疾走

 全力で走って、ギリギリのところで間に合った。

ファイントの腕を振り下ろされる寸前に、まずは腕を切り落とす。次に勢いを殺さずに体を回転させ、地面を蹴って3mを超えるファイントの頭から両断した。それで暗殺に近い戦いは一瞬でケリが付いた。


 地面に刀を刺す。感じた疑問と違和感は後回しにして、とりあえずは目の前の事だ。


 顔を伏せてしまった女の子を見る。服装は委員会から支給されている軍服、傍にはルーベンで変化したと思われる西洋剣が転がっていた。ひとまず大きなけがはなそうだし、さっさとこの子を地区の外に出さないと。


「おう、大丈夫かお嬢さん」


 目線に合わせるようにしゃがみ込む。ゆっくりと顔を上げた女の子の顔が見える。


 そこに見えた顔は、俺が知っている顔だった。こんな、血と暗さしかない場所にいてはいけない子だった。


「……お兄さん?」

「……あやか?」


 今朝初めて話した女の子、琴音の友達で、可愛くて真面目な子。乃木あやかが、調整者としてそこにいた。


「な……、んでっ……」


 漏れ出た疑問は俺の物か、あやかの物か。俺を見るあやかの双眸が大きく開かれている。きっと、それは俺も同じだろう。

思わず、ルーベンを維持していた意識があやかに割かれて刀がネックレスに戻る。そうすると、刀に重心をかけていたせいで右側にすっ転んでしまう。


「えっ……、ったぁ!?」

「えぇ!?」


 痛ぁ!危ねぇ、頭のすぐ横に岩があったぞ!?な、なんてところで死にかけてるんだ俺!


「だ、大丈夫ですかお兄さん!?」

「お、おう。セーフセーフ……」


 目の前に出された手を取って体を起こす。そこで再びあやかと目が合う。でもそこには、さっきまでほどの気まずさはなかった。それどころか、2人そろって思わず笑ってしまった。


「ふふっ、お兄さんってば。カッコつかないんですから」

「ほんとにな。あやかはその……、大丈夫か?怪我とかしてないか?」

「は、はい……。少し、足を捻ったくらいで……」

「そうか。あー……、荷物、警備のとこに投げ捨ててきたんだった」


 カバンの中になら救急セットがあるんだが。これはあやかを優先して、さっさと戻るに限るか。


「よし、ちょっと失礼するぞあやか」

「えっ、ちょっ……!」


 捻っているというあやかの足を見ると、少し腫れているように見えた。となったら、負担をかけさせないように俺が運ぶしかないか。


「お、お兄さん!な、なんでお姫様抱っこなんて……!」

「ははっ、別に気にしないでも──」

「そうじゃありません!私は歩けますから、別にこんな……っ!?ちょっと、どこ触ってるんですかこの変態!」

「いや、お姫様抱っこなんだから太ももは仕方なっ──、ぶへっ!?」


 はたかれたっ!しかも結構勢い強かったぞこいつ!?そりゃデリカシーはなかったかもだが、いくらなんでもはたかなくても!


 パキッ。


「おっと、やっぱりか」

「……お兄さん?」


 あやかを助けたときに感じた違和感。

俺が斬ったファイントは、どう考えてもⅠ階梯。甘く見積もってもⅡ階梯の下の下だ。あやかには荷が重かったかもしれないが、資料によると死んだのは20代の男の調整者が5人。その程度なら、委員会で対処できる。


 後ろに目線だけを移す。


 そこに、獣が居た。

さっきのファイントとは明らかに違う。体長こそ3mくらいでさっきのファイントと変わらないものの、そこにある空気が歪んで見える程の気迫。長い腕と、鋭い牙に爪。全身が体毛に覆われている、まさに獣。悪魔と揶揄される、人類の生存競争の相手。

こいつが、調整者5人を殺したファイントだ。


「お、お兄さん……。あ、れ……」

「ごめんなあやか。ちょっとだけ待っててくれ」


 あやかを近くにあった木の下に降ろす。地面に座らせるのは気が引けるけど、非常時だからそこは許してもらおう。


「だ、ダメですお兄さん!逃げないと……!」


 座っているあやかがそう言う。怯えた目でファイントを見ながら、目の前にまで迫った死の恐怖に体を強張らせている。恐怖で、涙を流している。


『お兄ちゃん……!お兄ちゃん……っ!パパと、ママが……。うっ、ひっく……!』


 涙を流すあやかを見て、まだ幼かったころの琴音を思い出した。両親の葬式の途中で、俺に縋って泣き出した琴音。もう泣かせないと誓った大切な人と、あやかが重なって見えた。


「心配すんな。俺が守るから、あやかの事」


 安心させるための言葉を探す。もっと国語とか真面目に勉強してれば、気の効いた言い回しとか出来たのかもしれないけど。でもそんな言い回しは出来ないから、こうやって頭を撫でる事しかできない。

これをすると、琴音が安心してくれるから。


「お兄さん……」


 うん。やっぱり、女の子には泣かないでほしい。あやかみたいな友達想いな子なら尚更だ。


「っ……!お兄さんうしろっ」


 あやかが叫ぶ。ああ、分かっているとも。後ろから、ファイントが近づくのが気配と音でわかる。その速度は、やはりさっきのファイントとは桁違いに早い。でも、師匠と比べたら遅すぎる。


