第33話 ツンデレヒロインさん、水着回(と、大事な話があるそうです)
金曜日の夜である。
自宅にいると、突然、歌音から電話がかかってきた。
「はい、孝巳」
『孝巳、プールに行くわよ!』
唐突な申し出だった。
「プール? いつだよ」
『明日と明後日。つまり土曜と日曜ね。……ああ、プールっていっても遊びに行くわけじゃないの。光京山のふもとにある、大きい温水プール、知ってるでしょ? あそこが掃除のバイトを募集してたのよ!』
「なに、バイト……」
『それも高校生可で急募。時給950円で朝10時から午後5時まで。さっき電話したら、明日にでも来て欲しいって言ってたわ。本来、雇う予定だったひとが急にやめちゃったからってさ』
「マジか! プール掃除のバイトか、いいな!」
バイトの経験がない俺だが、掃除なら仕事の想像もつく。
なんとかやれそうだ、と思った。
「よし、やるぜ。……あ、そうだ、栞たちにも声をかけたほうがいいよな?」
『あ、それ。残念だけど2人しか募集してないって言ってたわ。だから今回はあたしたちだけで行かない?』
「2人か。まあ、向こうが2人っていうなら、2人だよな。それで、どうしたらいい? 俺もそのプールに電話したほうがいいかな?」
『ううん、話はもうつけておいたから。明日の朝9時にプール前に来てくれって。急な話だから履歴書は要らないけれど、保険証と、高校生なら生徒手帳、あと濡れてもいい服、つまり水着を持ってこいって言ってたわ』
「手回しがいいな、さすが歌音だぜ。だけど、俺がもし明日、予定があるって言ったらどうするつもりだったんだ?」
『それこそ栞か瑠々子でも連れていったわよ。じゃ、明日のバイトの話、オッケーね?』
「オッケーだぜ。バイト見つけてくれてありがとな、歌音」
『ん……。ど、どういたしまして。……まあこのあたしにかかればね、バイトくらいすぐに見つけるから! ……じゃあ、明日、9時ね。遅れないでね!』
「おう、任せとけ!」
電話はここで終わった。
いよいよ人生初のバイトだ。
緊張するが、頑張らないとな!
そんなわけで翌日。
プール前にやってくると、他にも10人ほど、学生らしき男女が揃っていた。
みんな近くに住む高校生や大学生で、プール掃除のバイトに来たらしい。
そんな中、俺と歌音は合流し、プールの運営会社の人から手渡された、黒いシャツとハーフパンツに着替え(もちろん、男女の着替える場所は別だ)、屋内型温水プールの掃除にとりかかったのだ。
透明なドーム型の屋根がかけられている室内には、25メートルプール、50メートルプール、水深3メートルプール、幼児用プールがそれぞれ揃っている。
運営会社のひとが言うには、このプール、冬用の温水プールが先週で終わり、再来週から夏用のノーマルプールになるらしい。夏用になる前に、一度大掃除をするために、短期バイトを雇うことにしたそうだが、
「……計算外だわ!」
水が抜かれた25メートルプールを、ブラシでゴシゴシしながら、歌音が俺の隣でぼやいた。
「なによ、このダッサい服! 完全に黒ずくめじゃないの。学校の体操服のほうがまだマシだわ……!」
運営会社から渡された、掃除用の黒シャツとハーパンが、よほど気に入らなかったらしい。歌音は文句を垂れながら、それでもいちおう手を動かす。
「そりゃ、仕事着なんだから当然だろ」
「だってさあ、水着を持ってこいなんて言うから、気合い入れたの持ってきたのに、黒シャツのせいでなんにも見えないのよ!? ……これじゃ古着でもなんでもよかったじゃない」
歌音は、黒シャツの下に一軍の水着を着ている、らしい。
だがシャツが真っ黒なので透けてさえ見えない。
なお俺も、シャツとハーパンの下には持参した水着を着ている。
当然の話なのだが、プール掃除のバイトなので、濡れてもいいように、服の下まで水着を着ているってわけだ。
「ううっ。あたしは、あたしはさ、可愛い水着を着て、キャッキャッってはしゃぎながら働きたかったのよ。水をかけたりかけられたりで、やったなーこいつうー♪ みたいなのさあ」
「そりゃさすがに考えが甘すぎだろ。……ほら、会社のひとがこっちに来るぜ。おしゃべりしてると怒られるぞ」
「うっ。……わ、分かったわよ」
俺と歌音は、無言でプールをみがき続けた。
スイッチが入った。
俺たちはひたすらに掃除を続ける。
途中、昼休みを挟んで、午後もまた掃除だ。
「ふう……」
ここは屋内プールなので、空調は整っているはずだが、掃除を続けるとさすがに汗だくになってきた。
「ああ……せっかくの一軍水着がこんなことで汗まみれよ」
また、歌音がぼやき始める。
とはいえ、手はちゃんと動いているし、近くに会社のひともいないから、あまり俺も咎める気にはならず、
「こんなことなら、二軍水着で来るべきだったか?」
なんて、軽口を叩く。
「二軍水着ってどういう水着よ」
「例えば、中学のときのスクール水着とか」
「嫌よ、そんなの。……え、まさか孝巳、スク水が好きなの!?」
「ひとを変態みたいに言うなよ。別に好きとは言ってないだろ、要らない水着ってだけで」
と、ここで思い出す。
そういえば俺たちの中学は、男女で水泳の授業が別だった。
田名部と前に話したとき、驚かれたから、たぶん珍しい例なんだろうけど。
おかげで男子の一部がわめき散らしていたっけ。
女子の水着が見たいとか、どうとか。
まあ、しょうもない話なんだが。
「……あれ?」
そこで俺はさらに思い出した。
俺、確か歌音のスク水姿を見たことがあるぞ?
