第2章 異常と消失
新しい日常
「ぜぇ……、ぜぇ……っ!」
「うん、お疲れ様。段々とペースが上がってきたな!」
「い、嫌味ですか、お兄さん……っ!」
荒い息を吐きながら、家の近くの神社の階段で横たわるあやか。ジャージをはだけさせて、汗だくになったまま胸を上下させる姿が妙に艶めかしくて、思わず目を逸らしてしまう。
その事に微かな罪悪感を抱きながら、横に歩いてきた猫を撫で始める。ゴロゴロと喉を鳴らしながら頭を擦りつけてくるその姿が毎朝の癒しだ。
「おぉ、よしよし。お前はほんとに可愛いな~」
ほんと、人懐っこい猫様だこと。思えば、いつもここに来るといるなこの子。
そうやって猫を撫でながら、あやかのランニング後の回復を待つのがここ2ヶ月ほどのルーティーンになっていた。
2ヶ月前、あやかに強くしてくれと言われた。本当はクリーガー─調整者を辞めて欲しかったけど、話してみて、そう言われて考えは変わった。
『あぁ?……知らん、あたしはお前以外に弟子はとるつもりはないよ』
師匠に相談したときに言われた言葉だ。そこで話は終わりとばかりに不満げにそっぽを向かれたので、あやかには俺が指導することにした。
と言っても特別な事はなく、とりあえずここ2カ月はひたすら基礎トレーニングに従事してもらっている。朝のランニングもその一環というわけだ。今は距離はそこまで伸ばさず、10㎞ほどを走るように調整している。
「そうだな……。もう少しゆっくり行くか」
あやかもここ数日でランニングのペースが上がってきたものの、普段の俺のペースには到底及ばない。ランニングを終えた後にこうして倒れているのも、あまりよろしくない。
ファイントとの実践となると、目の前の敵を処理した後の方が重要になるからだ。奴らは群れで行動する事もある為、常に継戦を意識できる体力がなければ。あやかは動けはするが、身体能力だけで考えるとⅠ階梯にも勝つ見込みは薄い。
だが、それも少々長い目で見ての理想だ。短期間に詰め込みすぎて身体を壊してしまうと元も子もない。
「すみません」
「ん?」
いつの間にか座っていたあやかがいきなり謝ってきた。急な謝罪に何だろうと思って、緩く耳を傾ける。
「わたし……、足引っ張ってますよね。お兄さんの朝のペースを乱して、色々面倒を見てくれて。本当に、ごめんなさい」
俯きながらそんな事を言うものだから、自然と笑みが零れてしまう。
こうやってあやかと接していて分かった事の1つに、結構自信がないところがあげられる。普段は強気なのに、どこか自分に自信がない。なんとなくだけど、そういうところは琴音に似ていると思っている。
だからか分からないが、琴音に接するように相手をしてしまう事がある。
「気にすんな。まだ2ヶ月そこらだし、焦らなくても成果はついてくるさ」
実際、俺がいつものペースで走れるようになったのは修行を初めて半年くらいだったしな。
「面倒見るって言ったのは俺だし、ゆっくりでいいよ。そんでもって、俺に寄りかかりながらでいいさ。あやかの事、ちゃんと支えるよ」
あまり無理をしてほしくないのもそうだし、真面目過ぎるあやかには緩いペースで接した方がゆとりができていいだろう。
そんな思考を巡らせていると、俺のジャージの裾をあやかが握ってきた。なんだろうと顔を覗いてみると、俯いたままの顔は朱色に染まっていた。
「お、お兄さんはズルいです。普段はわたしにセクハラしたりするのに、こういう時だけそんな紳士的なこと言ったりして……」
「いや、セクハラって……」
別にそんな事してないんだけどなぁ……。あやかがうちでお風呂に入っていた事を知らなくて、偶々俺も入って怒られたり。2人でトレーニングをしている時に、思わず大きいなぁなんて口走ってしまったり……。いや、うん。相当やばいな俺。これは反省しないと。
「そ、それは置いておいて!どうだ、大丈夫そうならそろそろ帰るか?」
手元の携帯を見ると、時刻はもう6時を過ぎていた。俺は汗をかいていないからいいとして、あやかはシャワー浴びたいだろうし。
「もし歩くのが辛いなら、俺がまたお姫様抱っこでもしようか?」
「はぁ!?な、何を言い出してるんですかこの変態!」
軽口に顔を真っ赤にしながら自分の肩を抱くあやか。うーん、その反応だとマジでこっちが犯罪者みたいになっちゃうぜ!
