第1話 幼馴染ヒロイン、攻めの姿勢に転じる
昼休みである。
1年A組の教室で、俺は薄青の便せんを睨みつけていた。
彼女への手紙を書くのだ。
便せんは学校の売店で売られていたものだが、四隅に花の模様が印刷されていて、わりと可愛い。
道具は揃ったぜ。
さて手紙はどう書こうかと悩んでいると、隣の歌音が、
「未練がましいわね~!」
さっそく、茶々を入れてきた。
「連絡が取れなくなった彼女に、直筆の手紙まで書いて送ろうなんて、重たい重たい。愛が重すぎるわ。ストーカーかってドン引きされるのがオチよ?」
「そんなことはねえよ」
俺は歌音を睨んで、
「彼女はスマホで連絡するより、むしろ手紙が好きだった。相手の気持ちが伝わってくるからってさ」
「それは本当。あの子とはよく文章のやり取りをした仲」
「そういえば中学生のころ、授業中にあの子とこっそり手紙のやり取りをしたことあったな~。『今日の給食なに~?』みたいなの回したりして。なんだかいま思い出すと可愛いね」
「ほら見ろ。瑠々子と栞もこう言ってる」
「っ……! で、でもそれは中学時代の話でしょ!? 女の子は高校に入ったら変わるものよ!」
「そう簡単に変わるかよ。まだ中学を出て1ヶ月半しか経ってないのに」
「それだけ時間があれば充分よ。ほら、女子三日会わなきゃものすごく美人、みたいな
「三日会わざれば
瑠々子がやんわりとツッコんで、歌音は少し赤面したが、
「ふ、古いわね。いまは女子だって三日会わざればの時代よ? だいたい高校1年生は16歳になる歳。世が世なら結婚もできるんだから、変わるに決まってるじゃない!
だから孝巳。アンタも、彼女のことなんてさっさと忘れて、新しいひとにいったほうがいいの。ほら、例えば、……同じ学校の同じクラスにいる――」
歌音がひたすら力説する。
後半はいまいち耳に入らなかったけれど。
でも、……変わった、か。
そうかもしれないな。
だいたい、栞たち3人も高校に入って、少し変わった。
なにがって、そりゃ――
もともと可愛かったけれど、ますます美人になったし、胸とか3人ともかなり成長――
『むねまくら』
うおっ!?
今朝の栞が発したセリフが、唐突に俺を襲ってきたぞ。
栞の胸をまくらにしたら、さぞかし寝心地がいいだろうな――
って、やめろ!
やめるんだ、孝巳!!
俺には彼女がいるんだぞ。
あー、でも。
その彼女が、変わってしまったとしたら……。
「変わったのかな、あの子」
「変わった、変わったァ!」
ぽつりとつぶやいた俺に対して、ここぞとばかりに、歌音。
まるで漫画というか、畳みかけるような物言いで、彼女の変化を肯定する。
「もうアンタのことなんか、とっくのとっくに忘れ去ったのよ。女は前向きなんだから!
