命を賭して

凛とした声音が背後から聞こえて、コツコツと足音が周囲に響く。その声の主は、ポンと俺の右肩に手を置いてくる。


「えー、美弥ちゃんせんせー何で来たの!?せっかくのデート中なのにー!」

「悪いけど、お前なんかにこいつはやれねぇよ。大人しく家に帰れ」


 そうやって、明るい声音と冷たい声音が交差する。


「し、しょう……?」

「…………ったく、無茶しすぎんなっつったろ。後はあたしに任せろ」


 違う、休んでいる暇なんてない。俺にはまだ聞かなきゃいけない事が──。


「えっ………?」


 途端、身体のバッテリーが切れたかのように膝から崩れ落ちる。地面に倒れ伏した身体を立て直そうとしても、俺の意思にはちっとも従ってくれない。

 いや、本当になんだ?指一本すら動かせないなんて、ふざけ過ぎている。


「あー、もしかして反動?あれっぽっちでなんて、もしかしてもうギリギリだった?」


 挑発するような、蔑むような、悲しむような、心配するような。そんな声音で話すいおりを、俺は顔をあげて見る事すらできない。だというのに──


【殺せ、殺せ、ころせ、コロセ、ころせ、殺せ】


「ぎっ……!?がぁ…………っ!」


 ──頭の中には、そんな呪詛めいた命令が何度も反芻している。


 目の奥の視神経を破壊するような頭痛がして、脳が壊されているような気持ち悪さを感じる。その痛みのおかげか、少しだけ身体に感覚が戻ってくれる。なんとか顔を上げて、状況の確認くらいは出来るようになった。


「ねぇ美弥ちゃんせんせー、司くんちょうだい?私が連れて帰ってあげるほうが、司くんは幸せだと思うよ?」

「はっ、こいつがシスコンだって事くらい知ってんだろ。最近は弟子もできたみたいだし?お前なんか、所詮は友達以下でしかねぇよ」

「……やっぱり、美弥ちゃんせんせーの事嫌いだなぁ」

「ファイントに好かれたって嬉しくねぇ」


 会話が終わると、そこから始まったのは文字通りの死闘だった。


 いおりが刀を振るう。その速度はさっきまでとは比較に出来ない程だったというのに、師匠はそれを紙一重で受け流す。受け流した姿勢から師匠が振るった刀は、あっさりといおりの刀に防がれる。

 2人の剣戟はとても綺麗で、そこに他者の介在する余地はない。お互いの命を獲ろうとしているはずなのに、俺にはまるで演武のようにも見えてしまう。

 ギン、とひと際大きな音と衝撃が、空間に亀裂を入れる。そんな事あるはずがないのに、俺の左目はそんな幻想を見てしまった。


【コロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセ殺せ】


「づっ…………!あぁ……っ!!」


 痛い、頭が痛くて心が砕けそうになる。

 コロセだなんて、できるわけがない。そもそも、こいつは何を殺させようとしているんだ。いおりは俺の大切な友達で、そんなあいつを殺せる訳がな──


【殺せ】


「ぎ、あづぁ………!」

「っつ、どうした司!」


 師匠が俺を呼ぶ声が聞こえる。でも、そんなのにかまってられない。


【コロセ】


 なくなっていたはずの左側の視界が見え始めて、そのまま赤く染まり始める。


【ころせ】


 身体を起き上がらせる。さっきまで指先1つも動かせなかったくせに、俺の身体に力が満ちていく。


 頭痛は止まない。頭が崩れて、自分が何をしているかも分からなくなっていく恐怖。いやだ、こんなの、いくら痛みに強いからって耐えられるはずがない。頭を斬り飛ばせば解放されるのか?こんな苦痛が続くなら、いっその事自分で───


【ヤツらを、殺せ】


 ────そうだ。


 ししょうといおりを殺してしまえば、この痛みはなくなるんじゃないか。

 地面を蹴る。思ったよりも深く踏み込んでしまったのか、踏み込んだ道路が壊れて破片が俺の頬を切った。でも、そんな痛みはこの頭痛には敵わない。今は、とにかく目の前の2人を殺すことだけ考えればいい。

 ししょうは俺を何故か警戒していたから、最初に狙うのは奥のヤツにした。


「司く──!?」


 俺の名前を呼ぼうとしたそいつの口を刀で斬る。でも、ちゃんと狙ったはずの一閃はいおりの刀に阻まれる。さっきまでとは違う。俺の速さは、確実にいおりを上回っている。

 刀を振るえなくするために、いおりの右肩を狙う。紙一重で避けられて、制服だけが斬れる。そこから燕返しのように振るった刀は、咄嗟にガードしたやつの左手を斬り落とした。


