第16話 スポーツはね……楽しいんだよ‼
もうすっかり慣れたものではあるが、我が家へ帰るための道のりはそれなりに険しい。
なにせ山の中腹辺りにあるのだ。周囲には何もないし、そんなところへ繋がる道をわざわざ舗装してくれるわけもないので、家へ帰るにはちょっとした登山を強いられることになる。
登山といっても、道なき道を進まなければならないというほどでもない。大昔、眞貝家がまだ財力と権力を持っていた時代に道を整備した、車が通れるくらいの砂利道はある。
ただ長い間放置されているため木の根が道にはみ出ていたり、大きめの石が転がっていたりする。
昨日、どうやら希蝶はこの道を車で送ってもらったようだが、あまりお勧めはできない。タイヤがパンクしたり、スタックする危険は決して低くないからな。よほど大丈夫だとは思うが、あの高級車でここに来るのは少々無謀だろう。
学校が終われば、この道を通って家へと帰ることになる。普通に歩けば三十分ぐらいで辿り着ける道のりだ。慣れていないとその倍はかかるかもしれない。
昔は金持ちだったというのに、なぜこんな不便な場所に屋敷を建てたのやら。もっと良い土地はいくらでもあっただろうに。それとも良い立地の屋敷は全て売ってしまったか、親戚に取られでもしたのか。
父さんはあんまりそういうことに拘らない人だからな。母さんもそうだった。落ち着いて暮らせるならそれで良いとか言って、山奥の屋敷を押し付けられている光景が目に見える。
そんなことを言って、結局母さんは居なくなり、父さんは海外で遺跡の発掘調査。結局この不便な家に住むのは俺一人。あの無駄に広い屋敷を子供一人で維持管理する羽目になった。
まったく……二人とも、あの家を預かったなら最後まで責任持ってちゃんと住んで欲しいものだ。
「……って、今は一人じゃないか。これはこれで厄介なんだが」
門をくぐると、庭の方から何やら叫ぶ声が聞こえてくる。この高く響く声は間違いなく出雲のものだ。
「こう? こう? いや、それともこう? あぁぁぁぁっもう‼ できない‼」
「できるわけないでしょう? あれは普通の人間には無理よ」
覗いてみると、出雲と希蝶がどこからか引っ張り出してきたバレーボールを片手にサーブの練習をしていた。
「────あら、帰って来たのね。もう怪我はいいの?」
俺に気づいた希蝶が声をかけてくる。一体どれだけの時間やっているのか知らないが、希蝶の方は飽きてきているようで集中力が散漫だ。だからこそひょっこり顔を出していた俺にいち早く気が付いた。
「怪我なんてしてないよ。誰かさんのせいで、変な気絶癖がついただけで」
「誰かさん?」
「いや、何でもない。それより、お前らは何をしてるんだ?」
「体育の授業の時の、あのサーブを再現したいらしいわよ」
出雲は何度も何度も繰り返し、壁に向かってジャンプサーブを打ち込んでいる。彼女のサーブも高校生女子とは思えない威力だが、流石に美那萌の威力と比べれば数段下回っていることが俺にもわかる。
「負けたままなのが気に入らないらしいわ。本当に子どもよね。たかが授業でやったバレーにそこまでムキになる意味がわからないわ」
「……確かに、あそこまで対抗心燃やす必要はない気がするがな」
真剣にスポーツに打ち込むことを揶揄する意図はないが、バレー部でもなければバレー選手を目指しているわけでもないはずなのに、家に帰って自主練をするという情熱は、俺にも理解しがたい部分がある。
俺は何かスポーツをやっていた経験はないし、恐らく希蝶も同じだろう。だから出雲みたいなスポーツ少女の気持ちには共感できない。
「鏡さんのサーブは速かったかもしれないけれど、それが何だと言うの? ライフルの方が速いわ」
「……そこを比較するのはおかしくないか?」
「理解できないわね。そもそもスポーツという行為自体が謎だらけなのよ。一生懸命練習をしてボールの扱いが上手くなったところで、それがどうしたというの? そんなことに時間を費やすぐらいなら、時速200キロで正確無比なサーブを打ち出す機械を作った方が早いわ」
前言撤回。どうやら俺と希蝶との間にも大きな価値観の隔たりがあるらしい。
「野球とかもそうよね。ボールを遠くに飛ばすためにバッティング練習をしたりするけど、そんなことするぐらいだったらロケットにボールを括りつけておけばいいじゃない。そうすれば大気圏を超えて月まで吹っ飛んでいくわよ」
「お前はスポーツを何だと思ってるんだ?」
「いやいや、わかってるわよ? 試合にロケットは持ち込めないものね。ルールで縛られているせいで、技術的に可能なことができないわけ。私はここに無意味さを感じているの」
「……言っている意味がわからないんだが?」
