第19話 暴飲暴食はよくないわよ
俺の恥がこれ以上広まる心配はないという安堵はある。しかしその百倍、とんでもない事態になってしまったという恐怖感がある。
中学時代の俺は何も知らなかったとはいえ、とんでもない物に手を付けてしまったようだ。あんな世界を根底からひっくり返しかねない代物を平然と家に置いて行った父さんにも、恨みに似た感情を抱くぐらいだ。
美那萌に話を聞いた後、俺はまた父さんに連絡を取って確認してみたが、あの紙のことは朧気にしか覚えていないようだった。
どこかから紙を入手して、家に置いてきたということは記憶にある。だがそれがどこだったかまでは覚えていないと言っていた。
学者である父さんですら、ただの古臭い紙だと判断してしまい、記憶にすら残していないのだ。美那萌が言っていた、人類にはまだ理解できない云々という言葉の意味を今さらながら理解した。
「また同居人が増えるの? あんたの家って民宿なの?」
「宿ができそうな広さはあるけど……別にそういうわけじゃない」
「お姉ちゃんは大歓迎だよ! 大勢で暮らす方が賑やかで楽しいもんね!」
同居人が増えたと聞いて張り切った優里によって、今日の夕食は一段と豪華なものになっていた。元々準備していた夕食に加えて、寿司やらピザやらの出前を取ったのでとにかく量が多い。
「今日は皆の歓迎会だから、遠慮せずに食べてね」
果たしてこれほどの量をちゃんと食べ切れるんだろうか。机の上にはギチギチに料理が詰められ、ちょっと押すだけで大惨事になりそうだ。
ほんの二日前まで、ここで静かに一人食事を摂っていたというのに、見違えるほど賑やかになってしまったものだ。
「あら、お寿司だなんてわかってるじゃない。見ればわかるわ。これ、高級店から取り寄せたでしょう? 私の舌に合うものを用意したのね」
希蝶は満足げに大きく頷きながら、一貫つまんで口に放り込んだ。
「うん、やっぱりこれよ。一般階級の人たちは滅多に食べられない味でしょうからこの機会に食べておくといいわよ」
「……それ、一貫100円だけどな」
「え?」
希蝶の悲しそうな目が俺を捉える。もしかして、俺はもの凄く余計なことを言ってしまったかもしれない。
「嘘でしょ……? 私がいつも食べてるものと変わらないわよ……? え? ちょっと待って、100円? 安すぎない? どういうこと? これ、本当はマグロじゃないんじゃないの? 絶対そうよ。普通なら絶対もっとするはずだもの。おかしいわよ。多分、赤色に塗ったはんぺんだわ」
そんな文句を言いながらも希蝶は二貫目、三貫目を食べていく。なんだかんだ気に入ってもらえたようでよかった。
「ほら、宗ちゃんも沢山食べなさい。箸が止まってるわよ。はい、あーん」
優里はピザを箸で摘まんで顔の前に突き出してくる。
「ピザはそういう食べ方しないだろ」
「いいじゃない。あーんがしたいだけなんだから」
「自分で食べるからいい。あと、俺はあんまり大食いじゃないんだよ。こんなにあっても食べられない。食べさせたいなら出雲にやって」
スポーツ少女なら沢山食べるだろ。さっきまでずっとバレーに明け暮れていたわけだし、お腹もすいてるはずだ。
そう思い、隣に座る出雲を横目で見ると、彼女は箸を持ったまま机に額をくっつけて唸り声をあげていた。
「も……もう無理……食べられない……」
「ど、どうした⁉ お前ほどの女がなぜもう満腹になってる⁉」
「いつからあたしは大食いキャラになったの……? そりゃ、平均よりは……食べるかもしれないけどさぁ……これは多いって……」
「あらあら、そう言えば、さっき山のようにポテトチップス食べてたものね」
「夕食前にお菓子を食べまくったのか? それは良くないな」
「そうよ。何かイライラすることがあったのかもしれないけれど、暴飲暴食はよくないわよ」
俺と優里が注意すると、出雲は歯を剥き出しにして威嚇してきた。言い返す言葉は見つからないが、納得はしていないという意思表示だろうか。
「にしても、どうするんだよ。これ。出雲がこの調子じゃ、処理しきれないんじゃないのか?」
「大丈夫よ。いざとなったらお姉ちゃんが全部食べるわ」
「食べるわって……そんなに食べられるのか?」
「溶かして流し込めば」
増量中の力士みたいな食べ方だな。それはいくら何でも最終手段すぎる。せっかくなら食事は美味しく楽しみたいものだ。
「料理が多すぎて困ってる?」
俺たちのやり取りを黙って眺めていた美那萌が、夕食が始まって以降初めて口を開いた。
「あ、ああ、そうだけど……」
俺の返事はどこかぎこちなく、上擦ったものになる。出雲たち三人には割とすぐ慣れたのだが、こいつだけは未だに慣れられる気がしない。
漫画から出て来たキャラクターというのも不気味で、距離感が掴み辛く、どう接していいのか判断に困るものだと思うのだが、元々人付き合いが苦手な俺にとってはむしろ普通の人間と仲良くなるよりスムーズに受け入れられた。
自分で描いたキャラクターの方が、その辺の人間なんかよりよっぽど、親近感が湧くのかもしれないな。だから正体不明な段階でも、比較的自然な会話ができていたと思う。
しかし美那萌に関しては別だ。色々説明を受けたものの、じゃあ結局こいつは一体何者なんだと問われれば、俺の漫画を依り代にして現実に現れた何かであるとしか言いようがなく、そんな奴とどう接していいのかなんてわかるわけがない。
一緒に食卓を囲んでいる今も、嫌とは言わないが、不気味だとは思う。そもそも美那萌は食事をするのだろうか。欲求はあるとか何とか言っていたが、さっきから料理に手をつけている様子はない。
「美那萌ちゃん。ひょっとして、お腹すいてない? それとも、何か食べられない理由があるとか?」
「……食べてもいいなら食べる」
「もちろん、ここにあるものは全部食べていいわよ」
「全部?」
美那萌が念を押すかのように聞き返す。
「うん、全部」
「わかった。じゃあ全部食べる」
美那萌は箸を取り、目の前のピザに向けて豪快に突き刺した。そのままピザ一枚をまるごと持ち上げて、クルクル回しながら口の中に押し込んでいく。
そして僅かに数秒後、完全に消滅してしまったピザの代わりに、もう一枚のピザに照準を定め、再び同じ要領で頬張る。
「……お前、食べ方どうなってんだよ」
「何か間違ってた?」
「いや……まあ、いいや」
人間なのかどうかもよくわからなくて不気味な奴だが、こうして時折人間臭い部分も見せてくる。
もう少し時間が必要だとは思うが、美那萌とは上手くやっていけないこともないかもしれない。美味しそうに食べる彼女を見て、俺はそう思った。
「食べ物はもうないの? まだ食べたい」
……いや、やっぱり無理かもしれない。ものの五分で机の上を空にした上、さらにおかわりをせがむ彼女を見て、俺の頭には莫大な食費問題がよぎるのだった。
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