転調

 これはかなり嫌な気配がする。胸騒ぎがして、心臓が握られるような、そんな嫌な予感が。何か、大切なものがなくなってしまう予感がしてしまう。


 師匠に連れられ、いつも通り体育教官室に着く。中に入ると、師匠が何やら資料を纏めて机の上に置く。


「読め」


 なんだそのぶっきらぼうさは!と文句を言ってやりたくなったが、師匠の顔を見て文句を飲み込んだ。いつもの飄々とした顔は消え、眉間にしわが寄っていた。


 資料を手に取る。題に至急と書かれたそれを見て、目を疑った。


「今まで黙っていて、悪かった」


 師匠の言葉が耳に届いている。そのはずなのに、俺の意識は目の前の文章にしか割かれていなかった。


 ファイントが現れるのは、特定の隔離された特区のみ。それが何故なのか、俺は疑問に思ったことがなかった。そういうものだと勝手に納得してしまっていた。


「これ……、は……」


 書かれていた内容は、この国の皇太子が死去したという訃報だった。死因は衰弱死、享年は15歳。写真の中の皇太子の顔は、いつだったかテレビで見たことがあるものだった。


「2ヶ月前、あたしは皇太子の護衛に呼ばれた。お前にⅡ階梯の仕事を投げた時だったか」


 その後ろにある内容が、聞いたことのない理解しがたいものだった。


 皇太子の死により、特区の結界が消滅。新たな皇太子を立てるまで、ファイントの活動範囲の不明化、活性化の可能性あり。緊急出動を要請する。それが大まかな内容だった。


 眩暈を起こしてしまいそうになるほど気持ち悪い。近くにあった椅子に倒れこむように座る。師匠はそんな俺を見つつ話を続ける。


「その時に、もう皇太子が死ぬであろうことは分かっていた。あたし含めて数人しか知らない事だが、お前はあたしの弟子だ。だが、それをお前にいう事が正しいかどうかは──」

「そんな事聞きたくない。この内容を、ちゃんと教えてください」


 師匠の話を意図的に遮る。だって、俺の聞きたいことはそんな事じゃない。そんな言い訳じみたことを、師匠の口から聞きたいんじゃない。


「……どこから聞きたい」

「全部、と言いたいとこだけど。最初は皇太子さまの事を」


 特区の結界、皇太子さま、そして皇太子さまの死による結界の消滅。この事象を繋げた俺の想像が正しいのであれば、それは人として許容したくはない。


「……お前はルーベンという能力について、どこまで知っている?」

「そんなもん、師匠から教えられた事しか知りませんよ」


 自身の大切な無機物に、己の血と魂を分け与え自在に武器に変形させる。分け与える血と魂を増やすほど、使役する物と自身の力が加速度的に増えていく。そして、どれだけ力を増やせるかは個人の資質によって変化する。


「じゃあ追加授業だな」


 そう言いながら、ホワイトボードに向き合ってペンを取る師匠。俺に過去教えた情報を書きなぐって、今度は俺の方に振りかえる。


「ルーベンという能力は己の大切な無機物にしか作用しないと言ったが、実際には違う。自分が大切だと感じてさえいれば、有機物だろうが生物だろうが関係ない。例えば、あたしはせんべいがとても好きだ、と思い込めば──」


 おもむろに机に置いてあったせんべいを手に取る師匠。淡い青い光がそのせんべいの周りに浮かぶ。ルーベンの能力が使用されている証左だ。その光がバチっと爆ぜた瞬間、手に持っていたせんべいが日本刀へと変化する。


 アマリリス。俺にとっての師匠と並んでの力と強さの象徴で、師匠が対ファイント戦の時に用いる刀だ。


「もちろん、イメージさえあればどんな形にも変化できる。だが、お前には刀以外に変えるなとも言っていたな。それは、お前のルーベンの力の資質が弱いからだ」


 日本刀から盾へ、盾からホワイトマーカーへと変化させる。そして変化させたホワイトマーカーで、書かれていたホワイトボードに文字を追加する。


「とりわけ、生物への干渉は寿命まで削る事がある。だからこそお前には教えなかった。家族の為なんて言いながら、目の前の死を許容できないお前にはな」

「……そんな、事は」

「あるから言わなかったんだバカ弟子。さて、授業に戻るぞ」


 俺の言い分を一蹴して、更に言葉と文字を重ね続ける。師匠らしさが戻ってきたはいいが、やはりこの授業スタイルはどうなのだろうか。


「この国の皇太子には、代々特別なルーベンが発現する。あたしらみたく物質に作用するのは同じだが、その範囲と出力は桁が違う」

「範囲と……、出力?」

「そうだ。それこそ、国1つ分なら賄える程度のな」


 国1つ分。俺の出力できる範囲は、精々このネックレス程度。これ以上大きなものなんて試した事はないが、無理だと理解はできる。1ヶ月前の対Ⅱ階梯戦の時でさえ、ブーストしただけで消耗をしていたのが俺だ。


