死の匂い

「た、助かったぜ白い死神!」

「それは良かったけど、そのあだ名は恥ずかしいのでやめてください」


 出現報告に引っ張られ、あっちに行きこっちに行き。どれくらいそうしていたかは後で確認するとして、とにかく戦場を走り回って随分と経つ。

 紅弁慶に付いたファイントの血を払い、周囲の確認をする。


「なんで…………、なんでなんだよクソがァ!」

「おい、さっさとこっちに来い!お前も怪我してんだろうが!」


 怒鳴り声をあげている青年の腕の中には、おそらく女性の調整者と思われる遺体がある。断言をできないのは、その遺体に頭部がないからだ。軍服の上からの残った状態だけでの判断になる。

 この場で俺が殺したファイントは恐らくⅡ階梯。そこら辺にⅠ階梯だろうファイントの死骸は転がっているが、ファイントは階梯が一つ上がるだけで強さが別次元になる。負傷者も含めて7人残っているなら、なんとか持ちこたえてくれた方だ。


 ここに来るまでに、何組かのグループが半壊の状態になっていた。それほど、ファイントと調整者の戦力差には開きがある。

 ──ズボンのポケットに入れていたスマホが震える。取り出して見てみると、また新しい出現報告が入った。場所は、ここからそう遠くない。


「ごめんなさい、俺行かないと──」

「ふざっけんなぁ!」


 断りを入れて現場に行こうとすると、先ほどまで遺体を抱いていた青年が俺に怒号を飛ばしてくる。彼の表情には、絶望と怒りが同居していた。


「お前がもっと早く来てれば、涼花は助かってたんだよ!なんで遅れた!あァ!?」


 その理不尽な怒りを受けて、思わず自分の顔が歪むのが分かる。


「おい待て、白い死神が来なけりゃ俺たち死んでたんだぞ!お前一旦落ち着け!」

「落ち着け!?婚約者を失くして、落ち着けられるはずないだろ!」


 青年を周囲の調整者が止めに入る。青年は次第に怒りが消えていったのか、今度は地面にうずくまって泣き出した。

 その様子を見て、その青年はもしもの俺だと感じた。自分の身近な人間をあんな風に悲惨な形で失えば、俺だって何かに当たらずにはいられないだろう。


「……貴方の、大切な人を救えなくてすみませんでした。でも、貴方はまだ生きている。だから、自暴自棄にならないで。生きてください」


 それだけを言い残して地面を蹴る。向かう場所までは、走ればすぐだ。


『お前がもっと早く来てれば──』


「──もっと、早く」


 どれだけ理不尽な事を言われているかは分かっている。そもそも、俺に当たるのはお門違いじゃないのか?そこまで大切なら、どうして自分で守ってやらなかった?どうして俺なんていう存在を頼りにしている?文句なんて、いくらでも出てくる。

