第50話 再会、勝ちヒロインと主人公

『やっとだ。やっと電話ができる。孝巳、孝巳……』


 向こう側の織芽は、感極まったという声だ。

 俺も同じ気持ちだった。何ヶ月もの間、ろくに連絡がとれなかった彼女。一時は、もう福岡で彼氏ができたんじゃないかと疑ってしまった彼女。そんな織芽と、やっと電話で話すことができる!


「事情はおばあちゃんから聞いたよ。携帯電話、没収されてたんだって?」


『うん。織芽の成績が落ちていたから、それで』


「だけどいまは、電話できるんだね」


『うん。お父さんが……さすがに九州まで追いかけてきてくれた友達を、ムゲにはできないだろう。少しくらいなら構わないって、ね。……同じ部屋にいるから、大きな声では言えないけれどね』


 最後のほうは、小声になっていた。

 お父さんも、ただ厳しいだけじゃないってことだな。


『栞たちも一緒なんだろう? おばあちゃんから聞いた』


「ああ。歌音も瑠々子もいる。代わろうか」


 俺は隣にいた栞にスマホを渡す。

 すると栞は小声で「いいの?」と尋ねたあと、俺のスマホを手に取って、


「おりちゃーん! 栞ですよ~。福岡まで来ちゃいましたよ~! ……はい、かのちゃん!」


「ち、ちょっと! ……えっと、ごめん、こんなところまで押しかけてきて……元気? 元気よね、そうよね。……瑠々子、代わって!」


「……。織芽さん、お久しぶり。扇原瑠々子です」


『みんな、勢揃いなんだね。……会いに来てくれたんだ。ありがとう。織芽は、織芽はいま、すごく嬉しい……』


 織芽の声が、スマホの受話口からかすかに聞こえてきた。


「こちらもようやく、電話ができて嬉しい。話すことが山ほどある」


『そうだろうね。いろいろと聞きたいよ』


 栞たちと織芽が、次から次へと会話をしている光景を目の当たりにして、俺もなんだか嬉しかった。


 中学時代を共に過ごした時間は、無駄じゃなかった。栞たちの間にも確かに友情が生まれていたんだ。


 博多の町。星の無い夜空の下で、俺は無性に感動していた。

 ここまで来てよかった。心からそう思った。


 そのときだ。

 瑠々子が、無言で俺にスマホを突き出してきた。

 織芽との会話は終わったらしい。俺はスマホを受け取り、もしもし、と――


『――それが織芽の推しなわけさ! あのひとの歌唱力はアツすぎる! 歌詞もエモいなら曲調もエモい。だから織芽としては一刻も早くスマホを取り返して、SNSで直接、激励のDMを送ってだね!』


「なんの話をしてるんだ!?」


 思わずツッコんだ。

 すると『おう』と織芽の、戸惑ったような声音。


『なんだ、もう瑠々子じゃなかったのか。いま深夜でやっている深夜アニメのオープニングを歌っている女性歌手が、いかに素晴らしいかを織芽は説いて』


「どこからそんな話に飛んだんだ! ったく、いつの間に……」


 ちょっと博多の夜に感動している間に、瑠々子と織芽で歌手についてのおしゃべりが進んでいたらしい。


「面目ない。もう織芽さんの話は終わったかと思ってスマホを孝巳くんに渡したのだけれど」


『ごめんよ、孝巳。織芽としたことが、久方ぶりに友人と話したものだから、ついテンションが最高潮に』


「テンションが高まるの早すぎるだろ」


「孝巳、スマホをスピーカーにしてよ。そうしたらみんなで話せるでしょ」


「そうだな。……よし」


 スマホを操作すると、『もーしもーし』という織芽の声がひときわ大きくなった。


「これで、みんなでおりちゃんと話せるね~」


『じゃあ織芽の推しトークを続けていいかい? そもそも今年の春、福岡にやってきた織芽は寂しさのあまり、午前2時、部屋のテレビを思わず点けて――』


「プロローグじゃないの! こっちはそこから何時間、話を聞けばいいわけ!?」


「この話し方だと、八時間は続くな。……思い出した。中学時代の最後、織芽と長電話をしたときもこうだったんだ。あのときの織芽は三国志の曹操がいかにエモいかという話をひたすらに続けて――」


「あのときの長話、そうだったんだ~。わたしも隣で聞いてて、いつまでおりちゃんと話してるんだろうな~って思ってたけれど。……三国志を8時間も話してたんだ~……」


『いや、2時間は別の中国史だったんだよ。項羽と劉邦の話もやったし、そう、それと光武帝とその奥さんの話なんかも。そう、あの話には続きがあったんだよ、孝巳! とっておきの感動歴史話がね――』


「そう……そうね、織芽ってこんな子だったわね。話と行動があっちこっちに飛ぶ子だったわ。あたし、7割くらいついていけなかったもん……」


「私は逆に楽しかった。9割、ついていけた」


「るるちゃんは博識だからね~。わたしは知らないことをおりちゃんがたくさん話してくれて嬉しかったけれど――」


『さすが栞だね。そう言ってもらえると織芽は嬉しい! 織芽はね、スマホが戻ってきたら知識系ユーチューバーになろうかなっていま計画を練って』


「待て待て待て。そろそろ待て。とにかく待て。……話がまるで前に進んでいないぜ。織芽、俺たちが話すべき話題は、明日、何時にどこで会うか、だ。まずはそれからだ」


『そうだった。じゃあユーチューバーになる話はまた今度――ごめんお父さん、ちょっと、ちょっと待って。冗談だから! ねえ、お父さん! 本当にちょっと待って! ……はあ~……。あ、ごめん、そっちどうぞ』


