第17話 推薦図書『別れて!! ~彼女持ち男子を好きになってはダメですか? 必死に片思いを続ける女子100人のけなげさを知れ!~』

「……そう」


 瑠々子は、相変わらずのクールフェイスのままだった。


 なんとなく、場が静かになる。

 やっぱり、落ち込ませてしまったかな。


 友達って関係に戻った俺たち。

 けれどやっぱり、織芽の名前を出すと、なにかモヤモヤするものがあるんだろう。


「ごめん、瑠々子」


「なにが」


「いや、なんか……初めてが織芽で、悪い……」


「別に、気にしていない」


 瑠々子は、やっぱりいつもの冷静な表情を崩さないまま、


「……そう、こういうことは、織芽さんが初めて」


「う……」


「……そう」


「…………」


「……そう……」


 やべえ、オラすっげえ気を感じるぞ!


 明らかに気にしてるじゃん。

 瑠々子、ズゴゴゴゴ、って悲しみオーラ全開じゃん。


 かと思うと、ずいっ。

 本を、俺のほうに差し出してきた。


「読書。する」


「あ、ああ……」




『別れて!! ~彼女持ち男子を好きになってはダメですか? 必死に片思いを続ける女子100人のけなげさを知れ!~』




「まずはこれから」


 いきなりラスボスが出てきた。


「こ、この本か……」


「間違っても、飲み物で本を汚したりしないように。汚したら、その場合はこの本をお買い上げ」


「そりゃそうだ」


 言いながら、ページを慎重にめくっていく。


 本の中身は、片思いをしている女性の話が、写真やイラストを交えて掲載されていた。


「フォントも大きいし、読みやすいのはいいな」


「そう。私からは見えないけれど」


 そうか。

 瑠々子は俺の対面の席に座っている。


 これじゃ、本を見られないのは当たり前だな。


「ちょっと待っててくれ。ざーっと読んでから、瑠々子に渡すから」


「……それよりも、読みやすい方法がある」


「え」


 瑠々子は、椅子を持って、俺の隣までやってきた。


「お……」


「こうすれば、ふたりで本を読める」


「それはそうだけど」


「……嫌?」


「そんなわけねえよ」


 実際、隣にいる瑠々子からは、長い黒髪からほんのりと、良い匂いがして。


『いま黒髪ロングの女の子が可愛い! 改訂版』


『うちのクラスの黒髪ロング読書好き女子がかわいすぎるんだが?』


『読書好き彼女のススメ』


 机の上に置かれた数々の名著が、俺に瑠々子という存在を猛アピールしてくる。


 ……やめろ。

 俺には織芽がいる。

 瑠々子に対して、なにを考えているんだ。


 クールだ、クールになれ、俺!


「よし、本を読もう、瑠々子」


「合点承知の助」


 そう言って瑠々子が開いた本が、『別れて!!』なのが本当に、俺の心をざわつかせるのだが。


 いや、たかが本だ。

 それに瑠々子がせっかく持ってきてくれた本だ。とにかく読もう。


「読書開始」


 と、瑠々子が言ってページをめくりはじめた。


 さて、こうして俺たちは読書を開始したわけだが。


 本の中に書かれていた話は、真に迫っているような、こちらが思わず冷や汗をかくようなリアリティー溢れるものもあれば、これは創作じゃないかと思うほど、なんだかウソっぽい話も掲載されていた。


 しかし、ひとつひとつ丁寧に読んでいくと、意外と面白い一冊でもあった。

 女性の心理が、細やかに解説されている部分が興味深かったのだ。


「面白いな、この本」


「本当に。まさかの展開」


「えっ、まさかなのか?」


「……もとい。ネットの書評通り、良著。これはぜひ栞さんと歌音さんにも読ませて、普及に励むべき」


「よしてくれ、それは」


 別れて! なんて本をあのふたりが読んでいる光景を想像したら、……それは地獄な気がする。なんとなく。


「けれどこの本、良かったな」


「孝巳くんは、どこが面白かった?」


「そうだなあ。おとなしい女の子が、彼女持ちの男の子に片思いをするけれど、相手の男には彼女だけじゃなくて他にもたくさん女友達がいて、手も足も出ないって悩み続けているって話がよかったな」