「守るぞ、紅弁慶」


 古来から、言霊というものが存在する。ルーベンを使えるものは、その言霊に己の魂を分けることが出来る。指の皮膚を嚙み切って血を流し、その指でネックレスに触れる。この工程によって、ルーベンの能力を持つものは大切な無機物を自在に変化させることが出来る。

そして、俺が変化させる形は決まっている。


ギイィン。


 振り返って、振り下ろしてきたファイントの爪を受け止める。俺の右手にあったものは、俺にとっての力の象徴である日本刀だ。


そのまま相手の勢いを受け流すように、ファイントを真正面から右側に弾き飛ばす。唸り声をあげながら、ヤツはそのまま奥の木に叩きつけられた。


「……移動は難しいか」


 今、俺の後ろにはあやかが居る。ファイントの攻撃も、その余波も届かせる気はないが、そうするとこっちは基本受け身になってしまう。少々やりづらいが、足を捻っている以上はあやかを先に行かせることも難しいだろう。


「ふぅ……」


息を吐いて思考を切り替えろ。ここで殺す、何もさせない。


「ウボアァァァァ!」


 3mの巨体が、その怒りの咆哮に呼応するようにさらに膨れ上がる。血走った目が、お前を殺すという本能をダイレクトに伝えてくるようだ。


 咆哮を終えて、ファイントが地面を蹴ってこっちに走る。さっきよりも早くなったその踏み込みも、師匠には遠く及ばない。

 ファイントが認識するよりも早く下段の構えから、振り下ろしてきた右腕を斬り飛ばす。それでも衰えることのない殺意の獣は、切り飛ばされた衝撃を利用して左腕を横なぎに振るう。その刹那、俺も地面を蹴って勢いのままに上段から左手を斬り落とした。


 両腕を失った痛みに耐えかねたのか、ファイントが後方に倒れるようにのけ反り、そのまま俺を睨みながら倒れる。それでも殺意は衰えない。俺から距離をとり腕を再生して、更に4本に増やす。


「ウ゛ア゛ア゛ァ゛!」


 先ほどよりも怒りの割合が増した咆哮が、周囲の木々を、地面を破壊する。お前を殺すという衝動をその身に纏い、ヤツは地面を蹴った。


 先刻よりも早くなったファイントの攻撃は、次は4本の腕を同時に使い、俺を叩き潰そうと迫ってくる。まともに受けると、その衝撃と余波であやかに負担がかかってしまう。だからこそ、俺のすべき選択は一つだった。何本腕が増えようと、全て斬り飛ばせば問題はない。


「紅弁慶」


 そうやって刀の名を呼ぶと、全身から俺の大切な何かが抜けるのを感じる。それと同時に、右手にある刀にさっきまでとは比にならない程の力が宿るのも感じた。


 ファイントより数瞬先に、俺が奴の懐に入る。そして、それを感知されるよりも早く4本の腕を斬り飛ばした。怒りで膨張した毛に覆われた筋肉も、今はただの豆腐同然だ。腕を斬り飛ばすと、次は思い切り敵の胴体を殴って地面にめり込ませる。


「じゃあな」


 手負いの獣に、反撃の機会は与えてはいけない。深く踏み込んで力任せに全力でファイントの首を刎ねる。首から血しぶきが上がり、膨張していた身体が萎む。それで決着だった。生存競争に、俺は勝った。


「よし。あやか、大丈夫か?怪我とかは──」

「お兄さんっ……!」

「おっと……」


 そう言いつつ振り返った瞬間、あやかが抱き着いてくる。……うん。目立った外傷はないし、戦いの余波はいかなかったみたいだな。でも、俺の制服は汚れてしまっている。血やら泥やら、あまりあやかに付いて欲しくない。


「ごめんなあやか。少しだけ離れてくれないか?」

「……はい」


 俯いたまま俺から離れるあやか。まだ不安な事があるのか、自らの肩を抱いている。……いや、無理もないのか。


 あやかから少し離れて、刀を振って血を払いネックレスに戻す。周囲にはファイントの気配はない。これなら解体業者を呼んでもいいだろう。ズボンのポケットからスマホを取り出し、業者に電話をかける。


「あー、もしもし。はい、新垣です。殺したので、後はよろしくお願いします」


 この後は委員会お抱えのファイント専門の解体業者を待って、解体の立ち合いをして仕事は終わりだ。スマホをポケットに仕舞う。さて、この後は……。


「あやか、この後はどうする?俺はまだ仕事が残ってるけど、あやかの仕事は?」

「えっ、えっと……。わ、たしの、仕事は……」


 大方、委員会からの任務は調律者の遺体からルーベンを回収する事だろう。

そしてそれは、あやかの顔を見るに恐らく失敗している。


ファイントは血肉の他に、能力者のルーベンも好物だったはずだ。目の前で死んでるファイントにもう食われている可能性が高いだろう。


「仕事が失敗してるなら、もう帰ってもいいと思うぞ。委員会には伝手があるから、俺の方から報告しとくよ」


実際、この仕事での失敗は珍しい事じゃない。こんな命がけの仕事だし、殉職することもある以上仕方ない事だ。


「でも……」


 まいった。あやかが真面目な事を忘れていた。……うん、そうだな。少し聞きたいこともあるし!


「なぁあやか」

「はい?」

「うち、来ないか?」

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