ、女の子ばかり使い走りにはできないぜ。俺もいく」


「だったら織芽もいくよ。ひとりだけ残されても嫌だからねえ」


「なによ。けっきょくみんなで行くんじゃないの」


 歌音が肩をすくめた。

 栞が「ね」と言った。

 俺たちか揃ってカフェに向かい、すると織芽が目を細めて、


「懐かしい感じだ」


「そうか?」


「そうだよ。みんな、昔のままだ。織芽は嬉しい」


 織芽がきっと、心の底から言ったその言葉に、――栞たち3人は、一瞬だけ俺たちから目をそらして、黙り込んだ。




 大濠公園は空が広い。

 光京市の公園からは想像もできないほど、周囲に高い建物がなく、その上、公園の中心にだだっ広い池だか湖だかが存在するため、見上げればどこまでも続く青い空を実感できる。


 俺たちはベンチに座り、ずいぶん話し込んだ。

 最初はお互いの報告が多かった。高校生活はどうだ、とか。中学時代の友達はどうしている、とか。新しい友達はできたか、とか。俺は田名部のことを話したり、バイトのことを話したり、また栞や歌音は中学時代の友達のことをよく話した(中学時代の友達は、俺にとっても同級生なのだが、俺は友達が少なかったし浮いた存在だったので、その話題にはほとんどついていけなかったけれど)。


 織芽は目を細めながら、俺たちの近況報告を聞いていたが、やがて彼女も自分のことを本格的に語り始めた。


「福岡の高校に通い始めて、まあ何人か友達はできたよ。いっしょに学校帰りに本屋に寄ったり、ヤックに寄ったりはしている」


 と言いながらも、織芽は困ったように笑って、


「だけどね、うちの学校はマジメなひとが多いから。中学のときほど楽しくはできてないんだ」


 織芽にしては弱気な発言だ。

 俺たちはお互いに視線を交わした。


「それにね、ほら、織芽は電話を取り上げられたから。友達とのやり取りにも困ってさ」


 ……なるほど。

 それが一番の原因か。


「電話もSNSもできないんじゃ、クラスの友達と遊びに行くのも大変だよな」


「いちおう、期末テストの結果はよかったから。……あとは、夏休みの間、塾に通って、講習の結果がよかったら、スマホを返してもらえるかもしれない」


「よかったじゃない! だったらまた、あたしたちとラインできるわ」


「そうなったらいいけれど、あのお父さんだからね」


 織芽は、眉を八の字にして、


「今日は特別なんだ。期末の結果が良かった上に、……さすがに関東から福岡までやってきた友達を追い返すのは、あまりにも気の毒で失礼だってお父さんが言って。それでこうして、会いに来ることができたってわけさ」


「おりちゃんって、そんなに厳しくしなきゃいけないほど、悪い子かなあ。中学のときだって、無断で門限破りをしたのはあのときくらいじゃない? 厳しすぎる気がする~」


「……だけど、私も中学の途中までは織芽さんに近かった」


 瑠々子が突然、そんなことを言ったので、みんなが思わず目を向けた。


「お父さんは、私に悪い友達がつくのをとても警戒していた。……もっとも、そのために私があまりにも友達が少なすぎて、内にこもっていたから、途中からは逆にもっと友達と遊べと言われるようになったけれど」


