第29話 あら、ポチが良かった?

「ちょっとは落ち着いたか?」


 そう尋ねると、希蝶は小さく頷く。


 正直なところ、俺は結構舞い上がっている。もう二度と会えないかもしれないなんて思っていた彼女と再会できたのだから、嬉しくないはずがない。

 けれど子供みたいに感情を爆発させる希蝶を見ていたら、俺の役目は彼女と一緒に喜ぶことじゃなく、彼女を落ち着けてやることなんだと思った。


 それに、俺にはまだ二人も見つけ出したい人がいる。ここで舞い上がるのはまだ早い。全員を取り戻してから、思う存分はしゃぎ倒せばいい。


 まずやるべきことは、状況の整理だ。この世界が一体何なのか、そして出雲と優里はどこへ行ったのか。元の世界に戻るためにはどうすればいいのか。何より、美那萌はどこにいるのか。それらを探っていかなくてはならない。


「じゃあ、さっきの話をもう一度聞かせてくれないか? 他に誰もいないとか何とか言ってただろ?」

「……私以外、人が誰もいないみたいなの。家の中だけじゃなく、街全体に」

「それは確かなのか?」

「ええ、でも、怖くて……家の敷地からあまり出られていないから……」


 隅々まで確認したとは言い難いか。だが希蝶の言うことが本当なのだとすれば、この世界は俺の居た世界とは違う場所と考えて間違いない。

 美那萌の言っていた、俺の脳内世界というやつだろうか。しかし俺の脳内に俺がいるというのはおかしな話だ。なにせ俺の脳はここにあるんだから。この中にいるというのは思いっきり矛盾している。


 いや……そうとも限らない。俺はこの世界に、とんでもない高さから落下してやって来たのだ。普通に考えれば、地面についた時点で血しぶきと化しているはず。そうならなかったということは、今の俺は肉体を持った人間ではないのかもしれない。


 例えば意識だけの状態……とか。それならば、自分の脳内世界にいると考えても矛盾は生じない。今頃俺の肉体は、家の庭で転がっていることだろう。


 でも、そう考えるとちょっと不自然だ。ここが俺の脳内世界なのだとすれば、希蝶にとっては故郷みたいな場所ということになる。にしては彼女はさっきから怯えているし、ここを異様な空間だと捉えている様子だ。


「……なあ、一つ聞いていいか?」

「何? し、仕方ないから答えてあげるわ」

「ここはお前の家なんだよな?」

「そうだけど……でも、ちょっと雰囲気が違うわ」

「雰囲気が違う? それはどういう意味だ?」

「私にもわからないわよ。なんか……違うような……」


 説明できないほど些細な違和感、されど無視できるほど小さい物でもないか。ここが現実でないことは間違いない。

 かなり精巧にできた世界ではあるが、希蝶の違和感や、市民がいないこと、それに高所から落下した俺が普通に生きていることも踏まえると、作られた世界であると考えるのが妥当だ。


 しかし、希蝶の反応を見る限り、脳内世界でもない感じだ。彼女が漫画内の設定ではなく、現実に現れた時の設定に準じている点も気にかかる。


 これは俺の仮説だが、ここは俺の脳内世界を模倣し新しく作られた空間なのではないだろうか。


 いうなれば……そう、美那萌の脳内世界といったところか。美那萌は三人を妄想の世界に送り返したのではなく、自分の世界に閉じ込めたんだ。


「ねえ、何をボーっとしてるのよ。早くこの変な場所から出ましょうよ」


 希蝶はそう言って、俺の袖を引っ張る。その願いを叶えてあげたい気持ちは山々なのだが、ここが美那萌の手のひらの上だとするなら、そう簡単に事は運ばない。


「出る方法なんて、俺にはわからないよ」

「わからないって、でも私を助けるために来てくれたのでしょう?」

「そうだけど、出方は知らない」

「出られないのにどうやって入って来たのよ」

「うーん……」


 管理人に許可を貰って、鍵を開けてもらったとしか言いようがないな。中に入る時には美那萌の力が必要だし、外へ出るときも同様だ。だから何度も言うように、最終的には美那萌を説得しなくてはどうにもならない。