「っ………!」


 短く、それでいて苦痛を伴った呼吸。鮮血が傷口からあふれ出て、俺の髪を濡らす。だけど、そんなの気にしていられない。ここで仕留めれば、後はししょうだけだ。

 一撃。ヤツの頭を割ろうとした一撃は、辛うじていおりの刀に阻まれる。

 二撃、三撃、四撃、五撃。いおりの刀ごと折る勢いで紅弁慶を振り下ろす。衝撃が空気を伝播して、周囲の建物を壊し始める。


「くっ………!」


 それに耐えられなくなったのか、いおりは数メートルほど後ろに飛ぶ。距離を空けられたが問題はない。この程度なら、一息で距離を詰められる。


「…………奪え」


 いおりがぽつりと呟いた途端、周囲からあらゆる熱が消えた。


 いや、違う。正確には、熱が奪われた。そして奪われた熱は、いおりの刀に集まっていくように見える。空気の熱、なんて本来見えないはずのそれを、俺の左目は何故か視認している。

 だから分かる。あの刀に触れると、紅弁慶は簡単に切られてしまうだろう。


「んふふっ、すごいね司くん。まさか奥の手まで使わされるなんて、全然思ってなかったのに!それに、これも見えてるんでしょ!?その青くなった左目、ファイント側なんだ!」


 ファイント側。その単語が頭痛を更に加速させる。まるでその単語の奥にある事実に拒否反応を起こしているように、左目が痛みを伴って熱くなる。

 ダメだ、聞いたらダメだ。それを聞いてしまったら、俺はオレでなくなる。


「うるさい、話しかけんな」

「やーだ♡司くん、自分の事を知らなさすぎるね。私だったらちゃんと教えてあげるよ?ぜんぶ、ぜーんぶ、司くんが知りたい事!」


 こんな会話をしている間にも、刀から熱がいおりの左腕に移っていくのが見える。そして熱と青い光が混ざったと思えば、左腕が再生された。

 あんな能力、俺が教えられたルーベンの能力じゃない。あんなのはもう、神の所業だ。


「だからほら、私と一緒にいこ?そして、ずっと一緒にいよ?」


 ───こいつは何を言っているんだ。分からない、けど、俺は分からなきゃいけないのか?全部理解したら、殺さないで……。どうして、俺はいおりを殺そうとしてるんだろう──


【殺せ】


「ぎっ……!?があぁ………っ!!」


 いたい、痛い、痛いいた痛いイタイいたい!!頭が割れる!いや、もう割れているのか!?脳に直接熱した鉛を流し込まれているみたいな、熱くて、意識が飛びそうに……!


「……ほんと、人間って醜いね」


 心底蔑んだような声が聞こえる。だというのに、それは俺の目線の先にはいおりの足しか見えない。いつの間にか、地面に蹲ってしまっていたのか。


「それには同意してやるよ。だけど、いい加減弟子から離れろ。これ以上こいつを苦しめるなら、今すぐ殺してやるよ」

「し、しょ……」


 頭に手が乗せられる。それが暖かくて、気持ちよくて、少しだけ気が楽になる。

 さっきまで師匠にも向けられていた殺意の衝動は、その手のひらのおかげで戻った理性で抑え込むことが出来た。


「美弥ちゃんせんせー、司くんの事大好きだね!」

「当たり前だろ。こいつはたった一人の弟子なんだよ」


 ……なんとなく、俺の事をそんな風にいう師匠は初めて見た気がする。それがなんだか無性に嬉しくて、思わず力が抜ける。


 ───いや、本当に力が抜けていってる。俺の上にある師匠の腕を見ると、そこには流動するエネルギーのようなものが纏わりついていた。そして、そのエネルギーが俺の身体から流れているものだと、左目で見て分かった。


「待、ってくれ師匠……。何してるんだよ……!」

「……本当に見えてるのか」


 まずい、このままだと意識まで落ちてしまう。師匠が俺から奪っているものは分からないけど、今ここで動けなくなる事は確かだ。

 意思に反して紅弁慶がネックレスに戻る。これはつまり、師匠はルーベンの能力によるエネルギーを奪っているのか……!


