遭遇戦Ⅰ
「急に休校になるなんてどうしたんだろ?」
「ん~、そうだよね」
一緒に帰りながら、琴音は唐突な休校に戸惑いを口にする。
学校に着いてHRを待っていると、今日は休校だと先生にそう告げられた。今日は何でもない火曜日だし、ここ最近ファイントが特区外に出現したという報告も入っていなかった。委員会からも何の要請もないし……。
お兄さんなら何か知っているのだろうか。わたしと違って5年以上調整者をやっているお兄さんなら、ファイントに関しては深く知っているかもしれない。ファイント関連の休校でないなら、ただのわたしの杞憂で終わる話ではあるけど。
「どうするあやか?どっか遊びに行っちゃう!?」
「う、うーん……。どうしよっか……」
そこまで気にしないでいいのかなぁ。だったら琴音とこのままデートに行くのも問題はない?ここ最近はお兄さんとばかりいたし、親友と遊びに行くのもいいかも。
「そうだね。それじゃあ、どこかカフェにでも──」
「あれ、兄貴?」
「えっ?」
琴音の言葉に反応して、視線を横に動かす。そこには、こっちに向かって手を振っているお兄さんが立っていた。
「よう二人とも!休校になったからって、今からお出かけか?」
「そうだよ!あ、もしかして私たちの事待ってたの?」
「あはは、実はそうなんだよ。ちょっと話があってな。ま、歩きながら話そう!」
そう言いつつ、お兄さんの目線はわたしに向けられる。琴音ではなくわたしにとなると、やっぱりこの休校の裏をお兄さんは知っているのだろうか?
琴音とお兄さんが並んで歩く後ろを付いていく。お兄さんは知らないだろうけど、琴音の表情と声音は学校にいる時よりも明るくなっている。学校にいる琴音が暗いというわけじゃないけれど、お兄さんといる時の琴音はやっぱり違う。
『ごめんね琴音。わたし、琴音に嘘ついてた』
2ヶ月ほど前、初めてお兄さんと会ったあの日の翌日。
わたしは琴音と行った喫茶店で自分のお兄さんに対する気持ちを吐露して、謝った。1番の親友に嘘をついたこと、これからはわたしもお兄さんの事を好きでいたい事。最初こそ俯いていた琴音だったけど、わたしが全て話し終えるといつもの笑顔を向けてくれた。
『親友だと、好きな人も一緒になっちゃうんだ!』
その言葉にどれだけ救われただろう。非難されても文句は言えないようなわたしに、琴音は親友のままでいようと言ってくれた。どっちが勝っても恨みはしないと。
琴音の顔を見る。とても楽しそうで、そんな顔を見るとお兄さんに少し嫉妬してしまう。琴音にはお兄さんが相応しくて、お兄さんにも琴音がきっと相応しい。いおりさん──お姉さんよりも、わたしよりも。
「あやか?話聞いてるー?」
「どうかしたのか、ボーっとして?」
いつの間にやら、前を歩く2人がわたしの顔を覗いていた。考え事をしすぎていて、2人の会話を聞けていなかったらしい。
「ご、ごめん!えっと……、考え事してた!」
「んもー、しっかりしてよねあやか!」
お茶目に笑いながら、琴音がわたしの腕に抱き着いてくる。どうやら琴音には、わたしの考えが分かってしまったらしい。本当に、わたしの事を理解してくれている親友だ。
「ふふっ、ごめんごめん。それで、何を話してたの?」
「今から何食べようかーって話。兄貴はラーメンで、私はパンケーキ!」
「お兄さん……。わたしと琴音がいるのにラーメンはなくないですか?」
「た、偶には良くないか?」
お兄さんが笑っていて、琴音が笑っていて、わたしもその輪の中に入れてもらっている。
それだけで嬉しくて、この空間にずっと居たくて。この関係が心地いいからずっとこのままでいいかな、なんて。そんな風に思ってしまう。
「あれ?ねぇ2人とも、なんかあっち騒がしくない?」
「「あっち?」」
琴音に言われて、お兄さんと一緒に指さされた方を見る。町の中央通りを歩いていたわたし達とは少し離れた路地に、少々の人だかりが見えた。それにしても、琴音はよく分かったなぁ。わたしもお兄さんも全然分からなかったのに。
「ちょっと見てく?なんか美味しいお店だったらいいな~」
「……ん?待って琴音、何か変な気が──」
人だかりがどこか逃げるような動きをしたのが見えて、なんとなく琴音を制した瞬間。
さっきまでそこにいた人だかりが、一瞬のうちに建物の裏に引き込まれる。そのすぐ後に複数の悲鳴が聞こえて、悲鳴が消えるとともに血しぶきが地面に撒かれた。
その光景は、日常の範疇から逸脱している不気味さがあった。
気づいたらお兄さんの服の裾を握っていて、わたしの手は震えていた。琴音の方を見ると、琴音もお兄さんの腕に抱き着きながら震えている。
「えっ……と、な、何ですかねあれ。お兄さんは……」
「あやか。琴音を連れて今すぐここから離れてくれ、なるべく遠くに」
驚くくらいに冷たくて低いお兄さんの声。そんなお兄さんの声を聞いたのは初めてで、それだけでこれが異常事態なのだと分かった。
「な、なに言ってんの兄貴?あれ、絶対やばいじゃん!早く逃げないと!」
「……悪い琴音。俺、ちょっとやることあるから」
取り乱す琴音を慰めるようにお兄さんが頭を撫でる。だけどその優しい手つきと声音とは裏腹に、お兄さんの顔はとても険しいもので。でもその顔を見て、ようやく我に返った。
