第36話 本気を出した負けヒロインふたりに主人公は陥落寸前である(なおひとりは出遅れる)

 月曜日の朝である。

 俺と栞が揃って家を出て、少し歩くと瑠々子が待っていた。


 あれ、歌音がいないなと思っていると、5秒も経たないうちに、


「おはよ」


 と、後ろから声をかけられた。

 歌音の声だ。俺たちは振り向いた。


 そこには確かに歌音がいた。

 手には、エプシコーラを2本持っている。


「暑くなってきたわね。はい、これ。朝エプシってさわやかでいいでしょ」


 歌音はそう言いながら、俺にエプシを差し出してくる。

 なんだ、いやに優しいな。俺は少し驚きながらエプシを受け取った。


「サンキュー」


「ん。あ、それと栞と瑠々子にもこれ」


 そう言って歌音は、カバンの中からペットボトルの麦茶を取り出して栞たちに差し出した。


「わ。ありがとう、かのちゃん」


「感謝」


「よかったぜ。俺たちだけエプシがあって、栞たちには無しかと思った」


「そんなことしないわよ。買う自販機が違ったからこうなっただけ。麦茶はどの自販機にもあるけれど、エプシはないときがあるから」


「健康志向ってやつだな。甘いもんは減っていく運命か」


「ふふん! そんな運命、あたしたちの手で変えてやるわ」


「かのちゃん、かっこいい〜」


「まるで少年漫画」


 そんなわけでいつもの4人。

 通学路で合流となり、俺は貰い物のエプシをありがたく喉に流しこんだわけだが、


「告白したから」


「ぶっ!?」


 歌音の言葉に俺は思わず咳き込んだ。

 た、炭酸が。炭酸が喉と鼻にっ……!


「ごほっ、ごーほっ!!」


「たかくん、大丈夫!? ……え、ええと、かのちゃん、告白って、どういうこと?」


「その通りの意味よ。あたし、この週末で孝巳に告白したの。……みんな、うすうす気付いてたかもしれないけれど、あたし、やっぱり孝巳が好き。だから告白した」


 無表情のまま続ける歌音。

 俺は咳き込み、栞は薄いピンクのハンカチを俺に差し出し、瑠々子はただ目を丸くしている。


「夏に、また織芽と出会うときまでに、結論を出せって言ってる。そのときになって、まだ織芽と付き合い続けるのか、それともあたしを……あたしと栞のどちらかを選ぶのか。それを決めてほしいって」


「本当に? ……たかくん」


「あ、ああ。それは本当だ。……しかし月曜日の朝からいきなり濃いお知らせだな、歌音」


「どうせそのうち言うべきことでしょ? なら早いほうがいいわ。あたしは楽だし、アンタもそうでしょ」


「まあ、それはそうだけど」


「そういうことよ、栞。……また、こういうことになったから。あたし、孝巳が欲しいの。相手が誰であれ、孝巳を譲りたくない。……だから告白したの」


「え、ええ……? うう、かのちゃん、これは急展開〜……」


「なにがよ。真っ先にリベンジ告白した栞に言われたくないわ」


「うう、それはそうだけど。ううう」


「ついでにこれも言っておくわ。あたしと孝巳、土日はプールでバイトしたから。……ふたりでね」


「ふえ!? ……え、ほんとに!? たかくん!」


「それもマジだ。いやこれは本当にバイトだ。歌音がいきなり見つけてきて、募集がふたりだったから、とりあえず俺たちだけで。……それも今日中には言うつもりだったぞ!」


「そういうこと。いまの孝巳の言葉に嘘偽りはないわ。……でも楽しかったわ、ふたりで水着アルバイト! あれひとつでもすでに青春の1ページって感じ〜?」


「あ、う、あうあうあう……」


 栞が完全に押されている。

 歌音……攻撃のテンポが早い!

 先に告白したり、俺と映画館でデートしたのは栞なのに、ここにきて一気に歌音のほうが俺と親しくなったみたいな雰囲気だ。


「ま、そういうこと」


 しかしすぐに、歌音はすっと真顔に戻り、


「告白した以上は、あたしもう、照れたりしないから。……夏までに、織芽とまた会うときまでに、あたしのほうに孝巳の気持ちを向けさせてみせるから。それがあたしなりのやり方だから。……そう決めたから」


