第19話 妹、全裸になる(と、温泉回開始)

 学校から帰るなり、郵便受けを覗き込む。


「やっぱり、来てないか……」


 織芽からの返事を待ち続けて、もう1週間になる。


 いくらなんでも、もうあっちは手紙を受け取ったよな。


 それなのに、俺に電話もラインもない。


 返事の手紙も送られてこない。


 これって、やっぱり――


「……はぁ」


 ため息しか出ない。


 いや、まだだ。

 きっとなにか事情があるんだ。

 そう思いたい。信じたい。


「そうだ。栞にも手紙を書くって約束していたな」


 あれも書かないと。

 約束したんだからな。

 幼馴染として、な。


 そんな風に思い悩んでいると、


「アニキさぁ~、温泉とか興味あるゥ~?」


 例によって、奇天烈な口調のかえでが声をかけてきた。


「温泉? なんでまた急に」


「うちのクラスに、社長さんの娘がいるんだけどさァ~。その社長さんが今度オープンさせたのが、駅ビル前に新しくできたお風呂ってワケ」


「ああ、そういえば、スーパー銭湯がオープンするって栞が言っていたような気がする」


「そーそー。それよ、それ。銭湯じゃなくて温泉。ちゃんとした温泉をこの街まで運んできてるの」


「へえ。それで、その温泉がどうした」


「タダ券もらったんだよね」


 かえでが、チケットを取り出し、ひらひらさせる。

 その数は6枚。


「友達誘ったんだけどさァ、みんな忙しいみたいで~。だったら仕方なく、仕方なくだけど、アニキといっしょに行こうかなってェ」


「仕方なくなら行かね。俺は家の風呂が好きだ」


「お兄ちゃぁん!!」


 かえでは急に、ぴえんと泣き始めた。


「そんなこと言わんでよ! ウチたまには広いお風呂に入りたいの! それにお兄ちゃんと温泉に行きたいの! その温泉、ゲームコーナーもあるらしいからさあ、お兄ちゃんと、お兄ちゃんと!」