「とにかく、他の二人を探しに行こう」

「他の二人? もしかして、松江さんも?」

「ああ、ここに来ているはずだ」

「ふふん、良い気味じゃない。私を馬鹿にした罰が当たったのね」

「お前だってここにいるじゃないか……」

「私はいいのよ。なんたって上流階級だから!」

「お前のそれ、持ちネタみたいになってきたな」


 そんなに上流上流連呼していると、逆に上流階級じゃないみたいに聞こえるぞ。


「今、私のこと馬鹿にした?」

「してない」

「したわよね?」

「よし、サッサと行くぞ! まずは俺の家に行こう! 姉さんがいるとすればきっとそこだ!」

「あ、ちょっと、置いて行かないで!」


 希蝶をからかうのは正直ちょっと楽しい。なんだか出雲の気持ちがわかってきたような気がする。こんなこと、本人に言ったら烈火の如く激怒しそうだが。


「だから、待ちなさいって」


 希蝶は俺の横に並び、腕にしがみついてきた。


「……何事?」

「あ、あなたが急に消えたら困るから、こうして捕まえておいてあげるわ」

「なんだそりゃ。消えるわけないだろ?」

「わからないじゃない! お姉さんだって消えたのだから、あなただって消えないとも限らないわ」


 口をモゴモゴさせ、目を泳がせながら呟く。


 どうやらよっぽどトラウマになってしまったとみえる。確かに、ここでの俺はいつどうなってもおかしくない立場にある。

 美那萌がその気になればいつだって俺を現実に強制送還できるはずだし、逆に永久に閉じ込め続けることも可能だ。


 希蝶が心配してくれるのは、照れ臭くはあるが素直に嬉しい。ただそれはそれとして、こうも密着されると歩き辛い。


「なあ、これじゃまともに歩けないし、もう少し離れてくれないか?」

「……わかったわ。その代わり、これをつけなさい」

「えっ」


 俺の首に、ベルトのようなものが巻かれる。それが犬の首輪だと気づくまでにそう時間はかからなかった。


「これなら密着せず、あなたを縛っておけるわ」

「……おい、ちょっと待て。色々待て」

「心配しないで。ちゃんと人間用の首輪だから」

「人間用の首輪って何⁉ そんなのあるの⁉」

「当たり前でしょう? 見識が狭いのね。上流階級じゃ当然の嗜みよ」


 だからお前のいう上流階級って一体何なんだよ。何かの隠語なのか? 俺の知ってる上流階級とだいぶ違うんだが?


「さ、行くわよ!」


 急に元気を取り戻した希蝶にリードを引かれ、屋敷を出る。街の住民が全くいないというのは本当だった。普通は不気味に思うところだが、この醜態ではむしろありがたく感じる。


「前から思ってたのだけど、眞貝君って呼び方じゃ眞貝さんと被るのよね。だから今度からポチって呼んでもいい?」

「駄目に決まってんだろ⁉」

「返事はワンかワンワンよ」

「それ分ける意味あるのか?」


 俺の作った設定からかけ離れているとは思っていたが……極限状態に追い込まれたことで内なる欲望がフルオープンしてるな。

 どうせ誰も見ていないし、希蝶を安心させるためだと思えば……ギリ俺の尊厳も保たれるのではないだろうか。


「わかったよ……好きに呼んでいいぞ」

「そう? じゃあ宗くん」

「ポチじゃないのかよ」

「あら、ポチが良かった?」

「いや、宗くんでお願いします」


 仕方なく許可を出し、俺は大人しくリードで引っ張られて歩くことにした。四つん這いになれと言われないだけマシだ。現実なら絶対に拒否するが、ここなら人に見られる心配はないしな。


「────あ、宗ちゃん!」


 ……というのは見事なフラグであって、そう考えてしまった時点でもはや誰かに見つけてくれと願っているのも同義だった。

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