2 夜夜 Ya-Ya
眠剤飲みすぎたかな?
サナは口をパクパク動かしているが、動画の音量をミュートにしたようにケンの耳には届かない。だが口元は確かにそう言っている。ケンはスクリーンの破れた穴から映画の世界へ侵入した透明人間で、蜃気楼のようにゆらゆら揺れるサナの観客だった。これはサナの影だ、そう思うと無性に悲しくなり、手で顔を覆い声をあげて泣いた。ケンが夢から覚めたとき、飲み物に睡眠薬を混入されたのかと疑うほど眠気が絡みついていた。
充電されたiPhoneに手を伸ばして時刻を見ると正午を回っている。
人事から状況確認のSMSが届いていた。アラームにも気づかず熟睡していたとは。職場に電話しなければいけない。どう言い訳してもこの時間まで寝ていた事実を覆せないと思った。体調不良で寝込んでしまい、横になったままじっとしていました、すいませんと謝罪した。ケンは仮病で仕事を休むとき、相手に指摘されがちな部分をぼかすのが得意であると自負していた。ある同僚に頼まれて無断欠勤の謝罪メールを起草したこともあった。
ケンが起きたのに気づいたハムスターは、丸太小屋の形をした隠れ家から飛び出してきて、ケージのガラスを内側から手で激しくこすり始めた。観音開きの扉を開いて掌で掬うようにハムスターを外に出し、そのままフードをつまんで与えた。このジャンガリアンは、サナが二匹飼っていたうちの一匹を譲り受けたものだった。ケンはわざとハムスターの口元に人差し指を当てて噛ませた。放っておくと噛む力はどんどん強くなる。ケンはハムスターに自分の指を齧らせて血が出るまで耐えるのが好きだった。それはハムスターへの愛情の証しのような気がして、サナによく血が滲んだ指先を自慢げに見せた。
サナに電話してみるか。サナの妄想の縁にナツメがいた。脈絡はあるようでないが、ないようである、と遠くの声が告げている。今日は有給だと言っていた。一日にぎっしり用事を詰め込んでいて、午前中は歯医者で、おそらくいまは昼食どきだろう。ケンは躊躇わずに電話するとすぐにつながった。
「午後から病院と美容院とネイルだっけ? きつきつじゃん、会社休んじゃってさ、ヒマだから付き合ってもいいよ」
「美容院はカットだけだよ。ネイルは最終だけどね」
「旅行代理店のとなりね。十八時か」
「いや、いい。全部待たせるだけだから。どうせ明日会うし」
「明日会うって言ったっけ? まあ職場では会うけどさ」
「言ってなかったかも。明日の帰りは寄ってほしい」
「わかった、じゃあそうする、一人でヒマ潰すわ」
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