第48話 神山家の真実(勝ちヒロインとの再会フラグ、すべて立つ)

 一軒家の中から出てきたのは、髪の白い女性だった。

 おそらく70歳くらいだろう。ジョウロを持っているのを見ると、庭先の花に水をあげにきたんだろうが、その女性は家の前に俺たちがいることに気が付くと、


「……どちらさまですか?」


 と、いぶかしげに尋ねてきた。


「あ、あの、俺たちは――」


 突然の家人の登場に、俺は慌ててしまったが、


「すみません。わたしたち、光京市から新幹線で来たんですけれど。この家に神山織芽さんはいらっしゃいますか?」


 栞がゆっくりとそう言うと、女性はぱっと明るい顔になって、


「あら、光京市から。ずいぶん遠くから来られたのね。もしかして、織芽のお友達ですか?」


「はい。織芽さんともう一度会いたくて、やってきたんです」


 栞の笑顔とあいさつに、女性はすっかり警戒心を解いたようだ。

 栞は俺たち4人の中で、もっとも普通の、真面目な高校生って雰囲気だからな。それに優しいオーラがあるっていうか。そういえば昔から、ご年配の方には栞が一番人気だった……。


「あらあら、そういうこと。ええ、大体分かりますよ。織芽と電話もできなくて、さぞお困りでしょう。……まあ立ち話もなんですから、中にお入りなさい」




 和室の客間に通された俺たちは、出された麦茶をそれぞれ美味しくいただいていたが、しかし改めて見ると、目の前の女性は織芽に目元がどことなく似ている。当然か。なにせおばあちゃんなんだからね。


「そもそも織芽は、高校から福岡市に行くことが決まっていたのよね。けれども福岡市内にマンションを買う計画が、予定より遅れてしまって。だから短い間だけど、この家に住んでいたわけね」


 なるほど。

 最初から、北九州の家には長く住むつもりはなかったのか。


「アンタ、そのへんちゃんと織芽に聞いておきなさいよ。かれ――いいえ、一番、あの子と、仲が良かったんだから」


 歌音が俺を突っついてくる。

 彼氏、という言葉をおばあちゃんの前で使うのは良くないと思ったのか、親友扱いになってしまったが。俺は頭をかいて、


「面目ない。いや、でも織芽だって言ったんだぜ。『北九州から新しい高校に通う』みたいなことを」


「最初の半月くらいは、本当に、うちから福岡市の高校に通っていたからねえ。ちょっと遠いけれど、まあ頑張れば行けない距離じゃないから……」


 おばあちゃんは、ニコニコしながら喋る。


「ところで、あの~」


 栞が口を開いた。


「わたしたち、おりちゃんともう一度会いたいんです。でも、電話をかけてもラインを送っても、ほとんど反応がなくて。どうしてなのか、それが分からなくて」


「ああ、あれは光彦が悪いのよ」


「光彦、っていうと……」


「織芽の父親。つまり私の息子だけれどね。織芽の成績や素行が、明らかに悪くなってきた。友達が悪い、スマホが悪いって言ってね、それで織芽からスマホを取り上げてしまった」


 俺たちは顔を見合わせた。

 ここでついに、長年――といってもここ3ヶ月くらいだが――の謎が氷解した。

 織芽はあの、厳しいお父さんにスマホを取り上げられていたのか。だから俺たちとうまく連絡が取れなかったわけか。


「途中から薄々、そんな予感がしてたわ。案外、普通のオチね」


「そう言うな、歌音。俺はこのオチで本当にホッとしたよ」


 本当に安心した。

 途中、織芽から短いとはいえ電話がかかってきたことがあったが、あれはたぶん父親の目を盗んでかけてきた電話だろう。


 だったら公衆電話からかけてくればいいのに、とも思ったが、スマホそのものが取り上げられているのなら、電話番号も分からないしな。


「そういえば、わたしたちのラインだけ既読がついて、たかくんだけ未読のときがあったよね?」


「それは私が推理するに、織芽さんのお父さんが娘のラインをチェックしていたのでは。その中でも、女性の友達からのメッセージはチェックしたが、男性の友達――つまり孝巳くんのメッセージはチェックするまでもなく削除した――」


「ぐ」


 ありえる。

 瑠々子の推理は恐らく正しい。

 娘によからぬ虫がつくのを警戒した、ってわけか。


 まあ、実際に織芽には、俺という虫がついたわけなんだが。

 そして、その虫は確かに排除寸前だった。俺はこうして九州まで追いかけてきたわけだが、もしも栞たちがいなかったら、俺ひとりだったら、心が折れて、そのまま織芽との関係は自然消滅していただろう。


「ああ、そうかい。あなたが、例の孝巳くんなのかい」


 おばあちゃんは、ふと気が付いたように言った。

 例の? どういうことだ?


「これこれ」


 おばあちゃんは立ち上がって、一度、部屋の外に出ると、1分と経たないうちに封筒を持ってきて――って、これはもしや!


「お、俺が織芽に向けて出した手紙!」


「ええ、そうですよ。この家にあなたの手紙が届いていたわよ。どうしようかずいぶん迷ってね。光彦は、そんなものを織芽に見せるなというしね。だからって捨てるわけにもいかなくてね」


 俺の手紙は、この家の、おばあちゃんのところでストップしていたわけか。

 織芽から返事が来ないわけだ。くそっ!


