第7話 負けヒロインたちの朝一番攻勢(ただしこれは計算ではなく素)

 朝一番。

 1年A組の教室である。

 俺はひとりで、自分の席に座っていた。


「よく眠れなかった……」


 独りごちる。

 昨晩は、かえでから聞かされた織芽の話を考えすぎて眠りにつくことができず。


 朝も5時半に目が覚めた。

 身を持て余した俺は、朝食も摂らずにひとりで登校してしまったわけだ。


 なお、考える。

 織芽、なんで返事もくれねえのかなあ……。


「おっ、脇谷」


 教室のドアが開いて、クラスメイトの田名部たなべが入ってきた。俺とはときどき話す仲だ。


 中肉中背。

 スポーツメガネをかけているのがトレードマークだが、俺同様の帰宅部である。


「どうした? いつものハーレム軍団はいないのか?」


「ハーレムって、誰のことだよ」


「決まってんだろ~? いつもの3人だよ!


 明るくて可愛くて面倒見のいい、鈴木栞さん!


 金髪がキレイな超絶美形、天照台歌音さん!


 クールな読書家美人、扇原瑠々子さん!


 3人揃ってクラスの、いや学年でもトップの美少女たちだ。有名人なんだぜ? 彼女たちは」


「……そうなのか?」


「当たり前だろ? 気付いてなかったのか? そして、そんな美人3人に四六時中囲まれているハーレム男の脇谷孝巳様!」


「なんで様付けなんだよ……」


「まるで王様みたいだからだよ。言っとくが、お前さんたち4人、めちゃくちゃ目立ってるんだぜ?


 少しは意識しろよな、みんながお前さんを羨む視線。いいよなぁ、どうやったらあんな3人と仲良くなれるんだ?」


「いや、俺たちは……栞とは幼馴染だし、歌音と瑠々子とは中学が同じで」


「ほら見ろ、女子を下の名前で呼ぶなんてその時点でお前さんはウラヤマ案件決定なんだよ。そう思わねえか?」


「それは……まあ……」


「くそ、いいなあ。3人も女の子が近くにいて。いい匂いするんだろうな~!


 なあ、ところでお前さんがいまひとりだから聞くが」


「なんだよ」


「3人の中で一番は誰だ? 本妻はどの子なんだよ」


「本妻……そういう言い方はよせよ!」


 俺は思わず、大声を出してしまった。


「言っとくが、栞たちは彼女でもなんでもないからな! 俺には遠距離の彼女がいるんだ!いまだって忘れられない最高の彼女が――」


「あ」


「え?」


 田名部が呆けた声を出して、俺の背後を見つめる。


 俺は思わず、振り返った。

 すると、……目が合った。


「たかくん」


「孝巳」


「孝巳くん」


「あ……」


 栞と歌音と瑠々子。

 3人が、揃って教室に入ってきていた。


 なんか、気まずい。

 き、聞こえたか?

 栞たちは彼女でもなんでもないって叫んだ、俺の声――


「たかく~ん!」


 栞が、ニコニコ顔で接近してきて、俺の右手をいきなり両手でぎゅっとした。


 お、おお。

 あ、温かい……!


「よかった、ちゃんと学校に来てた! かえでちゃんに聞いたら、朝にはもういなかった言ってたから……!」


「あ、ああ。ごめん。今日は早く目が覚めたから、つい」


「カバンがなかったから、もう学校だろうとは思ってたけれど……どこか遠くに行っちゃったんだじゃないかって心配していたんだよっ?


 ほら、朝ご飯。今日はおにぎり握ってきたからね。お腹すいてるでしょ? 食べて、食べて!」


「栞は相変わらず過保護ね。孝巳だって、たまにはひとりで登校したいときもあるでしょうに。そんなに大騒ぎすることなの? まったく――」


「歌音さん。……カバンからペットボトルがこぼれ落ちそう」


「へ? ……ひゃあっ!」


 見ると、瑠々子の言うとおり、歌音のカバンから、黒い液体の入ったペットボトルが落ちそうになっていた。


「あ、あっぶな! ……これ、落としたら大変なことになるのよね……シュワシュワ~って、爆発しちゃうから……」


「かのちゃん、それ、なに? ……あ、エプシコーラ! それも『朝専用エプシコーラ』! ネット広告でよく宣伝されてるやつ!」


「なに、朝専用エプシだって!?

パンにも米にも合うように開発されたっていう話題のエプシじゃないか! 俺、いっぺん、飲んでみたいと思ってたんだ!」


「そ、そうでしょ? そうよね、あんたはあたしと同じエプシ大好き人間だもんね! 仕方ないわ、少し分けてあげる。おにぎりといっしょに食べなさい!」


「おお、サンキュー!」


「……歌音さん。いかにも仕方なくあげるって顔をしているけれど……。その朝専用エプシは登校途中、栞さんがおにぎりを作ったと聞いて慌てて自販機で購入したものでは。つまり最初から孝巳にあげるために買い」


「あーあーあーあーあー、一時間目って音楽よね!? 練習したい! ソプラノの発声練習をたったいま、ものすごくやりたくなったわ! あーあーあーあーあー!!」


 栞たちがやってきて、急に教室が騒がしくなった。


 いや、栞っていうより、歌音がひとりでうるさいだけだが。


 瑠々子なんか、キョトンとした顔をしているぜ。


 でも、朝専用エプシの差し入れは嬉しいな。栞の手作りおにぎりと合わせて飲んでみよう――


 と、思ったときだった。


「ぎゅ」


「!?」


 歌音を見ながら黙り込んでいた瑠々子が、突如、俺の正面にやってきた。


 そして、俺の両頬を、自分の両手でぎゅっと包み込んできたのだ。


 な、なんだ!?

