第13話 可愛くて優しいと、昔からずっと思ってる

 映画『幼馴染との恋』は、田舎町で暮らす高校生の幼馴染男女が、少しずつ惹かれ合っていく、王道といっていい恋愛ものだった。


 正直、内容にあまり期待していなかったけれど、気が付けば俺はスクリーンに見入ってしまっていた。


「う……幼馴染恋愛もの、いいな……」


「ね、面白いでしょ~? 心にじいんとくるでしょ? 評判通り~」


 隣の栞と、ヒソヒソ声で感想をささやき合う。


 この映画は名作だ。

 思わず、今日から幼馴染との恋愛がしたくなるくらいに。


 コメディタッチで始まるストーリーが、次第にシリアスな恋愛色を帯びていき、幼馴染以外の男女とのドラマも盛り上がる。


 主演男優と女優の熱演もあって、これは話題になるはずだと思いながら映画の世界に没入していく俺であった。


 だが。

 この映画、たったひとつだけ不思議なところがあった。


『ギャァース!!』


 どういうわけか、海辺でいざ告白というシーンで、やけにリアルなサメが何度も出てくるのだ。


 幼馴染2人に迫りくる、巨大ザメの恐怖!


 映画館中に響き渡る悲鳴!


「いやぁあああああ!!」


「栞、落ち着け、おい!」


「サメ来る、サメが来る、また来る~!!」


「映画だ、映画だから、これ!」


 必死に栞をなだめる俺だが、栞は聞いちゃいねえ。


 俺の身体に全身をこすりつけて、抱きついてくる。ちょ、ちょい、待て、場所が、当たる。当たってる……!


「怖い怖い怖い、サメ怖い。サメ終わった? もうサメ終わったよね~?」


「あ、ああ。もう終わった――また来た! サメ来た!」


「サメェエエー!

 助けて助けて助けて怖い怖い怖い~!!」


 幸いにして、館内のあちこちで観客が悲鳴をあげていたので、俺たちだけがうるさいってわけじゃなかったんだが――


 なんで、こんな恋愛映画でサメが何度も出てくるんだ!?

 サメ、サメ、サメサメサメ……。


 サメが終わった。

 幼馴染2人が夕日を見ながら、恋心を告白している。


 何事もなかったかのように恋愛モードになるこいつらは、メンタルが鋼だと思った。


『俺、いま自分の気持ちに気が付いたんだ。……美織のことが好きだって』


『アカくん。わたしもアカくんのことが好き。子供のときからずっと』


 夕日をバックに、幼馴染の2人が想いを告げる場面は、ベタだけど感動的だった。


 館内のあちこちから、すすり泣く声が聞こえてくる。女性客が涙を流しているようだ。


 さっきまでサメで騒いでたのに、切り替え早いな。


 いい映画だし、泣くのも分かるけれど。


『美織、好きだ』


『アカくん、大好き』


 いよいよクライマックス。

 2人は手を繋いで、指を絡ませる。


 そして絡んだ指がアップになって――


 ……ん?

 指、と考えた瞬間、俺は左手の指に絡んだ感触に気が付いた。


 栞だ。

 栞の右手が、5本の指が、俺の左手に絡んできている。


「……あ」


 映画に見入っていた栞は、指が絡んでいたことにいま気が付いたようで、


「ごめん。サメでしがみついたときから、そのままだった……」


「お、おう」


『指、絡ませるって、気持ちいいね』


 肝心の映画のほうが、えらいセリフをしゃべっている。


『アカくん、いつからこんなに太い指になったの?』


『美織こそ、大人の指じゃんか』


『ふふっ』


「幼馴染、か」


 栞が、小声で言った。

 そして、


「なんだかわたしたちも、アカくんと美織みたいだね」


 指を絡ませたまま、ささやいてきた。


「え……?」


 思わず、栞に目をやる。

 栞も、俺のほうを見つめてきていた。


 眼を細めて、俺の心を包み込んでくれるような、穏やかな笑み――


 い、いや。

 いやいやいや。


 勘違いをするな、俺。

 栞はあくまでも、良い幼馴染って意味で、映画みたいだって、そう言ったんだよな? そうだよな!?