「だったら最初から素直にそう言えよ」


 俺はジト目になって言った。


「だけど、貰ったチケットは6枚だろ?」


「うん。無料入浴券5枚と、家族風呂1日利用券1枚。合計6枚」


「どうせ父さんと母さんは仕事で来ないぜ? 無料券はあと3枚も残るが」


「だったら、栞ちゃんを誘おうよ。それとお兄ちゃんの友達も呼んだらいい」


「俺の友達といえば」


 言うまでもなく。

 歌音と瑠々子が頭に浮かんだ。




「うわ~っ、温泉だ温泉だ!」


 午後5時の駅ビル前にて。

 目の前にそびえ立つ巨大ビルの入り口には『光京温泉 いやしの湯』と毛筆で書かれた巨大看板が取り付けられている。


「ビルに温泉が入っているって、考えたらすごい発想よね。誰が最初にやりだしたのかしら」


「この温泉には、温泉とゲームコーナーだけでなくマンガも置かれていて読み放題らしい。楽しみ」


 はしゃぐ栞に、興味深げにビルを見上げる歌音、いつものクールフェイスな瑠々子。


 そんな3人に対して、


「鈴木先輩、来てくれてありがとうございます。天照台先輩と扇原先輩もお久しぶりです」


 かえでがニコニコとあいさつをした。


 当たり前だが、かえでと歌音、瑠々子は同じ中学だったので面識はある。


 そして、普段は栞をちゃん付けで呼ぶかえでも、他の人の前では鈴木先輩と呼ぶ。


 ほんと、俺相手と他のひとでは態度がまるで違うよな、かえで。


「脇谷さん、チケットをくれてありがとう。ありがたく使わせてもらうわ」


「感謝。ビルの前を通るたびに、この温泉には一度来たいと思っていた」


「よかったです。それじゃ、みんなで温泉に行きましょう。……あ、アニキ。ここ、混浴はないからね? 先輩たちといっしょに入ろうとしても、無駄だから」


「誰も混浴なんて求めてないだろ」


「こんな都会の真ん中の温泉に、混浴はないよね~、あはは」




「……家族風呂に入る?」


「うん」


「ひとりでか?」


「……ん」


 かえでは、首を縦に振った。


 ビルに入ると、かえではいきなり、家族風呂を希望しだしたのだ。


「なんでまた」


「ひとりのほうが気楽だし」


「たかくん、行こう。かえでちゃんはひとりがいいんだよ」


 栞が、俺の手を引いた。

 そして、俺の耳元に顔を近付けてきて、


「中学生の女の子だよ? 周りに身体を見られたくないとかあるんだよ」


「それなら最初から、温泉になんか来なきゃいいのに」


「こんなに人が多いなんて、思わなかったんだよ、きっと~」


 そう言われたら。

 あたりを見回すと、想像していたよりもずっと、お客さんが多い。


 もっと人が少ない温泉ならよかったわけか、かえでは。


「……そういうことなら、仕方ないか」


「そうそう。仕方ないよ~」


「じゃ、あたしたちは女湯に行くから。のぞかないでよ、孝巳」


「のぞくかよ。じゃあな」


 こうして俺は男風呂へ、かえでは家族風呂へ、栞と歌音と瑠々子は女風呂へ向かう。


 ひとりでポツンとなると、どうせかえでが家族風呂を使うなら、ひとりくらい男友達を誘えばよかったかな、なんて思ったりもした。メンバーは田名部くらいしか思いつかないけれど。


 ま、いいか。

 おひとりさまも気楽でいい。

 俺は男風呂へ向かった。




「う~い……」


 ビル屋上にある男風呂の露天である。


 温泉に、足先まで浸からせると、変な声が出た。


 フロントがお客さんでいっぱいだったから、男風呂もさぞかしいっぱいだろうと思っていたが、それほどでもなかった。


 みんな、家族風呂とか、ゲームコーナーとかに行っているのかもしれない。


「に、しても……」


 露天風呂の中、星の無い空。

 けれど満月だけは煌々と輝いている闇一面を眺めていると、織芽のことを考えてしまう。


「いよいよ終わりかな」


 歌音からさんざん、おしまいおしまいと叫ばれ続けてきて、それを否定してきた俺だが、さすがにここまでくると、結論を出さざるをえない。


 織芽は俺と別れたいのだ。

 いや、それだけじゃない。


 栞や歌音や瑠々子とも。

 つまり中学時代の仲間とも、もう連絡を取りたくないのだ。


 そうとしか思えない。


「……それでいいのかよ!」


 バシャっと、お湯を顔にかける。


 顔面が、一瞬、焼けるように熱くなった。


 俺はいいよ。

 よくないけれど、我慢するよ。

 でも、栞や歌音や瑠々子とも、みんなとも、連絡を絶つこと、ないじゃねえかよ。


 みんなとまで……。


「一生ものだと思ってたのにな」


 織芽との関係も。

 俺たち5人の友情も。


 俺たちだけは、ずっと中学時代のままでいられると思っていたのにな。


 中学を卒業して2ヶ月も経たずに、これかよ。


 マジで。

 返事のひとつくらい、くれよな。

 織芽。


「……最近、俺、こんなことを考えてばかりだな」


 思わず、苦笑した。

 そして、ふと思う。


 かえでは、こんな俺を励まそうとして、温泉のチケットをくれたんじゃないか?


 友達からチケットを貰ったのは本当だろうけれど。


 その後の、友達がみんな忙しかったっていうのはウソで。


 俺を元気づけるために、わざとチケットをくれて。栞たちも呼ぼうと言いだして。そうじゃないのか?


「分かんねえけど」


 俺は、立ち上がった。


 事実は分からないし、わざわざ確かめないほうがいいと思う。


 でもまあ、かえでがチケットをくれたのは事実だ。


 ここは、アイスクリームでも買って、持っていくべきだな。うん、そうしよう。


 俺は温泉を出て、脱衣所へと向かった。




「家族風呂、『うさぎの湯』。……ここだな」


 かえでがいるはずの家族風呂の前に立つ。


 右手には、かえでの好物であるチョコレートアイスを持って。


 コンコン。


「かえで、いるか?」


 返事がない。

 まだ風呂に入っているのかな。


 俺はそっとドアを開けて、もう一度、


「かえで、俺だ。いるか?」


 奥に向かって声をかけた。

 すると、


「ふわあぁぁ、お兄ちゃぁん!」


 ドタドタドタドタと、とんでもない足音がして、かえでが俺に向かって駆けてきた。


 しかも、全裸で。


 なんだ?

 なにがあった!?

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る