第30話 【着信:勝ちヒロイン】
「栞が孝巳に告白……」
「した。けれど、失恋……?」
歌音と瑠々子が、揃って声を出し、唖然とする。
栞はニコニコと笑って、
「うん。でも、またダメだった。おりちゃんがいる限り、わたしはたかくんの彼女になれないんだって。残念だけど」
「織芽がいる限り……」
「彼女にはなれない」
栞の言葉を反すうする、ふたり。
空気が、おそろしく気まずいものとなる。
風がピュウピュウ吹いている。空を見上げると爽快な五月晴れなのが、また憎らしい。
誰もしゃべらない。
時間だけが流れる。
1分、3分、5分――
ついに俺は、沈黙に耐えかねて、
「まあ、そういうことだよ」
口を開いた。
「いや、でも、栞が嫌いとかそういうことじゃないんだ。むしろいつも世話を焼いてくれて、ありがたいと思ってる。ただ俺は、織芽が」
「何度も同じこと言わなくていいわよ! ……それはもう分かったから。
織芽にとってはありがたい彼氏ね。栞みたいな可愛い子に告白されても気持ちが揺るがないなんて」
揺るがない、と言われてちょっと俺はうつむいた。
ごめんなさい。
かなり揺るぎました。
「孝巳くんと織芽さん。ふたりの絆は、それほどまでに固い」
瑠々子も、うつむいて、そして小さな声でつぶやく。
そのとき歌音が、
「それでどうするのよ。栞の告白を断って、アンタは」
「どうするって……」
「このままでいくの? 織芽と連絡もつかないのに? あたしたちの誰とも付き合わずに? ……あ、いや! あたしたちっていうのは例えよ、例え!?
つまりこの学校の女の子とか、他の女子生徒には目もくれず、はるか遠くの九州にいる織芽のことだけ考えて、高校生活を過ごしていくのかってことよ。か、勘違いしないでよねっ!」
「かのちゃん、すごいツンデレ風味セリフ~……」
マシンガン的にまくしたてる歌音を、栞がやんわりとたしなめるようにツッコむ。
目をくれようがくれまいが、俺が他の女子から告白されるなんて、ちょっと考えにくい事態だが……。
いや、でもまあ、中学時代なんてまったく陽が当たらない場所にいた俺なのに、織芽、栞、歌音、瑠々子と次々に告白されたくらいだから、場合によっては――なんて考えたりもするが、
「孝巳くん、急に押し黙った」
「あれは調子に乗ったことを考えている顔よ、間違いない」
「前向きなことを考えている顔、って言ってあげて、かのちゃん」
栞たちにコメントされて、俺ははっと我に返る。
いけない、いけない。しょうもないことを考えてはいけないな、うん。
「どうするって言われたら、これまで通りだよ。確かに俺は織芽と連絡がつかない。歌音の言う通り、俺はもうフラれたって考えるのも自然だ。……けれど俺は、それでも織芽と別れたとは思えない。織芽の口から、俺のことがもう嫌いとか、別れようとか言われない限りは」
「……そんな強い言葉、よく栞の前でハッキリと言えるわね」
「……悪い」
「いいんだよ、たかくん。それはもう分かってる、分かってるから」
「――ああっ、もう! イライラするわね! こうしている間にも時間はどんどん過ぎ去っていくのに、事態はなんかもう宙ぶらりんでさ!」
歌音が、大声でわめき始める。
近くに誰もいないから、いいんだけどさ。
「あたし、いい加減、織芽にムカついてきたわ。あの子が一言でも電話なりラインなり返してくれば、全部カタがつく話でしょ? それなのに、あたしたちにもまったく連絡くれないでさ。そこまで返事が面倒なの? そこまであたしたち、嫌われるようなことした!? 昔の友達として、なんか一言さあ」
「よせよ、歌音」
俺は静かに言った。
「俺の彼女の悪口、言わないでくれ……」