「……ああ……」


「織芽がスマホを取り上げられたの、孝巳やあたしたちだけが原因じゃない気がしてきたわ」


「おりちゃんだったら、本当にユーチューバーになりそうだもんね~……」


「顔出しはおすすめできない。やるならば、覆面マスクでもかぶってからはどうか」


「よしなさい、そういうアドバイスは」


 自分の彼女が、覆面をかぶってユーチューバーをやる景色を想像して、なんだか頭が痛くなってきた。


「こんな話をするために、博多まで来たわけじゃないんだ」


『ところで、いま孝巳たちは福岡のどこにいるの?』


「博多駅の近くだよ~。ホテルもこのへんに取ったから」


『ホテル』


「あ、……いやあのね、ちゃんとしたホテルだし、あたしたちと孝巳は別の部屋だからね。そこはちゃんとしてるからね、誤解しないでよ!?」


『ん、分かってる』


「……。ほ、本当に分かってるのかしら……。いきなり小声になるのやめてほしいわ……」


 歌音が小声でささやいた。

 まあ、同感だ。……織芽ってときどき、すっとテンションが激落ちするからな。

 目の前にいれば、表情である程度、どれくらい本気で落ちているか分かるんだけれど。……電話ってこういうとき、面倒だな。


 俺はここで、改めて、場を仕切り直して、


「織芽。明日、本当に会いたい。時間は午前11時でどうかな。場所は……どこがいい? そっちの家の近くまで行くよ」


『ああ、うん。時間はそれでいいよ。場所は、広くてしゃべりやすいところがいいかな。……大濠公園のカフェでどうかな。場所は、ネットで調べたら分かると思うけれど』


「大濠公園。……中央区にある、大きな池のある公園? 公園内にチェーンのカフェがある」


 瑠々子がスマホを操作しながら言うと、織芽は『うん、それそれ』と応じた。


『じゃあ、明日の11時にそこで会おう。そして、改めて……』


「ああ。いろいろと、話したいことを話そうぜ」


「歴史や推しの話はまたの機会にしてよ。話すべきことは」


「おりちゃんのことと、わたしたちのこと~」


『分かっているよ。……みんな』


「ん?」


『ここまで来てくれて、本当にありがとう』


 電話の向こうから聞こえてきた、感謝の声。

 俺たちは、揃って「「「「おお!」」」」と元気よく答えた。……瑠々子までもが!

 織芽は、ちょっとだけ笑って、


『それじゃ、おやすみ』


「ああ。……また明日」


『また明日。……孝巳』


 電話が切れた。

 20分ほどの会話。


 そして、おやすみ、また明日。

 4ヶ月ぶりに、織芽とこの言葉を交わし合った。

 たったこれだけの話をするために、博多まで。思えば遠くへきたもんだ。


「明日ね」


「そうだね、明日~」


「……織芽さんに会える」


 栞たちは、電話が切れたスマホの液晶を見つめながら、小さな声で、明日への決意をそれぞれ口にしたのであった。




 翌日。

 俺たちはホテルをチェックアウトすると、荷物を持って、地下鉄に乗り、大濠公園へと向かった。


 10分ほどで、地下鉄大濠公園駅に到着する。

 地下鉄の駅を出て、地図アプリの指示に従って道を行く。

 便利な世の中だぜ。初めて来た町でも、迷わずに進むことができるんだもんな。


 大濠公園は文字通り、大きな壕というか、池の周囲を包むように作られている公園だった。その池がまた巨大で、一周回ると、なんと2キロもあるらしい。その分、公園自体がとにかく広いから、空もまた広く感じる。歩いていて気持ちがいい。


 目指すチェーンカフェが見えてきた。

 時刻は、午前10時50分。


「あたしたちも、たいがい酔狂ね。福岡までやってきて、観光もせずにまず友達と会おうっていうんだから」


「観光はいつでもできる。けれども、織芽さんと会うのは、そう簡単にできない」


「そうだよ~。あの厳しいお父さんをうっかり怒らせたら、今回で最後になっちゃうかもしれないんだから~」


 何気なく発したであろう、栞のセリフ。

 その言葉が俺の心に刺さる。……これが最後かもしれない……。

 織芽と、最後に? ……考えたこともなかったが、その可能性だってあるんだ。


 そんなのは嫌だ。

 これが最後なんて、……この恋愛がどんな結末になろうとも、……これで終わりだなんて、そんなのは――


 そう思いながら、チェーンカフェの前にたどり着いた。

 予定時刻、5分前。ピシャリだ。


 織芽が来る前に、カフェで飲み物でも買おうかどうか、ちょっと迷った。

 みんなはどうする――と、俺は、栞たちのほうを向き直った。


 そのときだった。


「孝巳ーっ!!」


 聞いたことのある声だった。

 振り返る。


 彼女が、自転車でこちらに向かってくる。

 昔よりも、長い髪。セミロングよりももうちょっとだけ長くなった髪を、風でなびかせながら、妙に大きな、赤のロードバイクを漕ぎながら。


「栞! 歌音! 瑠々子! ……みんな!」


「……織芽っ!」


 俺は思わず手を振った。栞たちも「おりちゃん!」「織芽!」「織芽さん……!」とそれぞれ手を振り、ここだと自分達の存在を示す。もうお互いに、存在は把握しあっているのに、それでも俺たちは手を振り続ける。


 ロードバイクが停まった。

 俺たちの目の前で、ファストファッションの赤いTシャツに、ミニスカートといういでたちの、相変わらず活発そうで、猫を思わせる表情をした彼女が、ちょっとだけ瞳に涙を浮かべて、微笑んでいる。


「織芽」


「孝巳。……久しぶり」


 俺たちは、ついに再会した。


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