第38話 黒髪ロングさん、また告白する
古本屋の片付けバイトは、まず要らないものを捨てることから始まった。
燃えるゴミの袋の中に、店内の不要なゴミや、売れる見込みのない古本や古雑誌などを放り込んでいくのだ。
「もったいない気もするけどな」
しかし、何十年も売れていない本は、もう捨てるしかないと古本屋のおばあさんは言う。― 確かに、もうバラバラになっていたり、ヨレヨレになっている本もあったので、こういうのはもう捨てるしかないと俺でも思うけれど。
「欲しい本があったら、持って帰ってもいいよ」
と、おばあちゃんは言ったが、書店の本は古いものが多すぎてさすがに持って帰っても……。
いや、でも名作として有名な漫画の全巻セットもあるな。
読んだことはないが、名前は知っている。
「じゃあこれ、もらって帰ろうかな。全14巻ならすぐに読めるし」
「私も文庫本と、……この古雑誌をもらって帰る。中を見てみたい雑誌が何冊かあった」
「バイト代よりも、そっちが目当てだったんじゃないのかい? ほっほ……」
おばあさんは、楽しそうに言った。
「おばあさん、楽しそうだな」
片付けを続けながら俺は、隣の瑠々子に小声で言った。
「初めて会ったときのジロリ顔が、嘘みたいだぜ」
「打ち解けると、いい人なのかもしれない」
「第一印象で損をするタイプ、か。昔の瑠々子を思い出すな」
「……それは孝巳くんも同じこと。最初会ったときは、目も合わせてくれなかった」
「それは瑠々子だって――いや、お互い様か」
「そういうこと」
瑠々子は手を動かしながら、いつものクールフェイス。
ただ、目だけは細めていた。
中学3年生のときだ。
俺は図書室で、本を借りようとして、カウンターに向かった。
するとそのとき、図書委員だったのが瑠々子だ。
瑠々子は俺と目も合わさず、小さく会釈して、貸し出し手続きをしてくれた。
俺も、社交的なほうではなかったし、そもそも仲良くしたいとも思っていなかったので、彼女から目を逸らしていたのだが、
『やあやあ、孝巳! なにを借りているんだい? おお、歴史小説。なんだか面白そうじゃないかっ。扇原さん、織芽もなにか歴史小説を読んでみたいな。おすすめの本はあるかい?』
例によって、というべきか。
織芽がいきなり登場して、ニコニコ顔でしゃべり出した。
瑠々子はそのとき、明らかに戸惑っていたが、織芽のお願いを聞いて、なにやら歴史小説を2冊おすすめしていた。織芽は喜んで、それを借りていった。
それがきっかけだった、と思う。
俺はその次に、瑠々子と顔を合わせたとき、
『あのとき、織芽になにを貸したんだ?』
と尋ねてしまった。
すると瑠々子は、
『個人情報だから言えない』
と、つっけんどんに返してきたが、俺にとって、その答えはむしろ好印象だった。しっかり者というイメージを受けたのだ。
『もっともだ。織芽に直接聞いてみるぜ』
『そうして。……』
『でも、次に図書室に行ったときは、俺にもなにかおすすめしてくれよ』
それは多分に社交辞令だったのだが、瑠々子は俺の言葉を聞いて、少し目を見開いてから、
『分かった。本を用意しておく』
とだけ言った。
そして実際に、次に図書室に行ったとき、瑠々子は何冊かおすすめの本を用意してくれていた。
「なつかしいな。中学の図書室の話」
「織芽さんがいなかったら、私たちはきっと仲良くなることもなかった」
「そうだろうね。……ところであのとき、織芽に貸した本ってなんだったんだ?」
「司馬遼太郎の『燃えよ剣』上下巻。幕末の新撰組を題材とした歴史小説で、女性にも人気の高い作品だから」
「う。よく知らんが、けっこうガチめのやつっぽいな。織芽、それ、ちゃんと読んだんだよな?」
「3日で読んで、返してきた。土方歳三、最後の戦いが本当に良かったよ、と感想までくれた」
「織芽らしいな。つかみ所が無いくせに、けっきょく全部ちゃんとしていて」
「……意外」
「ん? なにが?」
「孝巳くんでも、織芽さんのことで、知らないことがあったのだと思うと」
「そりゃ俺にだって、織芽の知らないところは……あるさ」
「…………そう。……そうなの。……」
そこまで言って、ぴたり。
瑠々子はいったん、動きを止めて。
じっと、俺の顔を見つめてきて、……な、なんだ?