△
「へぇ~、今日も一緒だったんだ?」
「まぁな。……てか、ちけぇよおい。離れろ離れろ」
いつも通り、朝ごはんを琴音といおりとあやかと食べた後。なにやら琴音とあやかはすることがあるらしく、俺といおりで先に家を出ることになった。
ここ最近、朝のランニングを終えるとそのままうちで食べることが多くなったあやか。なにやら当初は琴音とも若干ぎくしゃくしていたあやかだったが、それを解決してくれたのがいおりだった。
『可愛い~!え、琴音ちゃんのお友達!?仲よくしよ~!』
初対面で、こんな風に天然で言えるのは俺の知る限りだとこいつだけだろう。あやかもそのおかげか、今ではいおりの事をお姉さんと呼んで慕っているくらいだ。その明るさに、俺は幼い頃から何度助けられてきただろうか。
「司くん、あやかちゃんに手なんて出そうものなら許さないよ?もうあやかちゃんは私の妹みたいなものだからね!」
「出さねぇよ。ていうか、そんな事しようものなら……」
まず間違いなく、この朝の生活に変化が訪れるだろう。それも、多分いい変化じゃなくて悪い変化が。そんな事、俺もあやかも琴音も望んじゃいない。
ちらりといおりを見る。金髪が風に靡いて、太陽の反射できらきらと輝いている。それがとても綺麗で眺めて歩いていると、こっちを向いたいおりと目が合う。
俺の目線に気づいたのか、見る見るうちに顔が真っ赤に染まっていく。その表情が面白くて思わず眺めてしまう。
「あ、あはは……。そ、そんなに見られると恥ずかしいかも……」
「い、いや違……っ!……わ、わるい」
ばつが悪くなって、そのままお互いに顔を背けて押し黙ってしまう。
な、なんだこれ!?これじゃあまるで、付き合いたてのカップルみたいな!ぐっ、これはまずい!なにがまずいって、このままだと雰囲気に吞まれてしまいそうだからまずい!は、早く他の話題を、いつも通りの話題を!
「そ、そういや昨日晃紀のやつがさ──」
「私は、いいよ?」
「──は?」
間の抜けた返事が自然に口から洩れる。
い、いいよって何がだよ?だって、お前。そんな風に潤んだ目でこっちを見てきて、それじゃあまるで……。
「あー、青春してるところ悪いな」
「きゃあっ!?」
「うおぁ!?」
そんな俺たちの空気を切り裂いた声の主は師匠だった。は、背後からいきなり声かけてくるとか、死ぬほど焦るからやめてほしいんですけど!?
「な、なぁんだ、美弥ちゃんせんせーかぁ……」
「びっくりさせないでくれよ……」
だが、師匠の登場に少しだけほっとしている俺が居るのも確かだ。あのままだとどうなっていたかは想像に難くない。べ、別に嫌というわけでもないけど……。
「だから悪いって言ったろ。小金井、このバカちょっと借りるぞ」
「え、あ、はい。…………ええ!?」
「俺ですか?」
「とっとと行くぞ」
「ちょ、ちょっと!悪いいおり、また後で!」
師匠がこうやって無理やり引っ張り出す時は決まって仕事の話だ。
だが、それにしては様子がおかしい。大事な書類を失くそうが、自分の大事なものを失くそうが平然としている師匠が、かなり動揺しているように見えた。
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