戦闘準備

「うし、それじゃあ行ってくる!」


 琴音とあやかと少々の雑談をして仮眠をとった。身体の調子は悪くないし、これなら明日の朝まで戦えるはずだ。


「うん、行ってらっしゃい兄貴!」

「ちゃんと、帰ってきてくださいね。琴音と家で待ってますから、お兄さん」


 玄関先で2人にそう激励をうけ家を出る。あやかがいるなら琴音はきっと大丈夫だろう。もしもの時は電話をかけてくるように言ってあるし、楽観視はしないが気をもみすぎる必要もないだろう。


<こちらは、第一地区市役所です。本日はファイントの活動が活発化すると予想されており、住民の皆様は陽が沈むまでにお帰りください>


 学校までの道を歩いているとそんな放送が耳に入る。ぽつぽつと見える軍服を着た調整者達は住民の避難を促しているのだろう。


 立ち止まって空を見上げると、そこにあるのは赤い月。太陽がうっすらと沈み始めているとはいえ、月が見えるなんておかしい話だ。その奇妙な空には見覚えがある。


「本当に、6年前と同じ事が起きるんだな」

「6年前ですか?」

「ああ。だからあの地獄を繰り返さない為にも、全霊で戦っ……。うおっ!?」


 びっくりした!いつの間にやら、あやかが俺の独り言と会話をしていたことに気づいた。

な、なんか最近多いなこういうの。周囲に気を配れてなさすぎるな俺!?


「あ、あやか、なんでここに?」

「忘れ物があったから、仕方なく届けに来てあげたんじゃないですか。はい、これ」


 差し出されたものは手提げのバッグ。中を見てみると、そこにあったのはお弁当箱だった。


「ありがとう。お腹減ったら、どっかで隠れて食べるよ!」


 実際とてもありがたい。腹が減っては戦は出来ぬとも言うし、栄養補給は非常に大事だ。何時間も戦うのなんて、それこそ師匠との修行以来だし。

いやぁ、あの時は死にかけたなぁ。終盤らへんは頭も回らなくなって、碌に剣も振れなくなってたし。


「…………あの、お兄さん」


 しんどかった師匠との修行の日々を思い出していると、あやかが声をかけてくる。

 あれ、なんか変な空気だな?あやかの瞳が潤んでいて、俺を見上げる顔が紅潮していて。んんっ?ただ弁当を渡しに来ただけじゃないの?


「お、おう。どうした?」

「ルーベンの能力の源、幸せを感じることだって言ってましたよね?」

「そう、だな?」


 一応あやかには結界の事だけでなく、ルーベンの力の諸々について話したけど。でもなんでいきなりそれを?


「…………お兄さんって、恋愛対象は女性なんですよね?」

「どういう質問!?俺、いつ男が好きって言った!?ちゃんと女の人が好きだよ!?」


 どこでそんな誤解が生まれてしまったんだ!別にあやかにそんな話した事なんてないけど、この認識のズレは酷すぎる!


「はぁ……。一体どこでそんな誤解がっ…………んむっ!?」


 それは本当に一瞬の出来事で、俺の唇にあやかの唇が重なった。


 キスを終えると、あやかが俺から距離を取る。顔を真っ赤にしたまま、少しだけ目線を外して唇を指でなぞる。その動作が艶めかしくて、思わず俺も目線を逸らしてしまう。


「わ、わたし少しは容姿はいいと思うんです!だ、だから、ちょ、ちょっとくらいはその……。幸せとか、感じてくれていたら…………。すみません、やっぱり許可なしに今のは……」

「……それはダメだぞあやか」


 確かにあやかはかなりの美少女で、性格も良くて、おまけに恐らくだけど少しは俺の事を慕ってくれている。そんな子にキスをされて嫌がる男なんていない。もちろん俺だって例外じゃなくて、困惑もあったけどそれ以上に嬉しさもあった。


「や、やっぱり、嫌で……」

「違う。自分を安売りするのがダメだって事だ」


 俺の事を案じてくれているのは嬉しいけど、その為にキスなんて選択はしてはいけない。あやかは俺にとって、琴音と同じくらい大切な存在だ。師匠として、妹の親友として、遠くに住んでいるというご両親の代わりに、俺はあやかを真っ当に育てなければならない。