「孝巳くん。……私は」
「あんたたち、今日はもうやめておかないかい。もう夜になるよ」
おばあさんが、声をかけてきた。
店の外を見ると、確かに、もう暗くなってきている。
学校が終わってからそのままバイトをしたんだから、当然だな。
「今日はお帰りなさい。片付けは急がないから。もっとも、片付くまではちゃんと来てくれないと困るけれど」
「もちろんです。じゃあ、また明日の夕方。学校が終わったら来ていいですか?」
「ええ、そうしてくださいな。バイト代は、仕事が全部終わってから出すからね」
そう言って、お店を出ていこうとしたときだ。
「ただいま」
おじいさんが、店の中に入ってきた。
かと思うと目を丸くして、
「おや、珍客。若いひとがいるとは珍しいね」
「店の片付けを手伝ってくれているバイトの学生さんよ」
「おほ、そうですかい。どうもそりゃご苦労様です。いや、わしがやるべきなんだろうけれど、見ての通りの年寄りでね。今日も朝から病院だったんですわ」
「あなた、もう帰る学生さんに長話はしないで」
「おほ、そうだった。すまんね。じゃあ、バイトお疲れさん」
おじいさんは丁寧に頭を下げてくれた。
俺と瑠々子も、揃って頭を下げて、また明日もやってくるを約束して店から去ったのだ。
「いいバイト先だったな」
古本屋をあとにして、駅ビルに向かっていく道を、瑠々子と並んで歩く。
ふたりとも、カバンの中は貰ってきた本でいっぱいだ。
「おばあさんはいい人みたいだし、給料だけじゃなくて本も貰えたし」
「そう。私にとっても、理想のような場所だった」
「ああ、本に囲まれてるからな」
「……それもある」
も?
それ『も』ってなんだ?
なんだか思わせぶりな言い回しだな。
だが瑠々子は、そこには触れず、
「確かに、本に囲まれた未来は想像するだけで楽しい。私も本屋を経営してみたい」
と、瑠々子らしい夢を口にした。
「本屋か」
ふと、俺も空想する。
将来のことなんか、なにも考えてなかったけれど。
本屋も確かに悪くない。
いま、本屋さんは経営が大変らしいけれどな。
だけど想像するくらいなら、……うん、悪くない。
「俺と瑠々子のふたりで本屋をやるのもいいな。俺は漫画、瑠々子は小説を担当する感じで、小さな本屋をこの町の外れでやったりして」
「…………」
「ん?」
瑠々子がふいに沈黙する。
はてなと思って、彼女の顔を覗き込む。
すでに日が落ちているので、顔色はよく分からないが、赤くなっているようにも見える。
「……そう。まさにそういうこと」
「なにがだよ」
「私にとっての理想とは、そういうこと。……あの本屋は私の理想。本に囲まれていて、そしてあのおばあさんとおじいさんの夫婦。あの年齢になっても、仲が良さそうで」
「ああ、そういうことか」
「私もあのようになりたい。本屋をやりながら、結婚相手といつまでも仲良く」
「…………」
俺は思わず、息をのんだ。
瑠々子の言い方だと、まるで、俺と結婚して本屋をやりたいと。
そう言っているように聞こえる。いや、そうとしか聞こえない。
栞は俺のことがまだ好きだった。
歌音も俺のことがまだ好きだった。
ということは、もしかして、……瑠々子も?
いや。
いやいや。
落ち着け。冷静になれ。
勘違いをするな。
男の勘違いほど痛いものはない。
そうだろう、孝巳――
しかし。
瑠々子はずっと沈黙している。
何分かそのまま、俺たちは歩き続けた。
やがて、
「瑠々子」
俺が振り向いたとき。
もう俺たちは、駅ビルの前に到着していた。
それはつまり、瑠々子の自宅の近くということでもある。
「孝巳くん。送ってくれてありがとう」
「あ、ああ」
「アルバイト、明日も頑張ろう」
「お、おう。頑張ろう」
それだけ言うと、瑠々子はなんだか涼しい顔で、自宅マンションのエントランスへ入っていき、やがてオートロックの鍵を開けて、内部へと入っていった。
「なんか最後はあっさりしてたな……」
思わず独りごちた。
いや、あるいは瑠々子も照れていたのかもしれない。
だって、そうだろう。……結婚して本屋をやりたいなんて、あんなセリフを言うくらいだ。普通に考えたら――
『ぴっこーん』
「……ん?」
スマホが鳴った。
ああ、そうだ。すっかり忘れていた。
確か栞と歌音からのメッセージが、
『お知らせ 鈴木栞:メッセージが5件入っています』
『お知らせ 天照台歌音:メッセージが67件入っています』
「うっげ!」
軽くホラーじみた件数を目の当たりにした。
特に歌音。なんだよこの数は。
「はいはい、帰るよ、帰りますよ。今日はもう俺、おしまいだからな!」
誰に向かって叫んでいるのか。
俺はとりあえず、自宅に戻りながら栞と歌音にそれぞれ、瑠々子と急のバイトをしたことをラインで告げるのであった。
栞からは、心配したよ、怪我はない、一言なにか言ってほしかった、でも安心した、明日のお弁当はたくさん作るね――などなど、相変わらず母親みたいなラインが送られてきて。
歌音からは、……突然20件くらいラインがきて、そのすべてが『なんで瑠々子とふたりきりなのよ!』というブチギレラインだったので、俺はとりあえず、疲れてるからまた明日な、と返事だけして、そのまま家に帰って寝てしまったのだった。
疲れていたからね。
仕方ないね!
