第31話 お前の意思を聞かせてほしい
二人と別れ、俺は街中を駆け回っていた。
出雲を探して走り回るというのは昨日と同じ。ただ、今回は昨日ほど時間がかかることはなかった。なぜなら彼女は、俺が最初に向かった場所にいたからだ。
「ここにいたのか」
俺が出雲を見つけた場所も昨日と同じ。ブランコしかない寂しい公園の一角だ。そこで彼女はギコギコと錆びた音を立てながらブランコを漕いでいた。
ここは現実ではないはずなのに、俺の体力は現実準拠。ちょっと走っただけでもすぐに息が切れる。俺は酷く息が荒れているのを必死に誤魔化しながら、なるべく優しく聞こえるよう心掛けて声をかけた。
「……何しに来たの?」
だが返ってきたのは冷ややかな言葉だった。出雲は怒っている。その察するに充分な剣呑さがあった。
「お前を連れ戻しに来た」
「何のために?」
「何のためにって……俺にはお前が……」
「私を消したのは、あんたの仕業なんじゃないの?」
出雲は振り向き、槍で突き刺すような鋭い目つきを向けてくる。
「あたし、知ってるんだよ。自分が何者なのか」
「……どういう意味だ?」
「誤魔化さなくてもいいって。あたし、人間じゃないんでしょ?」
彼女たちに意識させないよう、意図して伏せてきたこと。それを出雲は知っていると容易く言ってのけた。
「あたしはあんたが描いた物語の登場人物。昔の記憶も、この容姿も、家族との思い出だって全部作り物なんでしょ?」
「……そんなことはない。世界は再構成されたと言ってたし、お前は本物の人間として────」
「今がどうかなんて関係ないって。あたしが産まれた経緯が全てなんだからさ。あんたの描いた物語を基に、私が現実に誕生したんだから。普通の人間じゃないってことに変わりはないでしょ」
出雲は吐き捨てるようにそう言った。どこか投げやりで、何か大事なものを諦めてしまったみたいな言い方だった。
「……なんで知ってるんだ?」
「わからないよ。最初から知ってた」
「最初?」
「入学式の朝、あんたが通学路を歩いてた時だよ。あたしが誕生したのは実質あんたと出会う五分前。それ以前のあたしは、その瞬間に世界に差し込まれた偽物の記憶でしかない。最初からそれを理解してた」
前から気になっていたことだ。美那萌は世界の再構成がどうとか言っていたが、それは一体いつ行われたのだろうか、と。
俺が寝ている間に、と考えるのが一番ありがちなパターンなのかもしれないが、優里が現れたのは俺が家を出た後だった。
だから彼女らが現れた瞬間というのは、きっと漫画の最初のコマ。入学式へ向かうために登校路を歩いていた、あのシーンを境に現実は塗り替わったのだろう。
出雲と出会うのはその次のコマだった。住宅街の曲がり角でぶつかって、そこで初めて顔を合わせた。だから彼女が誕生し、俺と出会うまでは僅か一コマ。五分前に産まれたなんて信じ難い話だが、きっと間違いではない。
「産まれた瞬間、あたしは何を思ったと思う? 自分が物語の登場人物で。あ、次の瞬間にはあたしの生みの親が角から顔を出すなってわかっててさ。その場面で、宗作だったらどうする?」
「どうする……と言われてもな……」
そんな状況の想像がつかない。一体俺は何を感じ、何を思うのか。だが出雲が結果何を選択したのかは知っている。
「自分の創造主で、世界を丸ごと作り変えるような奴が居たとしたらさ。何かムカつかない? なんでも思い通りになると思うなよって。あたしはここに生きてる。あんたの操り人形になんかならないって示したかった。だから蹴っ飛ばしてやろうと思って」
「……あれはそういうことだったのか」
「そ、でもあたしが色々裏事情を知ってるのはちょっとしたバグ? みたいなものっぽくてさ。他の二人は知らないし、あたしも全てを知ってるわけじゃない。勘違いもあったしね。実際、あんたは何の力も持ってなかった。力の主は、あたしを消した美那萌の方かな?」
勘の鋭い奴だとは思っていた。しかしまさかここまで察しているなんてな。だからこそ、彼女は誤解をしている。
「充分遊んで満足した? もうお人形遊びは終わりなんでしょ? だから美那萌に指示してあたしたちを消した。それで今さら何の用なの?」
「あれは俺が指示したわけじゃない! 美那萌が勝手に……」
そこまで言いかけて、俺は口を閉じる。美那萌が勝手にやったこと。事実は確かにそうかもしれない。
だが、これはあながち誤解でもない。俺は出雲たちが不要になって、目に入らないところへ追いやって記憶から消そうとした。やっていることは全く同じだ。弁解する余地なんかない。