いまごろは引っ越し先のイケメンにたっぷりしっぽり口説かれて、はい、カラオケボックスで抱きしめられてイートイン! 間違いない!」
「やめろやめろ、やめてくれ!あの彼女に限ってそんなこと、そんなこと!」
「かのちゃん、言い過ぎ。いくらなんでも、あの子がそこまでは変わらないと思う」
栞がフォローしてくれる。
瑠々子も、うんうんとうなずく。
歌音は、なぜか赤面しながら、ふんとそっぽを向いて、
「分かってるわよ、あの子がそんな風になってるの、あたしだって想像できないし。……でも、もう孝巳のことを忘れてるかも。変わったかもしれないって意見は、あたしの本音だからね?」
「う……」
歌音の言葉にも一理ある。
高校生になっても、ずっと中学時代のメンバーでつるんでいる俺たちは、割とレアだ。
周囲を見渡しても、A組の同級生たちは、高校に入って知り合った人たちとグループを作って、友達になっている。
彼女にだって、いまごろは別の友達もできているだろう。
その過程で、もう、遠距離の彼氏のことなんか忘れて、新しい男と――
「もうアンタのことなんか、とっくに忘れた。女は前向きなんだから。……か」
先ほどの、歌音のセリフをつぶやいて、
「歌音たちも、そうなのか? 高校に入って、過去なんか忘れているのか?」
「「「え?」」」
栞たち3人は、固まった。
その話題が自分たちに来るなんて、考えもしていなかった、って顔だ。
「いや、だから。栞たちも、もう、昔のことなんか忘れて、こう……新しく、好きなひとでもできたのかなあ、って……」
「え、え~と……」
「……それは……その」
「も、もっちろんよ!!」
歌音がひときわデカい声を張り上げた。
教室の注目がこちらに集まってしまう。
「好きなひとくらい、いつだっているわ。だ、だからね、孝巳、アンタだって、いつまでも終わった彼女にしがみついてないで、もっと、別の子にも目を向けなさい。中学時代はもう終わったの。これからは同じ高校にいる女の子に」
「そうか……」
歌音の声の勢いに押されて、俺は一瞬、次の言葉が出てこなかったが――やがて、
「頑張れよ、歌音……」
「え?」
「新しい好きなひとのことだよ。心からそう思うぜ。過去を振り切って前進するのはいいことだ」
歌音に新しく好きな人ができたなら、応援したい。マジでそう思う。
なんだかんだ言って、歌音は明るくて、いいやつだからな。
いや、しかし危なかった。
歌音は、いや栞も瑠々子も、高校に入ったって、まだ俺に話しかけてくるしさ。俺以外の男としゃべっているところなんて、ほとんど見たことねえし。
もしかしたら、俺のことがまだ好きなのかもって思ってたぜ!
でも、勘違いだった。
あぶねえ、あぶねえ。
歌音には好きなひとがいるし、栞と瑠々子も、この反応を見る限り、もう他に好きなひとがいるかもな。
俺、彼女との関係がどうなろうと、栞たちと付き合おうなんて、嘘でも考えちゃいけないな。
勘違い野郎にだけは、なりたくないからな!
「う、う、うう……うわぁ~ん! なんでそうなるのよお!! あああああん!!」
「歌音さん、どこへ行くの」
なぜかちょっと涙目になって、教室から出ていった歌音と、それを追う瑠々子。
栞はきょとんとした顔で、ふたりを見送っていたが――
やがて、
「むむむ……」
と、うなり始めた。
どうしたんだ?
「俺、歌音に悪いこと言ったかな?」
「いや、ど、どうかな。……分かんない~……」
「そうか……」
よく分からんが……。
俺はとにかく、彼女に送る手紙の中身を考えよう。
別れるにしても、理由くらいは知りたい。
自然消滅はあんまりだからな。
でも、できれば俺は。
もう一度、彼女と――
「ダメだ。文章が思いつかん」
その日の夜。
自宅の風呂にて。
湯舟に浸かりつつ、うめいた。
帰宅してからも、手紙についてずっと考えていたが、うまくいかないのだ。
彼女に向けた手紙の文章が、どうしても考えられない。
遠距離の彼女に向けた手紙。
それも、音信不通状態の彼女に向けて、なんて。
「難しすぎるぜ……」
ちゃぷん。
湯舟にくちびるまで沈める。
そもそも直筆の手紙なんて、まともに書いたことないもんな。
ほんと、授業中に栞たちと送り合うミニ手紙くらいで……それも中学時代はときどきやってたが、高校に入ったら、しなくなったなあ。