「ラインくらい、返しなさいよ!」
翌朝である。
栞と一緒に登校を開始。
通学路の途中で歌音とも合流。――その途端、歌音はかみついてきた。
「こっちはアンタのことを心配してラインしてたのよ? それをずーっとスルーして、やっと返ってきたと思ったら、疲れてるからまた明日ぁ!? 好きなひとから未読スルーだの既読スルーだのされるのは悲しいって、アンタ知ってるはずでしょ!?」
「スルーはしてないだろ、ちゃんと返事はしたわ! 大体、ものすごいラインを一方的に送られたらドン引くとか言ってたのも歌音じゃないかよ!」
「まあまあ~。ふたりとも、朝からケンカしないでよ~。暑いのがよけいに暑くなるよ~」
6月である。
初夏の日差しは、朝だというのにすでに強い。
ブレザー姿の俺たちだが、俺と歌音はすでに前のボタンを開けて、ラフな格好になってしまった。栞はマジメなので服装を乱さなかったが、暑そうなのは確かだ。
「こんなに暑くなるなら、夏服でくればよかったぜ。今夜、絶対準備する」
「あたしも。……ってか孝巳、ごまかさないでよ。古本屋でバイト? どうしてそういう流れになったのよ?」
「るるちゃんが昼休みに見つけた本屋さんでしょ? 今日もやるの? わたしたちも行けるなら行きたいなあ」
「来てくれるなら、おばあさんに紹介してみるけれど、片付けと掃除だからわりと力仕事だぜ? 髪も服もたぶん汚れるし」
「瑠々子が務まったのなら、あたしにだってできるわよ。ぜひ連れていってほしいわね」
「そういえば、るるちゃんまだかな? るるちゃんが遅れるの、珍しいね」
俺たちは、通学路の途中でずっと待っているのだ。
いつもここで、歌音と瑠々子のふたりと合流するのが日課なのだが――
「……ごめんなさい、少し遅れた」
「あっ、るるちゃん。おはよ――え」
栞が、手を口に当てる。
俺と歌音も、目を開いてしまった。
瑠々子は夏服だった。
真っ白な半袖カッターシャツに、赤いリボン。
チェック柄の入った、薄赤のスカートも似合っている。
しかし俺たちが一番驚いたのは、瑠々子の髪型だ。
彼女の髪型は中学時代から黒髪ロングストレートで、それがトレードマークだったのだが、いまの瑠々子は。
黒髪ロングなのは間違いないが、前髪を分けている。
昨日まで、ありのまま、というか、眉毛の上あたりまで伸ばし放題にしていた前髪を、左右に分けていて。
それだけなのに。
別人のようで、……すごい美人だった。
「るるちゃん、夏服だ! それになんか髪型違うくない~?」
「おはよう、栞さん。前髪を分けただけ。切ってはいないのだけど」
「へえ……。垢抜けたわよ、瑠々子。大人っぽい。綺麗!」
栞はともかく、歌音がここまで激賞するのは珍しい。
いや実際、今日の瑠々子は、服を変えて前髪を分けただけなのに、信じられないくらい綺麗だった。
「孝巳くん。昨日はお疲れさま」
「あ、ああ。お疲れさま。……どうしたんだよ、昨日の今日でイメチェンか?」
「そう。……昨日、本屋さんで貰って帰った雑誌の中にあった。夏になったら髪型を少しだけ変えてみたら可愛い、と。……古い雑誌だったけれど、それはもっともだと思ったから」
「まあ、そうだな。だけどやっぱり突然だな。いや、悪く言ってるわけじゃなくて、ちょっと驚いただけなんだけど」
瑠々子は昨日から急に、行動的になった気がする。
古本屋から雑誌を見つけてきたり、バイトをやったり、そして髪型を変えてみたり。
「……歌音さんが告白したと聞いて。……私も、もう少し、頑張らないといけないと思ったから」
「え」
「ん」
「お」
栞、歌音、そして俺。
3人はきょとんとした顔で、……しかし、この流れ。
おそらく、ある程度、誰もが想像をしていたであろう言葉を、瑠々子は言った。
「好き」
告白だった。
「私、孝巳くんが好き。やっぱりいまでも、好き。……だから、頑張る。……孝巳くんと付き合いたいから」
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