 細い指先から伝わってくる温かみが、気持ちいい。


 あと、瑠々子の髪から漂ってくる香りと、目の前にある、吸い込まれそうな大きな瞳が――


「ち、ちょっと瑠々子、なにやってんの!?」


 歌音が瑠々子を、俺から引き剥がした。


 瑠々子は、顔を赤くしながら、しかしクールな表情のまま、


「今朝は寒かったから、孝巳のほっぺたを暖めていた」


「だからって、友達同士でそんなことする!?」


「昨晩読んだ雑誌に書いてあった。好きなひ、……友達を暖めたいときには、こうするべし、って……」


「またも瑠々子のあやしげ参考文献シリーズってわけね? こんなこと、友達同士でやらないのよ。絶対しないで!


 瑠々子みたいな綺麗な子にこんなことされたら、孝巳だってグラついちゃうんだから、絶対に――」


「えい」


「!?」


 歌音が叫びまくっているのを尻目に、今度は栞が俺の両頬をギュッとしてきた。


「わ、ほんとだ。たかくん、ほっぺた冷た~い。わたしが暖めてあげるね。えいえいえい」


 ちょ……待っ……!

 栞の顔が近くにあって、やっぱり良い匂いがして、あとカッターシャツの隙間からそのたわわなものが、チラ、チラっと見えて――


「栞! あんたまで!」


「るるちゃんが読んだ雑誌に書いてあったんでしょ? 友達にするべしって。わたしとたかくんは幼馴染。昔からの友達。むしろ親友。そうだよね? たかく~ん」


「うん」


「うん、じゃないわよ! なんであんたはいつも栞が甘やかしたら子供みたいに――離れなさい、栞!」


「あ~、はなればなれ~。かのちゃんの意地悪~」


「もう! 栞も瑠々子も、孝巳を甘やかして……見なさいよ!

高校生にもなった男が、こんなにも安らかな顔をしてる! 栞と瑠々子がほっぺたを、触るから……。……」


 ……む。


 一瞬、意識が飛んでいた。

 いけない、いけない。

 栞の匂いは、俺の心を幸福へといざなうなにかがあるらしい――


「ぴた」


「!?」


 歌音が俺の正面から、手を伸ばして、やっぱり俺の両頬をギュッとしてきた。


 な、なんで歌音まで!?


「どういうことだ!?」


「し、栞と瑠々子がやったから、あたしもしたくなったの。そう、孝巳のほっぺたのさわり心地を確かめているだけよ!」


「なんで確かめる必要が!? うう……」


 歌音の指先は、栞たちと比べてやや冷たく、基礎体温の低さを感じさせる。


 ただ、目の前にいる歌音は、俺のことを一直線に見据えながら、両の瞳をわずかに潤ませて――


 いま俺の目の前にいる歌音は、ものすごく可愛かった。


「こ、こんな感じなんだ。あんたのほっぺた。……すごい……なんか……温かい……」


「歌音」


「温かいね。孝巳の身体」


「あ……いや……ま……。……待てっ!」


 俺は歌音の両肩をつかむと、ぐいっと引き離した。


「みんな、おかしいぞ! 朝っぱらからこんなこと――」


「夜ならいいんだね、たかくん。だったら今夜、またたかくんのお部屋に抜き足差し足忍び足……」


「二十四時間でダメ! これはダメだから! ……ほら、みんなが登校してきたぜ。はい、終わり終わり! 第一部・完ッ!」


「むうう、たかくんが冷た~い」


「良かった。みんなに遅れないで……」


「……参考文献……他のものを探す……」


 3人はそれぞれ、自分の席に着く。


 わいわいと、クラスメイトたちが登校してきた。


 まったく、危ない流れだったぜ。

 つい、織芽のことを忘れて、栞たちのほうへ流れそうになってしまった。


 だけど、本当に栞たちって可愛いよな。


 そりゃ、みんなの噂になるわ。


 しかし、さっきの3人の手のひら……温かかったな……。


 あ、そうだ。

 織芽が中学にメッセージを寄せたこと、あとで3人に話しておかないと。


 それと、3人がラインで織芽に連絡した件も、続きが知りたい。


 夜の間に返事、来たんだろうか?


 織芽。

 反応をくれよ……。




「……脇谷……。……オレのこと、完全に忘れてるだろ。鈴木さんたちとばかりイチャつきやがって……」


 田名部がひとりで愚痴っていたことを、俺が知ったのは、それから何日も経ってからのことだった。


 すまん、田名部。

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