「まだ、戦える……、から……!」

「師匠のあたしが判断した。もう、お前は戦わせない」

「ふざけ…………!」


 この左目のおかげで理解できる。あいつのあの熱に対抗するには、この左目がなきゃいけない。それに、さっきまでの俺なら十分戦える。あの瞬間だけは、俺は師匠よりも強かった!

 だから、俺が戦わないと!いおりは俺の友達なんだから……!


「────…………お、にいさん?」


 かすれて、今にも消えてしまいそうな声。そんな小さな声が、少し遠くから聞こえた。

 うっすらと目を開けて、朧げにあやかが俺を見ている。


「あれ、もう起きれるんだ。………でも、水差さないでほしいなぁ」


 冷たい、今までが嘘のような冷たい声音。蔑みと憐れみと敵意、そんな負の感情がごちゃ混ぜになったような、酷く不快な悪意の塊。


「ま、て…………っ!」

「っ………!」


 師匠がいおりに向かって刀を振るう。でも、それじゃあダメだ。いおりの周りには、目を開けるのが苦痛になるくらいの熱が纏わりついている。

 アマリリスが、師匠の刀がぬるりと溶け落ちる。そのままいおりは師匠の身体からも熱を奪い取って、師匠が地に伏せる。

まるでそれが当たり前かのように、いおりはその現象に見向きもせずあやかを敵視する。


「本当はね、すごく嫌いだったの。だって、司くんと出会ったのがまるで運命みたいな顔するんだもん。弱くて、誰かの庇護下でしか動けないくせに、司くんには色目を使って。正直この上なく不愉快だよ、乃木あやかちゃん」


「あやかっ!!」


 身体が動いてくれる。全然力なんて入っていないはずなのに、ギシギシと軋む身体は動いてくれる。もう頭痛がしているのかすら分からない。もしかしたら、とっくに俺の頭はどうにかしているのかもしれない。


【殺せ】


「黙れよッ!」


 頭の中がうるさい。殺すんじゃなくて、今はあやかを助けなきゃいけない!お前が動かしてくれているのかもしれないけど、そんな事は今はどうでもいい!ただ、今だけは俺の命令に従ってくれ!たった1人、目の前の女の子を助けるくらいは────


「じゃあねあやかちゃん」


 スッと、いおりの刀があやかの胸に突き刺さった。


「い、ああああぁぁああぁあぁぁあぁ!!」


 自分の物とは思えない絶叫が聞こえて、ようやくあやかの傍まで動いてくれた。

 あやかの胸から流れる血は多くて、それだけでもう致命的すぎる怪我だと分かってしまった。


「あやか、あやかっ、あやか!そ、そんなダメだ!こんなの、やめてくれ!」


 どれだけ応急処置をしても血が止まってくれない、だんだん、あやかの顔から生気が消えていく。


「ふふふっ、司くんってそんな顔するんだ!これなら、もっと早く琴音ちゃんとか殺して──」

「おぉお前ぇぇああぁあ!!」


 憎い憎い憎いにくいニクイ憎い!

 耳障りなその笑い声も、気色の悪いその笑みも、何を考えているのか分からないその思考も!すべてが憎くて仕方ない!殺したくて仕方ない!


【殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せコロセ殺せ殺せコロセころせ殺せ殺せ殺コロころせ】


 そうだ、何を躊躇う必要があったんだ。


 倒すなんて考えなきゃよかった。友達だなんて思い続けていたのがいけなかった。

 ただ殺せばよかったんだ。この脳内に響く不快な声に従って、さっさと殺してしまっていればよかったんだ。そうしたら、あやかをこんな目に合わせないで済んだのに!そうだ、こいつはあやかを刺した。こいつの、こいつさえ、こいつが!


「───殺してやる!」

「うんうん!そう、それが欲しかったの!大好きだよ司くん!司くんの向ける感情は、ぜーんぶ私のものなんだよ♡」


 こいつが何を言っているかは分からない。だけど、ただただ不愉快だ。こいつという存在全てが、この世にあるという事実が我慢ならない。


「今すぐ殺して───」

「……だ、め、です。おにい、さん…………」


 弱弱しい力で引っ張られた袖は、俺の意識の全てを目の前の女から戻してくれた。

 俺の袖を掴んでいる腕の主を見る。息も絶え絶えなのに、俺を見る目はとても必死に見えた。


「ばっ、も、もう喋らないでくれ!待ってろ、今すぐ病院に連れて行ってやるから!」


 良かった、これならまだ助かる!そうだ、今一番優先するべきはあやかじゃないか!大丈夫、今から全力で走って…………。いや、今日はダメだ。今の時間なら、まだ一般人の外出禁止令が解かれていない。