「だからそういうアンタもさあ! 悪口言われるような彼女と続かないでよ! これがアンタと栞がくっつくなら今度こそあたしだって、もう仕方がないかって――あ、いや。……そ、そうじゃなくて。……とにかく、あたしは言葉を撤回しないわよ!? あたしはいま、織芽にムカついてんの。怒ってんの! それはあたしたちを無視するからだし、なによりも、孝巳のことまで傷つけて振り回してるからよ!」
「っ……!」
「…………」
歌音の言葉に、栞は目を見開き、瑠々子はますますうつむく。
そうか、俺は振り回されているのか。
そう言われたらそうだ。俺は織芽が好きだから、なにも怒ったりなんかしていないが、歌音から見ると彼女は、腹が立つ存在なわけだ。
当然の話かもしれない。
昔、少なくとも数ヶ月前まで好きだった男と付き合っておきながら、あっさりその男と音信不通になるわけだから。
例えばだが、俺が歌音にフラれたとする。その後、歌音に彼氏ができたとする。だがその彼氏があっさりと歌音と音信不通になれば、俺はその彼氏を憎むし、嫌いになるだろう。……俺が好きだった女の子と、なにそんなにあっさりと別れてんの? と思うだろう。それが人間の気持ちってもんだ。
「歌音の言いたいことも分かるよ」
俺は、大きくうなずいた。
栞たちが、はっと俺のほうへと視線を送ってくる。
「確かに織芽は、俺たちを傷つけて振り回してるよな。……いまだけを考えれば、そうだ。ただ俺は、いや、みんなもそうだけれど、昔の織芽を知ってるからさ」
――待って待って待って!! ねえ、いま変な子だと思ったでしょ? 違うからね? いろいろ事情ってもんがあるわけなのさ!
――それに脇谷くん、成績もいいからさ。いてくれると助かること、絶対にあるわけさ。お願い、織芽を助けておくれよ、大将!
――だからさ、脇谷くん。いや相棒。今日からさ、織芽たちはさ。……下の名前で呼び合わないかい? ……どうだい、孝巳?
織芽との思い出の数々が、走馬灯のように頭をよぎるんだ。
「あの織芽が、俺たちを傷つけると知りながら、連絡を無視したりするんだろうか。なにかきっと理由があるはずだ。そう思っているんだ」
「じゃあ、その理由が分かるまでずっと待ち続けるの? 高校三年間、ずっと? それとも高校を出てからも?」
「かのちゃん、だから言葉が強いって」
「……分かってるわよ。……ただあたしが言いたいのは、いつかは織芽への気持ちに決着をつけなきゃダメってことよ。どんな事情があったって、……たぶんもう、織芽は孝巳に連絡をしないと思うから」
「しないとは限らない。先日読んだ本にも、好きだからこそ遠距離恋愛が辛くなって返事をしにくくなった女性の話が――」
「それは本の話よ。現実はここよ、瑠々子」
「…………」
瑠々子は、うつむいたままだった。
だが、やがて顔を上げて、
「私は織芽さんを、信じたい」
「瑠々子」
「私は織芽さんと、いまでも友達だと思っているから。孝巳くんと同じ気持ち。きっと、なにかが福岡で起きているから、連絡をくれないのだと、そう思っている」
「瑠々子。……ありがとう……!」
嬉しかった。
瑠々子が、俺の彼女を信じると言ってくれたことが、心から幸せだった。
「な、なによ。瑠々子までそんなこと言って。それじゃあたしがひとりで、織芽に向かってキレ散らかしてるみたいじゃない」
「そういうことじゃねえよ。……歌音の言っていることにも一理あった。歌音の言い分もおかしくないと思う」
俺は顔を上げた。
一瞬、栞の顔が目に入る。
彼女の顔がまともに見られずに、俺はまたすぐに目を伏せたが、話は続けた。
「でも俺は、まだ織芽からの連絡を待ち続ける。あと何日か、何ヶ月か、何年かは分からないけれど。まだ、待つつもりなんだ。まだ……」
「……気の長い男ね!!」
歌音は、苛立った声で。
だがわずかに震えながら、BLTサンドをつかみ、
「あたし、今日は学食で続きを食べるわ。エプシ買い忘れちゃったし。売店で買ってからそのまま食堂で食べる。昼休みも残り少ないからね!」
