(5)絶対に、確実に、間違いなくこの村におりますよ

 連れてこられたのは、敷地一帯を塀でぐるりと囲んだ大きな武家屋敷だった。


「屋根と壁があるだけの拙宅ではございますが」

「いや、これが拙宅なら私の家なんてゴキブリホイホイかな……」


 目の前を歩く村長ーー五階堂が振り返る。


「私のご先祖が、このあたりを支配していたお侍さんでして。そもそも、コツカー村の村長は代々、その家系の人間が務めることになっているんです」

「民主主義じゃないんですね」

「右ちゃん?」


「これは手厳しい」

「ごめんなさい、この子今、不貞腐れてて」

「不貞腐れてないです」


 私は何も悪くない。所詮、千葉の片田舎にある村と油断して宿の予約を怠ったところに関しては多少の過失もあるかもしれないが、片田舎のくせに宿が満室というのも生意気だし、なんならもっと部屋数を用意していない宿側の過失もあるし、満室になりそうならなりそうで、ホームページなどでもっと事前に告知をしておくべきだと思った。過失割合で言うなら私対宿で1対9だ。断固、全面戦争の構えである。最高裁まで持ち込むぞ。


「普通、予約するよね」

「しません。私は旅先で一期一会の出会いを楽しむ派なんです」

「すみませんね、お祭りの時期はお客様も多くて。泊まれる場所を増やしてもいいんですが、お祭りが終わるとだぁれも来なくなりますもんで」


「有名なお祭りなんですね」

「どれもこれも煙羅煙羅様のおかげですわ」


 武家屋敷は坂の上にあり、来た道を振り返れば村を一望できた。

 一面に広がる田園風景のなかに、建物の密集している一角がある。村役場や商店、私たちが泊まるはずだった宿もそこだ。あとはちらほらと、まばらに住居が建っている。


 意外と栄えている、とは翠夏の言葉だ。村長に聞かれなくてよかった。もし耳にしていたら、野宿の運命を前に私たちは途方に暮れていたに違いない。


 私の過失1割と宿の失態9割が発覚し、道端で呆然としていたところに五階山は現れた。否、私は呆然となんかしていない。罪などない。トンボが綺麗だなと見惚れていたのだ。


 五階山は自身を村長と名乗り、もし困っているなら力になる、と枯枝のような手で、これまた洗濯板のように細い胸を叩いた。翠夏が事情を話したところ、『ならうちに泊まりなさい』となったのがここまでの顛末だ。


 横に倒したら私の部屋くらいの面積になりそうな門をくぐる。門の時点で格差を目の当たりにしているのだから、屋敷の中を見たらどうなってしまうのか……なんて杞憂も束の間、途中の中庭の広さに挫けそうになる。


 田舎は土地が広いから。


 そう言い聞かせて前を向くと、ちょうど五階山と目があった。


「お城さん方は、どこでうちのお祭りのことを?」

「知り合いからチラシをいただきまして」


 取り出したチラシを、五階山に渡す。


「あぁ、ミステリーツアーの。今はね、スタンプラリーなんですよ」

「今日は?もしかして、毎日違うことをしてるの?」

「えぇ。ほかにも村にちなんだナゾナゾや、宝探しなんてのもあります。祭りの期間中はお客様も長く滞在されますし、村の子供たちも楽しみにしてるんで、何種類かイベントを開くんです」


 なるほど、と私は内心で手を打った。チラシの裏に印刷されていた、各所が丸く白抜きされたあの地図はスタンプラリーの台紙だったわけだ。


「では、どのイベントでも500万円の賞金を?」

「もちろん、煙羅煙羅様を見つけた方にはお渡ししますよ」

「今まで見つけた人はいるの?」

 

 翠夏の問いに、五階山は曇りのない笑顔を向けた。ちょうど少し前、うちにウォーターサーバーを売りに来た営業と、同じ顔だ。


 つまり狡い笑顔だ。


「まだ1人もいませんが、煙羅煙羅様は絶対に、確実に、間違いなくこの村におりますよ」



「煙羅煙羅様がこの村に初めて現れたのは、200年ほど前と言われています。当時、この村は大変な飢饉に悩まされておりました」

「昔から裕福だったわけじゃないんだね」

「残念ながら、死者も相当いたそうです。それに胸を痛めた当時の領主ーー私のご先祖様ですなーーが、仏像になんとか村を助けてくれと祈ったところ、夢枕に現れたのが煙羅煙羅様だったそうです。最初はただの煙かと思いきや、よくよく見れば顔が見える、手が見える。ぼんやりとした姿形も、後光を携えた仏様に見えなくもない。煙だから当然ですが、どうにも掴めぬ御方で」