 俺が、師匠にそうして貰ったように。


「わ、わたしが嫌々してると思ってるんですか!?お兄さんはどこまで……っ!」

「……そうじゃないよ」


 もしあやかが打算抜きに俺を好いてくれているのなら、俺の言っている事は最低だ。だからといって、その好意を今受け取るようなことはできない。死ぬつもりなんて更々ないが、今からの戦闘は死ぬ可能性の方が高いだろう。そんな場所に、余計な感情は持ち込めない。


 だから全部後回しにしたい。琴音からのキスも、あやかからのキスも。


「とても嬉しいし、幸せも感じている。だけど、今じゃないんだ。分かってくれるか?」

「……はい」


 しぶしぶといったように引き下がるあやか。


 そりゃあ不満だろう。自分の一世一代の告白まがいの行動を、こんな風に流されたらたまったもんじゃない。


 目の前の少女を見る。可憐で芯が強くて、自分ではなく誰かの為に怒れる人間。俺にとっては弟子であると同時に、命に代えても守りたい存在である少女。

 だから、できる限りのケアはしてあげないとだな……。


「なぁあやか、もしあやかが許してくれるなら、ハグをしていいか?それくらいなら、ただのスキンシップだろ?」

「ハ、ハグって……。お兄さんは嫌な人ですね!わたしの精一杯を無視しておいて……」

「ダメか?」

「………………ダメなんて、言うわけないじゃないですか」


 そう言って俺に抱き着いてくるあやかは、予想通りに少しは機嫌を治してくれたみたいだ。あやかの好意を利用している様で心は痛むけど、なんとか許してもらおう。償いなら、この戦いが終わったらいくらでもする。


 肩に手を置いて身体を離す。相変わらず真っ赤なその顔と潤んだ目を見て、本当にこの子は俺を好きなんだなと感じた。……嬉しいけど、やっぱり俺はこの好意に答えられない。そんな無責任な事は、してはいけない。


 もう、俺の寿命はあまり残っていないから。


「帰ってきたら、もう一度やり直しますから」


 やり直すとはさっきの告白まがいの事だろうか。という事は、改めて告白でもされるのか。嬉しいけど、こうも真正面から言われると気恥ずかしいな。


「ははっ、ちゃんと帰るよ。琴音の事、頼むな」

「………………はい。帰ってきてくださいね、お兄さん」


 それだけを言い残して、名残惜しいがあやかは家の方向へ去って行った。


 言葉を濁した事とか、変な態度になっちゃったのとかバレてたかな。あやかはかなり鋭いタイプだし、俺の言葉の裏も簡単に読み取ってしまうだろう。


「……クソ野郎は俺だな」


 異変に気付いたのは高校に上がったころ。

物忘れが一時期とても激しかったことがある。1週間前の行動から始まって、昨日の行動、朝食べたもの、ひどい時には3時間前の行動も、なぜ自分がここにいるかも分からなくなった事もある。


 幸いにもその症状は治まってくれたが、病院に行って分かってしまった。テロメアの減少と、それに伴う老化の初期症状。一種の認知症のようなものだと言われた。


『非常に言いにくい話ですが、余命は6年程だと──』


 当時は6年前の事件の後遺症のようなものだと思っていたけど、師匠からルーベンの能力の詳細を聞いて合点がいった。出力に乏しい俺が、今まで散々能力を使って敵を殺し続けてきた。


結局は、今までしていた無茶で命の前借をしていただけだったんだ。


 俺の寿命はあと5年くらい。それだけあったら、覚悟はできる。


 俺の死で、誰かに悲しんでほしくない。何かをやり残すなんてこともしたくないから、彼女なんて作るわけにもいかない。

 寿命が尽きるまであやかに出来る限りの事を教えて、琴音がこの先苦労しない程度のお金を残す。現状は、それが一番やりたい事だ。


「おい、あれもしかして」

「絶対そうだよ、白い死神だ。俺初めてみたぜ」


 そんな声が聞こえて周囲を見る。ボーっと歩いていると、いつの間にか学校の前に着いていた。

委員会から来た軍服を着た調整者が何人もいる光景は少々面白いな。というか、本当になんなんだその中二病みたいなあだ名!


