第37話 置いてけぼりヒロインの切羽詰まった感、からの古本屋でアルバイト

 5時間目の授業は体育だった。

 その体育が終わったので、着替えが終わった俺は、ひとりで水道のところに行って汚れた手を洗っていたのだが、


「た。……孝巳くん」


 瑠々子に声をかけられた。

 彼女も着替えが終わっていて、とっくにブレザー姿になっている。

 よう、瑠々子――と返そうとして、彼女の顔が変に険しいことに気が付いた。


 いや。

 険しいというか。


 いつも通りのクールフェイスなのだけれど、眉毛だけは逆八の字。

 少年漫画の主人公みたいな、やけに『キリッ!』とした顔で、


「わ。……私と本を読まない? 昼休みの間に、学校の裏にある小さな古本屋さんで買ってきた本があるのだけれど」


 一生懸命、といった感じの声音である。

 どうしたんだ、いったい。

 本を読む、だって?


「いいけれど、もうすぐ次の授業が始まるぜ?」


「すぐに終わる。読みたい本はこれ。本というよりも雑誌、なのだけれど」


 そう言って瑠々子が差し出してきたのは、


「『学生おすすめアルバイト』……これ、いつの雑誌だよ?」


「10年ほど前の雑誌。だから10円で買えた。残念無念なことに、今日は予算がなかった。……けれど、なにかの参考にはなるかもしれないと思い」


 瑠々子の参考文献シリーズか。


「古いといえば確かにそう。けれども、これしか思いつかなかった。……私だって、……歌音さんみたいに、孝巳くんとアルバイト、すぐにやりたい。……から……」


 そう言った瑠々子は、少し赤くなっていた。

 そうか。俺と歌音がバイトをした話を聞いたから、昼休みに慌ててバイト雑誌を買いに行ったのか。


「ありがとう、瑠々子。バイト雑誌を探してきてくれて」


「……古雑誌なのは、本当に申し訳ないけれど」


「いや、その気持ちだけでも十分嬉しいぜ。サンキュー」


 そう言うと、瑠々子はさらに赤くなってうつむいた。

 かと思うと「はっ」と言って、顔を上げ、


「いけない。こんなことで嬉しがっているだけではいけない」


「……? なんの話だ」


「なんでもない。それよりも、この雑誌を参考にして次のアルバイトを探すべき」


 そう言って瑠々子は、古雑誌をめくり始めた。


「おすすめのバイト、おすすめのバイト。……見つけた。まさにこれ。私が求めている情報はまさにこれ。『彼との距離が近づくバイト』!」


 彼との距離が近付くバイト?

