E.L.ランカスター
私はなんでもない顔をしていつも通り小学校には通っていたが、二、三日震えながら過ごした。
柚木ピアノ教室でみた<人骨ピアノ>が未だに目に焼き付いて離れなかった。
その日の午後、台所に居た母が言った。
「サイレン!」
耳を澄ますと小さなサイレンの音がどんどん大きくなってくる。
通常はドップラー効果でどこかであっ通り過ぎたなと思うものだが、その日のサイレンは違った。
どんどん音が大きくなり続けた。
「なにか近いみたい」
母がぼそりと言った。
ただの小学生である私は、なんとなく家を飛び出すとサイレンの方に走っていった。
サイレンの合間にカーン、カーンと音がしていたので消防車であることは間違いなかった。
火事らしい。
最初に聞こえていたサイレンは止まった。だが次々とサイレンがこちらに向かってくる。
大きなサイレンの向かう方角には黒雲が上がっていた。
そしてかすかに匂う焦げ臭いにおい。
しばらく走りもう私にはわかっていた、柚木ピアノ教室の近くだった。
着いたときにはもう警察によって規制線が張られ幾台もの消防車が止まっていた。
柚木ピアノ教室がボウボウと燃えていた。
どこが火元かすらわからないぐらいの激しい火勢だった。
一階の窓はわからなかったが、二階の窓からでさえ窓を突き破り激しい炎が立ち上っていた。
不思議なことに、これだけの火勢なのに、炎は垂直に立ち上り柚木ピアノ教室だけを燃やしていた。
家の周囲を城壁のように張り巡らされた2mはあるドイツ風の杉の木、カイヅカイブキのせいである。
カイヅカイブキが防火林の役割を果たしていた。
またそれは多を全く寄せ付けない柚木先生を象徴しているような火事だった。
野次馬がどんどん集まりつつあった。
「下がってください」
「下がってください」
ハンドマイクからの声はよくわからないぐらいあたりは騒然としていた。
私は野次馬の一人だった。
私が見ている限り消防がいくら放水しても火の勢いは衰えなかった。
よくみると、少し離れたところにお手伝いさんの田尻さんが膝をついて消防の人に支えられていた。
田尻さんの顔には煤が少しついていた。
「下がってください」
「下がってください」
ハンドマイクからの声の中でも私は田尻さんと消防の人との会話を聞いた。
「中に人は?」
「わかりません」
この会話だけは耳にこびりついて今でも覚えている。
消防車はどんどんやってきたが、炎は冬のくらい曇天に向かって一直線に伸びていた。
どこまでも、どこまでも。
そして、あの紅茶の甘い香りがあたりを立ち込めていた。
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