第45話 中学生編その2(後編) 記憶の中だけの彼女の声

 日曜日の夜。

 自分の部屋で、織芽について考えていた。


「あの厳しそうな父親。織芽、きっと叱られてるんだろうな」


 あれから後、織芽に『大丈夫? 叱られてない?』とラインを送ってみたが、既読がつかない。忙しくて読めないのか、それともスマホを取り上げられているんだろうか。


 ――がたがたっ。

 ――ガラリ。


「じゃんじゃじゃ~ん!」


「栞、もう夜だぜ。もうちょっと静かに入ってこいよ」


「うっ、正論。……いや、楽しい楽しいナイトパーティーにしようと思って~。ポテチ食べる?」


「食べる」


「食べるんかーい。わたしも食べる~」


 部屋に入ってきた栞とふたりで、うすしお味のポテチを頬張りながら、


「明日、織芽のやつ、ちゃんと学校に来るよなあ」


「おりちゃんのことで、そんなに考えこんでたの? 来るでしょ。お父さんに叱られたから学校欠席なんて、小学生でもしないと思うよ」


「それもそうだな……」


「でもおりちゃん、いいな~。わたし、たかくんにそんなことで心配されたことないよ~」


「そうか? そんなことないと思うけれど」


「そうだよ。……たかくん、ずっとおりちゃんのことばっかり。……いつもおりちゃんの話ばかりだし、おりちゃんのことばっかり見ているし」


「俺、そんなに織芽のことばかり見てる?」


「見てるよ。すごく見てる。……ねえ、たかくん」


 栞は、じっと俺のほうを見つめてきて、


「……おりちゃんのこと、好きなの?」


「え。……あ――」


「…………」


 奇妙な間ができた。

 悩んだ。好きなひとのことを明かすのは、誰だってしたくない。

 けれども、栞ならいいか、とも思った。栞にならば、秘密を打ち明けてもいい。


「好きだ。織芽のことが」


「ぶわっ!!」


「うお!?」


 栞は突然、大粒の涙を流し始め、


「ああああ~! やっぱりそうだった~! なんで? どうして!? わ、わたしというものがありながら! お母さんは、お母さんは悲しいよ~!? うっ、うっ、……どこが? おりちゃんのどこが好きになったの?」


「明るいし、優しいし、可愛いし、……全部だよ」


「あああああ、聞きたくない、聞きたくない~! 言わないで~!」


「自分から聞いてきたんだろ!?」


「だって、だって~! え~い、スピニング・トーホールド~!」


 ガッキ!


「うお!?」


 栞は突然、俺の足を両手で捕まえてねじりあげると、身体を何度も何度も回転させてひねりあげてきて――これは70年代に活躍したレスラー、兄弟タッグのザ・ファンクスが得意としていたプロレス技、スピニング・トーホールド!? 技が、技がガッチリ決められている!?


「ギブ、ギブギブ、ギブアップ、栞ィ!」


「イヤだ~! たかくんの足がねじり切れて再起不能になるまで攻めるんだ~! えっぐ、えっぐ!!」


 泣きながら恐ろしいことを口走る栞だったが、そのとき、天の助けとばかりに俺のスマホがピコンと鳴った。


 それも織芽からのラインだ。


「ちょわっ!」


「あっ、逃げた~!」


「足のつかみ方がまだまだ甘いぜ、栞。いま思い出したがこの技を栞に教えたのは俺だ。逃げ方も熟知しているのさ」


 言いながらスマホでライン画面を開くと、


『大丈夫だよ、ありがとう』


『孝巳たちの気分を害さなかったか、心配していた』


『ラインをくれて嬉しかった。サンキューだよ』


 3回、メッセージが送られてきた。

 俺は思わずニヤケ顔になりながら、


『気分を害してなんかいないぜ。また明日、学校で』


 と返してから、5秒ほど経って、笑顔のスタンプを送った。

 すると織芽からも、おじさんがニコニコ顔になったスタンプが返ってきたので、俺は本当にホッとしたものだった。


「……はあ~……」


 栞が、がっくりと肩を落とした。


「たかくんは本当、おりちゃん、おりちゃんだ~……。……はあ~……」


 えらくため息ばかりだな……。

 俺が織芽のことを好きだと、栞がどうして落ち込むんだ?