 照れたりしないと言いつつ、そう言った歌音の頬は少し赤くなっていたが、それだけに彼女の覚悟と気持ちは俺に伝わってきた。


「……絶対、孝巳を、あたしのほうに振り向かせるからね」


「…………」


 ストレートな好意。

 赤面しつつも、まっすぐに見つめられながらそう言われると、照れるし、……正直ちょっと嬉しかった。


「……さ、行くわよ。一時間目、日本史よね? あー、なんか微妙。あたし歴史苦手なのよね〜」


「ま、待って、かのちゃん。ちょっと待って……!」


 わざとらしいセリフと共に、少し早歩きになって学校に向かう歌音と、それに続く栞。


 俺は呆然としながら、とりあえずエプシをぐいっと飲んで、一度大きく息を吐いた。


 織芽とまた会うときまでに俺の気持ちを動かす、か。


 そんなこと……。俺の気持ちが、織芽から動くなんてそんなこと、あるはずが――


 織芽……。


「……ん?」


 ところで。

 なにか忘れていると思って振り向いたら。


「……告白。……アルバイト。……ふたりきり。……青春。……織芽さんと。……また会う日までに……」


「瑠々子!?」


 顔を蒼くしながら、ブツブツ言い続ける瑠々子がそこにいた。

 明らかにショックを受けているらしい瑠々子は、


「出遅れた。また出遅れた。……またしても不覚」


「瑠々子、大丈夫か? 顔が蒼いぞ……」


「……大丈夫。少しばかり、熱が出て頭が痛くて耳鳴りがしそうなだけ」


「明らかに少しじゃないだろ、それ」


「大丈夫。……大丈夫じゃないかもしれない。でも大丈夫……。でも、どうすれば……」


 ブツブツ言いながら、ゆっくりと歌音たちを追いかけていく瑠々子。

 動きがほとんどゾンビに近い。


「ちっとも大丈夫に見えねえ……」


 右へフラフラ。

 左へフラフラ。


 蛇行運転の瑠々子を後ろから見つめながら俺は、とりあえず4人全員が無事に学校へたどり着けたらいいなと思っていた。




「は~い、たかくん。お昼ごはんだよ~!」


 どん。

 と。


 俺の前に大量のお弁当が並べられた。


 昼休みである。

 教室の片隅で、いつものように俺たち4人のランチタイムが始まった。

 栞はいつものように、俺のためにお弁当を作ってきてくれたのだが……。


「量、多くね?」


「ん、うん! ちょっと作りすぎちゃった~! でも味は大丈夫だから。ね、食べて食べて。たかくんの大好きなハンバーグとエビフライとポテサラ、ミニトマトも入ってるよ。そしてそして、なんとごはんは2人前。しかも! タマゴふりかけと鮭ふりかけがかかっているのです! こりゃたまらない、この幸せ者~! さ、食べて食べて!」


「……栞さん。栞さんのお弁当は、どこに?」


 瑠々子がやんわりとつっこんだ。

 そう。栞の目の前にはお茶しかないのである。


「え!? あ、あはは、わたし、自分の忘れちゃった~。でも気にしないで! わたしはかすみでも食べて生きていけますから~。ぱくっ、ぱくっ、ああ、美味しいなぁ~」


「いやいや、仙人じゃないんだから。俺の食べろよ。分けて食べようぜ」


「孝巳、アンタ鈍すぎよ。栞がお弁当を忘れるわけないでしょ。栞はね、自分のお弁当を孝巳に食べさせようとしてるの」


「え? な、なんで……」


 そう言いながら、よく見たら、確かに俺の目の前にある赤い弁当箱は栞のものだ。


「あたしが孝巳に告白したって聞いたから、自己アピールするために、慌てて自分の弁当を孝巳に献上ってわけでしょ? 分かりやすいわよ、栞」


「う、うう。名探偵かのちゃん、なんでもお見通しすぎ~」


「マジかよ。……栞、そこまでしなくていいぜ。それに、目の前でハラペコになった栞がいたんじゃ、俺も喜んで満腹になれないし」


「そう言っていただけると……。……わたし、実はお腹がすいています。……食べるよ~。ありがたく食べますよ~。うっうっうっ。……あ、めっちゃ美味しい。自分で作ったお弁当だけど美味しすぎる~!」


 栞は一気にニコニコ顔になった。

 やっぱり栞は笑顔のほうが可愛い。

 だけど、いきなり弁当を差し出してくるとはなあ。


「と、そこで孝巳! ここからはあたしの出番!」


「うおっ!? なんだ歌音!?」


「さっきの休み時間で買ったエプシコーラ、初夏限定スイカ味がここにあります!」


「なに!? ネットで話題になってたあれか!? もう発売されてたのか!?」


「一生の不覚ね。脇谷孝巳ともあろう者が、エプシの新商品が出たことに気付かないなんて。……おっと、もう売店に行っても無駄よ? あたしが買ったのが最後だったからね」


「く。の、飲みたい。欲しい、そのエプシ!」


「あげてもいいわよ。その代わり条件があるわ」


「なんだ? なんでもするぞ」


「あたしと指相撲をしなさい! あたしに10連勝したらプレゼントするわ!」


「オッケー、カマーン! 何百回でもやってやるぜ! カーン!」


 みずからゴングの音を叫んで、俺と歌音は指相撲に入る。

 俺は指相撲には目がない。エプシと並んで目がない。両方並べられたら、俺はもう指とエプシのことしか考えられなくなってしまう。


「くそっ、このっ、なんと! そりゃ……!」


「甘いわね、孝巳! 欲が前に出すぎて動きに乱れがあるわ!」


「くっ……俺としたことが、心に乱れがあるのか!? う、うおおおっ……!!」


「たかくん、目が本気だ! そうだよね、自分でゴングを鳴らすくらいだもんね~!」


「ゴングを鳴らすのはプロレスでは。指とはいえ相撲ならば、はっけよいでは」


 瑠々子が淡々とした口調でツッコんできたが、もう俺にとってはどうでもいいことだった。エプシ、指。エプシ、指。エプシ、指!


