(2)先生を担当することになりました、右上です

 そこそこ顔が良くてもだめ。そこそこ文才があってもだめ。そこそこ顔が良く、かつそこそこ文才があってもだめ。出版はコミュニケーション能力が物を言う。物を書きたいと願う人は星の数ほどいる。


 だが、実際に筆一本で食べていけるのは一握りだけ。いかに業界の人間とコネクションを作るか。言い換えれば、もっと書いてほしいと思ってもらうか。自分を売り込む努力は欠かせないのだ。


 ただ時折、とち狂った才能を持ち、不思議と人を惹きつける作家がいる。

 その人物が望む、望まないにかかわらず、世の中は彼らの作品を求める。

 一色琴乃もそんな作家だと思う。


 幽霊や都市伝説、妖怪といった怪奇小説を得意としながら、軽快な語り口で読者の気を誘う。気がつくと作品世界に取り込まれている描写力、絶えず好奇心をかき立てる構成の妙。極めつけは、ひとたび味わうとすぐに次を求めてしまう心地よい読後感。具体的な何が、とは言いがたく、ただ一色琴乃が生み出す物語をもっと読みたいと、そう願わずにはいられない。


 彼女は社会にとって劇薬だ。


 うちの出版社では、夏の季刊誌で心霊企画を行う。そのひとつとして、一色琴乃の短編書き下ろしを掲載予定だった。入稿まで、ギリギリまで粘ってあと2週間。なのにタイトルさえ誰も知らないらしい。

 やるよ、と返事があったあと、それきり音沙汰なし。

 誰か別の作家を立てればいいのにとも思うが、一色琴乃の作品は企画の目玉なのでそれも難しいという。


 そういうわけで私は上野に来ていた。

 一色琴乃は住居を転々とする癖があるらしい。久遠さんからの引き継ぎ資料には、複数の住所が記載されていた。その中の一つ、一番日付が新しい住所にあたりをつけて久遠さんに連絡を取ると

「いるんじゃないかな」と曖昧な答えが返ってきた。「最後に見た求人もそこだったし」


 求人? と至極まっとうな私の疑問に対し、久遠さんはいけばわかるとはぐらかすだけだった。すっかり退職した気になっている。以前はちゃんと教えてくれたのに。


 詳しい場所は着いてから調べようと、とりあえず駅まで来たのだが、すぐに失敗だったと後悔した。

 ナビは動物園や博物館が併設された公園のカフェテラスを指している。


 自分が行かないからって、適当に書いたな。


 あらかじめ確認しておくんだったとげんなりしつつ、とりあえずナビに従う。どうせなら一服していこう。おそらく、今の久遠さんは当てにならない。コーヒーでも飲みながら、似ている住所からそれっぽいところを見つければいい。編集の仕事は足でするものだ。


「お願いだからもう、何もしないで!」

「なんでさ! こんなにもお客さんが待っているじゃないか! 私もみんなの力になりたいんだよ!」

「それはあなたのせい……わかった、ただ、そこに立ってて。本当に、たったそれだけでいいですから……」

「それは困るな。せっかくだから私もコーヒーいれたい」

「やめて!」

 カフェテリアは喧噪に包まれていた。小さな店先に似つかわしくない行列。店内も人であふれかえっており、傍から見てもオペレーションが崩壊しているとわかる。


 壁をほとんど取り払った、開放感あふれる今風の店構えが災いして、スタッフ同士の口論が外にまで聞こえていた。

 新人教育なんだろうか。その割には怒られているほう、おそらく新人側の態度が横柄だ。

 どちらにせよ、この混雑では入れそうにない。そう思って踵を返したその時、聞き捨てならない名前が発せられた。


「イッシキさん! 頼むから大人しくしてて!」

 イッシキ。一色。まさかとは思ったが、記された住所その場所で、同性の人物が働いているとは偶然が過ぎる。しかも一色。そうそうある苗字ではない。


「なんだい、人を迷惑みたいに! 貢献してるだろ!」

「邪魔なの!」

 一色と呼ばれたのは新人のほうらしい。人ごみの隙間を縫うように、なんとかレジ前までたどり着いて、目を疑った。


 花が咲いている。第一印象はそんな感想だった。

 陶器のように白い肌が反射しているのか、それとも肩口まで下ろした亜麻色の髪が拡散しているのか、彼女の周りは淡い光で包まれている。白百合だ。


「おや、先輩お客様ですよ。私が対応するからな!」彼女が言葉を発するたびに、白百合が無惨に散っていく光景が目に浮かぶ。「いらっしゃいませ」


 小さな顔が、細い首にちょこんと乗っている。大きな瞳と、小さいながらもすらっと通った鼻筋。椿の花のように艶かしい赤を湛えた唇。きっとどれかひとつでも欠けていたら歪に見えたであろうパーツが、一つに集まることで均整を保ち、彫刻のような美貌を作り出している。


「ちょっと、勝手に接客しないで!」

「ここは私に任せて、先輩はコーヒー豆でも挽いててくださいな。こんな客1人、余裕のよっちゃんだって」

 黙っていれば美人なのだ。

 ネームプレートを見る。見間違いであってほしかったが、そこには一色と書かれていた。


「一色……先生ですか?」

「あれ、私の知り合いかい? もしかして読者かな? 悪いが今の私はバリスタなんだ。ファンサなら後でやってあげるからさ、まずはコーヒーを頼んでごらんよ」

「今日から先生を担当することになりました、右上です」

「はっはっは。やべぇ逃げろ」

「先生!」

「先輩、早退します!」

 一色琴乃ーー先生がバックヤードにつながる扉に駆け込む。

「えっ……えっ!?」先輩店員は一瞬戸惑いの表情を浮かべたが、すぐに目の輝きを取り戻した。「よかった、ありがとう!」

「すみません」安堵のあまり泣き出しそうになっている店員をつかまえる。「裏口はどこですか?」

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