 分からん……。


 まあそっちはともかく、織芽のことをもう少し考えたい。

 このままじゃ、あのお父さんが原因で、いっしょに勉強したり遊んだりすることもできなくなりそうだしな。

 さて――




「みんな、心配をかけたみたいでごめんよ」


 月曜日の朝。

 教室にやってきた織芽は、俺たち4人を前にして、殊勝な態度でそう言った。


「別に謝ることはないでしょ。それより、ずいぶん厳しそうなお父さんね」


「ああ、ずいぶん厳しいよ。約束していた時間を破るとは何事だって、さんざん叱られた。……当分は、休みの日も塾以外では外出できそうにない」


 やっぱり、そうなったか。

 それなら――


「織芽。昨日、考えたんだけれど、これから放課後、塾も予定もない日は、学校で勉強しないか?」


「学校で?」


 織芽だけでなく、栞も歌音も瑠々子も俺のほうを見た。


「そうだ。それなら受験勉強もできるし、授業以外でもみんなで会うことができる。学校で勉強するなら、お父さんもさすがに文句は言わないだろう」


「そうだけれど……。放課後、みんなで教室に残るのかい?」


「そういうことなら、図書室でもいい」


 瑠々子が手を挙げて言った。


「どうせ放課後の図書室は誰も来ない。けれども勉強に使うなら、先生も許可をしてくれると思う。私は図書委員をやっていたから、分かる」


「それ、いいわね! 図書室なら他の生徒も来ないから、うっとうしくなくていいし」


「うっとうしいって思ってたのかよ、他の生徒のことを」


 意外だった。

 歌音は中学でトップクラスの美少女で、人気者だ。

 明るい性格だし、流行にも敏感だから、俺と違って誰とでも仲良くやっていそうなイメージだった。


「当たり前でしょ。あたしにだって合わないひとはいるわ。あと、たぶんあたしのこと嫌いなんだろうなって子もいる。でも人間関係って、そういうものじゃない?」


「歌音のことが嫌いな子、ねえ。俺には見当もつかないが。歌音って話していてすごく楽しい子なのにな」


「…………。いきなりそんなこと、不意打ちで言うなっ! ……照れるじゃないの……」


 歌音は顔を赤くして、プイとそっぽを向いてしまったが――

 けれど、そうか。歌音でさえ、合う合わないがあるわけだ。

 2年生のとき、学校で誰よりも孤立していた俺だが、好かれたり嫌われたりは、誰にだってあることなんだな。歌音でさえ、これだもんな。ひとを嫌いになったり、嫌われたりは、自分だけだと思っていた。


 みんな、同じようなもんか。

 なんだか、肩の力が抜けた気がした。


「ま、とにかくそういうわけだ。休みの日に会えそうにないなら、せめて放課後、一緒にいようぜ。どうだい、織芽」


 本音でいえば、ただ俺が織芽といっしょにいたいのだけれど。


「……ありがとう、孝巳」


 織芽が、目を細めた。


「織芽のために、そこまで言ってくれて」


「いや、織芽のためだけじゃないよ。みんなと勉強できたら、俺も助かるし」


 これも本音のひとつだ。

 ずいぶん追いついたけれど、他の4人と比べたら俺のほうがまだ成績は低いからな。


「……うん。……じゃあ、放課後、みんなで図書室でやろう。……受験まで、頑張ろう!」


 これで決まりだ。

 俺たち5人は、放課後に図書室で集まることになった。


「図書室を使ってくれるひとがいて、嬉しい。うちの学校は図書室を使うひとが少ないから……」


「瑠々子もありがとな。図書室を提案してくれて。俺は教室しか頭になかったけれど、図書室を使わせてくれるなら、きっと勉強もはかどるぜ。いっしょに頑張ろう」


「…………」


 俺は瑠々子の目をまっすぐに見据えながら言ったが、すると瑠々子は、なぜだか、ちょっと顔を赤くしてから、こっくりとうなずいた。――これまたどうしてだか、栞がしょぼんと肩を落としたのが見えた。ううう、とまたうめいていた。どうしたんだ、あいつは。


 この日の放課後から俺たちは、図書室で勉強をすることになった。

 みんなで勉強をすることで、俺の成績はさらに上がっていった。


 織芽は楽しそうだった。

 織芽だけじゃない、栞も歌音も瑠々子も。

 やっていることは勉強だが、5人が揃うと、たまらなく楽しかったのだ。

 




 それから半月ほど経ったある日のことだ。小さな事件が起きた。

 時刻は午後5時半。俺たちは勉強を片付けて、学校の正門を出たのだが、そのときだ。


「お父さん」


 織芽がふいに言った。

 その言葉通り、あの厳しそうな、背の高い父親が、正門の前に、仕事帰りらしいスーツ姿で立っていた。


「ど、どうして学校まで来ているの?」


「織芽がちゃんと勉強をしているかどうか、見に来た。なにしろお前には前科があるからな。友達と一緒に遊んでいないかどうか……」


「だからって学校まで来なくていいだろう!? 恥ずかしいから、やめてくれ!」


 織芽が珍しく、感情をむき出しにして食ってかかっていた。

 けれど気持ちは分かる。大して用もないのに、親が中学校まで来るとか、俺だって勘弁してくれと思う。


「なんだ、その態度は。父さんはな――」


 父親は鉄面皮を崩さず、織芽の前に立とうとする。

 そのときだ。俺は反射的に、一歩、前へ出て、


「あ、あの!」


「……なんだ?」


 織芽の父親は、じろりと俺を睨んでくる。

 こ、怖っ! 怖いが、俺はそれでも言葉を止めず――


「お、……か、神山さんはすごく勉強しています。俺たちの中で一番勉強しています。嘘じゃありません。俺にも教えてくれて、助かっています! 本当です!」


 守りたい。

 なんて、大げさなものじゃない。

 ただ、一度だけ帰りが遅くなったからって、父親が学校にまで来るなんて、織芽がかわいそうというか、なんていうか。……うまく言葉にできないが、そんなに叱るなよ、と俺は言いたかった。