「んぐうぐぐぐ、うおおっ! 決めるっ!!」


「きゃっ! う、ううっ……負けたわ……!」


「よっしゃああ! 勝った! まずは一勝だ!」


「たかくんやったあ~! さすが光京小学校指相撲横綱~!」


 俺は栞と共に歓喜の雄叫びを上げた。

 だが勝負はあと9回残っている。まだだ、まだ終わらないぜ、一気に勝負をつけてやる――


「……う」


 だが、俺はふと気付いてしまった。

 歌音と指を絡めていると、つい先日、彼女に言われたことを思い返してしまう。


『あたしといると、楽しいでしょ?』


 気が付けば、俺は歌音のペースに乗せられている。

 目の前で、ニヤッと笑う歌音の表情を見ていると、彼女の心の中が透けて見える。


『あたしと指を絡ませるの、楽しいでしょ? あたしといると、幸せでしょ?』


 これは……。

 歌音なりの自己アピール。

 栞が俺に弁当を差し出してきたように、歌音もまた、俺にエプシの新味と指相撲を使ってアピールを……!


 ヤバい。

 ダメだ。

 このままじゃ、俺の頭が栞と歌音に染まってしまう。

 織芽のことを忘れてしまいそうになる。ダメだ、ダメだ!


「……待った、歌音」


「なによ」


「暑い。……上着を脱がせてくれ」


 そう言って、俺は歌音から指を離し、上着を脱ぐ。

 クールダウン。クールダウン。冷静になれ、俺。


「ちぇ、いいところだったのに……。ま、でも仕方ないわ。実際、暑いし」


「夏服、来週からだよね~。今週からでもいいのにね~」


「あたしたちも脱ごっか」


「そうだね~」


 そう言って、栞と歌音がブレザーを脱ぐ。

 長袖カッターシャツの姿になった。すると、う、うぐっ……。


 見慣れている栞と歌音が、やけに可愛く見えた。

 ただブレザーを脱いだだけなのに、なんだこれは……!

 ダメだ。改めて思うが栞たちは可愛すぎる。近くにいたらそれだけで意識してしまう。く、くくく……。


「たかくん? どうしたの?」


「……ふうん……なるほど」


 歌音は、じっと俺を見つめてきたが、やがてニタっと笑って、


「ね、孝巳。アンタから見て、カッターシャツ姿の女の子ってどんな感じ?」


「ど、どうって……」


「こうやって、隣にいたら、嬉しかったりする……?」


 そう言って歌音は、俺の隣に座って、……そう、俺が座っている椅子の一部分を占拠して、着席したのだ。


 これは、隣というよりもはや俺の席にいっしょに座っているも同然。

 そして確かに、こんなにすぐ近くに薄着となった女の子がいるのは、俺の心を明らかにざわつかせる。つかせるが――


「ど、どうかな。まあ普通、かな……?」


「普通ってことないでしょ。いかにも嬉しそうにしてるくせに。アンタ、この学校の制服、大好きだもんね」


「い、いや、そんなことは……」


「かのちゃん、ちょっと……だ、大胆すぎるよ~!」


「人前で孝巳を抱きしめてた栞に言われたくないわね……。……あたしはね、こう孝巳に告白したの。だったらあとは、いかに好きかを伝えるだけ。……そりゃ……恥ずかしいけれどね」


「う~……。だ、だったら、わたしもやる。わたしもたかくんの席に座りたい!」


「お、おい、ちょっと待て――おお!?」


 こうして俺の席には、真ん中に俺。

 左側に栞、右側に歌音が座ることになった。

 身体は完全に密着状態。おしくら饅頭よりずっとヤバい。


「どう、孝巳。遠距離の彼女より、近くにいる女の子じゃない?」


「……た、たかくん。……どう? お弁当、このまま食べる? はい、あーんって」


「よ、よせ、よせよせ。このままじゃ俺は、俺は……!」


 両脇に抜群の美少女たちを従えて、ハーレムの王様みたいになった俺である。

 頭の中が、栞と歌音のことばかりになってきた。栞、歌音、栞、歌音……!


「……出遅れた。……本当に出遅れた。……どうしたらいい……」


 頭の中が熱暴走していた俺である。


「こうなったら、こうなれば……」


 目の前で、瑠々子がひとり、やっぱりブツブツ言っていることに、まったく気が付かなったのだった。




 その後、指相撲9回勝負はきっちり行った。

 俺は勝った。当たり前だ。指相撲で俺が負けるわけがないのだ。

 なお戦利品のエプシコーラ限定版は、昼休みの前の時間に購入したものなので。


 ぬるかった。


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