誕生
わたしの目では、何が起きているかすら分からなかった。
必死に目で追っていたはずなのに、気づいた時にはお兄さんがファイントの首を刎ねていた。
わたしでは相対することも怖かった化け物を、傷一つなくあっさり下した。委員会での訓練でも、こんな異常な強さを持った人は見た事がなかった。
だというのに、今わたしの目の前にいるお兄さんは……。
「いやだからな?俺とあやかは──」
「聞きたくない。そっか、兄貴は中学生が好きな ロ リ コ ン で、妹の親友に手を出すような奴だったんだね」
自宅の玄関で、妹に土下座をする非常に情けない姿を見せていた。
帰る途中でわたしの軍服とお兄さんの制服をコインランドリーに置いて、再度学校に戻り着替えてお兄さんの家に着き玄関を開けると、そこで待っていたのはこの展開だった。
「2歳差はロリコンじゃねぇ!じゃなくて、別にあやかには手なんて出してないから!おい、あやかからも何とか言ってくれ!」
「えっ……。えーっと……」
わたしよりかなり高い身長を丁寧に曲げて土下座するお兄さんの後ろで、その光景を見ていたわたしに助けを求めてきた。
ファイントと戦っていた時はあんなに頼もしくて、その……カッコよかった……のに、今はその姿は見る影もない。
お兄さんがわたしに助けを求めたことで、見下ろしていた琴音がわたしを見る。なんだか、親友の面白い面を見ている気がするなぁ。
「そ、そうなの琴音。実はナンパされてたところをお兄さんが助けてくれて」
「……ナンパを兄貴が?」
じろりとお兄さんに視線を移す琴音。確かにベタ過ぎて怪しいけど、溜息を吐いたところを見ると納得してくれたみたいだ。
「……兄貴?」
「お、おう」
「あやかを助けてくれてありがとう。それと、意地悪してごめん」
「……おうよ」
お兄さんが土下座を止めて、琴音の頭を撫でる。
「ちょっと、あやかの前でしないで!」
なんて言っているけど、琴音の顔は嬉しそうだ。1人っ子のわたしからすると、その光景はすごく羨ましく思ってしまう。琴音もお兄さんも、本当にお互いが大好きなんだ。
……いいなぁ。
「ほら、はやくご飯食べるよ兄貴。あやかも食べていくよね?」
「いいの?」
「当たり前じゃん!ほら、上がって上がって!」
少しテンションが上がっているのか、わたしの手をとって誘導してくれる琴音。学校での琴音よりも、ちょっとだけ緩い雰囲気を感じて嬉しくなる。親友の色んな面を見れるのは、こんなにも楽しい事なんだ。
そのままリビングに通されて、琴音にテーブルの椅子に案内される。
「座って座って!兄貴ー、今日は何ー?」
「肉じゃがと野菜炒め。朝言ってなかったっけ?」
エプロンを付けながら、そんな会話をする2人。……どうしてか、その距離感に違和感を覚えてしまう。立ち振る舞いだろうか、表情だろうか。お兄さんではなく、琴音に。
そういえばご両親はいないのだろうか。時間は21時を回っているし、夜働きはこの地区ではファイントの事もあって禁止されているはずだけど……。
そう思いながらリビングを見まわしていると、そこに疑問の答えがあった。仏壇とそこに置かれている男性と女性の写真。その写真の2人が、琴音たちの両親なんだろう。だったら、挨拶をしておかないと。
「ねぇ、琴音にお兄さん」
「ん?どうかしたのあやか?」
「えっと……、2人のご両親に挨拶していいかなって……」
そう言うと、琴音の顔が少し強張って息をのむ音が聞こえる。お兄さんはというとそんな事はなく、ただ優しく微笑んでいた。そのお兄さんが口を開く。
「ありがとう。ほら琴音、父さんたちにあやかを紹介してやってくれ」
「……うん、わかった!」
エプロンはそのままに、わたしの方に駆けてくる琴音。その表情はもう強張ったものではなく、お兄さんと同じように優しく微笑んでいた。琴音と2人並んで仏壇の前に座る。
「紹介するね、私の親友の乃木あやか!」
「しんゆ──!んんっ、初めまして。琴音とは親友で、お兄さんとは……。お兄さんとは……?」
琴音が親友って言ってくれて嬉しすぎて浮かれてしまったけど、実際お兄さんとわたしの関係は何なのだろう。今日だけで目まぐるしく変わった気がする。
最初こそ琴音のお兄さんってだけだったけど、ついさっきわたしは命を救ってもらった。優しくて包容力があって時々カッコよくて、でも変態で情けないところもあって。わたしは──。
「あやか?」
「へぇ!?な、な、なに!?」
な、なに考えてるのわたし!今はそんな事考えても……。
「ほらほら。飯できたぞー2人とも」
「はーい!」
「は、はい!」
よ、よかった……。琴音に訝しがられていたし、お兄さんのお陰で何とか助かった……。あれ?でも、こうなったのはお兄さんのせいでは……?そう考えると、なんだか理不尽なモヤモヤが心に広がって──。
「あやかー?ご飯冷めちゃうよ?」
「う、うん!今行く!」
はぁ……。お兄さんと会ってから、調子が狂う事ばっかりだ。えっと、ご飯を頂く前に……。
「これからも、よろしくお願いします」
琴音とお兄さんのご両親に一礼をする。例え自己満足だとしても、しなければいけない事だと思っているから。琴音の親友として、お兄さんの……ええと、これは置いておこう。
琴音の横の席に着く。テーブルには、肉じゃがと野菜炒め、そしてお味噌汁と白米が置かれていた。どの料理も、とても美味しそう。