歌音はそう言って、ツカツカと俺たちの前を去っていった。
彼女の背中が屋上から消えてから、俺は深々とため息をついた。
「俺、悪いこと言っちゃったな」
「孝巳くんは悪くない。歌音さんも悪くない。誰も悪くない」
「かのちゃんなら大丈夫だよ。放課後になったら、もういつものかのちゃんだよ~」
と、栞はそう言ったが、そこがすごい、と俺は思った。
ちょっとしたトラブルが起きても、数時間で機嫌を直して笑顔になれるのは、大人だなと本当に思う。しょうもないことで何日も悩む俺とは大違いだ。
「……今日のどこかで、歌音とまた指相撲でもするかなあ」
「名案。そうすればきっと歌音さんはごきげんになる」
俺は冗談交じりに言って、瑠々子は首を縦に振った。
もうすぐ昼休みが終わる。俺たちは後片付けを始めたが、最後のほう、栞はもう口を開かなかった。
「指がいてえ」
「37連戦もするから~」
放課後の家路である。
俺はズキズキと痛む右手親指をさすりながら、栞とふたりで帰宅していた。
あの後、5時間目が終わったあとに歌音にフィンガー・ファイトを挑み、勢いよく3勝したところで、「そろそろ本気を出すわね」なんて言いだした歌音にその後、34連敗もしてしまった。どうも俺に黙って、ひそかに特訓していたらしい。
「俺としたことが……光京小学校指相撲横綱の名が泣くな……」
「指相撲だけは本当に大好きで、強かったのにねえ、たかくん」
栞はニコニコ笑いながら、俺の指をそっと撫でて、
「いたいの、いたいの、飛んでいけ~」
と、おまじないをかけてくれた。
もちろんただのおふざけだが、ちょっとだけ痛みが引いた気がした。
やがて俺たちは、自宅に着いた。
「今日も学校頑張りました、と。し――」
栞、うちで麦茶でも飲んでいくか?
と、うっかり言いかけて俺はやめた。
歌音との論戦、からの指相撲仲直りでなんとなく和やかなムードになってしまったが、俺たちの関係は、根本的なところでなにひとつ動いていないのだ。
栞は俺に告白し、失恋した。
それはまだ昨日のことだ。
これまで通りの幼馴染同士に戻るにしても、時間がまだ必要だろう。
「栞。それじゃ俺は、かえでの晩ご飯を作るから、これで」
俺は手を振って、家に入ろうとした。
だが。――ぎゅっ。
「お……」
ブレザーを、つままれた。
振り返るまでもない。栞が俺の制服を、指でつまんでいるのだ。
「ちょっと待って、たかくん」
「ど、どうしたんだよ」
「……わたしも家にいっていい?」
深刻そうな声だった。
明らかに、話があるんだと分かった。
それも俺たちの関係に関する話が……。
「分かった。じゃあ中へ」
「……ありがとう」
俺たちは、ふたりで脇谷家に入る。
かえでは相変わらず部活で不在だ。
2階にある俺の部屋まで上がり、カバンをベッドの脇に置く。
ブレザーをベッドの上に放ると、ポケットの中のスマホがにゅっと飛び出してきた。
そのまま南側の窓に取りつけられているカーテンを開く。
すると、部屋が夕日で赤く染まる。
西側の窓にかけられたカーテンは、閉めっぱなしだ。
ここを開けると、すぐに栞の部屋にいけるわけだが……。
栞はなにを思ったのか、そのカーテンをさっと開けた。
窓の向こうには、当たり前だが栞の部屋があるわけで。
「よかった。鍵、かけてなかったんだ~」
栞の言う通り、俺は西側の窓には鍵をかけていなかった。
「いつも、かけていないだろ?」
「うん。……でも昨日のことがあったから、もうかけられたかもって思って」
「なんだ、そんなことか。俺が栞との間に鍵をかけるわけがないぜ。もしかして、それを確認するためにうちまで来たのかよ」
「うん、それもあるけれど~……。……」
栞は、鍵を確認すると、くるりと振り返った。
夕日を浴びた栞の横顔が、燃えるように赤い。