琴音の手を握る。わたし達がいてもお兄さんの邪魔になる。たった2ヶ月の訓練なんかじゃ、わたしはお兄さんの力にはなれないんだ。だったらわたしがしなきゃいけないのは、琴音とこの場から離れる事だ。
「行こう琴音!」
「ちょっ、あやか!?待ってよ……っ!」
琴音には悪いけど、今は問答をしている時間はない。Ⅱ階梯のファイント相手に顔色を全く変えなかったお兄さんが、血相を変えてわたし達を逃がした。その意味を意識しなければならない。
琴音の手を引いて全力で走る。万が一があった時、逃げ場がなくなるから屋内はダメだ。屋外で、できるだけあそこから離れないといけない。
どのくらい走っただろうか。手を引いていた琴音が立ち止まったのを見て、物陰に身を隠すように止まる。そして数瞬の後、わたし達が走っていた方向から爆発音が聞こえた。もう戦闘は始まっている。
「あ、あやか……!お兄ちゃんのとこ行かないと!」
わたしの腕を掴んで、琴音が酷く狼狽しながらそう言う。そう、わたしと違って琴音は調整者の事もファイントの事も知らないんだ。お兄さんの強さも分からないから、心配するのも仕方ない。だったら、それを知ってるわたしが安心させてあげないとなんだ。
「大丈夫。大丈夫だよ琴音。お兄さんならきっと──」
心配ない。
そう言いかけた時、すぐ横にあった置いて行かれていた自動車に何かが衝突した。
その何かから赤い液体が飛び散って、わたしの頬にかかる。手でそれを拭って見ると、その正体が血だと分かってしまった。
「お、おにい、ちゃん……?」
琴音の言葉につられて自動車の方を見る。嘘だ、だって、お兄さんはとっても強くて。わたしよりもすっごく強くて、どんな相手でも負けないって。
だから、お兄さんはどんな事があっても大丈夫だって──。
「……やだ。やだよ……お兄さん!」
△
「ちょっ、あやか!?待ってよ……っ!」
狼狽してしまっている琴音を、あやかが強引に連れていくのが視界の端に見える。あやかには感謝しないとだし、琴音にはちゃんと説明しないといけない。さっさと片付けて謝り倒したいところだけど、目の前の脅威はそうさせてくれないだろう。
建物の陰に隠れて見えなかったモノがはい出てくる。
体長は2mほど、銀色の体毛がところどころ赤い血に濡れている。さっきいた人達の血だろうか、滴るそれは陽が出ている今にあまりにも不釣り合いだ。手の長さが異様に長く、獣と人間の間のようなそれはこっちを睨む。
知っている、陽が出ているにも関わらず現れたこいつ。
「こんな時にⅢ階梯かよ……」
ファイントの強さの指標において、実質最高位にあたるもの。
階梯が上がるほど姿かたちが人間に近づき、知能は一般人よりも上がる。そして、その強さはⅡ階梯以下とは比べ物にならない、昼夜問わず現れる存在。それがⅢ階梯。文字通りの人智を超えた獣だ。
「夜にはまだ早いぞクソ野郎」
実際、こいつらに性別があるのかなんて分からないけどな。
「さて、どうにか迅速に殺さないと──」
「ア、 アナナナタハドナタデショウカ?」
「……は?」
今、こいつ喋ったか?
ファイントが人間の言葉を喋る?そんなの聞いた事も見たこともないぞ?……もし、意思疎通がとれるなら。会話ができる可能性が──。
そんな馬鹿な事を考えてしまったから、一瞬反応が遅れた。
ファイントの爪が俺の額をかする。腕を振り回した衝撃で、その先にあった壁が抉れて崩れ落ちた。切れた額から血が流れて邪魔になる。これだから頭の怪我は嫌いだ!
「紅弁慶!」
額から流れる血を利用して、ネックレスに血を付ける。青い光が弾けてルーベンが行使されて日本刀に変わり、そのまま背後に飛ぶ。
まずは敵の攻撃に対応できるように、ある程度の距離を空ける。あの異常なリーチの腕に対応しなければ始まらない。
「タスケテ!ツギハドコイイイイクノノ?」
「……意思疎通は無理か?」
明らかに発した言葉に脈絡がない。もしかして、人間の言葉を聞いて真似ているだけか?言葉の意味までは理解していないんだろう。
「モウコロロロシテ!ナニアレ、ナニアレ?」
そんな言葉を発しながら振るわれる右腕を跳んで回避する。身体を鍛えているとはいっても、一撃でコンクリートを壊すようなものは何度も受けられない。対ファイント戦の基本である回避行動は、ファイントの階梯が上がるほど重要になる。
「あぁぁぁ!」
空中から思い切り刀を振り下ろす。腕を斬り落としたと思った刀は振るった後の右腕で受けられたが、その反発を利用して宙で回転する。刀の一振りを囮にして、本命のかかと落としを頭頂部に喰らわした。
攻撃を喰らって、ファイントの身体が地面にめり込む。ルーベンを使って加速させた一撃はかなりの手ごたえがあった。
「そのままっ!」
敵はひるんだ。だったら追撃して終わりだ!地面に着地して、刀を空中で掴む。
「もっとよこせぇ!」
肉体と刀に能力を使ってブーストをかける。一瞬身体から何かが抜けるのを感じて、その後に力が体に満ちてくれる。
息を少し吐いて深く踏み込み、横なぎの一閃を。今度はガードしようが関係ない。さっき程度の硬さなら豆腐みたいに斬れる!
「ニンゲン──風情が。図に乗るな」
そう聞こえた瞬間、目の前の空間に青い光が弾けた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます