第43話 中学生編その2(前編) 主人公の覚醒

 夜である。

 俺は自分の部屋で、テスト勉強をコツコツと続けていた。


「……中学時代を思い出すな」


 当時の成績がどうのこうの。

 そんな話をしてしまったから、昔のことをつい思い出してしまう。

 あれは中3の5月の話だ――




「おはよう、孝巳。今日も景気の悪い顔をしているね!」


「……朝からケンカ売ってんの?」


「冗談、冗談。いやいや、失われた30年が続く日本経済、せめて表情だけはバブル経済、右肩上がりでいきたいものだと思ってさっ」


 3年1組の教室である。

 俺が教室に入るなり、あいさつ代わりに軽口を飛ばす織芽であったが、――そんな織芽を前にして、俺の後ろにくっついてきていた栞が、


「神山さん、わたしもいるんだけど。……ほんと、元気だね~」


「やあやあ、鈴木さん。今日も孝巳と仲良し登校、羨ましいことだね。いいなあ、織芽も孝巳と幼馴染でいたかったよ。今日から幼馴染にならないかい?」


「幼馴染って、なろうとしてなるもんじゃないだろ」


「そこは過去を捏造するわけさ。そうだね、織芽と孝巳は保育園時代、とっても仲良しこよしで、でも親の都合で小3のときに別れたって過去はどうだい? そして中学に入り、ふたりは涙とドキドキの再会――」


「だ、ダメ! ダメダメダメっ! 神山さん、それはダメ! たかくんの幼馴染はわたしなの。思い出の世界にまで攻め入ってこないで~! むうう……」


 中3になって、俺と織芽と栞は、揃って同じクラスになった。

 おかげで俺は、2年生のときよりグッと環境がよくなった。


 女の子とはいえ、どんなときでも話す相手がいるのはやっぱり違う。 

 それに、学校一の美少女である織芽がいつも一緒にいるおかげで、俺が他の生徒からからかわれる回数はぐっと減った。別に友達が増えたわけじゃないが、馬鹿にされる割合が減るだけでも去年とは雲泥の差だ。


 ――そんな朝の光景であったが、


「おはよ」


 俺たちの横を、スイッと通っていた金髪の女の子。

 天照台歌音だ。織芽に次ぐ中学の人気者。彼女も同じクラスである。


「や、おはよう、天照台さん」


「グッドモーニング。いつも3人で仲のいいことね」


「天照台さんも一緒にどうだい? いま、織芽と孝巳が実は幼馴染だったって設定で妄想して遊んでいるわけさ。ここに天照台さんが加わったらもっと熱い幼馴染になれると思うんだけどなっ」


「それもダメ~! 天照台さんまで入ったらわたし、たかくんに忘れられちゃう~! モブヒロインAになる~~!」


「ならない、ならない。大丈夫だよ、栞」


「幼馴染に熱さを求めてどうするのよ。……遠慮しとくわ。いまは1分でも受験勉強に時間を使いたいから」


「残念無念。ああ、そうそう、孝巳はエプシコーラが好きらしいよ。天照台さんもエプシ好きだよね? ふたりはきっとウマが合うと思うのだけれど」


「エプシ好きなんてそこら中にいるでしょ。織芽は違うの?」


「織芽はオカコーラ派だからね! いくら孝巳が相棒でもそこは譲れないのさ!」


「……はは、好きにしなさい。……あたし、もう席に行っていい?」


 天照台歌音が呆れたような笑みを浮かべている。

 と、そこへ、すいっ。……また俺たちの隣を女の子が通る。


 長い黒髪をポニーテールにしている女子生徒。

 扇原瑠々子だ。彼女は俺たちと一瞬だけ目を合わせると、黙って自席へと向かっていった。


 相変わらず、ひとと喋らない子だ。図書委員だっけか。

 といっても、俺も似たり寄ったりだから、気持ちは分かるけどな。

 ま、天照台歌音にしろ扇原瑠々子にしろ、俺とは縁が無い子だ。


 用事でもない限り、しゃべることもない。仲良くなる必要もない。敵対さえしなければそれでいい。俺はそう思っていた。




「というわけで、1組の体育祭実行委員はこのメンバーです。みんな仲良くね!」


「最悪っ! くじ引きってマジ最低。もっとヒマそうなのがたくさんいるのにっ!」


 織芽の言葉に、天照台歌音がブチギレる。

 放課後である。帰りのホームルームで、3年1組の体育祭実行委員が誰になるか。織芽が真っ先に手を挙げたが、担任から「神山は生徒会だろう。忙しすぎてダメだ」ともっともな指摘があり、ならばと俺が手を挙げた。クラスが「おおお」とどよめいた。うるさい。運動音痴が体育祭委員をやって悪いか。……織芽にいいところを見せたかったんだよ。