「おいバカ弟子、なにボケっとしてんだよ」

「……別にそんな事ないですよ。ちょっと考え事してただけで」


 その軍服の中で、ひと際目立つ白いジャージ姿の師匠が話しかけてきた。口元までジャージの襟を立てたその姿は、口元を隠しているせいか24歳にしては若々しく見え──。


「うおおっ!?あ、あぶなぁっ!?」

「ちっ、避けんじゃねぇよ」


 こ、このバカ師匠、いきなり日本刀で斬りかかってきやがったぞ!?しかも割と本気の速度だったんじゃないか!?


「なにしてんだよこのバカ師匠!」

「ああ?お前がなんか失礼な事考えた気がしたんだよ」


 なるほど、歳の事は考えるのも危ういのか。というか、絶対顔に出てなかったはずなんだけどなぁ。とはいえ気がしただけでそこまでやるかね?いずれマジで死んじゃうよ?


「今回の迎撃戦、お前とあたしは基本的に遊撃の役割をこなす。委員会からの派遣や民間の調整者が戦っている場所に行き、なるべく負担を減らすようにファイントを殺しまわる。無理をするのが、あたし達の仕事だ」


 それが実際一番だろう。

実力ではこの国で一番の師匠と、その弟子である俺。動き回って、なるべく隙をカバーして回る。そうすれば、人死にも少なくできる。

 周りの調整者たちを見る。きっとどの人にも、帰りを待っている大切な人が居る。帰りたい場所がある。


『──大勢の人を守る為。それが、わたしが調整者になった理由です』


 あやかはそう言っていた。琴音をあやかに任せた以上、俺はあやかの代わりに大勢の人を守らなければならない。それが、俺の役目でもある。


「────バカ弟子、後どれくらい無茶できる?」


 その言葉にハッとして師匠を見る。


 ひどく申し訳なさそうな顔をする師匠は、俺の余命の事を知っていたのだろうか。それとも、今朝のⅢ階梯戦で消耗した事を言っているのだろうか。


「なんだよ師匠。今朝の事なら、家で十分休んだからもう大丈夫──」

「その事を言っていると思ってんのか?」


 どうやら余命の事だったらしい。なんだ、師匠も知っていたのか。


「無理するのが今回の仕事でしょう?なるべくセーブしながら戦って、無茶のしどころは見極めますよ」


 Ⅰ、Ⅱ階梯なら、他の調整者の人達に任せながら戦える。もちろんフォローはするけど、緊急で動く場合に備えて休み休み戦おう。

 今朝の出力全開を加味しても大丈夫なはずだ。実際は5年よりも少ないだろうけど、まだ命は削れる。


「……そうか。ならいい」


 それっきり、師匠は俺の横で黙ってしまった。

 学校の正門前で、おそらく今回の戦いでのまとめ役的な人が調整者を集めて話をしている。俺も師匠もそれを遠巻きに見ていると、話を終えたのか、調整者達が10人ほどのグループになってバラバラに散らばっていった。


「ファイントの発見報告は、お前のスマホに逐一更新される。失くすなよ」


 師匠に言われ、自分のスマホを見る。元々師匠から貰ったこのスマホには、地図のアプリにそんな機能がある事は聞いていた。でも今朝の時は反応していなかったし、普段は特区内での遭遇だからすっかり忘れていたけど。


 ふと、スマホの時計が目に入る。


 時刻は6時過ぎ。もう、ファイントが動き出してもおかしくない時間になっていた。


「あたしは西側に行く。お前は自分の家の方面に行け」

「分かりました」


 抑揚のない声音でそう言うが、これは師匠なりの気遣いなのだろう。だったら、無碍にするのも悪い。ここは大人しく好意に甘えさせてもらおう。


「後が面倒くさいから、死ぬんじゃねぇぞバカ弟子」

「そっちこそ、死なないでくださいよバカ師匠」


 そう言い終えて、手元のスマホのファイントの出現報告を頼りに走り出した。

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