そうだ、あれは中3の9月。
まだクソ暑かったころだ。
女子は水泳の授業で、男子は音楽の授業で。
俺は当時、音楽係をやっていたから、授業が終わったらプールの裏手にある音楽準備室でみんなが使った楽器の片付けをやっていて――
『
そう、いきなり声をかけられたんだ。
なんだと思って振り返ると、水泳の授業を終わったばかりらしい歌音が、濡れた金髪を鎖骨のあたりにべったり貼りつけながら、――ニヤニヤしていて。
『やっぱり、ここにいた。マジメに片付け、やってるじゃん』
『そ、そりゃやるよ。天照台さんこそ、なんでここに?』
『え? あ、ああ……ちょっと涼みに』
涼むのになんで音楽準備室に来るんだ?
当時の俺は頭がはてなマークでいっぱいだった。
『ね、それよりさ。脇谷に聞きたいんだけど』
『な、なんだよ』
『ちょーっと、女の子の間で話になったんだけどさあ』
そのときの歌音は、にやにやしながら、
『男子ってさ、女子のスクール水着大好きらしいよって。……まじ?』
『うえ!?』
『ちょ、声が大きい! もう、誰かに見られたらどうするの!』
理不尽にも怒られた。
そっちが勝手に、水着姿でここに来たくせに!
当時の俺はそう思った。
『……ね、どうなの? ね、ね、ね。……やっぱり水着姿とか見たら、……嬉しい? 気になる? えっと、……水着の子を見たら、好きになっちゃったり、する?』
なに言ってんだ!?
俺はいよいよパニックになった。
いや、まあ、本音で言えば女の子の水着姿は、……好きです。
嬉しいです。
幸せです。
たまらないです。
……なんて本音、さすがに恥ずかしくて言えねえよ!
そして、さらに言うならば、
『水着を見たからって、いきなり好きになったりはしないよ。マジで』
それは本音だった。
水着姿の歌音は確かに可愛かった。
さすが光京中学校で1、2を争う美少女だ。
けれどそれだけで、好きになるまではいかない。
と、俺は正直に答えたのだが、歌音はいきなり、かーっと赤くなると、
『な、なによそれ。話が違うじゃない! じゃあ、あたしはなんのためにこんなところまでやってきたわけ!?』
『知らないよ! 天照台さんがいきなり来たんだろ!?』
『も、もういいわよ! ……あーもう! あーもう! もうもうもう! バカみたい、バッカみたい!! 帰る!!』
『おい、まだ昼だ。学校があるんだぜ!?』
『教室に! 帰るって! いう意味なの!! マジメに突っ込まないで!! あーもう、あーもうっ!!』
歌音はひとりで激高しながら、音楽準備室から出ていった。
『なんだったんだ、いったい……』
『た~かみ~』
入れ替わりに、織芽が入ってきた。
こちらは半袖のカッターシャツに制服のスカート姿。
もう着替え終わったらしい。クセッ毛じみた髪が、水に濡れている。
『織芽』
『音楽の片付けお疲れ様。ここにいると思って、生徒会長から麦茶の差し入れさっ。ままま、ぐいっと飲みな、ぐいっと。ふっふ~』
『ああ、サンキュー』
俺は織芽が差し出してきたマグボトルを開けて、……口はつけずに、冷たい麦茶をぐいっと飲んで。
それにしても。
歌音はどうして、スクール水着で音楽準備室に来るなんて暴挙に出たのか――
「思い出すなあぁぁっ!!」
「うわあっ!?」
歌音の怒鳴り声で、俺は現実に帰ってきた。
「いま絶対、昔のこと思い出してた。そんな顔してた! なんでそんな昔の話、細かく覚えてるのよ!?」
「いや、だって、音楽準備室にスク水で登場されたんだぜ!? そりゃ忘れられねえよ。一生もんの記憶だろ!?」
「それほどの記憶なのに、最後はけっきょく織芽が出てくるし! あたしは思い出の中でも引き立て役なわけ!? くうううう……」
心底、悔しそうな顔の歌音であった。
「いや、織芽はたまたま本当に来たからさ……。っていうか、俺の表情からよくそこまで読み切れるな。異能でもあるのかよ、歌音は」
「分かるものは分かるんだから、……しょうがないでしょ」
歌音は、そう言ってから、そっと目をそらして、
「でも当時のあたしのこと、覚えててくれて、ちょっと嬉しかったわ。例え織芽のついででも、ね」
「別についでってことはないんだけど。……ほんと、なんであのとき、水着で準備室まで来たんだよ」
「なんでって、それは。……アンタのことが好きだったから、アピールしたかったに決まってるじゃない」
う。
俺はぴたりと動きを止めた。
そうだった。
軽口ばかり叩き合うから、うっかり忘れてしまいそうになるけれど、歌音は俺のことが好きだったんだよな。
でも、……そうか。
あの水着事件さえ、俺へのアピールだったのか。
「好きじゃなかったら、水着を男子に見せようとしたりしないわよ」
……水着を。
好きじゃなかったら、見せようとしたりしない?
その言葉に引っかかるものがある。
今日、このプールに来たのは、もちろんバイトのためだが。
それ以上に歌音は、俺と水着ではしゃぎたかった。……さっき、そう言ってたよな?
と。
いうことは?
俺はゆっくりと、かたわらにいる歌音へ目を向ける。
目が合った。
顔を赤くしながら、歌音は俺のほうを見つめてきている。
「……あのさ、孝巳」
歌音が、まっすぐな眼差しで俺を見据えてくる。
いつか見たことのある目だ。そう、この前の冬、歌音に告白されたときも、彼女はこんな目をしていた。
「話があるんだけど」
歌音は真剣な声をしている。
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