天照台歌音

「……分かった。答えを出す」


 俺は、みんなの前で告げた。


「……歌音。…。俺は歌音を選ぶ」


「……孝巳……」


「織芽、ごめん。俺は、歌音と共にありたい」


「孝巳、本当に? 本当にあたしでいいの?」


「俺が歌音に嘘をつくかよ」


「……孝巳っ!」


 歌音は、一瞬だけ、瞳を潤ませると、すぐに喜色満面となった。


 俺は歌音に惹かれていた。

 明るく、気さくで、けれども中身は気遣いの子で。なにより、俺と心を読み合えるくらい、波長の合う彼女のことが、大好きになっていたのだ。


「……そう、か。……歌音を、選んだのか」


 織芽は、たまらなく悲しそうに、そして悔しそうに顔を歪ませる。……心が痛む。罪悪感を感じる。


「よかったね、かのちゃん。……お幸せに」


「歌音さん。……歌音さんなら、きっと孝巳くんとうまくやれる」


「栞。瑠々子。……織芽。……ごめん……」


「歌音が謝る必要はないさ。孝巳の決断だ。……無理もないよ。何か月も連絡ができなかった彼女だ。こうなるのも無理はない。……でも、でも、ね……」


「織芽」


「……無理を言ってでも、光京市に残ればよかった。お父さんに逆らえばよかった。家出してでも、あの町にいれば……」


「織芽さん、泣かないで」


 瑠々子がハンカチを織芽に差し出す。

 しかし織芽は大きくかぶりを振って、ハンカチを拒絶し、


「……ありがとう、瑠々子。……いいんだ、もう……。織芽が、もっと、頑張っていれば、勇気を出していれば。……それだけだから」


「おりちゃん……」


「孝巳。歌音。……おめでとう。……絶対に幸せになってくれ。織芽は、……織芽は、ふたりのこと、心から、――心から応援、するから……しているから……」


 それだけ言うと、織芽はさっとロードバイクにまたがって、


「織芽!」


「さよなら、孝巳!」


「織芽! ……アンタ、……元気でいてよ! 絶対に、絶対……」


 俺と歌音の呼び声。

 それは絶叫に近い声音だったが、織芽が振り返ることはなかった。


 俺は織芽と、本当に別れた。

 出会った光京中学から遠く離れた、この福岡の地で。


 走り去っていった織芽の、そう、俺の元カノになった彼女の背中を、風になびいた黒髪を、俺は生涯、忘れることはないと思った。




「ビーフ、オア、チキン?」


「あー、び、ビーフ」


「ちょっと。そんな会話でトチらないでよ。これから外国で暮らすんだから、アンタも日常界隈くらいできないと困るんだから」


「だ、大丈夫だ。いまのは舌を噛んだだけだ! 英語は歌音とみっちり特訓しただろ!? 大丈夫だ!」


 グアムに向かう飛行機の中である。

 俺と歌音はふたりで、軽口を叩き合いながら、やがて運ばれてきた機内食に舌鼓を打つのであった。


 あの福岡の旅行から、3年が経っていた。


 あれから俺と歌音は交際――

 といっても毎日のようにケンカをしたり、指相撲をしたり、一緒にアルバイトをしたり、エプシコーラをふたりで一気飲みしたり、けっきょくそれまでとあまり変わらない日々ではあったけれど。


