第一章 2度目の人生と運命の日

新垣司

「……んん。寒っ……」


 少し冷えた部屋の空気で目が覚める。窓の外はまだ薄暗く、もう少し寝てしまいたい衝動から逃れるように布団を脱出した。


 新垣司、17歳。俺の毎朝は、こうやって布団の誘惑に打ち勝つところから始まる。


 毎朝5時に起床し、洗顔をしてからジャージに着替え、そこから日課のランニングが始まる。今日はランニング途中の神社の前で猫を見つけて、可愛さに惹かれ戯れる事数十分。気づけば家に帰る時間は6時を過ぎていた。


 そこからは家事の時間だ。兄妹で2人暮らしの我が家では、ちょっとした掃除以外の家事は全て俺の仕事になっている。まだ中学生の妹を、亡き両親の代わりに出来るだけ甘やかしてあげたい兄心からだ。


 ピンポーン!と、玄関のチャイムが鳴る。気づけば7時15分を時計の針が指していたので、まああいつだろな。いつからか、毎朝来るこの時間を俺は楽しみに待つようになっていた。


「おはよー司くん!美味しいたくあんはいらんかね!」


 開口一番たくあんの押し売りをしてきた彼女に、自然と口元が綻ぶのを抑えられないのは彼女の魅力故だろう。


「それ市販のでしょうが!……おはよういおり。ほら、寒いから早く入れ」

「はーい!それじゃあ、ぬくぬくさせて貰うぜい!」


 朝から元気でパワフルな彼女は、小金井いおり。物心ついた時からの幼馴染だ。金色の長髪と、おっとりとした目元、スレンダーな身体が特に目を引く。世間一般で言うところの美少女であることは、誰も否定はしないだろう。


 ……それを本人に言えば、絶対に調子に乗るから意地でも口には出さないが。


「ほうほう、今日はお味噌汁に大根の煮物に鮭の塩焼き、と。……私は大根の煮物多めで!司くんの煮物美味しいからね!」


 台所からくるくる回りながら出てきての注文。そうやって屈託のない笑みと誉め言葉を浴びせられると、こちらとしては照れ隠しに話を逸らすしかできなかった。こいつ、ほんと顔はいいから困るんだよなぁ。


「はいはい、琴音を起こして来たらな」

「……もう起きてますケド」

「うおっ!?」


 声の聞こえた方を振り向くと、そこには妹である新垣琴音が大層不機嫌そうに立っていた。ザ・寝起きですと主張するパジャマとぼさぼさなままの髪をそのままに、その特徴的な猫目でいおりの方を睨みつける。


「おはよう兄貴。……いおりさんは今日もいるんだね」


 その酷くトゲトゲした言い方に、また始まったと小さく溜息を吐く。なぜかこの2人は、かなり仲がよろしくない。というか、琴音の方が一方的にいおりの事を嫌っているらしい。この事については、琴音に聞いても何も教えてくれないが。


 そんな琴音の言葉を真正面から受けても、いおりは全く意に介していないように言葉を返す。


「おはよう琴音ちゃん!そうだよ?司くんが嫌がらない限り、これからも続けていきたいなって。ね、司くん?」


 そう言いつつ、俺の方を見るいおり。いおりから目線を外し、今度は俺を睨む琴音。

 つまり、いおりは言外にこう言っているのだ。私のバックには司くんがいるぞ、と。そう、大抵の2人の小競り合いは俺を挟んで収束する。挟まれるこちらとしては、胃が痛くなってしまうだけなんだけど。


「は、ははっ……。よし、朝ごはんが冷めちゃうぞ!ほらほら、早く食べよう!」

「はーい!」

「はーい……。あ、兄貴。私も煮物多めがいい」


 君ら2人が多めって事は、必然と俺の煮物が少なくなるって事だよなぁ。今日の煮物、かなり美味しくできたんだけどなぁ。まぁ、2人が美味しく食べてくれるなら、作った甲斐があったというもんだよな。


