陰キャだから1

 講義が始まって十分。バタバタと廊下と走り、ガラガラッバンッと扉を乱暴に開く。持久走でもしたのか、と突っ込まれそうな激しい呼吸と服装の乱れ。切り傷、痣と教授ともに学生はざわめく。


「すみません……道迷って目が回って、具合悪くなって寝込んでたら……遅くなりました……」


 ハァ……ハァ……とふらつきながらいつも席に座り、わざと弱々しいキャラを演じる。鞄を下に置き、痛む両腕と腹部を押さえながら講義を受ける。必須科目のため「よっ陰キャ!!」とバカにする声が聞こえるが、それより骨伝導イヤフォン越しリブが腹を押さえ狂って笑う声の方が数倍煩かった。


『優しいなぁー。壁に叩きつけて逃げるなんて……イジメられてた学生を助けたときもそうだったよなぁ? アハハハハハハッヤバいわ!!』


 独りでいるのか手を叩き、大声で笑ったとしても反響するように返ってくる声。学年が上のため、イーブルより講義が少ないのだろう。暇つぶしに講堂を借りて勉強でもしているのか。彼以外の声は聞こえなかった、

 一言も喋らないイーブルを良いことに『でさ、さっき』と面白おかしく話し出す。講義よりもリブの話で勉強どころではなく、教材を出すや腕を枕に寝た。


 講義後――。


 ツンツンッ


「ん?」


 痛む体を起こすと大学ノートが視界に入る。表紙に桜の付箋で『良かったら写して』と可愛らしい字。振り向くと心配そうに此方を見ている彼女の姿。ノートを受け取り、チラッと名前を盗み見る。


 ――芝崎しばざき 琴乃ことの ――


「ありがと」


 痛みを我慢しながら、ゆっくり立ち上がり袖を限界まで伸ばしては痣や傷を隠す。


「あの、私……図書館で勉強してるんだけど……良かったら」


 彼女が言い終わる前にイーブルが割り込む。


「じゃあ、ついでにやる。早めに返した方がいいでしょ」


 バックを右肩に軽く通し、なるべく普通に歩くがズキッと腹部の激しい痛みに立ち止まっては歯を食い縛る。後をついてくる彼女に心配かけぬよう「図書館どこだってけ?」と痛みで笑いながら話を切り出す。


「えっと、此方だよ」


 大学を出て五分ほど。駅から少し離れた場所に小さな公園と大きな図書館。レポートを書くときに稀に使うが、それ以外で使用したことはない。一階は幼稚園から小学生用。ニ階は中学から――と分かれており学習スペースもあるため静かで人気の場所だ。


「此処でいいかな」


「いいよ」


 椅子に腰掛け鞄を下ろすと、古い書物があるのか独特の匂い。本棚に囲まれた空間が窮屈にも思えるが人によるのだろう。彼女は嬉しそうに教材とノートを出している。向かい合うように腰避け、イーブルは何も言わずルーズリーフに書き写す。そんな彼の真剣な眼差しに見とれる琴乃。微笑んでいるようにも見えるが、やはり見ると壊したくなる。


「なに?」


 声をかけると恥ずかしそうに教材で顔を隠し「なんでもない!!」と裏返る声。彼女が自分をどう思っているのか知らないが、照れているのはイーブルでも分かる。

 しばらく書き写すことに集中。三十分ほどで終わると科学を勉強している彼女の邪魔にならないようにと隅に置く。「ちょっとお手洗い」と声をかけ小さなポーチ片手にトイレへ。


『イーブル、いつまでそこにいんの?』


 男子トイレの個室に籠るとリブが話しかけてくる。


「煩い」


 パーカーとシャツを脱ぎ、ポーチから消毒液と塗り薬を取り出す。切り傷や痣に痛みで顔を歪ませながら少しずつ塗り込む。腹部にある刺し傷。目を閉じていたため何で刺されたのかは知らないが、小さい傷ながらも深いのかズキズキ痛む。酷い出血ではないが消毒液で消毒し、ガーゼとテープで強く押し付けるように留め、ハァ……と溜め息が漏れる。


「あの教授、やることが普通じゃない。俺が目を閉じるの知っててナイフ腹に刺した時……目を瞑ってると耳と鼻が敏感になる代わりに見えない分。恐怖も強くなる。刺されたら『死ぬんじゃないか』『怪我を負った』って錯覚するから余計に……」


『感覚がおかしくなる――か。まぁ、いつも俺と組んでるから良い経験になったんじゃない? お前は滅多に戦わないから。隠密――暗殺者みたいな感じだもんな』


「そう、ですね。リブ、実は――」


 あの時――壁に叩きつけ逃げる前。ボールペンを落とそう手を掴んだとき、音に反応できず腹部に刺さった感じがした。だが、実際は刺さってなく集中力を切ろうと教授がわざと仕組んだ罠。


 見えずに何かされると感じ違いをする。


 目隠しされ、束縛され、ナイフを軽く当て「腹部から血が――」と言っただけで死亡した。なんて話を聞いたことがある。本当かは知らないが錯覚が錯覚を生み殺す。思い込みとは恐ろしい。


『なるほどな。だから、叩きつけて逃げたのか。俺はてっきり優しいからだと思ってたよ。心理で攻めてくる系か、めんどくさいな』


 リブと話ながら数時間ぶりにスマホを見る。すると、何百件もの通知。いや、コメントの嵐。リブが『イーブルがターゲットされてる。そんなにキラーに見えない? 笑えるんだけどww』と大袈裟に呟いたのだろう。



 名無し@652874

『イーブルさん。大丈夫ですか!!』



 名無し@44712

『キラーに狙われるとかヤバッ。ガチの殺し合いじゃん。情報漏れてんじゃねーの?』



 名無し@nightingale

『お怪我ありませんか? 心配です』



 返信しないせいか、やたらとしつこいコメント。中には『返事来ないのってヤられちゃったんじゃない』と反対に「殺されろ」と言っているような者まで。ネットは恐ろしいとつくづく思う。

 そういう書き込みをするから『○○さん、それって死んで欲しいってことだよね? 最低、お前が死ねや!!』と喧嘩が起こる。人の呟きで喧嘩するな、と仕方なく『誰が死んだって?』と場を沈めようと割り込む。



 名無しー@オコ

『い、イーブルさん!?』



 名無し@888

『嘘、偽物じゃねーの』



 NoName@non・no

『やべっ 本人キタァァァァ』



 彼の登場にコメントが滝のように流れ、全く読めない。長居はしない方がいいと察したのか。『リブの呟きで喧嘩はやめろ。文句あるなら直接言え。さもなくば殺しにいく』と脅し画面を消した。


 すると、ブブッと通知が来る。


『サンキュー、助かったわ』


 骨伝導ヘッドフォンを付けているのにわざわざコメント。だが一応「変に騒ぐのは辞めて」と少し強めに口を開く。『えぇ、いいじゃん。ネタになるし、たまには自分の意見も言わないと』と反省なしのリブの声に「はぁ……」と溜め息しか出なかった。

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