「たかくん。わたし、たかくんをまだ好きでいつづけていい?」
栞は、ふいにそんなことを言った。
さすがに俺はぎょっとして、
「なんでいきなり、そんなこと言うんだよ」
「お願い、答えて」
「……そりゃ……いいけれどさ。でも」
「おりちゃんへの気持ちは変わらないんでしょ? うん、それはいいの。いまはそれでいいと思う。……でもね、でも、たかくん」
栞は、落ち着いた声で言った。
「わたしのほうが、おりちゃんよりもたかくんを幸せにできると思う」
「え……」
「昼、かのちゃんが言っていたことを聞いて思ったんだ。事情は知らないけれど、織芽は孝巳やあたしたちを振り回している、って。……わたしも、そう思う。なにか理由があるとは思うけれど、それはそれ。いまたかくんは、おりちゃんに振り回されっぱなし。それも、少しも楽しそうじゃない。……それがわたしには辛い」
「いや、それは……」
「わたしなら、そんなことはしない」
栞は、はっきりとした声で、
「たかくんを悩ませたり、苦しめたり、不安にさせたりしない。ずっと幸せにする。ずっと隣にいる。おりちゃんよりも、いまのおりちゃんよりも、絶対にたかくんを幸福にできる。……だから、だから」
栞は、せいいっぱいの勇気を振り絞ったという顔で、――そう、俺には分かる。栞はいま、人生最大の勇気をもって、俺に気持ちを伝えようとしている。
俺には分かるんだ。
なぜなら、幼馴染だから。
「だからわたし、これからもたかくんを好きでいつづける。いつづけたい。……たかくんが、わたしのほうを振り向いてくれるまで」
「…………栞」
栞の本気。
織芽よりも自分のほうが。
俺の隣にいるほうがふさわしいという言葉。
栞が綺麗だった。
元から可愛いと思っていたが、こんなにも美しく、強い子だと思わなかった。
こんなにも自分をはっきりと打ち出してきて、俺を好きでいてくれると思わなかった。
俺は、二の句が継げずに、しばらく言葉を頭の中でひねっていたが、どう頑張ってもうまい言葉が紡げずに、それでも、ゆっくりと告げた。
「好きでいてくれると、嬉しい。……好きで、いてくれ。……そこまで俺を好きでいてくれるなら……」
「……たかくん。……ありがとう。……ありがとう。……わたし、わたし~……」
栞は半泣きになりながら、肩を何度も震わせた。
俺は、栞の髪を撫でてやりたくなりながら、……でもそれはいけないことだと思い、ぽん、と一度だけ肩を叩いた。
「栞。いつもありがとな」
「う、うん。わたしだって、わたしだって……」
「これからも一緒にいてくれ。栞がもういいと思うまで」
「そんな日、来ないと思うけれど。……うん、そうする……えへへ」
栞がニコニコ笑い始める。
爛漫な笑顔だ。栞にはやっぱり、この笑顔が一番よく似合っている。
「……あ、あのさ、今日もおじさんたち、帰りが遅いんだよね? だったら晩ご飯、わたしが作ろうか? かえでちゃんにも会いたいし」
「いいね。そうしてくれると助かる。栞の料理はめっちゃ美味いからな」
「よっし。それじゃ気合い入れて作るからね~!」
栞はカッターシャツを袖まくりしながら、やる気まんまんというポーズをとって、入り口へと向かい始めた。キッチンに下りていくわけね。
よし、俺もいくぜ。
そう思ったときだった。
『RRRRR……RRRRR……』
いきなり、スマホが鳴りはじめた。
それもこの音は俺のスマホだ。
どこだ。
どこで鳴っている、と思うと、ベッドの上に放り出されたブレザーのポケットから、はみ出している俺のスマホがそれはピカピカと光っていて――
【着信:神山織芽】
「「!?」」
スマホの液晶に映ったその文字列を見たとき、俺と栞は、ふたり揃って絶句した。
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