第2話

「奥行き?」


反射的に聞き返した。

 奥行きとは一体何のことだ。何かの比喩なのだろうか。何にせよ、そのような意味不明な理由で注意されてはたまらない。


「いや、その、奥行きってなんですか?」


「だから、奥行きだよ。君がな奥行きだったんだろう。あと、あまり大声で言うなよ。他の人に聞こえたらどうする」


何を言っているのかさっぱり分からない。まるで違う言語で話されているようだ。しかし、彼の表情から冗談を言っているわけではないようだ。

私は慎重に言葉を選んだ。


「失礼しました。しかし、課長のおっしゃる奥行きが本当に分からないのです。もう少し具体的に話していただけませんか」


 私が本当に分かっていないことを察すると、その男は神妙な顔で押し黙った。思っていたよりこの奥行きというものは深刻なのかもしれない。さらに、他人に聞かれると都合が悪いらしい。妙な雰囲気になってきた。注意だけで済めば良いのだが。


「どうか落ち着いて聞いてくれ。実はもう上と話してきてな。君を解雇するという方針で進んでいる。今、希望退職者を募っているだろう?それに希望してくれないか。もちろん退職金は通常より多くなる」


絶句した。私の予感は悪い方に的中したようだ。あまりに大きな話に何も言えないでいる私に、言い訳のように話し続けた。


「私も反対したんだよ。確かに君の奥行きは社内でも目に余る。だがしかし、君は一生懸命働いてくれている。だから辞めさせるのはあんまりなんじゃないかと」

「だが話してみて、厳しいんじゃないかとも思い始めた。どうやら君は社外でも奥行きが悪い。奥行きが悪いだけならまだしも、分からないとなると何をしでかすか。」


相変わらず奥行きについては謎が深まるが、それよりも辞めさせられそうになっていることに衝撃を受けている。当初は反対していたらしい課長も、私と話して考えが変わってしまった。


「もちろん突然のことだからね。飲み込めなくてもしょうがない。一旦家に帰って落ち着いて考えるといい」


「いや、分かりました。辞めます」


私の思い切った返事に、課長は目を丸くする。

 実際、解雇といっても会社側が強制的に私を辞めさせるのは難しいだろう。だから希望退職を提案してきた。だが、ここまで言われてしまっていては、無理に会社にしがみついても居心地が悪いだけだ。

 希望退職の条件は社内掲示板に載っていたのである程度把握している。退職金を多めにもらってゆっくりと次の職を探すのも悪くはない。


「そ、そうか」


「課長、今までお世話になりました」


 その後、私は退職についての書類を記入し会社を後にした。まだ手続きが残っているため何度かやりとりはしないといけないが、有給休暇が溜まっていたのが幸いだった。これで数十日はゆっくりとできる。


「得意先の引き継ぎもしないとな」


 非現実な出来事に頭が働かず、ぼんやりとしながら駅に歩みを進める。思えば課長も悪い人間ではなかった。新卒でこの会社に入社してから、一年目はよくミスをかばってくれた。たまにコーヒーを奢ってくれた。考えが古い部分もあったが、人格者ではあった。その男が辞めざるを得ないと判断したのだからよっぽどの事だろう。結局、奥行きとは何だったのか。

 この不思議で理不尽な話をだれかに吐き出したくてたまらない。気づくと携帯を手にしていた。


「もしもし、頼朝よりとも?今夜飲めないか?」

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