第23話 昨日のアレは、私たちだけが見た幻だったのよ
眞貝優里────俺の姉さんは忽然と姿を消してしまった。
家出をしたとか、行方不明になったとか、そういう次元ではない。俺たち以外の教師や生徒は誰も優里のことを覚えておらず、彼女がいたという痕跡も残っていない。
彼女が担当していたはずの科目は、見たこともない若い男が担当していた。彼女の授業を受けていたはずの生徒もそんな記憶はないと言うし、名前すら聞いたことはないと答える。
「何がどうなってんだよ……訳が分からんことにようやく慣れてきたと思ったのに今度はこの仕打ちかよ……」
元々、彼女はこの世界にいなかった。だから彼女が消えた後の世界は、むしろ彼女がいた頃の世界よりも自然だ。強引な要素はなく、本来あるべき姿に戻ったと言うこともできる。
しかし、それで納得できるわけもない。突然現れたり、突然消えたり、そんな勝手なことをされても困る。
「誰も優里のことを覚えてなかった……ということは、これは集団記憶喪失ってことになるの?」
「そんなの有り得ないでしょう。全校生徒全員の記憶から消えるなんて、どんな手段を講じても不可能よ。それならばまだ、私たち三人が幻覚を見せられていたと考える方が自然だわ」
「幻覚? 幻覚ってどういうこと?」
「だから、眞貝さんは教師じゃなかったってこと。昨日のアレは、私たちだけが見た幻だったのよ」
「なにそれ。そんなのあるわけないじゃん」
「そんなことわかってるわよ! でも、そうとでも考えないと説明がつかないでしょう⁉」
漫画のことを知らない二人の困惑は俺以上か。いつもはもっとぶつかり合う感じの言い合いなのだが、今は互いに正気を確認し合っているかのように弱気だ。
「……ん?」
気づけば、二人は心細そうに俺を見ていた。理解不能な現象に見舞われるということに関しては、俺は二人よりも経験がある。この場で一番的確な判断ができるのは俺なのかもしれない。
そんな俺も、ついつい教室では感情任せに大声を出し、説教中の教師を無視して飛び出して、こうして校舎裏で項垂れている。
頼られるほど立派なものじゃない。だが喧嘩にいつものキレがなく、どこかおどおどしている二人に比べれば相対的にマシだ。
「ここは改めて美那萌に話を聞いてみた方が良さそうだな」
「美那萌? なんで? あの子が何か知ってるっていうの?」
「何も知らない。けど、打開策は出してくれるかもしれない」
「ちょっと、眞貝君? いくら鏡さんが身体能力抜群で、何でも卒なくこなしそうな万能感があるからといって、どこかへ消えたお姉さんを見つけだせるとは思えないのだけど?」
美那萌の正体を知らない希蝶からしてみれば当然の反応だ。俺としても美那萌の正体を知っていると言っていいのかどうか怪しいところだし、彼女ならどうにかしてくれると断定できるわけじゃない。
だがそれ以外に方法が思いつかない。美那萌に頼るのは漠然とした怖さがあるがそうも言っていられない状況だ。もう一度彼女に心当たりを聞いて、どうすべきかアドバイスを貰おう。
そのためにはまず、この二人に最もらしい説明をして納得させてやらないとな。
「考えてもみろよ。学校の皆は姉さんのことを忘れてたけど、俺たちだけは憶えてるだろ? そしてもう一人、美那萌だって憶えているはずだ」
「それは……確かにそうだね。じゃああの屋敷に住んでいた人だけは優里のことを憶えてるってこと?」
「……詳しいことはわからない。まずは優里のことを誰が憶えていて、誰が憶えていないのか。そこから調べていこう」
これで美那萌に話を聞く口実ができたな。一切根拠なんてなくとも、進むべき方針さえ決まればちょっとは安心できる。気休め程度ではあるが、二人の表情も少しはほぐれてきた気がするな。
「その前に、何か飲むか。ずっと走り回ってたから喉が渇いた」
俺より落ち着きのない二人が目の前にいるせいか、俺の頭はだいぶ冷静さを取り戻してきていた。すると今まで忘れていた疲労と渇きを自覚する。
「言われてみれば私も……」
「そう? あたしは気にならないけど。そんなことより、早く美那萌のところに行こうよ。そうしたらなんとかなるかもしれないんでしょ⁉」
「おい、落ち着け。そんなに慌ててもどうにもならないぞ」
「どうにもって……」
出雲は少し憔悴しているように見える。いつもの元気はすっかり鳴りをひそめ、声は微かに震えている。やはりここは焦ることなく、一息入れた方がいい。
「じゃあ、私が飲み物を買ってきてあげるから。ちょうどあそこに自動販売機もあるし。この私が奢ってあげるから好きなだけ飲みなさい?」
落ち着かないのは希蝶も同じなのか、奢ってあげるだなんてらしくないことを言い始める。とはいえ断る理由もない。金欠の俺からすればありがたいことだ。
「ああ、頼む」
「あたしはいらない」
「私が奢るなんて滅多にないのよ? いいから飲んでおきなさい」
「だからいらないって……」
出雲の拒絶も聞かず、希蝶は自販機へと走って行った。
「はぁ……もう、何なの……? 下らないドッキリとかだったら、あんたブッ飛ばすからね」
「そんなわけないだろ。こんな悪趣味なことするわけない。何より、優里が協力すると思うか?」
「思わない。思わないから……訳わかんないんじゃん」
出雲は長い息を吐き、近くのベンチに座った。
またしても変なことに巻き込まれたものだ、と改めて思う。次から次へと漫画のヒロインが出てくることは覚悟していたが、今度は消えるとはな。
十中八九、美那萌の仕業だと思ったのだが、彼女は知らないと言ってた。だとすれば他にも、美那萌と同じようなことができる奴がいて、そいつが何かしでかしたということなのだろうか。
あるいは、美那萌が何かミスをしたとか……? それなら知らないとは答えない気もするが。
ともかく、今はまだ何もわからないと結論付ける他ない。この事情に答えをくれそうな人物なんて美那萌以外にいないのだから、彼女にアドバイスを聞きに行くという判断は正しいはずだ。
「ほら、買って来たわよ。私に感謝しなさいよね────」
背後からそんな声が聞こえてきて、二つの缶ジュースが小さな放物線を描きながら飛んで来た。
俺は咄嗟のことでそれをキャッチできず、両方とも地面に叩きつけられた。というより俺に取らせる気がないような大暴投だ。どちらも俺の手の届く範囲に飛んでいない。
「お、おい、投げるなよ。落としちゃっ…………」
地面に落ちたジュースを拾いながら顔を上げる。するとそこには、ジュースを投げたはずの希蝶がいない。
何もないところから缶が飛んでくるわけがないのだ。確実に直前までそこには希蝶がいた。にも関わらず……影も形も残っていない。
「嘘だろ……?」
「そ、そんな……」
出雲は彼女のものとは思えないほど引きつった声をあげ、体を細かく振るわせる。
「あ、あたし……こんなの……!」
「……出雲? おい、出雲! 落ち着け出雲!」
「落ち着けるわけないでしょ⁉」
俺を怒鳴りつけた直後、彼女は脇目も振らずに駆けだして行ってしまった。
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