第18話 とんでもない物に落書きしてしまったのかもしれない
考古学者の父さんは、たまに家に変わった物を持ち帰って来た。遺跡の発掘調査中に見つけただとか、知り合いに譲ってもらっただとか言って、価値があるんだかないんだかよくわからない物を置いて、またすぐ出かけて行った。
俺が漫画を描いたあの紙。思えばアレはどこから出て来たものだったか。漫画を描くためにわざわざ用紙を買った記憶なんてないし、ノートを破いて使ったわけでもない。いつの間にかそこにあった紙を使い、何も気にせず描いたんだと思う。
ひょっとしたらあの紙は、どこからか父さんが持って帰って来た物だったのではないだろうか。
研究に使う大事な物を家に放置する訳はないので、きっとただの紙だと思って家に置いて行ったのだろうが、それには今の人類では知りようもない不思議な力が宿っていたとしたら……?
「俺は……とんでもない物に落書きしてしまったのかもしれない……」
俺は持っていた漫画を取り出す。改めて見れば、確かに少々年季の入った紙にも見える。意識していなかったが、極めて希少な物だったのかもしれない。
「紙とは人間の脳内世界をこの宇宙に持ち出すための、最も古典的で効率的な手段の一つ。私という概念に近しい存在であると言える」
「つまり妄想を形にするための物ってことだろ? はぁ……そのせいでこっちはとんでもない生き恥が残ることになってんだが……」
それどころか、転校生になってやってくるなんて想像できるか? 漫画のキャラが現実に現れるだけでも相当おかしな話なのに、漫画そのものが出てくるなんていくら何でも予想外だ。流石の俺もちょっとついていけない。
「ん? 待てよ。じゃあ俺が今持ってるこの漫画はなんだ? なんで序盤だけが空き缶の中に残ってたんだ?」
「詳しい経緯を説明すると長くなる」
「長くなってもいいから説明してくれ……」
俺の切実な想いを汲み取ってくれたのか、美那萌は素直に了承してくれた。
「ただの概念でしかなかった私に自我が芽生えたのは、君がその紙に物語を描き始めた時。君の脳内とこの宇宙との繋がりが生まれ、私という存在に意思を与えた。それと同時に、この書物に描かれた内容を実現することが私の使命なのだと理解した。だから書物に記された既定の日時に、私は二つの世界を結び付けた」
「……漫画内での入学式当日の展開を、現実に引き起こしたってことだな? その割にはあの三人の性格は漫画とは大きく違うが」
「書物に描かれた情報量では、人間を構築するのに不足過ぎる。それを補って誕生しているのだから、思った通りにならないのは当然。それに、例え元は脳内の住人であったとしても、この宇宙に来てしまえば君とは別の個人。設定通りの人格になるとは限らない」
まあ、所詮俺の妄想詰め合わせセットだからな。それをそのまま現実の人間にするのは無理があるだろうが、それにしたって見た目と基本設定以外ほぼ別人だけどな。
一番肝心なはずの、俺に惚れてるってところがすっぽり抜け落ちてるし。むしろ攻撃的なくらいだ。やっぱり誰を好きになるかなんて、他人が制御できるものじゃないということなんだろうか。
「既に現実になった書物は、私の依り代ではなくなる。だから君の手元に戻った。書物に記載された、君の脳内の出来事をこの宇宙で引き起こすのが私の役目。私はそういう存在としてここにいる」
「それがお前の目的なんだな。……さっきは言えないとか言ってたが、普通に教えてくれたじゃないか」
「これは私の役目であって目的じゃない。君の生物としての役割は同じ人間の女と交配して子孫を繁栄させることかもしれないけれど、君の人生の目的がそうであるとは限らないのと同じ」
「漫画を現実にするのは、自分がそういう存在だからってだけであって、やりたいことはまた別にあると」
「そう」
美那萌は無機質に見えて、感情や自我を持っているらしい。だから自分のやりたいことや好きなものがある。
それが何なのかを俺に教えてくれるつもりはないようだが、思っている以上に彼女は人間臭い存在なのかもしれない。
「……じゃあ、漫画の残り部分をすんなり返してくれるつもりはないと」
「まだ私の依り代として、あの書物は必要。君の物は君の手元に返るべきだと思うけれど、それはまだ今じゃない」
「なら、せめて誰にも見せないようにしてくれないか。ほら、内容を知ってるお前ならわかると思うけど、あれはちょっと人に見せられるようなものじゃないんだ。俺の中学時代の若気の至りというか、妄想をノンストップアクセル全開で描き殴った生き恥の権化だから……」
「言われずとも、誰かに見せるつもりはない」
それなら一安心……と考えていいのだろうか。少なくとも漫画を盗み出した犯人には俺の秘密が知られていることになると思ったのだが、漫画がひとりでに抜け出しただけだというのならそうとも言い切れなくなる。
まさかまさかの事態だ。これは誰にもバレていないと言っていいのか、それとも俺の秘密を全て知っている厄介な奴が現れたと考えるべきなのか。
俺の脳内とこの宇宙を行き来できるとか言ってたが、ということはつまり俺の考えていることは美那萌に筒抜けなんだろうか。
だとすると恥ずかしいなんていう段階ではないな。もう仕方ないと割り切るしかない。恥どころか全てを知られているのなら、今さら何を隠そうとも無意味というわけだ。
「これで説明は終わり。納得した?」
「納得はしてないが……聞きたいことはとりあえず聞けたかな」
「なら私は戻る」
美那萌はお手本みたいに綺麗な正座を崩して、足が痺れた様子もなく立ち上がる。
「君は戻らないの?」
まだ座ったままの俺を見て、美那萌はそう尋ねてくる。
「俺は……もうちょっと整理してから戻る。今聞いたことを本当の意味で理解するのにはまだ少し時間がかかりそうなんだ」
「そう。改めて伝えておくけど、私はこの家に住むことにする。何か聞きたいことがあればその都度いつでも聞けばいい」
「……そうだな。もう、お前を家から追い出すことの方が怖くなってきたし、泊めてやるしかなさそうだな」
こいつには俺の目の届くところに居てほしい。実質的に、俺は彼女に心臓を握られているようなものだ。そんな奴を自由にさせるなんて色々な意味で怖すぎる。
「はぁ……本当に……まさかこんなことになるとは……」
美那萌が出て行った後、俺は部屋で一人ため息を吐いていた。
あの漫画を描いていた中学生時代当時は、とにかく現在から目を背けることばかり考えていた。だから未来でこんなことになるなんて、夢にも思わなかったろう。
辛い現実から逃げるように描き始めた妄想漫画が、数年の時を経て現実となって現れるなんて、皮肉な話だ。
とにかく今は、この現実と向き合うしかあるまい。中学時代の俺は逃げることを選択したが、今となってはそうもいかない。
逃げた結果はロクなことにならないということを、高い授業料を払ってたった今思い知らされたばかりなのだから。
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