『お久しぶり! 孝巳です。福岡ではなにをしていますか?  久しぶりに話がしたいです。電話かラインをください』


「なんだか懐かしいわね、この手紙」


「孝巳くんが図書室に『手紙の書き方』を探しに来たことを思い出す」


「ああ、あのときは瑠々子の世話になったよな」


 いまにして思えば、あのときの瑠々子はどんな気持ちだったんだろう。

 彼女と疎遠になったひとが、それでも未練がましく手紙を書こうとしていたのを、どんな気分で見ていたんだ。


 瑠々子。

 クールに見えて、心の中では、一生懸命、俺に尽くそうとしてくれている女の子。

 彼女の誠意に、気持ちに、俺は応えないといけない。……必ず。


「わたしとしては、この手紙に返事を出すくらいしてもいいと思ったんだけどねえ。光彦がねえ」


「いや……でもまあ、僕としては、織芽に嫌われていなくてまずはホッとししましたよ。ははは」


「はははじゃないわよ。織芽ともう一度会うには、その厳しいお父さんを乗り越えないとダメなのよ? そのへん、分かってる?」


「は――」


 俺の馬鹿笑いを、歌音がたしなめてくる。

 あの厳しそうなお父さんを乗り越える、か……。

 それは確かに、厳しそうな……。


「光彦もねえ、織芽のことを可愛がりすぎてねえ。まあ分かるけれどもね。織芽が本当に可愛くて、成績もよくて、いい子だから。ついつい過保護になっちゃうのねえ。それほど成績が下がったり非行に走ったようにも見えなかったのにね」


「あの」


 俺は、意を決して顔を上げた。


「急に押しかけてしまい、本当に申し訳ありません。ですが、お、――僕たちは、織芽さんともう一度会いたいんです。……友達なんです。お父さんからしたら、不愉快な、悪い友達かもしれないけれど、それでも、もう一度だけでも会いたいんです。……織芽さんと」


「たかくんは、織芽さんと会うためにアルバイトを重ねて旅費を稼いだんです。だから、どうかお願いします!」


 隣の栞が、そう言ってくれた。

 栞……。栞からすれば織芽はライバルなのに。

 このまま俺と織芽と会わないほうが、栞にとっては絶対にいいのに。


 俺はチラッと栞の横顔を眺めた。

 栞は、困ったような微笑みを俺に向けてくれた。

 いつもの顔だ。しょうがないなあ、みたいな表情だ。


 ……まったく、こんなに可愛くてしっかりした幼馴染に、いつもこんな顔をさせて。いつも俺の世話を焼かせて。


 俺ってやつは……。

 ……栞……。


「アルバイトまでして、九州まで。……そうかね。……そうかね」


 おばあちゃんは、目を細めて、


「そうまでして織芽に会いたかったかね。……あの子は幸せだね。ここまでしてくれる友達がいてくれて。……分かりました。織芽の住所と、織芽の家の電話番号を教えましょう」


「本当ですか!?」


「ええ、ええ。それとわたしのほうからも、織芽と光彦に伝えておきますから。遠くから友達が来た。絶対に会いなさい、そして会わせなさいと。明日、あなた方は福岡市のほうまで行かれるんでしょう? そこで改めて電話をかけて、織芽と会ったらいいわ」


 そう言って、おばあちゃんはメモ用紙にサラサラとペンを走らせると、やがて俺たちのほうにその紙を差し出した。


 電話番号と住所が書かれてある。

 ここに織芽がいる。ここにいけば!

 織芽に、ついに会えるんだ……!




 俺たちはおばあちゃんに、何度も何度も頭を下げて、お礼を言ってから、折尾駅に戻り荷物を取って、福岡市に向かう電車に乗った。


 時刻は夕方だが、世界はまったく昼間のままだ。

 九州は光京市よりも、昼が長いのかもな。なにせ西だからな。


「ホテルの確認をするわよ。博多駅前にある、ビッグバーホテル。孝巳はシングル、あたしたちはトリプル」


「ねえねえ、たかくんの部屋に遊びに行っていい? いいよね~? 指相撲でもして遊ぼうよ~」


「なんで孝巳の部屋に行くのよ!? 孝巳があたしたちの部屋に来たらいいでしょ。トリプルで広いんだから。……それよりホテルの場所、誰か確認してよ。道に迷ったりしたら最悪よ?」


「心配ない。こんなこともあろうかと『福岡市 戦後のあゆみ 50年』も持ってきていて」


「るるちゃん、それ意味ないから。って言うか、それツッコミ待ちでしょ~」


「ばれた」


「瑠々子がさらっとボケるようになってくれて、あたしゃ感慨深いよ。……さて、ホテルの場所はいまあたしが確認したわ」


「おお~、さすがかのちゃん!」


「ふふん、任せなさい。あたしにかかれば余裕、余裕!」


 歌音は白い歯を見せた。

 歌音は大雑把に見えて、いつも頼りになる子だ。

 バイトを探し始めたときも、すぐにプール掃除の仕事を見つけてきてくれた。


 歌音がいなかったら、俺はいま、こうして九州にいないかもしれない。

 本当に、めちゃくちゃいい子だよな。……歌音。 


 電車はだだっ広い河川、その上に架かっている橋を走り抜けて、福岡に向かう。

 いよいよ織芽に会える。俺の頭の中は、そのことでいっぱいで。


 それと同時に。

 織芽と再会したそのとき、……その瞬間を最後に、栞たちとの友達の関係も、きっと終わってしまうんだと予感していた。


 この旅が終わるときには結論を出す。

 そう決めていたもんな。




 博多駅に着いたとき、世界は夕焼けの光に染まり抜いていた。



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