 俺が挙手すると、次に栞がさっと挙げた。

 ここまではよかった。……委員枠はあと2人。

 誰も手を挙げない。そこでくじ引きになった。


 当たったのが、天照台歌音と扇原瑠々子だった。


「受験シーズンなんだから、3年生は出なくていいのよ、こんなの。勉強させてほしいくらいだわ」


「でも天照台さん、実行委員を頑張って務めたら、推薦が貰えるかもしれないよ~」


「いらない、いらない。あたし、私立に一般で行くつもりだから。英文学科がある女子校。だから体育なんてやってる暇ないの」


「暇があろうがなかろうが、もう決まったものは仕方ないだろ。ちゃんとやろうぜ、天照台さん」


「むう。言ってくれるわね。……仕方ないわ。……ところで、なんで神山さんが体育祭委員の集まりにいるわけ? アンタ生徒会でしょ」


「生徒会として体育祭実行委員のみんなに、やるべきことを説明するわけさ!」


「あは、そんなこと言って。本当は脇谷くんと一緒にいたいだけじゃないの?」


「それもあるんだな。織芽は孝巳と話すのが楽しいから」


「「「っ……」」」


 笑顔の織芽が放った直球。

 俺は照れた。栞が赤くなった。

 天照台歌音でさえ赤面した。……扇原瑠々子は、クールなまま。よく分からない。


「さあ、冗談はともかく、説明を開始しよう。体育祭実行委員がやる仕事は――」


 と言って、織芽が実行委員の仕事を説明する。

 どこからが冗談よ、と天照台歌音が毒を吐いたが、小声だったので俺以外には聞こえなかったようだ。


 実行委員の仕事は、前日までの用具の準備と、テントの設置。

 さらに体育祭当日の白線引きなどの細かい仕事が大半だった。


「思っていたよりは、簡単そうだな」


「わたし、1年生のときにやったことあるから、たぶん今回も楽かも~。他のクラスの子もいるんだし、すぐにできるよ」


「しかしだね、鈴木さん。このままだとただの体育祭だ。なにか面白いイベントのひとつくらい、やってみたい。なにか良案はないかね?」


「そんなもの出してどうするの。体育祭なんて普通でいいのよ、普通で」


「……読書競争」


「お?」


 ずっと黙っていた扇原瑠々子が、ぽつりとつぶやいた。


「パン食い競争ならぬ読書競争。本を読みながら走る。走った順位だけでなくどれくらいちゃんと読んだか、ゴールした時点で計測する。読み飛ばしがないように読書感想文もつけて」


「それいい! 扇原さん、グッドアイデア! こういうの! こういうのを織芽は求めていたんだ!」


「あたしは求めないわよ!? なんで体育祭で本を読まないといけないのよ! 反対、反対!」


「だったら漫画読み競争なんてどうかな~。小説よりは楽に読めるし~」


「走りながら読むっていうのがキツイんじゃないか? ……いや、しかしそうなると、そもそもパンを食べながら走るってのも、考えてみると結構アレだな」


「さすが孝巳だ。そうアイデアは既製品に疑問をもつことから始まるのだよ。どんどんアイデアを出してくれ、みんな。ダメならあとでボツにすればいい! どうだい、天照台さん!」