 俺は別に聖人君子ではないし、所詮はただの人間だ。身体を増やすなんてことも、マンガの英雄みたいに大切な場面に間に合うなんてこともない。


「くそっ、考えるな」


 そんな事どうでもいい。今はただ、自分のやるべきことを考えろ。


「オアアアアアアア!」


 前方にファイントの集団が見えた。

 こちらに近い方に恐らくⅡ階梯が1体、手には人間の死体を持っていて、それを振り回している。

 奥にはⅠ階梯だろう個体が10体ほど、あれは人間の死体を食べているのだろうか。何体かは地面に蹲っている。


「畜生どもが……っ!紅弁慶!」


 刀で少しだけ手の平を切って血を出し、思い切り刀を握る。その瞬間ルーベンの能力による身体強化と紅弁慶の強化が行われ、身体に力が漲る。

 更に深く地面を蹴って、そのまま突進するように斬る。


「ガアッ……?」


 Ⅱ階梯の首を、相手が反応するよりも早く斬り落とした。次にまだ理解が追いついていない、死体を貪っているファイントを斬り殺す。

 地面を蹴って、俺をまだ知覚できていないファイントの首を刎ねる。そんな流れ作業を何度か行って、この場における戦闘は終了した。


 身体にブーストをかけた負荷が満ちる。今日だけで何度も連続で能力を使っているからか、段々と疲労が溜まっている気がする。


「そんなのは後でいい。誰か、生きている人は……」


 思考を切り替えろ。今は戦場のど真ん中で、少しでも人を助けないといけない。

 そのはずなのに、もうここには生きている生物は俺以外にいなかった。ただただ不快な死臭と、ねっとりとした生温い風が俺の五感を刺激する。

 スマホの時計を見る。時刻は朝の5時を回っていることに気づいて、少し驚いた。確か昨日の18時過ぎから走り回っていたから、もう11時間は戦っていたのか。それを認識したとたん、膝から地面に崩れ落ちてしまう。


「……くそ、まだだぞ」


 陽が上がるのはあと1時間後。ファイントの出現反応が減ってきたのは、奴らの個体数に限りがあるのか、それとも夜明けが近づいているからなのか。どちらにせよ、あと少しだ。あと少し耐えれば、日が昇って奴らも消える。

 家に帰って、琴音とあやかにちゃんとただいまって言う。そして2人にきちんと向き合って、寿命の事も話してみるべきかもしれない。ほら、やらなきゃいけない事は沢山ある。


「っつ、次はどこだよ」


 手の中のスマホが震えて、出現反応が知らされる。場所は少々遠いけど、このくらいなら走れば数分で着く。


『この第一地区の最重要戦力はあたしとお前だ』


 師匠はそう言っていた。それはつまり、俺は師匠と同じくらいの働きを期待されているという事。だったら、もっと人を救わないといけないはずだ。

 大丈夫、まだまだ余裕───


「あ、やっと見つけた!」


 声が聞こえた。朗らかで、優しくて、鈴の音のようなその声は、一面の死臭とはあまりにも場違いで。

 いつの間にか俯いていた顔をあげる。街灯に照らされてこっちに向かって歩いてくるそいつは、朝と変わらない笑顔を向けてくる。ただその顔と着ている制服には、おびただしいほどの赤い液体が付着していた。

 目が開いて声が出ない。だって、目の前にいるのが彼女なわけがない。民間人はまだ家に籠ってなきゃいけないし、なにより──


 彼女がその両肩に担いでいる女の子たちは、俺の命よりも大切な人たちだ。


「琴音、と、あやか?ど、どうし──」

「ふーん、琴音ちゃんとあやかちゃんの方が気になるんだ。悲しいなぁ、朝は良い雰囲気作れたと思ってたのに~」


 どうしてそんな風に笑っていられるのかが分からない。どうしてその2人を抱えて、この戦場のど真ん中にいるのかが分からない。


「……いおり、どうして」

「そのどうしてはどれに対して?さぁさぁ、今なら特別に何でも答えてあげるよ司くん!」


 一般人のはずの小金井いおりが、どうしてここにいるのかが分からない。


「どうしてここにいるんだよ」

「司くんを探してたんだよ?も~、痕跡を辿ってもすぐどっか行っちゃうんだもん!」

「……お前、調整者だったのか?」

「ぶっぶー!外れでーす!」


 会話をすることで、ようやく冷静になってきた。思考が少しだけ回る様になってくれる。

調整者でもないのに、血塗れで。俺を追ってきたと言ったのに息も切れてなくて、女の子とはいえ人2人を抱えて苦しそうな様子もない。それは、とても異常なものに思えた。


「お前、人間じゃないのか?」

「ピンポーン!さすが司くん、賢いね!」


 そうか、いおりは人間じゃないのか。どうしてか、それがストンと腑に落ちてしまう。昔からの幼馴染なのに、幼馴染だと思っているのに。何故か、思い出が見当たらないんだ。それは単純に日常の一部になっているからだと思っていたけど、そうじゃなかった。だって、そんなに長く一緒なのに、俺は彼女の家族を見たことがない。家も知らない。ヤツは、人間じゃない。