親戚への年賀状だって、親が書いているし。
こういうとき、瑠々子ならサラサラと書いちまうんだろうな。
あの子、国語、得意だし。
「はぁ~……国語ヘタクソって、日本人としてダメだよなあ」
ぼやきつつ、風呂を出た。
両親が仕事で不在だし、中2の妹は部活で疲れて爆睡してるしで、家の中はしいんと静まりかえっていた。
2階へ上がり、自室に入る。
いい風呂だったぜ、なんて思いながら、何気なくベッドの上に座ると。
ふみゅ。
指先がなにかに触れた。
生暖かい。なんだこれ――
「……ふにゃあ」
女の子の声。
と同時に、指先に絡みついてくる、別の指。
この展開は――
間違いない。
「栞!」
俺は、ばっと布団をめくった。
「んん……ふにゃ」
案の定だった。
布団の中には、パジャマ姿の栞が眠っていた。
そして栞の指先が、俺の指に絡んできて、
「寝ぼけるな、おい。起きろ!」
「ぐにあ!? 痛い痛い痛い!?」
俺は空いている左手で、栞の濡れた黒髪ショートをぐしゃぐしゃとかき回した。
「んあ……もう、なにするの~!?」
「こっちのセリフだよ。当たり前みたいに俺の布団で寝るな」
俺はチラリと、自室の窓を見た。
栞の家は俺の隣で、しかも部屋は俺と同じ二階。
俺の部屋の窓を開けたら、そこにはすぐに栞の部屋の窓がある。
だから俺たちは、お互いの部屋をフリーパスで行き来できるんだけど、
「風呂に入ったあとでまで、こっちに来るのは久しぶりすぎるだろ。なんでだ」
「んん~、あの子に書く手紙、どうなったかなって思って、気になって来ちゃったの~。
布団の上でマンガ読んで待ってたんだけれど、気が付いたら眠くなっちゃって……。ごめんね~」
「高校生にもなって、男の布団に入るなよな」
「え~、でも」
「でもじゃありません!」
ここはピシャリと言わないと。
俺って、彼女持ちだし。
いくら栞とはいえ、男女が同じ布団に入るなんてそんなこと、もし彼女に知られたら――
俺はいたたまれなくなって、ベッドの上にちょこんと座る栞から、あえて距離を置きそっぽを向いて、
「でもでも、あの子とは、いっしょの布団で寝たりしたんじゃないの?」
「ぐ、むっ!?」
どくん!
心臓が激しく脈打った。
ふいうちだった。
ちょっ、おま、そんなエロトークが、まさか、栞の口から出てくるなんて!
「「………………」」
歌音じゃないんだぞ。
栞だぞ。
そういう話題は、俺たちの間では、これまで一度もしなかった。
実のところ、俺と彼女はもちろんそんな関係はなかった。
付き合い始めて、すぐに中学卒業と彼女の引っ越しが来たこともあって、そんなことをするヒマもなかったし。
だが。
したといえば嘘になるし。
してないといえば、彼女持ちだったのに、ろくに手も出せなかった、ヘタレな男だと思われそうだ。
だから。
俺は。
「し……」
「し?」
「シークレットだ……」
我ながら、情けないほど震えながら言った。
「秘密……ってことで……」
「ぶわっ!!!!」
「え?」
「ひ、ひどい! ひどすぎる!
お母さん、たかくんをそんなふしだらな子に育てた覚えはありませんよ!」
「育てられた覚えもないぞ!?」
「うわぁぁぁ~ん!!」
目の前で号泣と絶叫を始めた栞に大して、月並みなツッコミを入れる俺。
「たかくんが……たかくんがあぁ~! 涙が、涙が止まらない~~……。
どうしよう、どうしよう、どうしよう。
まさかそんな言葉が返ってくるなんて。
とにかく、とにかく、とにかく、この件については、かのちゃんとるるちゃんに相談しておくから~! ちょっと待っててね、いまから3人だけのグループライン作るから――」
「作んな作んな、相談すんなっ!! 分かったよ、言うよ。してない、なにもそんなエロいこと、してねえから!」
「……ほんとに?」
「俺とあの子は、て、……手さえ、まだ、繋いだこと、なかったんだ!」
これはマジだ。
それどころか、デートさえ。
せいぜい近場にある駅ビルの中を歩いたりしたくらいで。
「だから、……へたすると、彼女よりもむしろ、栞のほうがスキンシップが多いくらいで」
にんまあああああああ。
ニッコニッコニッコニッコ。
うんうんうんうん。「そうなんだ!」うんうんうんうん!