 どうする、このままだとあやかは持たない。でもどこか医療機関に連れていかないと──


「ご、めんなさい………」

「……は?」


 どうしてあやかが謝るんだ。なんで、俺が全部わるいのに。


「お、にいさんが、ことね、まかせてくれた、のに。わ、たし、まもれなくって……」


 呂律が回っていないのか、あやかの言葉は途切れ途切れで。なのに申し訳なさが伝わり過ぎてくるから、俺の感情が宙に浮いてしまう。


「ちが、違うんだ!謝るのは俺の方で、だ、から、あやかが謝るのは……」

「……ありがとう、ございます。いっぱい、おもいで、くれて」


 それだけを言い終えると、あやかの腕が地面に落ちる。瞳は朧げに虚空を見上げるだけで、もうピントはあっていない。

 そして分かってしまった。もう、あやかの命が終わったことが。


「小金井っ!」

「あははっ、美弥ちゃんせんせーも凄いね!ちゃんと全部の熱を奪ったのに、なんで動けるの!」


 大切な人を守る為に調整者に、師匠の弟子になった。


 なのに、このザマはなんだ。こんなどうしようもない俺を好きになってくれた子。琴音の親友で、俺の弟子で、いつの間にか、俺の心の中にある大切な人の席に座っていた子。

 そんな女の子1人も、俺は守ってやれなかったのか。

 何のための6年間だったんだ。何の為に強くなって、何の為に生きて───


「前を見ろ司!お前の目なら、まだ間に合う!」

「……え」


 間に合う。そう言われてあやかの身体を見てみると、心臓より少し下の部分に白い光が集まっているのが左目で見えた。

 そして理解できてしまう。その光が集まるところが、今にも消えそうなあやかの命の灯なのだと。

 だけど、それは人が理解してはいけないもの。理解する、という行為が人に許された領域を超えている。そしてそれは、俺の脳を視神経を通して破壊しようとする。


「ぎ、ぐぉぇ…………っ!」


 さっきまで響いていた頭痛がただの路傍の石だと錯覚するほどの痛み。いや、痛みなんてモノで括れるような、そんな生半可なものじゃない。

 生物の命を視るという行為が、どれだけの負荷を負わせるかを身をもって味あわされる。


「ぐ……っ、ぞぁ………!」


 視神経や脳を直接むき出しにして、硫酸をかけられているような。そんな、一瞬が永遠に思えるような拷問。目を空けている限り、それは俺を蝕み続ける。


 分かってしまう。その命の灯に干渉するためには、この左目で見続けていなければならない。視るという行為が現実の物理法則すら捻じ曲げる、ひどく歪な目。魔眼とでも呼ぶべきか。

 どこかの血管が切れてしまったのか、両の目から血が流れている。痛みに耐えかねてだらしなく開いた口からは、もはや白い泡に似た何かが落ちる。


 だけど、そんな些細な事はどうでもいい。


 お手本なら、ついさっき二つの例を見た。一つは、周囲の空間から熱を奪ったいおり。もう一つは、俺からルーベンの力を奪った師匠。

 簡単だ。後はそれを真逆の行為として行えばいい。この左目があれば、俺の中に残っているルーベンの能力を使って助けることが出来る。その万能性も、ついさっき見た。

 あやかの胸に手を翳して、いつも通り自分の血を媒介に言霊を乗せる。


「おれに、たずけざせて……っ、くれ!しなないで、くれ……!」


 それはもはやただの願望であり、醜いエゴイズム。目の前にある死を受け入れられないが故の、何かに縋ってでも回避したいという祈り。だけど、それはなんとか言霊として機能してくれた。

 右目に映る現実に、左目に映るもう一つの現実が重なる。左目には、確かに自分の腕からあやかへとエネルギーが流れていく様が見えている。


「づっ、あぁ…………っ!」


 なにか、自分の中から大切なものが吸い取られていく感覚。それは寿命か、血液か、それとももっと根底にある何かか。

だがそれらを犠牲にしたおかげで、あやかの命の灯を瞬く間に回復させることに成功した。


「────すぅ」


 呼吸が戻る。あやかの顔に生気が戻り始めて、ようやく安心できた。


「…………死後まもなくとはいえ、蘇生までできちゃうんだ。流石に驚いちゃった」

「……本当、優秀な弟子を持って嬉しいよ」


 そんな2人の会話が聞こえて、あやかを腕に抱いたまま後ろを振り返る。

 そこには鍔競り合いをしながら、同時に俺に目線を送っている二人が居た。いおりの周りには先ほどの熱がまだあるというのに、師匠の身体と刀から見えるエネルギーの塊がそれらを相殺していた。


