貴方を理解してるのは、私だけ
「というわけなんだ」
「ファイントが、そんな……」
朝のファイントとの遭遇戦後、お兄さんに頼まれて一旦寮に帰ったわたし。
『あやか、今日の夜はうちに泊まってくれないか?』
ついその前まで血まみれだったお兄さんに誘われて喜んでしまったのは自分でも驚いたけど、好きな人にそう言われて喜ばないのはわたしには無理だったし!琴音の事もあったけど、その事も考えて折角お気に入りの服と下着を用意して勇み足で来たというのに。
お兄さんから聞かされたお話は、そんな浮かれていたわたしを簡単に冷静にさせた。
原因は不明だけど、特区からファイントが出ることが出来るようになった。それは今晩だけで、お兄さんはその対処に明日の朝まで帰ってこられない。だから、わたしに琴音を守る為に家にいて欲しいという。
動揺はあるけど話を飲み込むことはできた。
できたけど、わたしの感情はそれを許してくれなかった。だって、お兄さんは無敵なんかじゃないから。血を流して、疲れて、死んでしまう。
お兄さんは、わたしと同じ人間なんだ。
「ひ、一晩中ですか?」
「ん?そうだとは思うけど」
「……平気なんですか?」
「平気かどうかは分からないけど、やらなきゃいけないから。俺がいないと、きっと大変なことになるしな」
俺がいないと、ってどういう意味か分かってるんですか!それはつまり、お兄さんが他の人の分まで傷ついて頑張らなきゃいけないんですよ!お兄さんがいくら強くても、傷ついてしまう人間なんですよ!
喉から出かかったその言葉は、目の前にあるお兄さんの笑顔に制された。
でも、わたしの口は必死に違う言葉を探す。
「……死んじゃうかもしれないんですよ?」
そんな事想像もできなかったのに、さっきのファイントとの戦いで頭によぎる様になってしまった。お兄さんの、大切な人の死を、想像できてしまった。
「わたしは反対です!だって、お兄さんは琴音の為に調整者になったんでしょう!?それなら他の人に任せて、お兄さんは琴音の傍にいてあげないと!」
自分でもよく分からないことを言っている自覚はある。
わたしはお兄さんの調整者としての立場をよく知らない。5年も調整者を続けていて、その上今日みたいな強さのファイントにも勝てる。きっと想像以上に、お兄さんは重宝される存在なんだろう。
でも、お兄さんはまだ高校生で。そんなお兄さんに過度の責任を乗せるのは違う!お兄さんにはもっと、ちゃんと穏やかに──。
「代わりにわたしが──」
「あやかじゃ俺の代わりにはなれない」
その低く冷たい声音に、頭に血が上って激情のまま紡がれていた言葉が止まる。
俯いていた顔を上げると、さっきまで笑顔だったお兄さんの表情は酷く冷たい顔をしていた。
「分かってるだろ?今のあやかじゃ、Ⅰ階梯にすら1人じゃ勝てない。あやかには琴音を守ってもらって、俺は戦う。多分、それが適材適所ってやつだと思う」
そんなの分かってる。
特区外にファイントが出てくる以上、朝のように民家や建物にも被害が出る可能性は高い。そんな最悪の場合、少しでも動ける調整者のわたしが時間を稼げば被害は減らせる。
わたしが家にいれば、お兄さんは琴音に関して安心できるのだろう。安心して戦いに臨める。わたしの事を信用して、一番大切な琴音の事を任せてくれている。
そんな事、分かっているけど……。
「それじゃあ、一体何の為に鍛錬をしていたんですか……」
調整者として、わたしは大勢の人を守りたい。そして今はそれ以上に、お兄さんを守ってあげたい。お兄さんと一緒に戦いたい。
少しでも、お兄さんの負担を隣で減らしてあげたいのに。
「わたしは、お兄さんを……っ」
あれ、なんだろう?声が急にっ、出なくなって……。お兄さんの顔もなんだかぼやけていって……。前が、見えない……。
「お兄さん、を……っ」
「ごめん、きつい事言って」
頭に温かいものが乗せられる。ゴツゴツして、でも安心できるそんなモノ。
「あやかには、家で待っていてほしいんだ。そうしたら、俺はきっと帰ってこられる」
そのまま頭を撫でられる。優しくて、それでいて力強く、どこまでもわたしの事を気遣うように。
指で涙を拭われる。ぼやけたままの視界でうっすら見えるお兄さんの顔は、とても優しい顔をしていた。その目はきっと、琴音を見る時の目とは違うもので、それに気づいたわたしの心はいとも簡単に弾んでしまった。
ああ、わたしは本当にこの人が好きなんだ。だって、お兄さんの言葉1つでこんなに安心できる。その安心の為に言葉を求めてしまうわたしは、やっぱりズルい人間だ。
「……お兄さんがそう言ってくれるのは、わたしが弟子だからですか?」
「そうじゃない。あやかが、俺にとっての大切な人だからだ」