「「「いただきます」」」
肉じゃがを一口食べる。美味しくて、優しくて、繊細な味。本当に、本当に美味しくて──。
「ちょっ、あやか!?」
「ど、どうしたあやか?」
急にどうしたんだろう2人とも。そんな、まるでわたしに何かあったみたいに……。
「や、やっぱり兄貴なの!?兄貴に何かされてたの!?」
「だから俺は何もしてないって!あやか、ハンカチでいいか?」
お兄さんがハンカチを渡してきて、ようやく自分の状況に気づく。わたしは知らず知らずのうちに涙を流していた。なるほど、だから2人が動揺しているんだ。
「……ふふっ、ありがとう」
そうか、久しぶりなんだ。誰かと一緒にこんな風に食卓を囲むの。それが嬉しくて楽しくて、泣いてしまったんだ。
△
「琴音、お風呂ありがとう!」
「うん!……あやか、服きつい?」
食事をとった後、琴音のすすめで結局お泊りをすることになった。制服はあるし、下着類は琴音が貸してくれるという事でお言葉に甘える形になった。ただ……、少しだけ問題もあったりして……。
「え、えぇっと……、ちょっと?」
「これが格差社会……っ!残酷……っ!」
「あ、あはは……」
身長こそあまり変わらない琴音とわたしだけど、その……胸囲に関しては差がある。べ、別に胸がある事がいいとは微塵も思ってないけど、こうも目の前で恨めしそうに胸を揉まれると非常にいたたまれなくなる。
そういえば、初めて琴音の部屋に入る気がする。わたしの寮の部屋とは違って、とても女の子らしい部屋。ディフューザーからの香りは甘くて、普段の琴音の香りの元はこれだったんだと確信した。
部屋を見まわしながらベッドに座ると、枕の方の棚に1つ写真が立てられていた。
「ねぇ琴音、そこの写真って……」
「これ?小さいころの私と兄貴だよ?」
「やっぱり!わぁ、琴音かわいい~!」
白いワンピースを着て、お兄さんと手を繋いでいる小さい頃の琴音。直前に喧嘩でもしていたのだろうか、琴音のお兄さんを見る目は若干ジト目になっている。その琴音を見ながら、お兄さんは微笑んでいる。ふふっ、小さい頃から2人は変わらないんだ。
「……ねぇあやか。ちょっと聞いていい?」
「うん?いいよ、どうしたの?」
写真から琴音へと視線を移す。
そこにはベッドに体育座りをして俯いた琴音が居た。どこか、様子がおかしいような……。小さく息を吐いた琴音は、やや上擦った声で問いかけてくる。
「ない……、とは思うんだけど。あやかはその……、兄貴の事す、好き、だったりする?」
「へえ!?」
きゅ、急に何を言ってるの琴音!?少し見える顔もリンゴみたいに赤くて、その事実にも驚きが訪れる。
「……どう、かな?」
顔をあげて、真っ赤な顔と潤んだ目をわたしに向けてくる琴音。とてもかわいいけど、そんな事も吹き飛ぶくらいに真剣な目をしていた。ピンと糸が張り詰められているその空気の中で考える。
わたしにとってのお兄さん。今日話始めたばかりだし、そこまでお兄さんの事は知らない。私が知っているお兄さんは琴音やわたしに優しくてちょっとだけカッコよくて、少し情けないところがあって。
でも、ファイント相手に立ち回ったお兄さんは頼もしくて、強くて。この家に来て、お兄さんと話すたびに少しづつ惹かれていく自分が居て。もっと、お兄さんを知りたいと思うわたしが居て……。
「そ、そんな事……、ないよ……」
そんな自分の考えとは裏腹に、わたしの口から出たのは否定の言葉だった。
「……じゃあさ、親友として聞いてほしいことがあるの。あやかに」
そこまで真剣な琴音の声を聴くのは初めてで、何故か不安の種が心に広がっていく。わたしの中の芽生え始めた大切なものが、琴音の言葉を聴いてはいけないと警鐘を鳴らしている。
「私……、好きなの。あに……、お兄ちゃんの事」
そんな思考を裂くように呟かれた琴音の言葉は、わたしの心を乱すには十分すぎるものだった。
……好き?琴音が、お兄さんの事を?
「えっ……と……。それは、兄妹としてって事だよね?」
「……違う。私、異性としてお兄ちゃんが好きなの」
それはだって……、おかしいよ琴音。だってお兄さんは琴音のお兄さんで、琴音はお兄さんの妹なのに。血が繋がった兄妹で、そんなのおかしい──。
「うん、分かってる。実の兄にこんな感情持つのおかしいって」
なんとなくお兄さんと琴音の仲に抱いていた違和感に気が付いてしまった。妙に距離が近いと思っていたのは、単に仲がいいからだと思っていた。それはきっと、お兄さんの目線なら正解なのだろう。
でも、目の前にいる女の子にとっては違ったんだ。好きな人にアプローチをかけるように、好きな人に少しでも意識してもらうように。兄妹という壁を、なんとか取り払うように。
「……お兄さんには、伝えたことは」
「ない」
「……そっか」
お兄さんは、きっと知らないだろう。心底可愛がっている妹が、自分の事を恋愛対象として見ているなんて。
「……うん。じゃあ、琴音は何を聞いて欲しいの?」
親友として。今のわたしは、琴音の親友として話を聞かなければならない。それ以外のわたしの感情はいらない、あったらいけないんだ。
「ううん、あやかには知っていて欲しかっただけ。きっとこれから先、他の誰にも言えないこの気持ちを」
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