 もちろん、それを言葉に出したらあんまり失礼だ。

 だからそこまでは言わなかったが、……とにかく俺は織芽をかばいたかったのだ。

 好きなひとが、困ったり泣いたり、むやみに怒られたり。……そんな姿は見たくない!


「……孝巳」


 織芽は目を見開いて、俺を見つめてきた。

 彼女だけじゃない。栞も、歌音も、瑠々子も。

 栞は目を細めて、歌音は目を見開き、瑠々子は何度もまばたきをして。


 そして織芽の父親は、じっと俺を睨んだあとで、それでも俺が引かないことを知ると、やがて小さくうなずいて、


「分かった。私の取り越し苦労だったな。……織芽、すまなかった」


「え!? ええ……あ、うん……」


 織芽は心底びっくりしたような顔で父親を見たあと、首肯した。

 それから、


「だが、今日はもう帰ろう。すぐそこのパーキングに車を停めているから。……いくぞ」


「う、うん! じゃあね、みんな」


 織芽は手を振って、父親といっしょに駐車場へ向かった。

 俺は呆然と、ふたりの後ろ姿を見送っていたが、やがて、バン、と背中を叩かれて、う、げほっ、げほっ!


「やるじゃん、孝巳!」


「あんなに怖そうなお父さんに、孝巳くん、よく戦った……」


「いや、戦ったってほどじゃ……げほ、げほっ」


「たかくんは、やればできるんだもんね~。……かっこいいたかくん。かっこいい! ふふふ~、ふふふふふ~!」


 なんだよ、みんな。いったい……。


 その日の夜、織芽からラインが来た。

 けっこうな長文のラインで、そこにはいろいろ書かれてあったが、要約すると、


『父親がすまないなんて言ったのは、初めて見た』


『かばってくれて、本当に嬉しかった』


『ありがとう』


 そういうことだった。

 俺はその長文ラインを見て、とりあえず、


『どういたしまして。また明日』


 とだけ返事をしたが、……内心、嬉しくてたまらなかった。

 俺の行動は間違いじゃなかったんだ。……織芽が喜んでくれた!

 織芽が、俺に、ありがとうって……。


 俺はその夜、何度も目を覚ましては、織芽から来た長文のラインを、最後のありがとうを、読み返して、読み返して、ひとりでニヤけていた。織芽、織芽。織芽! ……織芽のことしか、考えられなかった。


 翌日から、歌音の態度が変わった。

 やけに俺の前ではニコニコ笑うし、いやツンツンしているときはやっぱりツンツン歌音なんだけど、ときどき妙に優しくなったり、口ごもったりして。しまいには、


「あたし、アンタと同じ高校に行くわ」


 なんて言い出す始末。

 これには俺もびっくりして、なんでと尋ねたが、


「だって、アンタと一緒にいるほうが楽しそうだから」


 そんなことでいいのか?


「まあ、歌音がいいというなら、いいけれどさ。歌音と一緒にいたら、俺も楽しいし」


「ばっ、ちょ、ちょっと! そういうこと、……言わないでよ、もう! バカッ!!」


「なにがバカだよ!」


 こうして歌音は俺たちと同じ進路になる。

 5人は揃って同じ高校を目指し、一丸となって受験に向かい始めたのだ。

 中3の10月下旬のことだった。




「……あんなこともあったな」


 ずいぶん長いこと、昔を思い出してしまった。

 我に返れ、俺。本当の俺は高1の6月だ。テストに向かって勉強するんだ。

 しかし、あの中宮学時代がたった数ヶ月前の話ってのが、嘘みたいだな。


「織芽。絶対に、また会えるよな?」


 俺はスマホの液晶に目をやった。

 あのとき彼女が送られてきた長文のラインは、当たり前だがとっくの昔に流れてしまって、もう読み返すことができない。文面だけでもコピーしておくべきだったかな。でもそれも、なんだか違う気がする。


 こういうとき、スマホ文化ってちょっとアレだな、なんて思ったりもする。

 これが手紙だったなら、いつまでも取っておくことができるのに。

 いつだって、織芽の言葉に触れることができるのに。


「……会いにいくからな。織芽」


 心に決めた福岡行きまで、あと少しだ。

 夏休みは日々、近付いているのだ。


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