 そりゃそうだ。

 確かに一度は告白されたけれど。いまじゃ、いい友達の関係に戻ったんじゃないか。


 だけど、ヤバい。

 栞が特別に見えてくる。


 昨日の手紙の件といい。

 栞の部屋で出くわした件といい。

 そしていまの手のひらの温もりといい――


 ダメだ。

 勘違いをするな、俺。

 それに俺には織芽がいるんだ!


 俺には、俺には、俺には――


「違うだろ」


 数秒間の逡巡の末、俺は小さな声で栞に告げた。


「え……?」


「映画とは違うぜ。映画のふたりは、俺たちと違って海辺の街で暮らしてるし、歌音と瑠々子みたいな友達もいないしな」


 映画の感想を、小声で言いまくる。


 危ない、危ない。

 つい、空気に惑わされて、『そうだな』なんて言いそうになってしまった。


 栞はあくまで、幼馴染として言ったにすぎないはずだ。

 きっとそうだ。

 そうに決まってる。


「……あはは! そうだよね!」


 栞は、いきなりニッコリ笑った。


「映画のふたりとわたしたち、そんなに似てないよね~。ごめんね、なんか勘違いしちゃった」


「ああ、見た目もシチュエーションもまるで似てないぜ」


 冗談っぽい雰囲気になる。

 栞はニコニコ顔である。


 よし、いいぞ。昨日から俺と栞の間に漂っていた、妙な空気もこれで終わりだ。


「それに美織より、栞のほうが優しくて可愛いよ」


「…………………………」


 ……あれ?

 反応がないぞ。

 ちらり、と栞のほうを改めて見ると、


「…………ぁ、ありがと……」


 顔が、真っ赤だった。

 声もか細い。


 本当に、隣の俺にさえほとんど聞こえないほど小さな小さな声だった。


「……栞?」


「……それって、そういうこと?映画と違うって……映画の子よりも、わたしのほうが可愛いって意味で――」


 そのとき、ジャーンと音が鳴って、映画のエンディングが始まった。


 主演女優が歌っているエンディングテーマが、館内に響く。


 しまった。栞とのやりとりのほうに気持ちがいっていて、映画の結末を見ていなかったな。仕方ないか……。


 エンディングテーマは、短かった。


 あっという間に終わって、観客がぞろぞろと館内を出ていこうとする。


「栞、俺たちも出ようぜ」


「え、う、うん。……あっ」


「お……」


 立ち上がったとき、俺の右手は、栞の左手を握りしめたままだった。


 たくさんの観客が、早く行けとばかりに後ろから来るので、手を離すこともできない。


 え、ちょっと待って。

 なんだ、この状況。


 俺と栞は、ふたりで、手を繋いだまま。


 それも恋人繋ぎで指を絡ませたままだった。


 周りはほとんど、カップルばかりで、やっぱりこのひとたちも手を繋いで映画館を出ようとしているのに。


 これじゃまるで、俺たちもカップルみたいで……。


 いやいやいや。

 いやいやいやいや。


 心臓がバクバクと脈打つ。

 汗がにじみ出る。

 