「いきなりあたしにふるの!? だ、だったら、エプシコーラ一気飲みリレー、とか……」


「炭酸が苦手なやつもいるぜ。ここはオレンジジュース競争がいいんじゃないか?」


「ツッコむところ、そこなの!? そもそも甘い飲み物飲みながら走るってのがさ!」


「アイスクリーム競争とかだめかな~。早く走らないと、溶けちゃうぞ~っていう」


「……それなら氷のほうが用意も簡単。クリームは溶けると服がべたつく……」


「いいぞ、みんな。グッドだ。どんどんアイデアを出してくれたまえ! あっはっは、楽しくなってきたねえ!」


 ニコニコ顔の織芽を見て、俺はなんだか嬉しかった。

 やっぱり、織芽といると楽しい。そして俺は、織芽の笑顔をもっと見たい。

 できるならいつまでも、ずっと隣で――




 体育祭は大いに盛り上がった。

 俺たちだけじゃない、他のクラスや学年まで巻き込んで、みんながアイデアを出し、それを織芽がまとめて、先生たちと交渉し、できる限り再現したのだ。


 おかげでうちの中学校は、普通の中学校とはずいぶん違う、変わった体育祭になった。

 踊りながら走ったり、氷を口に含みながら走ったり。……聞いた話では、のちのち校長先生が偉いひとにけっこう叱られたらしい。


 だが俺は。

 少なくとも俺たち5人は楽しかった。

 気が付けば、あんなに消極的だった天照台歌音でさえ、実行委員を満喫していたほどだ。




 そう、このころからだ。

 俺たち5人がひとつのグループになり始めたのは。

 歌音と瑠々子も、俺たちの仲間になったのは。




「体育祭は大成功だったな。びっくりだよ、天照台さんや扇原さんまで体育祭を満喫していたもんな」


 体育祭が終わって2日後の生徒会室である。

 俺と織芽はふたりで生徒会の仕事をしながら、しゃべっていた。


「どんな生徒でも楽しめるような学校にする。それが生徒会に立候補したときの織芽の目標だったからね」


「それで本当にやり遂げるんだから、すごいよ。織芽って本当に前向きだよな」


「なんだって前向きになろうと思えばなれるものだよ。楽しむ気があれば散歩だって最高のレクリエーション。ほら、学校前にあるお地蔵様だって、調べたらきっと歴史があって面白いさ。うん、楽しい楽しい。よし、いまからお地蔵様を★5でレビューだ」


「地蔵に★5つ!?」


 スマホをいじって、学校前にある小さなお地蔵様を絶賛する織芽を見て、俺はやっぱり驚くしかなかった。やっぱり織芽ってなんかすごいわ。


「まあ、でも体育祭が終わったから、次はもう受験勉強に励むしかないね。秋の文化祭は3年生、不参加だからな」


 織芽は残念そうに言った。

 それを聞いて俺は「そうだな」なんて返したが、……内心は深刻だった。


 そうだ。

 受験があるのだ。

 このままいけば、織芽は俺よりずっと偏差値の高い高校に進学するだろう。


 そうなれば、もう俺とはきっと離ればなれになる。

 疎遠になる。そんな予感があった。


 嫌だ。

 織芽と離れるなんて、絶対に嫌だ。

 俺は勉強する。絶対に織芽の偏差値に追いついてみせる。


 それは、ただ織芽に追いつきたいとする決意、それだけじゃなかった。

 栞も、天照台歌音も、扇原瑠々子も、みんな俺より勉強ができて、さらに、料理ができたり、英語ができたり、本に詳しかったり、なにか特技をもっている。自分だけの世界を持っている。


 俺にはなにがある?


 周囲からバカにされてばかりだった2年生時代。

 それが運良く、織芽の相棒になれて、栞とも幼馴染で。

 天照台歌音や扇原瑠々子とも仲間になれて。……全部、運じゃないか。運が良くて、友達になれた。


 このままじゃダメなんだ。

 せめて、勉強だけでも織芽たちに追いつかないと。

 あいつらの仲間でなんかいられない。


 もちろん、恋愛や友情は偏差値だけじゃない。

 俺がどれほどバカでいても、織芽たちはきっと態度を変えないだろう。

 でも、俺の心がざわつくんだ。織芽たちの隣にいるのなら、いたいと願うのなら。


 やっぱり俺、努力しないと。

 頑張らないと、だめだ。


「織芽。俺、勉強するよ。めっちゃ成績上げる」


「おお? いきなりどうした」


「覚醒だよ。俺は目覚めた。織芽に追いつくくらい、俺は勉強ができるようになるから」


 俺の宣言に、織芽はなにかを察したのか、感じ取ったのか。

 ちょっと嬉しそうに笑って、


「だったら織芽も、追い抜かれないように頑張らなきゃね。……どうだい、孝巳。さしあたって、次の土曜日、図書館でいっしょに勉強しないかい?」


「……おう」


 この日から、俺の受験勉強ライフが始まった。

 中3の6月だった。

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