「俺は……わかってなかったんだ。どれだけお前たちに救われていたか。あの漫画はただの落書きなんかじゃなかった。母さんが死んで、落ち込んでいた俺を助けてくれた大切な物だったんだ。だから、忘れちゃ駄目だった。現実と向き合うことに決めたのならなおさらそうだ。ずっと心に留め続けなきゃいけなかった」
「別にいいよ。あんたが作った物語なんだから、消すのも忘れるのもあんたの自由でしょ?」
「そうかもしれない。だけど、恩だけは忘れちゃ駄目だったんだ。だから美那萌はお前たちを現実に連れ出した。恩知らずな俺に復讐をするために」
忘れることで、人は前に進める。けれど、俺は母さんとの思い出を忘れて前に進みたくはなかった。いつまでも憶えていたかった。
だから別の逃げ道が必要だった。悲しみを抱えたままでも前に進める道を、自分にとって都合の良いことしか起こらない妄想への逃避を。
忘れずに進むと決めたのなら、それは最後まで貫き通さなくては駄目だ。俺は彼女らを身代わりにするために産み出したわけじゃない。
たかが妄想、たかが漫画でも、寂しさを埋めてほしくて産み出したんだ。時が流れて、現実と向き合えるようになったことで、彼女たちの役目は終わった。だからって忘れて前に進むことはしちゃ駄目だ。
俺が忘れたら、この世界は誰の記憶にも残らず消えてしまう。そんな寂しいことはない。寂しさを埋めてもらった俺がするような所業じゃない。
「でも、俺は美那萌に感謝してるんだ。あいつのお陰で思い出せた。俺にはまだお前らが必要だったんだよ。都合の良い話だとは思う。身勝手なことを言ってる自覚はある。けど、戻ってきてほしい」
「……あたしは所詮作られた存在だから。いない方が自然なんだよ。あたしのことなんて忘れて生きた方がいい。一度はそう判断したんでしょ? だったらそれが正解なんだよ」
「自然とか不自然とか、そんなことはどうだっていい。俺はお前に戻ってきてほしいんだ。それで、お前はどうなんだよ?」
「あたしは……」
俺を見つめる出雲の瞳が微かに揺れる。
「お前は作られた存在かもしれない。だけど今は自分の意思がある。したいことだってあるはずだ。お前がどうしても嫌だというのなら、俺も無理強いはできない。お前の意思を聞かせてほしい」
「……本当はあんたのこと、あと二、三発はブッ飛ばすつもりだった。あたしを勝手に作り出して、役割を押し付けて、冗談じゃないって思ったから。けど……なんで一発で済ませてあげたとおもう?」
……気づけば、俺は土の上に倒れこんでいた。ブランコに乗っていた出雲が跳ねるように俺を突き飛ばし、そのまま覆い被さってきたのだ。
「楽しかったからだよ。あそこに住むのは最初から決められたことだったけど、たった一日のことだったけど、あの家での生活が、案外悪くなかったからだよ」
「……出雲」
「何? チョロいヒロインだって思った? そうだよ。あんたがそう決めたせいであたしはチョロいんだよ!」
「……チョロいヒロインはいきなり蹴り入れてきたりしないぞ」
「うっさい!」
抗議のパンチが俺の胸をぽかぽかと打ち付ける。スポーツ万能な彼女の割に、そのパンチには力がなかった。
「あたしが必要とか、戻ってきてほしいとか、そんな歯の浮くようなセリフ言って恥ずかしくないの?」
「今さら恥ずかしいこともないだろ。お前は俺の妄想を詰め込みまくった理想のヒロインなんだぞ? 現実に来てだいぶ脱線した感はあるけど」
「理想を全て叶えてくれる女の子なんて、現実にはいないってことじゃない?」
「……そうなのかもしれないなぁ」
現実とは世知辛いものなんだな。直視するのが嫌になってくる。けれど今の俺なら逃げずに進めるはずだ。そして出雲も。きっと前に進んでくれるはず。
「希蝶と優里は先に家に行ってる。俺たちも行こう」
「仕方ないなぁ……行ってあげるよ。あたしも、このまま消されて終わりじゃ癪だからね」
俺と出雲は起き上がり、全身についた土を払う。これで三人全員を集めることができそうだ。さて、後やるべきことと言えば────
「────話は終わった?」
狙い澄ましたタイミングで、彼女は姿を現した。不思議と驚きはない。どこかで見ているかもしれないという予感はあったからだ。
「……美那萌か」
美那萌はいつの間にか公園の入り口に立っていて、俺たちを冷めた顔で見つめている。その凍てつく威圧に気圧されそうになるのをグッと堪え、引き下がりそうになる足をその場に留める。
「お前とは色々話したいことがあるんだ」
「私も。君には言いたいことがある」
最後の大仕事を完遂するため、俺は彼女と真っ向から向き合った。
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