(3)お金の問題じゃないんですよ、あの人の場合
「今回ばかりは右ちゃんを擁護できないかなー」
「今の話のどこに私の落ち度が?」
東京から電車で揺られること3時間。今しがた最後の乗り換えを終え、ようやく一息ついたところだった。
「だって、今夜はカレーだ、ってなってるのにいざ帰ってみたらシチューは萎えるでしょ。シチューも好きだけど、カレーのお腹には入りませんな」
「そっちの話でしたか」
「カレーの期待を上回るお料理はないもんね」
食べたくなってきちゃった、と翠夏ーー水雨翠夏が天井を仰いだ。
翠夏とは今年の夏、牡丹灯籠の一件で出会ったばかりだが、いまや週一で飲みに行く仲である。それ以上に、妖怪や幽霊の類いを”実際にあるもの”として話せる、数少ない友人だ。
「てか、なんで右ちゃんがカレーを?編集部ってそんな楽しいところなの?」
「基本的に楽しくはありませんが、今回のは禊みたいなものですね。この前の一件を水に流してもらう代わりに、会社の雑用を一手に引き受けているんです」
ほかにも、私はこの夏、さまざまな贖罪をこなしてきた。
ひとつ。酷暑のなかの本屋営業。もちろん車をなくした私は徒歩。ちょっと痩せた。
ひとつ。スイーツビュッフェガイド制作に伴う取材。一瞬ご褒美かもと思ったが、1日に4から5件を1週間は流石に堪える。5キロ太った。
ひとつ。トレーニング器具100選体当たり取材。別部署のランキング作りのための実証に駆り出される。3キロ痩せた。収支で言えばプラスだが、ボディラインは以前よりも引き締まった気もする。
ひとつ。業界でも遅筆で知られる大御所小説家への原稿催促。誰も逆らえないのをいいことに好き勝手やっている先生だったが、その頃すでに私はヤケだったため、ちょっと強く出たらすぐに折れてくれた。存外、打たれ弱かったらしい。
そして今日の移動も社用車を失くした私は当然、公共交通機関である。
「車を吹っ飛ばしたのは一色さんだけどねー」
「少しくらいは手伝って欲しかったですよ」
「でもさ、一色さんの逃走癖なんて、今に始まったことじゃないんでしょ?どうして今回は必死に探しているの?」
「今回だけというわけでないのですが……」
一色琴乃が姿をくらますのは日常茶飯事で、行方を補足しているほうが珍しいくらいだ。
ただ、今回は事情が違う。
第一に、先生には今、逃げる理由がない。社用車を失くした責任の一環があるとして、一応先生にも季刊誌一回分の謹慎がかかっている。
原稿を出さないことがあの人にとって罰になるかどうかは甚だ疑問だが、会社にとって形式とは何よりも大事らしい。
第二に、アルバイトの無断欠勤。
適性はともかく、やる気だけは人並み以上にある先生が既に2件も無断で休んでいる。
「ちょっとタイム。どうして一色さんのシフトを把握してるの?」
「担当として当然です」
翠夏は納得していない様子だが、一色琴乃から原稿をもらううえで勤務先を押さえることは必須事項なので仕方ない。
先回りして身柄を確保するのはもちろん、何かあったときの菓子折りだって忘れない。
「締め切りは踏み倒してもシフトだけは守っていた先生が、無断欠勤なんてありえません」
「そうかな。そのエンラエンラ? を見つけて賞金もらえたなら、私だったら高飛びするけど」
「お金の問題じゃないんですよ、あの人の場合」
仕事に傍迷惑な情熱を注ぐ。それが一色琴乃の厄介なところだ。彼女は自分の、作家業以外の仕事に、並々ならぬプライドを持っている。結果が伴うかは別として。
本人はいたって真面目で、世のため人のために働いていると自負している。店側はお金を払ってでも辞めてもらいたいと思っている。なまじルックスがいいから起きてしまうすれ違いの悲劇。
「あの人は、自分がお店で働いていることや、自分のやっていることが全て、世界を良くするくらいに思ってるんです。だから、たとえお金をもらっても休まないはず……」
休んだバイト先は、どれも初出勤のものだった。先生の場合、同じ勤務先は長く続かないので珍しくない。だからこそ、新しい仕事に意欲的な先生が約束をすっぽかしたのが信じられなかった。
それにーー。
私が心配する、3つ目の理由。
最後に会った日の別れ際。先生が口にした煙羅煙羅の名前。おそらく先生が向かったのは『コツカー村ミステリーツアー』で間違いない。ツアー自体胡散臭いことこのうえないが、問題は私が受け取ったこのチラシの出所だ。
チラシは郵送で送られてきた。差出人は久遠さん。
この話には、久遠さんが絡んでいる。そして久遠さんは、私に何かを隠している。
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