「そう。……はぐっ」


 瑠々子はクールフェイスのまま、なにかにぶつけるかのようにローストビーフのサンドイッチにかぶりつき、カフェラテを「ぐいっ」と飲み干した。


「瑠々子は気になったところ、ある?」


「いくつかはある。けれど、まだ本を読み終わっていないから、最後まで読んで感想を言う」


「もっともだ。じゃ、次を見よう」




『つまらない子だと言われて。


 私はA子といって、十九歳の専門学生です。同じ学校に通う、同い年のひとが好きになりました。


 そこでそれとなく、好意を伝えたところ、すでに彼女がいて、しかもその彼女が面白い子だというのです。


 A子、つまらないから無理。俺、女の子でも面白い子が好きだから。うちの彼女、居酒屋でいきなりうどんの大盛りを頼んだりして、めちゃくちゃウケるんだよね。A子には、そういうところないじゃん。だから無理。


 そんな風に言われて、ひどく傷つきました。

 女の子がうどんの大盛りを頼むことがどうして面白いのか理解できませんが、それでも私は彼への想いを捨てきれません。


 私も面白い子を目指したほうが、いいのでしょうか。真剣に悩んでいるのです』


「はは、これ分かるなあ」


 俺は笑ってうなずいた。


「面白いからモテるって意味不明だけど、面白さを彼氏や彼女に求めるひとって確かにいるんだよな。


 男も女も、まじめなやつがモテなくて、意味不明な面白さのほうが求められるって――」


「すみません。海鮮ネパール風カレーうどん、大盛りで」


「なぜ!?」


 気付いたら瑠々子は、カウンターまでシュバババと移動し、カレーうどんを注文していた。


 さっきの高速歩行といい、移動力ずば抜けて高いぞ、瑠々子。


「……本当はうどんの大盛りを頼むべきだった」


 瑠々子が席に戻ってきた。


「でも、海鮮ネパール風カレーうどんしかなかった。だからそれを注文した」


「こんなカフェにカレーうどんがあることも驚きだけど、なんで注文したんだ?」


「つまらない女でいたくないから。私も面白い女になりたい。孝巳くんに『おもしれー女』と言われたい」


「本のエピソードに対抗かよ。そうじゃないかと思ったけど」


 そのとき店員さんが、カレーうどんを運んできた。


 シーフードとカレーとうどんがいっしょくたにされて、グツグツと煮えているのはなかなか美味そうだった。


 どこがネパール風なのかはよく分からんかったが。


「なんていうか、本を参考にしすぎなくてもいいと思うぜ。特に恋愛系の話は。人それぞれの取り柄とか、向き不向きとはあると思うし……」


「……私だって、織芽さんみたいになりたい」


 また、その名前が出てきた。


「織芽さんは明るくて、……面白いひとだった」


「ああ。……楽しい子、だったからな」


 そのとき俺は、自分も瑠々子も、織芽のことを過去形で語ってしまっていることに気が付いた。


 なんとなく、嫌な気持ちになった。


 過去じゃない。

 彼女はまだ、過去の存在なんかじゃない、と強く思う。


「ごめんなさい」


「ん?」


「私、孝巳くんを不愉快にさせた?」


「え……」


「暗い顔をしているから」


 いけね。


 過去形について感じた不愉快さが、知らず知らずのうちに顔に出てしまっていたらしい。


「私、相変わらずダメ。孝巳くんに面白いと思ってほしかったのに、なんだかズレていて」


「いや、瑠々子はなにも悪くねえよ。不愉快になんてまったく思ってねえし。っていうかカレーうどん、食べないか? のびちゃうぜ。もったいねえ」


「……そうね。いただきます」


 瑠々子は、うどんをツルツルと食べはじめた。


「サンドイッチも食べたけど、入る?」


「うどんもカレーも好きだから」


 瑠々子はうどんを食べ続ける。

 その姿を見て、そして瑠々子の一生懸命さを見て、……やっぱり、もしかして。


 瑠々子ってまだ、俺のことが好きなのか?