栞は見たことないほど、そりゃもう満面の笑みを浮かべた上で、何度も何度もうなずいて、そうなんだ、を繰り返した。
「そうなんだ~。へぇ~! そうなんだねえ~。そっかそっか。良かった良かった」
「良かったって……なにが良かったんだよ」
「え!? う、うん。……たかくんが、あの子を簡単に傷つけるようなひとじゃなくて、本当に良かったって。
うん、あの子は真面目な子だったから。えっちいことをしていたら、きっと傷付いてたよ。だからこれからも、しようとしちゃダメだよ。絶対にダメだよ。女の子って繊細だから。ね。
……んふ。ん~ふふふ」
栞はずーっとニコニコ笑っていたが、そのとき1階で音がした。
「おっ、父親が帰ってきたな」
「あ。じ、じゃあ、わたし、帰ろうかな。こんな格好だし、おじさんに出くわしたらマズいよね」
「俺相手なら、そんな格好でいいのかよ」
「幼馴染だからね~! じゃ、たかくん、おやすみ」
「おう。……おやすみ」
窓から出ていく栞を見つめながら、俺は手を振って――やがて栞が家に戻ると、
「はあ」
大きく息を吐いて、ベッドの上に寝転んだ。
すっと息を吸い込む。
めちゃくちゃ、栞の匂いがした。
シャンプーと、ソープと、栞自身の匂い。やっべ。すっげ。すげえ、いい匂い――
「あ~~~~~ダメだ、ダメだ、ダメだ、ダメだ俺は。ダメだ!」
俺には彼女がいる。
栞は幼馴染だ。
それも一度フッた幼馴染だ。
それなのに、女の子として見るなんて間違ってる。ダメだ、ダメだ、あ~~ダメだ。でも、でも、
「あ~~~……ダメだっ!」
ジタジタジタジタ。
ゴロゴロゴロゴロ。
俺は一晩中、なにかに悶え苦しんだ。
★☆★☆★
鈴木栞は、思う。
(今日はうまく、アピールできたかな?)
朝からひざまくらをして。
いっしょに登校して。
お昼ごはんも食べて。
(かのちゃんが、もう好きなひとはいるって言い切ったの、ビックリしたな~。ほんとかな?
あの流れで、わたしまで、他に好きなひとがいるみたいに、たかくんが思ったらどうしよう)
それは嫌だ。
だから、もう一度アピールするために、お風呂上りに孝巳の部屋までやってきたのだ。
(もうわたし、手段は選ばないんだから)
中学校時代。
いや、それよりもずっと昔から、孝巳のことが好きだったのに。
それなのに。
彼女に、孝巳を取られてしまった。
(おとなしかったからだ。積極的にいかなかったからだ。たかくんは絶対に、わたしのところに戻ってきてくれると確信しすぎていたからだ。それが)
今日という日の体たらくである。
もう、二度と同じあやまちは繰り返さない。
(絶対、絶対、たかくんにわたしを意識させるんだから!)
もっとも。
孝巳と彼女がいっしょに寝たとか寝ないとか、そんな話を聞いたときは、本気で号泣したが。
(よかった。たかくんとあの子が、すっごいピュアな関係で、本当によかった!
これならまだ、わたしだっていけるはず。頑張れ、わたし。頑張ろう、栞。がんばる!)
絶対に。
幼馴染のままじゃ終わらない。
次こそ負けヒロインにはならない。
今度こそ、今度こそ絶対に、孝巳の彼女になってみせる。
鈴木栞の決意は固かった。
(でも、どうしてあの子はたかくんを無視するんだろう?)
孝巳の彼女は、そんなことをする女の子ではなかったのに。
(本当に、向こうで他の好きなひとができたのかな? ……気になる……)
それは純粋に。
友達として、気になる話であった。
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