「ああ……そういえばうちも、中学に入ったばかりのころは、親から友達はよく選べってうるさいくらい言われてたわ」


 歌音も瑠々子の意見に同調する。

 女の子の親ってのは、やっぱり色々と、心配するものなんだろうか。


「平気でお互いの部屋を行き来する俺と栞が異様なだけか」


「異様だと思う~。友達に話したときも一度、引かれたことあったから~」


「そりゃそうでしょ。あたしだって、孝巳と栞の関係を最初に聞いたときは、どこのラブコメ漫画よって思ったもの」


「私の両親が、孝巳くんと栞さんの関係を知ったら、……卒倒するかもしれない」


 そんなにかよ。

 まあ、うちと栞の両親は特にユルいほうだからな。


「……栞は、孝巳の部屋にまだ、出入りしているのかい?」


 織芽が、低い声で言った。


「え。……う、うん。……用事があるときは」


「また、窓から?」


「……たまに、ね……あはは~……」


「織芽は知ってただろ。俺たちがお互いの部屋を行き来しているのは」


「知ってはいたけれど。そうかい、高校生になっても、そうかい。……むうう、ううううう……」


 織芽はジト目になって、俺と栞を見比べている。

 俺と栞の関係なんて、いまさら怒るようなものでもないと思っていたけれど――

 かと思うと、織芽は大きくため息をついた。


「いいなあ。織芽もそっちに残っていれば、孝巳やみんなといまも一緒に、楽しくやっていたんだろうに」


 それはそうだ。

 もしも織芽が福岡に行かなければ、今日のような状況はまったく起こらなかったわけだ。

 つまり、栞たちにもう一度、俺が告白されたという状態も。中学時代に決着がついていた俺たちのラブコメが再開してしまうような事態も。


「こうなったものは、もう仕方ないじゃない。……それよりさ、織芽。聞きたい、っていうか確認したいことがあるんだけれど」


「なんだい?」


「あんた、スマホはもしかしたら返してもらえるって言ってたけれどさ、その後、どうするの? 孝巳と遠距離恋愛続けるの?」


「それは……」


 織芽は、なにをいきなり聞くのかという目で歌音を見つめながら、ちょっと顔を赤らめてから俺のほうを見て、


「織芽はそうしたい。……織芽は高校を出たら、大学はまた関東に戻る。そうしたら、また孝巳と会える」


「高校を出るって、あと2年半もあるじゃない。長すぎるわよ、それって」


「だって、……それこそ、仕方ないじゃないか」


「……。……孝巳はそれでいいの?」


「え」


 急に話をふられて、俺は一瞬、戸惑ってしまう。

 いいのもなにも、織芽がそうしたいって言うなら、俺は――

 そう言おうとした瞬間、歌音はじっと俺を見据えてきて、


「あんたが望めば、いますぐ、他の彼女ができるっていう状況なのに?」


「「「「……!!」」」」


 歌音の言葉に、俺だけじゃない。

 栞も瑠々子も、そして織芽も目を見開いた。

 歌音は、胸の前に腕組みをしてから織芽に視線を送りつつ言った。


「どうせ、言わなきゃいけないことだから言うわ。織芽。……あたし、また孝巳に告白した。忘れられなかった。一度はフラれたけれど、やっぱり付き合いたいと思った。……好きだから。……まだ、好きだから」


「え……」


「お、おい、歌音……」


「孝巳は黙ってて。……あたしだけじゃなくて、栞も瑠々子もそう。まだ孝巳が好きなの。だからみんな、また告白した。それで答えは、答えは、……まだ保留になってるけれど」


「ほ、保留って――」


 織芽は、俺の顔を慌てたように見つめてきたが、歌音はそんな彼女を叱り飛ばすように、


「そりゃそうでしょ。しばらく連絡がつかなくて、孝巳は織芽にもうフラれたって思い込んでいたのよ? そのあとだって、ほんのちょっぴり電話をしただけで。この3ヶ月、孝巳はどれだけ悩んでいたか。今日この瞬間、織芽と再会するまで、孝巳は自分たちの関係が続くかどうかもすっごく不安だったと思うわよ?」


「それは……そうだけれど」


「それでも孝巳は、アルバイトをして旅費を稼いでまで、あんたに会おうとしたのよ。織芽は逆に、それだけのことをしようとしたの? なんとか孝巳の住所や電話番号を思い出そうとしたとか、バイト代で光京に行こうとか、そういうの。……してないじゃない。あたしから見たら、織芽は孝巳の気持ちに応えられるほど、彼女をやっていないのよ!」


「歌音さん。……言い過ぎ。……織芽さんにも事情があった」


 あまりにも強い歌音の口調を、たしなめるように瑠々子が口を開いた。


「厳しいお父さんがいたし、スマホを取り返すために必死に勉強をしなければならなかった。その事情を、汲んであげてほしい」


「甘いのよ、瑠々子は。……瑠々子だって、孝巳と付き合いたいんでしょ? だったら、織芽をかばったりしてないでさ。もっと言いたいことは、ずんと言わないと――」


「ちょっと~~~。ちょっと~~~。みんな、落ち着いて~~~。旅行先でケンカなんかしな~い」


 そこでぱんぱんと手を叩いて、栞が言った。


「せっかく福岡まで来て、友達とまた会えたのに~。こんなの、お母さんは許しませんよ~」


「お母さんって……」


「……ふふ、栞は本当に相変わらずだね……」


「はい、仲直り、仲直り。ふたり、握手して。かのちゃん、言い過ぎをごめんなさいして~。おりちゃん、いいよって言って~」


「保育園の先生かって。……ごめん、織芽。ちょっと強く言いすぎた」


「いや……いいよ、全部、本当のことだしね……」


「……だけど、本当のことは本当よ。あたしたちは3人とも、孝巳が好きだから、また告白した。孝巳は断った。けれど、あたしたちはまだ引き下がった。……この福岡旅行が終わるころまでに、もう一度、考えてほしいって。……そういうこと」


「…………」


 織芽は、ちらっと俺を上目遣いに見つめてきた。

 不安げな眼差しだ。次に俺がなにを言うか、心配でたまらないという顔だ。


「孝巳くん」


 瑠々子は、真顔になって、


「いまの孝巳くんの本音を聞かせてほしい」


「本音って……」


「この3ヶ月、いろいろあったけれど。……それでも、織芽さんへの気持ちは変わらないのか。……それとも、他の誰かに心惹かれているのか。……結論を、聞かせてほしい……」


 瑠々子にしては強気な言葉だった。

 中学時代、自分の意思をほとんど示さなかった、あのおとなしい瑠々子とは思えないほど、はっきりとした、いまの自分の意見。


 俺は――

 俺は、織芽を。

 栞と歌音と瑠々子を、それぞれ順繰りに、眺めていった。


 そして――


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