 と、思ってしまう。


 孝巳くんに面白いと思ってほしかった。

 孝巳くんは女子高生の制服が好きだから。

 私だって、織芽さんみたいになりたい。


 言葉や行動のすべてが、瑠々子の好意を証明しているように見えてくる。


 勘違いするな、勘違いするな。

 俺には彼女がいる。俺には彼女がいる。俺には――


 そのときだった。


「あ」


 瑠々子が、自分の胸元に視線を送った。


 ブラウスが、汗で透けている。

 ネパール風カレーうどんが、辛かったためか、瑠々子はけっこうな汗をかいている。


 先日の歌音ほどじゃないけれど。……っていうか、そうなるとあいつは自力だけでカレーうどん以上の汗をかいたわけか。歌音半端ねえな。


 とにかく瑠々子のブラウスは透けていた。薄青の下着が、うっすらと見えてきて、


「…………」


 瑠々子は、顔を赤らめたあと、やがて俺の顔を見つめてきて、


「……見たい?」


「え。……い、いや、いやいやいや、別にそんな。……ど、どうする? 上着、買うか?」


「あとでそうする。……見たい、と思うなら、見てくれていい」


 瑠々子は赤くなっている。明らかに羞恥心を抱いている様子で、俺から目をそらしながら、それでも言った。


「孝巳くんになら、孝巳くんだけになら、……女の子として見られていて、嬉しいから」


「っ……ぐ……!!」


 どうしよう。

 心臓が破裂しそうだ。


 なぜって、俺が知っている瑠々子は、こんなことを言い出す子じゃなくて。


 基本的に真面目で、いや真面目すぎるほど真面目で、恋愛沙汰についても奥手で、ましてやエロトークなんてできない子で。


 それが。

 精一杯、勇気を振り絞って、俺になにかをアピールしている。


 そのなにかとは。

 考えるまでもない。

 瑠々子はやっぱりまだ、俺のことを――


『お客様にお知らせします。当館はまもなく閉館でございます』


 そのとき館内に、BGMの蛍の光と共に、そんな声が響き渡った。


 スマホを見ると、午後7時50分だった。あと10分で駅ビルは営業を終える。


「もうそんな時間か」


「大丈夫、もう食べ終わった」


 瑠々子はもう、涼しい顔をしている。


「おい、瑠々子、上着……」


「胸の前で腕を組むから、大丈夫。家は駅ビルのすぐ裏手でもあるから」


 そうだった。

 瑠々子の家は、駅ビルの裏にある15階建てのマンションだった。


「だから、すぐに帰宅すれば大丈夫」


「送っていくよ。入り口まで」


「大丈夫」


「いくってば。いかせてくれ」


 いくら短い距離でも、万が一、瑠々子になにかがあったら嫌だからな。


「友達として、当然の行動だ」


「…………。……そう。……それじゃ、お言葉に甘える」


 こうして俺たちは駅ビルを出て、横断歩道を一本渡り、瑠々子のマンションの入り口までやってきた。


 あとはオートロックの中だ。ここまで来れば、まず大丈夫だろう。


「ありがとう。偶然だけど、出会えてよかった」


 瑠々子は、眉一つ動かさず、けれどもどこか嬉しそうな声音で、


「また本屋、いっしょだと嬉しい」


「ああ」


「次はもっと、孝巳くんが楽しくなれるように頑張るから」


「充分、楽しかったぜ。瑠々子は楽しくなかったか?」


「……ううん」


 瑠々子は、目を細めた。


「私も楽しかった」


 そして、バイバイ、というように小さく手を振る。


 それに応えるように、俺も手を振った。


 瑠々子に背を向ける。

 車が行き交う、夜の駅前通りを歩きながら、今日の瑠々子は可愛かったな、なんて思って。


 いやいやいや。

 俺には彼女がいるんだぞ。

 と、何度も何度も頭を振ったものであった。


 今日のは浮気……。

 じゃ、ないよな? ……よな!?




「あれほどアイスを買ってこいって言っといたのに! なに、この『うちのクラスの黒髪ロング読書好き女子がかわいすぎるんだが?』ってラノベ。アニキこういうのが趣味なん!? 栞ちゃんが可哀想!」


 なんで栞が出てくるんだよ。

 家に帰って、かえでの要望を完全に忘れていた俺は、唯一購入した書籍のタイトルと相まって、妹にボロクソ言われてしまった。


 自分で買いにいけよ。

 アイスどころじゃなかったんだよ、こっちは!


 ちなみに『うちのクラスの~』はなかなか面白かった。

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