ほら、そうやってわたしの欲しい言葉をくれる。安心と充足感と独占欲が、身体の髄まで満たされていくのを感じてしまう。
「……もう、恥ずかしい事しか言わないんですから」
いつの間にか、こんなにお兄さんの事を愛してたんだ。
△
「そうじゃない。あやかが、俺にとっての大切な人だからだ」
お兄ちゃんのそんな言葉が聞こえて、その場に静かに座り込んでしまう。
布団の上からとはいえキスをして、そのことに悶えて数分。ひとしきり諸々に整理をつけると、今度はさっきのお兄ちゃんの反応を思い出した。もしかして、キスをされたと思ってなかったんじゃないだろうか。だとすれば、もう1度今度は正面から……。
そんな考えは、話していた2人を見て小さくなった。
「……もう、恥ずかしい事しか言わないんですから」
そう言いながらお兄ちゃんに抱き着くあやか。
お兄ちゃんからは見えてないだろうあやかの表情は、それはそれはニヤニヤしていて。その表情は、きっとさっきまでの私と同じだろう。うん、ならしょうがないか。私とあやかは親友だし、あやかと私はどうなっても恨みっこなしだって………………。
そんなの、どうだっていい。
私はずっとずっとずっとずっと、あやかがお兄ちゃんに会う前からお兄ちゃんの事が好きだった。実の兄妹だ何てそんな事実、この気持ちの前にはとても些末な事だ。
お兄ちゃんを異性として好きになったのはいつからだったっけ。
小さい頃からお兄ちゃんの優しい声音に、温かい手に、真っすぐな瞳に、穏やかな笑顔に触れ続けて。お兄ちゃんに愛していると言われ続けて、そうしていたらこの恋心ができていた。
7年前。パパとママが死んじゃって2人で暮らすようになって、当時はとても苦しくて悲しくて。
でも、心の底でちょっとだけ嬉しかった。お兄ちゃんはこの世に2人だけの肉親の私を、ずっと大切にしてくれるって確信したから。
でも、お兄ちゃんの周りには女の人が集まりがちだ。
例えば小金井いおり。
いつもいつも私とお兄ちゃんの朝を邪魔して、私からお兄ちゃんを奪おうとするあの女。心底嫌いな、あの女。
例えばあやか。
あやかは親友だしその気持ちを尊重したいけど、それでもお兄ちゃんに関しては絶対に譲れない。大好きだけど、恋のライバルな女の子。
「…………泥棒猫」
お兄ちゃんは背が高いし、顔はかっこいい。性格は馬鹿なところは多いけど芯がしっかりしていて、おまけに行動力がある。そんな人がモテないわけがない。
だからずっとずっと、幼いころからお兄ちゃんの周囲の人間関係には警戒していた。まさか、大親友のあやかが好きになるとは思ってなかったけど。
あやかが気持ちを打ち明けてくれた時、本当は失敗したと思った。もっとお兄ちゃんに気を配っていれば良かった。もっと、泥棒猫を警戒してればよかった。
──お兄ちゃんは誰にも渡さない。
「あれ、あやか来てたんだ!」
そう言いながらドアを開けると、あやかは真っ赤な顔をそのままにお兄ちゃんから離れる。
まるで、何か後ろ暗い場面を見られたかのように。そっか、私に後ろめたい気持ちはあるんだね。お兄ちゃんの方は何ともない顔をしてるから、あんまり意識してないんだろうな。
「う、うん!今日なんだけど、泊ってもいい?」
「……兄貴?」
「あー、言えてなかったな。明日の朝まで俺帰ってこれないから、その間あやかに家にいて貰おうと思って。言っただろ、あやかは弟子だからさ」
そういえばそんな事言ってたっけ。最近お兄ちゃんと一緒に運動してたのは弟子だからっていう事か。話が合うからそのついでで一緒にトレーニングなんて言ってたけど、ちゃんと理由があったのはまぁ良かったかな。
「分かった。そういう事ならよろしくね、あやか!」
「もちろん!……というかお兄さん、ちゃんと話したんですね?」
「おおむね?まぁ、大体は琴音に助けられた形だけどな」
そんな風に言いながら、掌が頭に乗せられる。
あぁ、お兄ちゃんの手だ。いつだって私を色んなものから守ってくれて、いつだって私だけを優先してくれている温かい手。この手が、いつだって私に安心をくれる。
「理解のある妹でよかったね、兄貴」
「ははっ、本当にな。琴音が妹でよかったよ」
妹でよかった。
今はそれでいい。ゆっくりゆっくり、お兄ちゃんに私の思いを伝えていって、お兄ちゃんに意識させるようにすればいい。さっきの毛布越しのキスだって、きっと少しは意識している。こういう小さなものの積み重ねで、異性として認識させれば私の勝ちだ。
負けない。他の誰にも、いおりさんにもあやかにも。
「あはは、もっと褒めていいよ!」
どんな事をしても、泥棒猫どもには司を、お兄ちゃんを渡さない。
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