「それじゃ、いただきます」

「いただきます!」

「いただきます」


 そうやって、3人で朝食を食べる。元気はつらつで、その割に強かな幼馴染。この世で唯一の肉親で、誰よりも優先して守るべき妹。毎朝のこれが、俺にとっての幸せと日常の象徴だ。



「次のニュースです。明朝5時ごろ、第一地区でファイントの被害が──」

 朝飯を食べ終え、部活の朝練があるからと学校に向かったいおりを送り出した後、食器を洗っている時にそのニュースがテレビから流れた。食器を洗う手は止めず、そのニュースに耳を傾ける。


 ”ファイント”


 俺の生まれる何百年も前から地球上に存在してる”害獣“。夜行性で、主に人の血に対して反応する存在。人にあだなすものではあるが数は少なく、政府が自衛隊などを使い対処できる程度の存在。こうやってニュースになるのも珍しいくらい。


 それが、一般的に学校で習うものだ。


「琴音、ちょっといいかー?」

「んー?どうかした兄貴?」


 歯を磨きながら、廊下とのドアからひょっこりと顔を出す琴音。ぼさぼさの髪を整えて中学の制服を着て、セミロングの銀髪を揺らすその姿は、非常に愛嬌があるように見える。うん、とっても可愛いぞ妹よ。と、それはさておいて。


「今日の夜、帰るの遅くなると思う。晩御飯は作り置きしてるから、1人で食べてくれないか?」

「……え?」


 さっきのニュースから推測するに、今日は多分帰りは遅くなるだろう。仕事だから仕方ないとはいえ、琴音を一人にするのはかなり心苦しいんだよなぁ。


「あ、あ兄ちゃんが居ないからって嫌いなものは残したらダメだぞ。というかそろそろ、野菜をちゃんと食べ──」


 軽口から流れるように小言に移行していると、いつの間にか背後に回り込んでいた琴音に抱き着かれた。背中の感触からするに、顔をめいいっぱい押し付けてきてるけど……。さっきまで歯磨きの途中じゃなかったっけこの子!?


「こ、こら!琴音お前──」

「やだから」


 背中から聞こえる小さな声は震えていて、思わずお小言も食器を洗う手も止まる。その雰囲気を感じて、タオルで手を拭いて振り返る。


「私、お兄ちゃんと一緒じゃないと、絶対、嫌、だから。絶対……っ」


 小刻みに震えながら上目遣いで見てくるその目を見て、まだまだ子供だなと感じてしまう。背が伸びて美人になっても、琴音はまだ中学生だ。


「分かった。なるべく早く帰るように頑張るから、待っててくれ」


 そんな言葉をかけつつセットした髪が崩れないように撫でる。そうしていると、安心したのか震えは止まってくれた。


 7年前。俺が10歳、琴音が8歳のころの話だ。両親は買い物に行くと言って俺たち二人を家に置いて行き、次に両親にあったのは棺桶の中だった。泣きじゃくる琴音を見て、俺が琴音を守らなきゃならないと思ったのを鮮明に覚えている。


 いつだったか、琴音が小学生くらいの頃にもこんなことがあったな。随分と月日も経ったから大丈夫だと思ったけど、トラウマはまだ癒えてなかったらしい。


「大丈夫。お兄ちゃん離れが出来てない妹を、俺が残していくわけないだろ?」


 俺の顔を覗き込む琴音に、できる限りの笑顔を見せる。不安にさせてしまったことを後悔しながら、同時に、ここまで俺を大切に思ってくれていることに嬉しさを覚えてしまう。


「……調子に乗るな。いいから、さっさと帰ってきて」


 赤らめた顔を背けて、ぶっきらぼうに言い放つ。こういう小生意気なところも、健全に育ってくれている証明のようで嬉しくなる。なんだかんだ、親代わりは出来ているみたいだ。


「おうよ。にしても、背伸びたな」

「……ふふっ、今更?いつか兄貴も抜かすから!」


 うん。今日も俺の妹は世界一生意気で可愛い。そんな妹の笑顔と可愛さを堪能しつつ、食器を洗うのを再開し始めた。


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