 ────だったら、あいつは俺の敵だ。


「琴音とあやかを離せ」

「おっと、切り替えが早いな~。司くん気づいてるか分からないけど、一瞬で目の色変わったよ?」


 敵だと認識した瞬間、いおりの声が不協和音のように脳内に響き始める。自分の中にあるスイッチが、正しく作用してくれたようだ。


「離せ」

「んもー、しょうがないなぁ。あ、2人とも寝てるだけだから安心して!」


 いおりの言葉通り、道の脇に置かれた2人は遠目でも呼吸が見えた。2人をなぜこの場に連れてきたかなんて分からないが、少なくとも今は人質にするつもりはないらしい。

 刀を握る手に力が入る。聞くべきことは沢山あるはずなのに、本能がいおりを倒せと警鐘を鳴らす。まだ油断をしているうちに首を斬れと、行動を起こさせる前に倒せと。こんな事、今までの人生で初めてだ。


「お前、一体なんなんだ。人間でもなく、ファイント特有の獣じみた姿もしていない。まさか、宇宙人ですとでもいうのか?」


 倒せという衝動を抑え込んで、なんとか疑問を口にする。その姿が面白かったのか、いおりはにんまりと頬を緩ませる。


「そっか、司くんってまだ会った事なかったんだ!ふーん、ヘルト型は倒せるのにね」

「会うって何にだ。それに、なんだヘルト型って。意味分からん単語出すんじゃねぇよ」

「じゃあ、ちょっと運動しながら話そっか!」


 いおりの手に青い光が集まって、それが日本刀を生成した。俺を見るいおりの瞳が青く輝いて、纏う雰囲気が一変する。


 ────来ると感じて防御していなければ、俺は初太刀で首を刎ねられていた。

 ギィン!と、金属同士がぶつかった音が衝撃とともに広がる。なんとか運が良かっただけで、このままなら次はない。


「紅弁慶!」


 出力を全開にして、身体能力を許容ギリギリまで上げる。それでようやく、いおりの刀を振る速度に反応できるようになった。

 あやかと琴音が気になるけど、そっちに目を向ける事すら許されない。いおりから目を離した瞬間、俺に待っているのは死だけだ。


「すごいね司くん!思ってたよりもずっと強い!」

「づっ、それはどう、も!」


 ギリギリだ。出力を全開にすれば昨日のⅢ階梯すら余裕はあったのに、今は少しでも気を抜けば俺は三枚に卸されているだろう。


「それじゃあ教えてあげるね?司くん、昨日戦ったファイントは覚えてる?」

「見てたのかよ、趣味悪いなっ……!」


 くそ、意識しないと呼吸を忘れる。こうやって会話をするのだって、それだけで致命的な隙が生まれそうになって怖い。

 だがいおりはどうだ。俺の全力を受け流し続けるこいつは、何の焦りも見せない。ここまで実力が離れた敵と戦うのは、調整者になって初めてかもしれない。


「あの子はね、ヘルト型って言って特別な個体なんだ。司くん達が言うⅢ階梯に、ルーベンの能力を付与したモノ。新しい世代のファイントにおける、勇者の役割を担うからヘルト型。まだ数体しかいないから、貴重な個体だったんだけどなぁ」


 ルーベンの能力の付与。ちょっと待て、そんな事が可能なのか?自然発生したファイントに、後付けで能力を付与する?


「あ、ダメだよ動揺したら!」

「がっ……!?」


 自分の体が後方にすっ飛んでいく。そこに抵抗の余地はなく、勢いを殺してくれたのは広場にあった大木だ。

 内臓がシャッフルされるような感覚。受け身もとれず大木に叩きつけられた身体は、まだ壊れてはいないものの既に万全とは程遠い。

 前蹴り。ただの前蹴り一発で、俺は危うく死にかけたのか。


「もー、司君はもっと強いでしょ?あ、それとも流石に連戦はきつい?なら、少し休みながら話そっか!」


 琴音とあやかを小脇に抱えて俺に追い付いてきたいおりは、いつもと変わらない笑顔で接してくる。その余裕と異常さに、心が折れかけるのを感じてしまう。


「…………ふざけろ」


 バカか俺は!俺がここで負けたら、2人の命の保証なんてどこにもない。自分の手で守ると決めた存在を前に、どうして折れていられる!