 明るい歌音との生活は、やっぱりかけがえのないものだった。本当に楽しい時間を過ごすことができた。


 そしてなによりも俺たちは、ふたり揃って英語の勉強をして、高校を卒業したあと、グアムに語学留学をすることになったのだ。


 歌音にとって夢だった、英語の仕事をするための第一歩。……俺はその夢を、共に歩むことにしたのだ。


 そのためにいま、俺たちは、飛行機でグアムに向かっているのだ。


「しかし、いよいよ海外か。なんか、凄いことをしている気がするぜ」


「大変なのはこれからよ。ずっと英語で勉強して、そう、アルバイトだって英語でやらないといけないんだから」


「そうか、そうだよな。……英語のバイトか。高校生のときにやった、プールや古本屋のバイトとはレベルが違うよなあ」


「グアムのホテルが荷物運びのアルバイトを募集してるらしいから、まずはそこに連絡してみたら? 荷物運びなら、英語がうまくなくても、できるかもしれないわよ?」


「そうだな。とにかく飛び込んでみるよ。……」


「怖い? グアムで暮らすこと」


「いや」


 俺はかぶりを振った。


「大丈夫さ。俺たちふたりなら、どんなことでも乗り越えていける。そうだろ?」


「……。……アンタがそんなこと、言ってくれるなんて。……あの頃は、考えもしなかった」


 歌音は、照れたようにうつむいた。


 あの頃、というのは、高校時代のことだろうな。

 そうだな、いろいろあった。

 栞とも、瑠々子とも、……織芽とも。


 ――栞とは、家が隣同士だから、いまでもときどき会うし、会えば話もする。


 けれども、あの福岡旅行以来、彼女が俺の部屋に来ることはなくなった。学校でも、栞は女の子のグループにいるようになった。


 無理もない。

 こうなるのは当然だ。


 かえでからは、栞と付き合わなかったことにさんざん文句を言われたが、仕方のないことだと思う。


 そして高校を卒業したあと、栞は地元の大学に進み、俺とは進路が異なったため、生活の時間が合わなくなり、顔を合わせる機会も激減した。家は相変わらず隣同士なのにな。


 こうして、人間関係って、疎遠になっていくんだな。……俺が選んだ結果だし、後悔はしていないけれどな。


「そうそう、瑠々子がね、もしかしたらグアムに旅行で来るかもって」


「へ? どうして?」


「あの子、作家を目指してるじゃない? 新作はグアムの歴史をテーマにするから、取材したいんだって」


「マジかよ。やるなあ」


 俺は本気で感嘆した。


「夏休みには本当に来ると思うわよ。旅情報のブログとか、参考にしていたから」


「瑠々子が見るブログってどんなのだろうな。あとで教えてもらおうかな。俺も見たい」


 瑠々子とは、あの福岡旅行のあとでもわりとよく話をする。失恋はしたが、友達としてはいつまでも会いたい、というのが彼女の考えだった。


 そこまで言われて、拒否するつもりもない。俺と歌音は、ふたり揃って、いまでも瑠々子とはよく会うし、ラインもするし、3人で会うことすらあった。


 歌音はかなりのヤキモチ焼きで、俺がうっかり、学校で女の子と話をしようものなら、ガルガルを態度で示してくる。――アンタ、あとでお説教よ? ――アンタ、あとでエプシおごりね? ――アンタ、アンタ、アンタ……。


 なまじ心を読み合える俺たちだけに、歌音の怒りが完璧に理解できて怖かった。おーこわ。おーこわ。


 そんな歌音でも、瑠々子と話すときだけは焼きもちを焼かない。


「瑠々子だけは別だから」


 と、歌音は言っていた。

 中学時代からずっと続く友情がそこにあった。

 俺たちは、たぶん、瑠々子とだけはこれからも関係が続いていくんだろう。


 頑張って、作家になってほしい。

 俺も歌音も頑張るからな、瑠々子。


 ――最後に思い出すが、織芽。

 彼女とは、あれから二度と会うことはなかった。


 電話もラインもしなかった。

 歌音も栞も連絡をとらず。

 ただ瑠々子だけは、高校時代も、卒業後も、何度か会おうとしたらしい。ラインを何度か送ったらしい。しかしすべて未読スルー。けっきょく会えなかった、とのことだ。


 本当に、地元の人間関係からフェードアウトしてしまった、俺の元カノ。


 これは俺の選択の結果だ。仕方がない。

 しかし、織芽も、瑠々子となら会えばいいのにな。……もう光京の人間とは、会いたくないのかもしれないけど。


「ねえねえ孝巳、見えたわよ。グアム!」


「おおっ」


 飛行機の窓から、海の中にポツンと見えるグアム島が見えた。


 ここから、俺たちの新しい人生が始まる。

 俺と歌音はお互いの顔を見合わせ、そして微笑んだ。


 ――これからもずっと一緒。……大好きよ、孝巳。


 ――俺もだ。好きだぜ、歌音。


 言葉に出さずとも、通じ合える関係。

 それが俺と歌音。ふたりの関係だ。


 間もなく飛行機がグアムに下りる。

 新しい生活、大きな夢に向かって、俺たちふたりは、揃って、その第一歩を踏み出した。






『負けヒロインたちが俺に失恋したあとも、あきらめきれずに溺愛し続けてくるんだが?』 完




次回、扇原瑠々子。


明日、20時15分に投稿します。


そうです、マルチエンディングです。

 




 


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