(12)さあ、燃やそう

 息苦しさが消えている。頭はもう、はっきりしていた。


「うわっ、気色悪いなこの部屋」


 先生に手を引かれ、なんとか立ちあがる。

「よおし、全部燃やしてしまおう」

「だめに決まっているでしょうが」


 部屋はうっすらと明るくなっていた。いやな感じもしない。いたって健康そのものだ。


「ところで、なんで先に行ってしまったんだい?」

「それは、先生が急にいなくなるから」

「ちょっと倉庫に寄るって言ったじゃないか」

「言ってませんよ」

「いや言った……たぶん」


 ホウ・レン・ソウもできないのか。


 書かない金ない働かない常識ないだらしないやる気ない報告しない連絡しない相談しない、ないない尽しの変人。


 それなのに、先生がそばにいて心底ほっとしてしまっている自分がいる。


「そういえば先生、画霊ってなんですか?」

「説明した通りだよ。絵に乗り移った画家の怨霊。絵の保存を求める付喪神の一種とも言える」

「付喪神って、大切に使われた器物に魂が宿るという、あの?」


 唐傘がまず思い浮かぶ。どちらかというと可愛らしいイメージだが、今回の画霊とやらとはほど遠い。


「ないがしろにされても付喪神にはなり得る。その場合、持ち主に恨みを返すんだけど」

「では、画霊は大切にされなかった恨みを晴らすために、こんな過激な手段を?」


「完成した絵になるため、人を取り込もうとしたのかもしれない。原典にはそんな話ないんだが、妖怪は解釈の一つだ。人を喰って絵を完全なものにする。それはあるべき姿への回帰、修復とも言える。だから私は、画霊と名付けたわけだが」

「悪いのは家ではなく、この絵だった?」


 部屋に並ぶ絵の大群を見やる。魂が宿るほど、情熱を持って描かれたのだろうか。それがどうしてか、不完全で壊れかけの作品ばかりとなってしまった。絵に宿った狂気が、家も狂わせたのか。


「この絵の、作者はどうしたのでしょうか?」

「さあね。売れない芸術家の末路なんて限られそうだけど……さあ、燃やそう」

「ダメですよ!」

「何を今さら」

「だってかわいそうじゃないですか」


 怖い思いはしたが、ただ絵としてちゃんとしていたかった、というのは少し、ほんの少しだけ共感できる。


 仕事ができないならできないなりに、編集者として心持ちだけは正しくあろうと躍起になっていた頃を思い出していた。ちゃんとしていることが、自信につながる。ここにいていいんだと、安心できる。


「直して欲しいなら……そうです、あれがありました」


 カバンからシールを取り出す。レストランでもらった、サテパンのシールだ。


「これを人が入りそうなスペースに貼ったらどうですかね。ほら、ぴったり」


 綺麗に整列した絵画の一つ、不自然に空間が開いた家族の集合絵にシールを貼る。


「いい感じですね」絵も心なしか、柔らかな雰囲気になった気がする。「どんどん貼っていきましょう」


「お前、絵とか描いたことある? 何か作った経験とかでもいいんだが」

「いえ、そちらの才能はからっきしで」

「お前のシール、私の放火より酷いぞ」


 ずん、と家が鳴った。

 壁が迫ってくるような圧迫感。闇が濃度を増していく。


「ほーら怒ってる!」

 絵画がかたかた震えている。

「そんな、どうして……」

「作品にシール貼られたら誰でもキレるだろ! やっぱり燃やすしかない、なぁ!」


 どこから持ってきたのやら、先生は紙束とバケツを携えていた。バケツには液体が入っている。嗅いだことある匂い、シンナーだ。


「塗料の中には可燃性の高いものも少なくないんだ。これを撒いて……」シンナーの染み込ませた紙をばら撒き、あまった液体も絵画に浴びせる。「逃げるぞ!」


 手を引かれ、廊下へ。そこかしこで家鳴りがしている。


 先生が何かを拾った。ぴちゃっと水の滴る音がする。


 ぽっ、と目の前で火が灯った。ライターだ。何やらシンナー臭がする布きれも持っている。


「先生、それは?」

「落ちてたコート」

「私のコートでは?」

「火元を用意しとかないとだからね」


 躊躇なく、裾口に火をつける。火は袖を駆け上がり、背中に回る。火だるまになる前に、コートは部屋に投げ込まれた。


 炎を纏い舞うコートが、伝説上の不死鳥に見えた。何が鳴っているのだろう。家鳴りが反復して、悲鳴のようにも聞こえる。私たち以外何もいないはずなのに、部屋の中では何かが出口を求めて逃げ惑っている気配がある。


 そして、熱波と共に視界が赤く弾けた。

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