 紅弁慶を握る手に力が籠る。いおりの刀で斬られた傷から流れ出る血が、紅弁慶に吸い込まれていくのが分かった。まだ戦えると、俺の刀はそう叫んでいるんだ。


「……大好きだよ、司くん」


 2人を脇に退け、恍惚とした表情を浮かべたいおりの周囲に、再度青い光が浮かび上がる。それが小さな爆発を伴って消えた瞬間、いおりのギアがもう一段上がるのを感じた。

 100%の出力じゃ一合も斬り逢えない。だったら、寿命なんて気にしている場合じゃない。出力限界を超えてでも、目の前の敵を倒して───。


【殺せ】


「づっ……!?」


 まるでナイフをこめかみに刺したかのような頭痛が走る。脳内に響いたそのどす黒い命令は、俺の周囲に目に見える形で現れる。今まで使ってきた能力の前兆とは比べられない程、青くまばゆい光が俺を包んだ。


「なん、だこれ……」

「やっぱり!やっぱりだ!司くん大好きっ!」


 瞬間、いおりが突っ込んでくる。その速度はさっきの比じゃないのに、俺の身体はそれに反応できてしまった。

 身体は軽いのに、今まで感じた事のない膂力が俺を満たす。それは全能感であり、万能感であり、同時に恐怖でもあるほどに。


 数瞬のうちに何度も刀がぶつかり合う。

 俺の右肩を狙った一撃を防いだと思えば、跳ね返された衝撃をものともせずに首への一閃。それをいおりの腕に干渉して軌道を逸らす。逸らされた刃は俺の頬を掠めて、振るった軌道にあった遠く離れた建物を斬り落とす。

 どれもこれも、さっきまでなら必殺の一撃だ。だけどどの剣戟も俺の命には届いていない。これならいける。いおりを倒して、洗いざらい色んなことを聞いて。

 そしたらきっと、俺はこいつを守ってやれるはずだ。それで、こんな事は忘れて、いつも通りの日常に戻れる。


 再びの数合の打ち合い。そのどれもがおおよそ人間の到達できる域を超えていたけど、俺はそれに反応してさばいて、反撃すらできている。

 その事が余程嬉しいのか、いおりの表情はどんどん明るくなっていく。

 音が遅れるほどの衝撃が周囲に走って鍔競り合いの形になる。そこでようやく、俺は口を開くことが出来た。


「質問にまだ答えてもらってないぞ。さっきの続きだ」

「んー、そだね!じゃあ何が聞きたい?」

「さっきのファイントの話だ。後付けで能力を取り付けるなんて、そんな事──」

「できるよ。だって、司くんもそうじゃん!」

「────は?」


 いおりに弾かれて、鍔競り合いが終わる。

 俺も同じ?訳が分からない。だって、そんなのおかしい。俺は人間で、この能力も元々持っていた──。


「ファイントに対抗するために、Ⅳ階梯のファイントをモデルに人工の英雄を作る。うんうん、ひっどい計画だよねー。非人道的?って言うんだよねこれ!」


 いおりの言っていることに理解が追いつかない。


「ねぇ司くん。司くんって、自分の身体能力とかに違和感持ったことなーい?普通の調整者なら、昨日のヘルト型で絶対に死んでるよ?」


 自分の能力に違和感。そんなの、調整者をやっているんだから高くて当然で。それこそ、師匠なんて俺よりもはるかに強いし──。


「やっぱり、美弥ちゃんせんせーは教えてくれなかったんだね」


 ドクンと、心臓が大きく跳ねる。

 頭痛がして、視界の端に白いもやがかかり始める。いや、実際に左目がゆっくりと見えなくなっていく。


「まぁしょうがないかー。じゃあ私から教えてあげるね!司くんは───」


 その先の言葉は、鼓膜が破れるくらいの轟音でかき消された。俺といおりの間に日本刀が突き刺さる。アマリリス。それは、俺が良く知っている刀だった。


「出しゃばり過ぎだぞⅣ階梯」

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