「んー、もうそろそろ陽も登ってくるし、いいものも見れたし。そろそろ帰るかー!司くんはまた今度迎えに来るね!安心して、次は人質何てとらないから!」

「ちっ……!」


 まるで学校で予定の口約束をするような軽さでそう言って、いおりの刀から熱の衝撃波のようなものが放たれる。


「ぎっ……!?」


 右目で見る分には何の像も映さないそれが、左目にとっては閃光弾のような役割になり視界がホワイトアウトする。右目は見えるが、左目の特異さがないといおりには対抗できない。

 たった数分で、俺はこの左目に頼らなければいけない程のレベルに放り込まれている。


「待て!まだ話は終わってないだろ!」


 もう俺の身体は刀を振るう事すらできない。だからせめて、口であいつを留めなければ。その先があるのかなんて分からないけど、まだ聞きたい事も言いたい事も山ほどあるんだ。

 いおりが俺を見る。その表情は、まるで人形のように凍っていた。


「……ダメだよ司くん。ちゃーんと、私を憎んで?憎んで憎んで憎み切って、そして、私の事だけを考えてね!貴方の感情は、全部私の物だから!」


 陽の光に目が眩んで、一瞬目を閉じてしまう。

 そんな呪詛めいた言葉だけを残していおりは消え、それで戦闘は終了した。


 スマホの画面に視線を落とす。デジタルのそれは6時15分を表示していて、それが日の出の時間だという事を思い出した。そう、長かったような短かったような、そんな夜の終わり。

 問題は山積み。疑問は油田のように湧いてくる。

 腕の中で眠るあやかは、すぅすぅと規則正しい呼吸をしている。目線の先にいる琴音も、その顔を見る限り何ら問題はない。


 それだけで十分だ。色んな問題は後回しにして、今はこの奇跡を喜ぼう。


「……うん、とりあえずは───」

「……っ、司!?どうした司!?」


 どこからか、師匠のそんな叫び声が聞こえる。何だろうと思っていると、自分が地面に横たわっていることに遅れて気づく。おかしい、地面に倒れた感覚すらなかったのに。


 でも、その理由が簡単に分かってしまった。


 左目で自分の胸元を見る。そこに見えるのは、あやかを生き返らせるために見続けた命の灯。俺のその灯は、もう消えかけていた。

 あと5年の寿命は何もしなければの事。今日だけでも何度も出力を全開にして、本来なら死んでいるような戦いをこなした。おまけに、この左目にさっきのあやかの蘇生。そりゃあ、5年の寿命なんて消し飛んでも仕方がない。


「そ、っか…………」


 心残りなんて死ぬほどある。もうちょっとは生きてられると思っていたから、中途半端にやり残した事しかない。

 でも、本当なら6年前に終わっていた命だ。2度目の人生なんてボーナスステージで、今日まで生きてこれただけでも満足だ。だから。だから…………、諦めは──


「司、まだ生きたいか?」


 横から俺の顔を師匠が覗き込む。柄にもなく涙を流しながら、真剣な顔で俺に問う。


「………………やりのこした、こと、しかない」


 行きたいか、なんて。そりゃあ生きたいに決まっている。諦めているなんて綺麗に終わるには、俺の性格は諦めが良くないんだから。そんな事、師匠は知ってるくせに。

 そう返したら、師匠は少しだけ微笑んで。また俺の頭を撫でてくれた。その手のひらが暖かくて、段々と意識が遠のき始める。


「ああ、じゃあお前は生きるべきだ。……本当に、こんな師匠でごめんな。あー、もっと言いたい事とか、してやりたい事はあったんだが」


 なんだろう、そうやって話しかけてくれる顔が優しくて。その雰囲気が、何なのかようやく思い出した。


「おかあ、さん…………?」

「……愛してるよ司。あたしは、ずっとお前と一緒だ」


 そんなあったかい言葉が嬉しくて。とっても、とっても嬉しくって。

 でも、ごめんししょう。ちょっとねむたいから、またおきたらありがとうっていうから。


 そんな思考を残して、俺は意識を手放した。

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創造英雄物語~かくして少年は、全てを捧げる~ 上里あおい @UesatoAoi

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