カール・チェルニー

 ある冬の曇った寒い日の午後、私は柚木千代ピアノ教室に向かっていると近所のおじさんが声をかけてきた。


「丸田くん、習い事かい?」


 近隣パトロール中の向井さんだ。

 実は私の通っている小学校の女子が一人最近行方不明になっていた。警察、自治会ともに必死に捜索したが、まだ見つかっていなかった。

 

「はい、そうです」

「じゃあ、気をつけて」


 向井さんはフラフラ歩きながら裏寂うらさびしい方へ歩き去った。

 私は行方不明になった女の子を知っていた。それもよく。

 この子も私と同じ柚木千代ピアノ教室に通っていたのだ。


 その日の先生は険しい、厳しいを遥かに超えた雰囲気だった。

 目つきが違った。集中ができない様子だった。


「今日は、ここまでにしましょう」


 柚木先生は時間前にそう言うと、さっさと席を立ち上がった。


「田尻さん、いつものを、、」

「はい」


 田尻さんの小さな返事がキッチンから聞こえた。

 先生は、さっさと部屋から出ていってしまった。

 代わりにメガネをかけ小太りの田尻さんがトレイを持って入ってきた。


「ごめんなさいね、今日はね、警察の方が見えられてね。ほんの少しお話しをされただけなのに、、、」


 行方不明のに関する簡単な事情徴集だったらしいが先生はつむじを曲げてしまったらしい。

 またもや田尻さんが 紅茶にいろんなものを少しづつ足していく。甘く、苦く、酸っぱく美味しい微妙な匂いが充満する。

 田尻さんは出ていった。

 私は教室に一人残されたしまった。

 前もそうだったが、この紅茶を飲むと変にフラフラする。

 先生側のピアノを見ると、楽譜台にブローチが置いたままにされていた。

 怒ったままで出ていったので忘れて行ったのだろう。

 私はとっさに先生に届けなければと思った。

 ブローチを優しく握ると、私はフラフラしながら部屋を出た。

 廊下。トイレの扉。生徒が待つもう一つの応接室。二階への階段。

 先生に声をかければ良いのかもしれないが、このお城のような厳正な家で声を出すことすらはばかられた。

 扉がいっぱい。どうしてこんなフラフラするのだろう。

 私は気がついたら、一つだけ作りの違う頑丈で豪勢な扉の前に居た。

 子供と言えば、好奇心の塊だ。

 声をかけるのさえ控えているのに、私は礼儀もわきまえず、ノックもせず何の気はなしに扉をあけてしまった。

 

 それほど広い部屋ではなかった。

 厚いカーテンのかかった暗い部屋だった。目が慣れるのにしばらくかかった。

 そして誰も居なかった。

 手前には、段が設けられていて尋常でないほどたくさんの写真が立てられて飾られていた。

 どれも二人が写っており、子供と柚木先生がツーショットで写っていた。

 私は、一瞬で私と柚木先生の写真を見つけた。

 行方不明になったと先生の写真も見つけた。

 写真の枚数だけ生徒さんがいるのだろう。

 ちょっと怖い気がした。

 それより、その壇に立てられた写真群の奥の黒い物体が問題だった。

 壁には細く頑丈そうな縦線がたくさん引かれていた。

 最初は、すだれか何かと思ったが、よく見るとピアノ線だった。

 壁一面にピアノ線が縦にピンっと張られていた。

 その下には鍵盤があった。

 壁一面のピアノだったのだ。

 鍵盤の数も通常のピアノの数ではなかった。壁一面の鍵盤。

 これは壮大な楽器というより家具。いや家の一部と化していた。

 私はピアノが弦、ピアノ線を木製のハンマーで叩いて音を出していることぐらいは知っていた。

 壁一面にびっしり張られているピアノ線の手前にまたびっしり細い白いものがあることに気づいた。

 この巨大な壁一面のピアノのハンマー。

 それは、、、。

 人骨だった。細い、白い、人骨。

 すくなくとも私はそう思った。

 本当の恐怖にかられると声が出ない。当時の私は必死に堪えたのかもしれない。

 何を思ったのか、私は建てかけられた自分と柚木先生が写った写真をひったくるとそこに、襟止めのブローチを置くと、回れ右をして駆け出した。


 いや、逃げ出したのだ。 

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