第9話 俺、絶望からの異世界転生スローライフ(希望)

 心。

 死。

 発狂。

 絶望。

 渇望。

 文字。

 既読。

 返事。

 幸福。


「うぇへ……へは……へぇははは……どうふふふ……」


「たかくん、カムバック! 戻ってきて! まだたかくんには現世でやり残したことがあるはずだよ~!」


「もういい、栞。これまでありがとう。だけど俺はもういいんだ。かくなる上は異世界に転生する。スマホもラインも恋愛もない世界で、自由気ままにスロー……ライフ……」


「孝巳、瀕死」


「ちょっと待ってなさい。いまこのあたしが、織芽を問い詰めてあげるから」


 歌音の指先が、忙しく動く。

 織芽に、ラインを送っているようだ。


 俺は、血反吐を吐き戻すかのような胸いっぱいの絶望モードのまま、半眼で歌音のスマホを見つめる。


『織芽、既読がついたわね』


『お久しぶり。いま、あんたの話してんの』


『孝巳のラインだけ未読なのはどういうこと?』


『彼、すごい傷ついてるわよ』


『返事ちょうだい』


「は、はっきり尋ねたな、歌音」


「当たり前よ。こういうのはさっさと白黒つけたほうがいいの。午後の授業でアンタにゲロ吐かれても嫌だし」


 ゲロって……。

 その単語はピー音が入るべきところだぞ、歌音。


「あ、既読がついた~」


「早い」


『孝巳のラインだけ未読なのはどういうこと?』(既読)


『彼、すごい傷ついてるわよ』(既読)


『返事ちょうだい』(既読)


「間違いないわね。いま、織芽、このラインを見てるわ。……でもなんで返事を返さないのよ、この子!」


「ラインを返せない状況、とか~?」


「ならせめてスタンプでもいいから返しなさいよね! こうなったら……!」


 歌音は慌ただしくスマホを操作し、それから耳に当てた。


 どうやら、織芽に電話をかけているらしい。


 ワンコール。

 ツーコール。

 スリーコール。


 歌音はじつに、1分近く電話をかけ続けていた。


 だが、向こうはいつまでも電話に出ないらしい。


「もう! なんで出ないのよ!」


 歌音はイラつきながらスマホを眺めていたが、織芽のラインはその後、返事をすることは一切なかった。


 どういうことだ。

 歌音の呼びかけにもまったく反応しないなんて。


「完全スルーってわけね。良い度胸してんじゃない、織芽。もうあたしたちとも関係断ち切ろうってわけね。ふ、ふふふ……」


 怒りのあまり、邪悪に近い笑みまで浮かべる歌音。


「お、落ち着けよ、歌音。なにか織芽にも事情があるんだ」


「どんな事情があるっていうのよ。もう、なんで福岡にいる子ひとりに、あたしたちみんながきりきり舞いさせられてるわけ!?」


 もはや4人の中で一番感情的になっている歌音。


 顔面がヒクつき、せっかくの美少女が台無しである。


 ショックを受けていた俺でさえ、なんだか冷静になってきたほどだ。


「仕方ないよ、かのちゃん。わたしたちだって、おりちゃんとずっとラインしてなかったわけだし~」


「む……」


「関係切られたって思ってたのは、むしろ織芽のほうかもな」


「なによ、孝巳まで織芽の味方しちゃって。あんた、彼氏なのに一番スルーされてんのよ? 分かってる?


 もう、その甘さっていうか優しさ、ちょっとぐらい目の前にいるあたしに分けてくれても……」


「俺、けっこう歌音には優しいと思うんだけどな」


「ちょ……聞こえてたの!? 小声で言ったのに! ……ふん、自分で自分のことを優しいなんて、よく言うわ。……それであんた、どうするのよ? 織芽とどうするの?」


「どうって……どうしようか」


 全員未読スルーって状況は想像ができていたが、栞たちだけ既読スルーってどういう状態なんだろう。


「織芽の考えがまるで読めない。中学時代に分かり合えたと思っていたのにな」


「中学といえば」


 そこで瑠々子が、細い人差し指をぴっと立てて、


「中学時代の友人に、織芽さんのことを尋ねて回るのはいかが。まだこの街には、私たちの中学時代の知己朋友がたくさん住んでいる」


「却下。中学時代の知り合いなんて、なるべくもう会いたくない」


「たかくん、苦手なひとが多かったもんね~」


 栞が、ちょっと困ったように笑いながら言った。


 俺は中学時代、友達がいなかった。


 理由はよく分からない。

 いじめられていた、ってほどじゃないんだが、とにかく話しかけても無視されたり、笑われたり、話すとあまりに長くなりすぎるが……要するにまあ、ろくな人間関係じゃなかった。


 中学時代の俺と仲が良かった人間なんて、栞に歌音に瑠々子、そして織芽くらいだったんだ。


「あんた、まだ中学時代のトラウマ引きずってんの?」


「引きずりたいわけじゃねえけどな。忘れたいとは思ってる」


 そうしたほうが、前向きでいい。

 そんなことは分かってる。


 だけど、


「これがなかなか、忘れられないんだ」


 ふと、空を見ると、織芽の笑顔や、昔、嫌いだったやつの声が頭に浮かんできた。


「勉強でもなんでも、世の中は、覚えたいことばかりだと思ってたのにな。最近は忘れたいことも増えてきた。


 人間って、覚えるよりも、忘れることのほうが難しいんだな」


 そう言うと、栞も、歌音も、瑠々子も、俺から目をそらして、顔を少し伏せた。


 だけど、それは3秒にも満たない時間だ。


 栞は、すぐに顔を上げて、


「無理に忘れなくてもいいんじゃない? 覚えておいたほうがいいことも、たくさんあるよ」


「……そうかな」


「わたしだって、この後何年経っても、……いつまでも、たかくんにわたしのこと、覚えておいてほしいよ」


「忘れるわけないだろ、栞のことを」


「ほんと?」


「そうさ。歌音と瑠々子のことも決して忘れない。忘れたくないことは、大事なものは、忘れねえから」


 その『忘れたくないこと』の中には、当然、織芽のことも入っていた。


 本当に、忘れられないよ。

 たとえ、どんなに嫌われたとしても……。


「……はい、はい! ここでこの真面目なムードはおしまい! ね、次の話にするわよ?」


 歌音がぱんぱんと手を叩きながら言った。


 顔が、真っ赤になっている。


「耳まで赤いぞ、歌音」


「あんたがあたしのこと忘れないとか、クサいこと言うからよ。う、嬉しかったけれどさ」


「え? なんだって?」


「なんでこういうときだけ耳が遠くなるのよ!? わざとなの!? 故意なの!? あたしをいじめて楽しい!? ねえ、孝巳!!」


 歌音は涙目になった。

 いじめるつもりなんて毛頭なくて、俺、マジで聞こえなかったんだけどなあ。


 歌音って声の高低差が激しいから。


「どうどう。落ち着いて、歌音さん」


 クールな瑠々子が、歌音をなだめる。


「孝巳くんが中学の知り合いから、織芽さんをたどりたくないのは分かった。だとしたら、私が思いつく手段はひとつだけ」


「ひとつ? なんだ?」


「たったひとつ」


 瑠々子は、人差し指をまた立てた。


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