 話慣れてるね、と翠夏が耳打ちしてきた。

 毎年話してるのでしょう、と私は答えた。


「しかし声だけははっきりと聞こえた。『私を呼びなさい』と。そこでご先祖様は目を覚ましたそうです。とはいえ、私を呼びなさいとはどういうことか。夢の中では名前まで教えてはもらえなかった。呼ぼうにも、なんてお呼びするかわからない」


「煙羅煙羅様じゃないの?」

「当時はまだ、その名前が付けられていなかったのです。そこで領主様は考えた。『あの御方は煙のようだった。そうだ、皆で煙を焚こう』と。すぐさま村人を集め、田んぼに火をつけた。するとたちまち大きな煙が天まで登り、煙のなかに顔が現れた」


 ジャックと豆の木みたいだな、と私はぼんやり考える。老人の話はどうしてこうも長いのか。140字程度にまとめてほしいところだ。


「『我が名は煙羅煙羅。ゆめゆめ、我を忘れぬように』その言葉と共に灰が田んぼや、遠くの畑にまで降り注ぎ、その年は村ができて以来の豊作になりました。以降、コツカー村では煙羅煙羅様の言いつけを守るため、そして感謝を伝え、豊穣を祈るため、毎年煙を炊いていると言うわけです」


 五階山が語り終える頃には玄関を抜け廊下を抜け、すでに部屋の前だった。村人が煙を炊くころには着いていたので、わざわざクライマックスのために部屋の前で待っていたこととなる。長い、話が。


「おお、いつのまにか到着しておりましたな。ここが客室となります。お風呂やトイレなどは、あとで使用人が説明に参るかと思いますので、それまでどうぞごゆるりと。大したおもてなしもできませんが、どうか素敵な滞在を」


「あの、一ついいですか?」

「はて、なんでしょうか?」

「煙焚きをして以来、ずっとこの村は豊かに?」

「そうですね、ずっと……いや、一度だけ煙焚きをしなかった年がありまして、その年は大変な不作だったと聞きます。だからこそ、村人はみんな煙羅煙羅様を信じているんです」


「それともう一つ。こんな人来ませんでしたか?」


 私は当初の目的である、一色琴乃の写真を見せた。


「なにそれ、証明写真?うわっ……証明写真でも美人とか凹むんだけど……」


 あの人は滅多に人に写真を撮らせない。これも履歴書に貼ってあったのを持ってきた。


「はてさて、見たような見なかったような……この方が、なにか?」

「探してるんだ。もしかしたらこの村に来てるかもしれないんだけど、おじいちゃん知らない?」


 五階山が食い入るように写真を見つめる。が、深い吐息とともに、首を横に振った。


「やはり見覚えがございませんな。力になれず、申し訳ありません」

「いえ、こちらこそすみません」

「もしよろしければ、あとで村の者にも声をかけて見ましょう。ところで、お二人とも今日の晩御飯のご予定は?」


 そういえば、何も考えていなかった。


「よろしければ、うちで振舞わせてもらえませんか?」

「そこまでしてもらうのは……」

「祭りの最終日ということもあって、どの店も閉まっておりますし、もう大した催しもありませんから」

「閉まってるの?じゃあお願いしようよ!」


 先生探しに時間を割きたかったのだが、とはいえ晩御飯抜きも厳しい。至れり尽くせりで申し訳ないが、これも田舎の温かみというやつか。


「では、お言葉に甘えて」

「よかった!それでは今夜19時に、お部屋でお待ちください」


 そう言って五階山は屋敷の奥に向かっていった。


 あと3時間ほど。それまでに先生の手がかりが見つかれば良いのだが。


 もし見つからなかったら。


 ふと寒気がして、廊下の奥に目をやる。五階山と使用人がこちらをじっと見ていた。

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