 そのバイト、俺がやるべきバイトかな。

 俺がやりたいのは、短期で学生でもできるバイトなんだけど。


 しかし瑠々子は、自分の世界に入ってしまった。

 目の前の古雑誌を、食い入るように見つめて、


「まずはこれ。このシーズン一番のお近づきバイトは、スキー場!」


「いまは初夏だぞ」


「……。では次はこれ。メイド服で彼を悩殺。メイドカフェ!」


「瑠々子はともかく、俺はメイドカフェでバイトできないだろ」


「パチンコ屋さんもおすすめ。ギャンブルの話題で仕事帰りに盛り上がろう」


「俺、パチンコやらないし。そもそも未成年だし」


「…………」


 瑠々子は、そっと顔を上げて、


「孝巳くん、仕事を選り好みするほう」


「いやいやいや。ごく当然のことを指摘しただけだぞ」


「…………参考にはならない?」


「残念ながら、な。……大学生とかフリーターのひとなら、参考になるかもしれないけれど」


「…………」


 がっくり。

 と、瑠々子は肩を落とした。

 今度は、眉毛が綺麗な八の字になっている。

 表情だけはクールなままなのが、やっぱり瑠々子なんだけれど。


「……まあ、でもいろんなバイトがあるって分かったのはよかったよ。やっぱりありがとな、瑠々子」


「参考にならなければ意味がない。やはり10円で参考情報を求めたのが間違いだった」


「その古本屋もよく10円の雑誌を売るよな。学校の裏、だっけ? そんなところに古本屋があったんだな。知らなかった」


「大昔からありそうな、古本屋さん。一戸建ての中に古い文庫や雑誌ばかり平積みされていて、片付けがまったくできていない。地震でも来たら一大事」


「なんとなく想像がつくな。でもそういうお店が案外、掘り出し物なんかあって面白いかも。今度、俺も連れていってくれよ」


「うんうんうんうんうんうん!!」


「おお!?」


 瑠々子が突如としてウンウンと、首を何度も縦に振ったのでさすがにびっくりしてしまった。


「ぜひ。それはぜひ。いっしょに行きたい。いつでも、いまでも、すぐにでも」


「すぐには無理だ。これから授業だ。だから放課後――」


「合点承知。書店ならば私の領域てりとりー。任せてほしい」


 そんなわけで俺と瑠々子は放課後、古本屋に行くことになった。




「というわけで、ここが古本屋」


「いや、早くね!?」


 俺と瑠々子が学校裏の古本屋にやってきたのは、帰りのホームルームが終わって1分後のことだった。


 学校が終わった瞬間、瑠々子が俺の手をつかんで、それは強引に連れてきたからだ。

 栞と歌音が、孝巳の「た」の字を出した瞬間、俺たちはもう教室にいなかったのである。


「あーあ、栞たち置いてきちゃったぜ。いまからでも遅くないから、ここに呼ぶか?」


「……古本屋を少し覗くだけだから。私たち二人で十分と判断した。むしろ二人がいい。二人でいい。二人だけが素晴らしい」


「お、おお……」


 どうも今日の瑠々子は鬼気迫っているな。

 俺と歌音が二人だけでバイトをしたことや、歌音が告白をしたことが、瑠々子の中の何かを動かしているのか。


 そんなわけでやってきた古本屋だが、確かにそこは、築ウン十年という木造一戸建ての古本屋だった。


 入り口のガラス戸から店内を覗き込むと、六畳くらいの店内に本棚が立ち並び、何十年も前の漫画や文庫本、雑誌が並べられ、さらに店内の床の上にも本が積み上げられている。


「なーるほど。いかにも瑠々子が好きそうだな」


「そう。私はこういう店が好き。……入る?」


「せっかく来たんだからな」


 そんなわけで俺たちは、店の中に入った。


「…………」


 店の奥に、80歳ぐらいのおばあさんが座っていて、こちらをじろっと睨んできた。

 一瞬、気後れするが、そこからなにを言われるわけでもないので、俺と瑠々子は二人で店の中を見て歩く。


 といっても、それほど広くはない店だ。

 5分と経たないうちに、見るべきものはなくなった。


 悪いが、特に買いたいものはないかな。

 こういう店に入ったからには、1冊ぐらいなにか買ったほうがいい気もするが――


「孝巳くん」


 そのとき瑠々子が話しかけてきた。


「どうした? なにか欲しい本があったか?」


「いいえ。そうではなくて、あそこ」


 そう言って瑠々子が指さした店の奥には、一枚の紙が貼られていて、


『本棚整理 ゴミ捨て アルバイト 急募 給与応相談』


 と、マジックで雑に書かれていた。

 バイト!? 本棚整理!? それも急募ときた。


「昼休みに来たときには気が付かなかった。あのアルバイトをしたらいいのでは」


「そ、そうだな。時給がいくらか知らないが、話だけは聞いてみたいぜ」


 そう思った俺は、瑠々子と二人で「うん」とうなずき合ってから、奥で座っていたおばあさんに声をかけた。


「すみません。あそこで本棚整理とゴミ捨てのアルバイトを募集されているようですが」


「はいはい、していますよ。見ての通りの店内で、あたしも年なもんで片付けもようできん。そこを片付けてくれたら助かるんですがね、店内に貼り紙を出しているだけだから、誰もバイトに応募してこん」


 思っていたより、ずっとおしゃべりなひとだった。


「だったら、僕たちがやっていいですか? アルバイト」


「あんたたちが? ずいぶん若いけれど、大丈夫かね? ……いや、あたしよりマシか。じゃあ、お願いしようかね」


「やった! じゃあ、お手伝いします!」


「私も」


 こうして俺と瑠々子は、揃ってバイトに応募した。

 やったぜ。学校の裏にこんなバイト先が見つかるとは。


「ありがとな、瑠々子のおかげだぜ」


「私も嬉しい。孝巳くんの力になることができて」


 そして瑠々子は、むんと両手で握りこぶしを作って、


「チャンス。神が与えたもうたチャンス。絶対に、絶対に栞さんと歌音さんに追いついてみせる」


「なにが追いつくんだよ、瑠々子」


「なんでもない」


「……?」


「おーい、あんたたち。さっそくだけど、まず古雑誌をヒモで縛ってくれないかね」


「「はい!」」


 おばあさんの言葉に、俺と瑠々子は揃って声をあげた。


 その瞬間だ。ズボンのポケットに入っているスマホが震えた。

 この振動。ラインが来たな?

 俺はスマホを取り出してみると、




『お知らせ 鈴木栞:メッセージが3件入っています』


『お知らせ 天照台歌音:メッセージが48件入っています』




「…………」


 瑠々子と二人で学校を出たからだな。

 てか、48って。歌音、なにをそんなに送ってきたんだよ。


「孝巳くん。どうしたの」


「なんでもないっす」


 メッセージを開くのが怖かったので、とりあえず俺は二人を未読スルーして、それよりも目の前のバイトに励むことにした。


 すまん。栞、歌音。 


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