「ロケットというのは極端な話にしても、例えば当たったボールがとんでもない勢いで飛んでいくようなバットを使えば簡単にホームランが打てるじゃない? 技術を向上させずとも道具を変えるだけでいいのよ。100メートル走であれば、才能ある人が何年もかけて、人生を削って、トレーニングにトレーニングを重ねて、ようやく自転車ぐらいのスピードが出るだけでしょ? なんだか虚しくならない?」
「あぁ……な、なるほど……? 言いたいことはわかった……かも?」
理解できるようなできないような。ともかく、希蝶がスポーツに真剣に取り組むことに意義を感じていないってことは伝わった。
「どこの誰が決めたかもわからないようなルールの中で、己の力を誇示するというただそれだけのために、何年、何十年という時間を費やせる? 私には理解不能ね」
「でも、プロのスポーツ選手になれば、皆に称賛されるし、高い金だって入るぞ」
「そんなの極一部の人間だけよ。今、目の前で必死にボールを叩いている彼女はその一部に該当しないでしょう?」
「まあ……それは……」
いくら出雲の身体能力が高くとも、美那萌には到底及ばない。つまり世の中上には上がいるということだ。そしてプロになって、その頂点に立つことができるのは、さらにそのまた上に立つ一握りだけ。
「黙って聞いてれば、さっきから好き勝手言ってくれるじゃん。運動不足のお嬢様」
一心不乱に練習していると思っていたが、どうやら俺たちの話に聞き耳を立てていたらしい。不機嫌そうな顔つきの出雲がこっちに近づいてくる。
「スポーツの素晴らしさがわからないなんて、可哀想だねぇ」
「あら、私の言っていることに何か間違いがあったかしら?」
「大アリだね。あんたは一番重要なことをわかってない」
「……一番重要なこと?」
「スポーツはね……楽しいんだよ‼」
出雲の心からの叫びに、希蝶は口をポカンと開けてあっけにとられる。
「こっちは好きでやってんの! 趣味だよ趣味。こうやって熱中できる物が一つでもある方が人生は楽しいでしょ? それに、嫌なことがあった時も、こうして熱中できるものが一つでもあれば、そこに逃げられるし」
「……逃げる? そんなのその場しのぎにしかならないじゃない」
「そうだけど、その場をしのぐことも大事でしょ。それに、後で嫌なことと向き合えるようになった時に、背中を押してもくれるからね」
希蝶は出雲の熱弁に、納得いかないというように首を捻る。性格が正反対なこの二人が、互いを理解し合うのは難しそうだ。
「あー、金持ちのお嬢様は悩むこととかなさそうだもんねーこの感覚はちょっとわかんないかなー」
「なっ……あなたこそ、馬鹿なのだから悩むことなんてないでしょう!」
「スポーツやる意味もわからないような馬鹿があたしのこと馬鹿って言うのはおかしな話なんじゃない?」
「スポーツで何でも解決できると思っている馬鹿に馬鹿と言って何が悪いのよ!」
「あたしは何でも解決できるのよ! あたしはスポーツが好きだから! あんたはそうでもないらしいけどね! どうせ熱中できるものが一つもないだけでしょ? 金持ちって飽き性っぽいし!」
「そ、そんなことは……ん? うーん……」
思い当たる節があるのか、希蝶は腕を組んで唸る。出雲はその姿を勝利を確信したらしく、得意満面で笑顔をみせている。
「そうだ。あんたもやる? バレー」
「え、俺が?」
出雲はそう言って俺にボールを差し出してきた。
「なんか、いっつも色々悩んでそうな顔してるし」
「悩んでない……とも言い切れないが……」
「スポーツすれば、悩みを忘れられるよ?」
「……いや、俺はいいよ。悩みから逃げることはもうやめることにしたんだ」
「そっか」
少し寂し気に、彼女は肩を落とす。そこまで落ち込むことはないのに、まるで自分の必要性を失ってしまったかのような気の落とし方だ。
「そういえば、美那萌が来てないか? ちょっと話があるんだが」
「え? ああ、それなら────」
「私ならここに」
美那萌は音もなく背後から現れ、吸い込まれそうな瞳で俺を見つめてくる。
「本当に家に来るとはな」
「近くで観察したいから」
「俺が聞きたい事、わかってるよな?」
肯定を示すように小さく頷く。そのちょっとした動作にも、俺は全身から汗が噴き出るような緊張感を覚えていた。
「……それで、答えてくれるのか?」
「君が望むなら。けれど、場所を変えることを勧める」
出雲や希蝶に聞かせるような話ではない……か。ここは美那萌の言う通り、一対一で話ができる場所に行った方が良さそうだ。
「それならちょうどいい場所がある。ついてきてくれ」
「わかった」
俺と美那萌は場所を変え、敷地内の最も端にある離れへと向かった。
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