 やがて俺たちは外に出た。

 映画館のすぐ隣に広がる、公園の入り口にやってくる。


 ふう、空気がうまい。……熱に浮かされた頭が、冷静になっていくようだ。


「栞。なにか、冷たいものでも飲みにいこうぜ――」


「………………」


 手を繋いだままの栞は、赤面したまま、目をそらしていた。


 手は相変わらず、繋がれたままだ。


「た、たかくん。……さっき、わたしのこと、可愛くて優しいって言ったよね」


「え? あ、ああ」


 いや、でもそれは、映画の登場人物と比べてであって――


「本当に、本当にそう思ってくれてる? わたしのこと」


「あ、……ああ。優しいとは、ずっと昔から思ってる……」


「わたしも、たかくんのこと優しいひとだって、子供のころからずっと思ってるよ。うんと小さいころから。


 だから、……だから、たかくんがくれた手紙、いまでも取ってあるし、読み返したら、いまだって、すごく嬉しくて」


 そう言われると、昨日のことを思い出す。


 栞がまさか、俺からの手紙をずっと取っておいてくれたなんて、考えもしていなかった。


 一度、告白された俺だけど。それにしたって、あんなにたくさんの手紙を。


 俺が思っているよりもずっと、栞は、俺のことを、大事に思ってくれていたんだ。


「昨日といえばさ、その、いきなり部屋に入って、悪かった」


「ううん! それは全然いいの。わたしだってたかくんの部屋に無断で入るし、むしろ、久しぶりに来てくれて、……嬉しかった」


 俺と栞の手は、まだ繋がれたままだ。


「なのに、あの、わたし、変なもの見せちゃって……なんだかこっちこそ悪いなって」


「べ、別に変じゃねえよ! どこが変なんだよ。全然、そんなの、変じゃ……」


 ああ、なんだか妙なことを口走っている。


 ヤバい空気だ。

 自分でもヤバいと分かる。

 自分で自分が制御できなくなっていく。


 栞は俺のことを、いまやただの幼馴染であり友達だと認識している。そう思っていた。


 俺だって、そのつもりだった。

 そのはずなんだ――


「たかくん」


「お、おう」


「あのね、たかくん。わたしね、……わたし、やっぱり、たかくんのことが――」


「栞……」


 俺は栞と手を繋いだまま、見つめ合い、次の言葉を待つ――


 そのときであった。


「……栞ちゃん?」


 突然だった。

 俺たちの前に、制服姿のかえでが現れ――かえで!?


「……えっ、かえでちゃん!?」


「わー! やっぱり栞ちゃんだ。どうしたの、こんなところで! ……あ、アニキもいる」


「なんだよ、いちゃ悪いかよ」


 俺は思わず悪態をついたが、しかし、どうしてかえでが、こんなところに?


 と思って何度かまばたきをして、理解した。


 この公園の中には市設の体育館があるんだ。かえでは今日、部活だと言っていた。


「ここの体育館で、部活の試合でもあったのか」


「当たり! ……うわ~、でも栞ちゃんと会うの久しぶりだ! 隣同士に住んでるのにね!」


「あはは、たかくんの部屋には、よくお邪魔してるんだけどね~」


 女子ふたり、話がずいぶん盛り上がっている。


 かえでのやつめ、エセギャルモードはどうしたんだよ。栞に対してはずいぶんしおらしくて、フレンドリーじゃないか。


 しかし、ヒヤッとしたぜ。

 いや、なんでヒヤッとしなきゃいけないのか自分でも分からないけど。


 栞と俺がいっしょにいて、それをかえでに見られたら悪いのか?


 ……悪い、ような気がする。

 少なくとも、いまの瞬間だけは。


 かえでが最初から最後まで見ていなかったっぽいのは良かったけど。


「あ、でも栞ちゃん、アニ、……お兄ちゃんといっしょだったの? うわ、ごめん、ウチ、お邪魔だった?」


「ううん! 大丈夫、大丈夫。それより、部活、もう終わったの? だったら合流しない? 3人で遊ぼうよ~」


「え~? お兄ちゃんも? どうしようかな~」


「なんでかえでに選択権があるんだよ。途中から来たくせに」


 俺がぼやくと、栞たちはふたりであははははと笑い出した。


 当たり前だが。

 もう俺と栞は、手を繋いでいない。


 さっきの栞の言葉。

 まさか、まさかだけども。

 まだ栞は、俺のこと――


「だったら、服屋に行きたい。めっちゃ可愛い服、栞ちゃんとふたりで選びたい」


「あはは、わたし、あんまりセンスに自信ないから~」


「そんなことないよ。栞ちゃん、いつも可愛い服着てるから。スタイルもいいし、羨ましいもん」


 ガールズトークをこの上なく弾ませているふたりを見つめながら俺は、……いやいやいや。


 栞のことを考えるな。

 俺には織芽がいる。

 織芽がいるんだ!


 頭の中で、必死に彼女の名前を呼び、そして彼女の顔を考えていた。

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