「その特別をもってして、国にあるいくつかの対ファイント特区の結界を維持する。それがどれだけ寿命を削ることになろうとも、お国の為って事だ」

「……やっぱり、そうか」


 それが、この世界の闇の部分。俺たちが享受する平和の真実。1人の人間を贄に捧げて、それを見て見ぬふりをしている。


 師匠を見ると俺の事をまっすぐ見つめていた。非難されることも分かっていて、それを受け入れようとしている。俺の事を案じている。それが分かってしまったから、俺は責めることができなかった。


「分かりました。話してくれてありがとうございます」

「……礼はあたしがする事だ」


 うっすらと微笑む師匠。その顔がとても穏やかで、多少なりともこの人に恩を返せたのだとわかった。


「それじゃあ、これからの話をしましょう。その結界がなくなることで、これから何が起こるんですか?」

「お前もよく知ってるはずだ。特区の結界の効力が薄れて、ファイントが特区外に出没することになる。6年前みたいにな」


 それが何を指しているのかは分かった。6年前、特区の外で俺がファイントに襲われたのはそういう理由があったのか。てっきり単発的な事象だと思っていたが、そこには明確な原因があったらしい。


 あの地獄が、もう一度再現される可能性がある。周りで何十人も死んで、五感の全てが死に包まれていた地獄が。苦しくて、絶望しか見いだせなかったあの地獄が。


「……それはいつまで続くんですか?」

「今晩中には次の皇太子が新たに維持を始める。ラグを考えても、今晩だけで終わる」

「……そうか」

「学校もこれから休校になるそうだ。陽が出ている間に、あたし達は迎撃の準備をする」


 マーカーを机に置き、ホワイトボードの文字を消し始める師匠。どうやらここで授業は終わりらしい。


 今晩だけ、特区外にもファイントが出没する。人間の血と肉を好むファイントが、人間の生活圏に侵入してくる。異常事態のそれは、本来の生存競争の形だ。


「この第一地区の最重要戦力はあたしとお前だ。他は委員会の奴らと他の民間の調整者がいるが、頼りにはならん。だから夜までは英気を養っとけ」


 相変わらず不器用な優しさだ。自分は他ごとをしなければならないだろうに、俺の事を気遣ってくれている。本当に、いい師匠を持ったもんだ。


「あぁ、もう1つ言い忘れたことがある」


 教官室のデスクに座り、また他の資料を読み始める師匠。それを見てバカ師匠の言う通り自宅に戻ろうと教官室を出ようとすると、背後から声がかかる。


「ルーベン行使の際に使う魂の出力量は本人の資質による。そして、お前のその出力は弱い」


 おっと、いきなりの罵倒が始まったぞ?そりゃあ俺のルーベンの能力が弱い事は分かってるけど、改めてそこまで言う事はなくない?


「だからこそ、それ以外の基礎を鍛え上げた。でも、総量を増やすことは簡単だ」

「そ、総量……」


 これまた訳わからんことをいうもんだ。確かに血は限りがあるけど、魂なんて目に見えないものの限界は分からないしな。だからって、それを増やすとかちょっと意味が……。


「そんな顔せずに聞け。増やすためには、小さくてもお前の望みを叶えて幸福を感じればいい」

「幸福……」


 大真面目にそんな事を言うから、それが事実なのだと確信する。だって、こんな風に喋る師匠の姿は俺にファイントの事を教えてくれた時と同じだからだ。


「……分かりました。それも、教えてくれてありがとうございます」

「ああ。17時にまたここに来い」


 そうやって、また資料に目を移す師匠。今度こそ、話は終わったようだ。


体育教官室から外へ出る。外は晴れていて、呑気に小鳥のさえずりが聞こえる。とても凶兆の前ぶりには思えなくて、思わず笑みが零れてしまう。そうやって少し歩いて、いつもの自動販売機の前に着く。そこでいちごミルクを買って傍のベンチに座った。


 そして、こんな光景でさえ皇太子さまが作ってくれた光景だと思い出す。


 果たして、どれほどの寿命があったのだろうか。たった6年で死んでしまうくらいの能力の出力。それは果たして、どれだけ苦しいのだろうか。そこにあるはずの個人の意思は、どれだけ尊重されていたのだろうか。そんな考えが頭の中を延々と巡る。


「……そんなもん、今考えても意味ねぇよ」


 とりあえずは目の前の事だ。

今晩中戦いが続くのであれば、さすがに無理をしなければならない。恐らくは敵の多くはⅠかⅡ階梯だろうから問題はないが、Ⅲ階梯になるとかなり辛いものがある。それこそ、師匠が言っていたようにルーベンが保たない可能性すら出てくる。


「幸福かぁ……」


 俺にとっての幸福は、大切な人が幸せに生きてくれることだ。その為に守る力を手に入れたし、その為ならどんなことだってできる。ただ、それを今からの短時間で感じろって言われてもなぁ……。


「なーにやってんだバカ司」

「うおっ!?」


 背後から冷たいものを首筋に当てられ、思わず奇声とともに姿勢が伸びてしまった。

な、なんだよこの野郎!ぶん殴ってやろうかという勢いで後ろを振り向くと、そこにはニヤニヤと笑う晃紀が居た。ていうか、そんなに俺のリアクションが面白かったのかこいつ……!


「偶にはいちごミルクじゃなくてコーヒーでも飲んでみろよ、おこちゃま」

「けっ!コーヒー飲んでたら大人だと思ってんじゃねぇぞ」


 差し出されていたコーヒーをひったくってグイっと一口。うぅむ、ブラックコーヒーも偶にはいいけど、やっぱり甘党からすると違和感を感じてしまう。


 そうしていると、いつの間にやら晃紀が俺の横に座ってきていた。


「どっかで見た事のある銀髪バカが黄昏てたから来てみれば。何かあったのか?」


 まったく苦い顔を見せずコーヒーを飲みながら、笑いながら問いかけてくる。ていうか、別に黄昏てなかったけどな?それに何だよ銀髪バカって。銀髪はともかくバカってなんだよ!


「何もねぇよ。お前こそ、わざわざそんな事聞きに来るとかなんだよ」

「あー、偶にはいいだろ。俺だって、お前をだしに感傷に浸りたい時があんだよ」

「はぁ?」

「お前も今日の今夜の迎撃戦、参加すんだろ?だったらちょいと感傷に浸る気持ちも分かるだろ」

「あー、なるほどそういう……。は?」


 ちょっと待て、今こいつなんて言った?今夜の迎撃戦?俺が参加する今夜の迎撃戦っていったら、さっき師匠から教えられたファイント戦の事だぞ。


「晃紀お前……。調整者だったのか」


 確かに違和感を思うことはあった。ただのバイトとしか伝えていないのに死ぬなよと言ってきたり、いつだったか夜に外で会ったこともあった。夜に外で会うという異常性が、この現代においてどれほどなのか。それを分かっていたはずなのに。


「おうよ。ま、お前とその師匠は有名人だから知ってたがな。これでも4年目だからよ」

「……そうかよ」


 別に学生の調整者がいる事は珍しい事じゃない。6年前の師匠やまだ中学生のあやか。それ以外にも、何人か現場で見たことはある。みんな、死んでしまったが。


 調整者4年目。約5割の人間が1年目で死亡するか辞めると言われているこの世界で、4年目の調整者はとても重宝される存在だ。相応の力量もあるだろう。今回のような迎撃戦に参加させられるのは当然だ。


「今日の夜はどこだ?」

「4区。人手が足りないってんでそっちに呼ばれた」


 俺の配置は師匠と同じで、ここ第1区。第4区となるとかなり遠い。何かあった時に──


「何かあった時に助けに行けない。なんて思ってんじゃねぇだろうな?」

「……顔に出てたか」


 確かにポーカーやババ抜きは誰にも勝てない俺だが、そんな思考まで読まれるほどか?なんなんだ?俺の事大好きなの?


「ふざけんな。ダチの事くらい信じてみろよ」


 なんて、こっぱずかしい事を恥ずかしげもなく言う。俺の顔を見ながら、真剣な眼差しで。中学の頃からなんとなく連んできた親友だが、そんな姿を見たのは初めてだった。


「……ばーか。お前が死なない事くらい分かってるよ」


 一度、殴り合いの喧嘩を晃紀とした事がある。原因は何だったかもう覚えてはいないが、どんなに殴ってもこいつは喰らいついてきた。

最終的には、どっちも川原に寝そべってたっけか。どんな青春ごっこだよって思ってしまうが、心の強さとタフさに関しては、俺よりもこいつの方が何段も上だと知っている。


「分かってるならいい。それじゃ、俺は行くぞ。また明日な」

「おう。また明日」


 そんな淡白な別れの言葉を残して晃紀が歩き出した。


 それだけで大丈夫だと感じた。俺たちの別れの挨拶はいつもこれで、それだけでまた明日会えると確信できた。あいつはきっと死なないから、後は俺が生き残るだけだ。そうしたらきっと、明日からいつもの日常が待っている。


 ──だからきっと、この胸騒ぎは杞憂に終わってくれるはずだ。

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